『えぇ———ハイヴ・ロードホロウと対を為す様に、渓谷の深層に発生した共生ホロウ……《ニライカナイ》へ向かって以来、彼の消息は途絶えているわ。ニライカナイが観測され、彼が向かってから長過ぎる時間が経過しているけれど———不思議な事に、ニライカナイのエーテル濃度は、彼が向かってから徐々に、しかし確実に収まっていっている。おそらく、彼が……』
「ほぼ100年くらい飲まず食わずで戦い続けてるって言うの? 流石に無茶苦茶じゃない?」
『その無茶苦茶具合は、貴方が一番分かっていると思うけれど』
「イタイ所突くなぁ……まぁ、あの人ならやりそうだけどね。それじゃあ、迎えに行こうかな———やんちゃなおじいちゃんをね♪」
■ ■
ふむ、と。
有能なプロキシのナビゲートに従い、途中で道を阻むエーテリアス共を眼中に留める事もなくバッサバッサと薙ぎ払いながら、高幹は納得した様に頷いた。
「諸事情によりホロウレイダー協会では仕事が出来ない身の上、ね。その諸事情ってのは、まだ明かせないのか」
『すまない、高幹さん……今はまだ、言えそうにないんだ』
「いいよ、別に。無理して聞きたい訳でもないしな。話したくなった時に話せばいいさ。というか、寧ろそんくらいが丁度良い。俺とくれば、それはもう丁度いいくらいの距離感してくれる奴が居ないもんで……」
「まぁ、お武家キツネだものね」
「いや雅だけじゃないんだよね」
「他にも居るの…?」
「主に六課がなぁ……」
外堀を埋められている事には気付いてこそいないが、しかしぶっちゃけてしまうと、それとは別の面でも六課からの信頼は実に厚い。
だがこれまでの話を振り返ってよく見てほしい。
蒼角の高幹の呼び方は『タカミキ』でも『タカミキさん』でもなく、『タカにぃ』である。
月城柳もその人格と実力を認め、H.A.N.Dという組織上、決して入るのは容易ではないにも関わらずわざわざ書類の用意までし始めている。
浅羽悠真は外堀埋めていくなーという認識こそすれ、入隊は大歓迎である。サボれる確率が上がるというのもあるが……
「あと宗一郎さんだな。あの人は完全に俺を取り込むつもりでいるのかベラベラ喋ってくる……マジで大丈夫かなあの人。
「ただの神社は巫女も神主も武装しないと思うわ、高幹先生」
「神社という名の戦闘集団でしょ。なんなら深夜に見廻りまでしてるじゃない。たまに見るわよ、アンタの所の巫女さん達」
『というか、虚狩りと代々接点を持っている時点で、ただの神社と言い張る事自体が無理なんじゃないの?』
「なんだお前ら揃いも揃って否定しやがって。正論だから何も言えねぇじゃんどうしてくれんの???」
そもそもの話、初代剣神・石上土佐武蔵を端として発する時点で、通常の神社と言うにはあまりにも無茶が過ぎるというものだろう。
当時はまだロゼッタデータ及びキャロットの開発すらも進んでいなかった時代に、ボンプを同伴させない単身での共生ホロウへの突入、そこからの無傷帰還。
公にこそされていないが、彼も一応、虚狩りの栄誉を貰った身だ。
本人がそれを路地にぽいと捨て、全く認めなかったとは言えども、当時のメイフラワー家にとって彼もまた厄災の狩人であったのだ。
その一族の組織が、ただの神社であると言い張るにな些か無理があるというもの。通常の巫女でさえ、剣を握ってしまえば、そこらの暴力組織程度なら壊滅させられる程度の実力を持っているのだから。
「もう兄弟も収まる所に収まったらどうだ? そうすりゃ追い掛けっこもしなくて済むだろ」
「ばっかお前そんな理由で片付けて良い訳ねぇだろうが! てかそもそもアイツ自体そういう言及してませんがっ!?」
「ほんっっとに面倒臭いわねアンタ! 男なら堂々とかましなさいよ! あのお武家狐の相手出来る奴なんてアンタくらいでしょ!? さっさと席着いておめでたくなりなさいよ!」
「なれるかボケぇ!!!! そもそも向こうに気があるかも分からんのだが!?」
「アンタ何言ってんの!? 嘘よね!? 流石に嘘よねっ!? ウソだと言いなさい! じゃないとアンタ、ほんっっっとに救いようのない男に成り下がるわよ!?」
「何故ぇ!?」
いったい何処まで面倒臭さを拗らせているのだこの男は。本当にこれが剣神に最も近い男か?
