灰かぶりの老鴉 - ARMORED CORE Ⅵ Fires of Rubicon 作:竹河参号
最初の印象は、
かつて、人類の生存圏が地球だけだったころ。本物の火を囲んで暖をとっていた時代のことだから、さらに昔々のお話だ。しんしんと雪が降り積もる冬、先人たちは身を暖める火を完全に絶やすことなく、灰の下に火種を埋めていたらしい。完全に火を消さないことで、次に点ける際にはその灰を払い、薪を継ぎ足すだけで済む。火付けの手間を減らし、薪を節約し、それでいて熱を守る。賢いというべきか、涙ぐましいというべきか。そんな古い古い習慣を――いまや老いた彼女すら碌に知らない文化を、どうして思い起こさせたのか。
決して燃え上がらず、而して消えず、その
『一度生まれたものは、そう簡単には死なない』
それは彼女自身が語った言葉なのか、それとも少年が発した言葉なのか、はたまた別の誰かの言葉が、思い出の中で勝手に紐づいてしまったのか。
いずれにせよ、正鵠を射る言葉だ。他でもない彼女自身が、その言葉を体現する一人なのだから。
もう一人がいるとすれば、それは――
◇ ◇ ◇
ぴぃぃ、と脳裏に赤い光が走った。
『――レイヴン! ウォルターが未確認勢力に襲われています! 急いで救援を!』
その言葉は、
今まさに遂行中のミッションは何だったか。そんな些事は、
◇ ◇ ◇
コルヴスのコクピット内に響いたアラートに、アイリーンは顔をしかめた。
ウォルターの猟犬が、今まさに銃弾を浴びせているハンドラーの猟犬が戻ってくる。もう嗅ぎ付けられたのか。彼女は目の前のヘリに向けて、オープン回線を強引に繋いだ。
「連れないじゃないか、ウォルター。せっかくのデートだっていうのに、邪魔者を呼ぶんじゃないよ」