まぁ、そういった意味ではさもありなんと言うべきか。初代剣神に関しては、何故子孫を残せたのかが非常に不思議な位には色恋沙汰とは無縁であった訳だし。
寝ても醒めても、剣を振るか酒を煽るかの二択しかなかった様な男だ。初代虚狩りも、あの男が子孫を残せたなんて知った暁には、目が飛び出る程に驚くだろう事は間違いない。
『こほんっ。2人共、話している途中で悪いんだけれど、目的地に到着したよ』
「お、おう。此処が目的地か……てか、結局お前ら何盗み出した訳?」
「知らないわ。ただ、その中身がめちゃくちゃ重要って事ぐらいしか知らされてないのよ」
「あっそ……あー、これで麻薬とかだったらどうしようかな…流石に親父に怒られるし、雅と朱鳶からも何言われるか分からんぞ……最悪セヴェリアンさんまで出てくる羽目になったら…なんかヤになってきたな。名前出せば出す程になんで俺こうも治安局の知り合い多い訳…? なぁ、あれ斬って仕事失敗って事にしちゃダメか?」
「良い訳ねぇだろっ!? しっかりしろ兄弟! そんな虚ろな目しちゃいけねぇ!」
「お前には分からんだろビリー……右向いても左向いても治安官の知り合いしか居ない俺の気持ちなんざぁ!!!」
それはお前が常日頃から雅から逃げ回っているからでは? というご尤もな疑問は、まぁ彼を思ってさておいてやるとして。
しかしまぁ、確かにその通りである。高幹の知り合いと言えば、一に六課、二に治安局で構成されているくらいだ。なんなら防衛軍にまで顔が知れ渡っている辺り、いよいよ以て新エリー都の主要人物と顔見知りなのが現実味を帯びてきたというもの。
「今こうしてる間にも、もしかしたらセヴェリアンさんが何かコンタクト取ってくるかもしれねぇんだぞ!? あの人朱鳶以上に堅物だしおっかねぇんだからな! シーシィアが魔王呼ばわりすんのも分かるわ! あの人に片棒担ぎも同然の事がバレたら……絶対に親父に行く! そんで怒られるっっっ………!!!! 親父の説教は長ったらしくてありゃしねぇんだよ受けたくねぇ!!!! よし斬る早く斬るさくっと斬る!」
「ちょっ、早まんなバカっ!!! 落ち着きなさいって! アンタは猪か何かな訳っ!? なんでそういう所でお武家狐と似てんのよ!!!」
何か困れば取り敢えず剣を抜く。これ、剣士———主に石上神社と星見家———の間では常識である。
鯉口を切って突っ込む寸前の高幹を、ニコ達が全力で抑え込んでいるこの状況を見れば、これがホロウ内部のやり取りだとは到底思えない。
しかしまぁ、此処に至るまでに立ち塞がる敵を悉く斬り払って来たのだ。こんなテンションになるのも頷けるというものだろう。
まぁ、しかしそう簡単に事は運ぶまい。
ゆらりと揺れた空間の末、再びそのエーテリアスは姿を表した。
人をゆうに超える巨躯と一振りの曲剣と大盾。「デュラハン」の個体名を持った、難敵と称するに値するエーテリアスである。
「また出たよ……勘弁してくれってマジで」
「店長、下がってろ! 行くぜ兄弟、援護は任せろ!」
「そらありがたい限りだ。あー……一日になんでこうも面倒事に巻き込まれてバカみたいに剣を振らにゃならんのだ! 俺は雅じゃねぇんだぞ、ったく!!!」
剣を振るのも面倒事も全部自分から巻き込まれに行ったのでは? という、パエトーンのささやかなツッコミはさておいて。
———視界が澄む。
鯉口を切り、鞘から解き放たれた業物……「
一変した空気を本能が感じ取ったのだろう。デュラハンは反撃の機を窺う様に、盾を前方へと押し出して我が身を隠す様な行動を取った。
「しんどい事させやがる。ビリー、ニコ、構えてろ。俺が剥がす」
「剥がすって、あの大盾を!? どうするつもりよ!」
「いいから構えとけ。あとアンビー、ちょっと武器貸してくれ」
「良いけれど……二刀流も使えるの、高幹先生?」
「どっちかと言えば二刀流の方が得意なんだよ。いちいち刀持つ方を切り替えて対応する必要無くなるからな———んじゃ行くぜ、ちゃんと準備しとけよ」
疾走から間もなく。
ぎぃんっっっっっ!!!!!!! と、不快を煽る鈍い鉄鳴りが響き渡った。
◆
「おら撃てェッ!」
「おう!」
「うっっっさい音響かせてんじゃないわよ、このおバカッッッ!!!!!」
実弾とエーテルの銃撃が、大盾ごとその巨躯を呆気なく弾き飛ばされたデュラハンの肉体へと一つ残らず叩き込まれていく。
———ありえない。人格などとうに消え去った
圧倒的な体格差と重量。たかが成人男性、知能構造体の様な鋼鉄の肉体を持っている訳でも、特殊なエンジン構造を内部に宿している訳でもない人間が、盾どころか身体すらも含めて弾く?
凡そ人間から外れた巨躯と膂力は、並の人間では数時間を費やしたとしても決して動かせぬ不動の巨石に等しい筈。だが、高幹はそれを造作もなく動かし、あまつさえその体勢すら崩してきた。
刀とカッター刃。強度、鋭利、刃長、武器として全く異なる要素に溢れた二つの武器。双方それぞれに合った力加減と振り方を保つという、まさに鬼斧神工と表現せざるを得ない技量があってようやく成り立つ芸当である。
「ありがとな、アンビー! これ返す!」
「傷一つない……やっぱり高幹先生はおかしいわ」
「あれぇ!? おっかしいなぁ、こういうのって普通感謝か賞賛が飛んでくるもんじゃねぇの!? なんか罵倒が飛んだきたんだけれどもなんでぇ!?」
「御託は良いから早く突っ込む! アンタが行けばその分早く終わんのよっ!」
「体のいい特攻兵か何かかよ俺は!」
柄を握り締め、腰を落とす。地を捉えた爪先に込められら限りの力を叩き込んで、再び神速の跡を容易く辿る。
刃金が黒曜の肉体を切り裂き、それを援護する様にアンビーが雷撃の刀身を抜き出して振り抜き、ビリーとニコが絶え間ない銃撃を撃ち込む。
抗う暇も与えられず、ただひたすらに受け身の姿勢を取らざるを得ない。邪兎屋は経営難に陥る事が多々ある……というか、それが日常になりつつあるのだが、しかしその戦闘能力は非常に高い。
ビリー・キッドは今でこそレンジャーオタクな面が目立つが、かつては郊外最強の『無敗のチャンピオン』として名を馳せた男だ。
アンビーは邪兎屋の前線役を担っているが、それも当然。彼女はかつて防衛軍の秘匿部隊であるシルバー小隊の隊長を務めていた優秀な兵士だったのだ。
特にこれといって特徴が無いのはニコだけだが、まぁそれはさておくとして。
初代チャンピオンと秘匿部隊の隊長、そして剣神に最も近いとされる男。その戦力差は、まさに雲と泥と喩えるに他ならない程に、圧倒的であった。
『Guuuuuuuuuuu————————————!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』
「今度こそ叩っ斬ってやる———そら硬ぇは硬ぇがよ、少なくとも雅の刀よりは脆い!!!!!!」
『比較対象としてどうなの、それ?』
「ほぼ毎日打ち合ってるから分かるんだよ! あの刀普通じゃねぇからマジで! 俺の武鳴だって売ればビル一つ余裕で買えるくらいの至高の一品なんだぞこれ!!!!」
「なんですって!? ビリー、今すぐ高幹の刀取ってきなさい!」
「さりげなく俺に生贄になれって言ってるよな親分!?」
「おう取れるもんなら取ってみろよ全員叩き斬ってやらァ! 雅直伝———強制修行———の抜刀術お披露目してやろうか!?」
『皆、今はコントなんてやってる場合じゃないだろう!? 戦闘に集中してくれ!』
「まさに正論だぜチクショウがァァァァァァ!!!!!!!!!」
斬ッッッ———!!!!!
ただただ単純な唐竹割り。これといって、特別な技術など含まれない純粋な剣の型に倣った斬撃が、それに見合わぬ結果を導いた。
———それは、
鋒が空の軌跡をなぞり、切り開いた一筋の
僅かに歪んだ空間は、まるで自らの異常に藻掻く様に手早に修正を開始する。それと並行するに、デュラハンの肉体はコアごと呆気なく断絶され、脆くも崩れ去っていった。
「———ふぅ。よーし、今度こそちゃんと叩き斬ったな」
『えー……なにそれ』
「空間の裂け目…? それにしては、あまりにも瞬間的過ぎると言うか……」
「似たようなもんだよ。つっても、空間の裂け目を強引に攻撃に転換してるから、ぶっちゃけ危ねぇんだけどさ。歪曲空間がまるっと崩壊する可能性あるし」
『そんなに危険なことをしたのか…? 高幹さん、流石にそれは悪手と言わざるを得ない』
「分かってるって、今度からお前らと一緒に居る時はやらねぇよ。巻き込んじまったら悪いしな」
『それだと、自分一人なら構わないという風に聞こえるな、高幹さん』
「ちょ、ホロウ内で説教は勘弁しろよアキラ!
気まずさを隠す様に話題を逸らし、地面に転がったボロボロの金庫へと視線を向ける。
パエトーン兄妹曰く、敵のハッキングを受け、その反抗の為に二人は自らのアカウント———つまりは、『パエトーン』という伝説を手放してしまったとの事だ。
これまで機械の内部にあったほぼ全てのデータがロストした現状、ホロウの道案内の正確性すらもが危ういらしい。
それ故に、二人はこう結論を出した———
『ハッキングしてきた相手の情報が確かなら、あの金庫にはロゼッタデータのプロトタイプがあるらしいの。だから、それを使えば———
ロゼッタデータ。それは都市の統治者のみが所有しているとされる、ホロウデータのマスターデータ。
本来、ホロウデータは観測設備の誤差の蓄積によって、徐々にその有効性が失われていく。ホロウ内部の歪曲空間は常に変動していく為、ホロウデータの結晶であるキャロットは
故にキャロットはその有効性を損なわぬ様に、数日単位でデータの情報を修正しなくてはならない———その為に必要なのが、ロゼッタデータだ。
ホロウ内部の情報さえ十分にあれば、キャロットの作製はホロウ調査協会の調査員でなくとも、プロキシであれば容易に作れる。そして此処には、ロゼッタデータというキャロットの作製に必要不可欠なマスターデータがある。
これなら———無事に、このホロウから抜け出せる…!
「そら願ったりだが……それ、依頼されたやつなんだろ? お前ら的に良いのか?」
「もう形振り構ってらんないわ! 命あっての物種よ! 命大事にっ!」
「確かに、それはそうだな。あー……やっと帰れる。セヴェリアンさんに知られてないと良いんだが…でも朱鳶だもんなぁ、真面目だもんなぁ……なんか報告してそうでヤダなぁ…………どうしよう急激に帰りたくなくなってきた」
学生時代から朱鳶は大真面目だった。先生へのこまめな報告だって欠かさなかった彼女の事だし、セヴェリアンに何かしら報告している可能性もある。
しかも100%善意でそれをやっているから、高幹にしたって怒ろうにも怒れないし文句の一つだって言えないのが、朱鳶の長所であり短所である。
「はぁ……ヤダなぁ」
『頑張ってね、高幹さん!』
「てんめっ……他人事だからって気楽に良いやがってよぉ! セヴェリアンさんにバラしてやろうか、おぉん!?」
『あー汚い! 大人汚い! そうやって脅かして楽しいですかー!?』
「うるせぇ! 大人だから良いんだよバーカ! てかお前も大人だろうが! 何さり気なく子供振ってんだ! あー分かった! もう帰ったら真っ先にビデオ屋直行してまた頭グリグリしてやるからな! 覚悟しとけよリンの助!」
『だから誰なのリンの助!?』
この後、ホロウから脱出した高幹は無事に実父に捕まりました。
・ニライカナイ
零号ホロウ「リンボ」から派生した共生ホロウの一つであり、他のホロウとは違い郊外の渓谷の深層に発生した巨大なホロウ。
調査に向かった人間が尽く帰還出来ず、それに伴い内部の情報が一切不明のまま。また、電波の確立が難しい郊外かつ渓谷の深層にあるという厳しい条件下の為、エーテル濃度数値の観測だけに留めるという事実上の打ち切りを宣言されていた。
ある日を境に初代剣神・石上土佐武蔵が単騎で突入してから長い月日が流れ、現在になって数値が格段に下がりつつある事が確認されている。
そのエーテル特性は『事象の連鎖』。ニライカナイに入った対象の肉体・物質構造をエーテルが記憶し、例え対象が死亡・破壊されてもエーテルがその性質を記憶した肉体・物質に変化させて再構築し、それまでに起きた事象と全く同じものを繰り返すというもの。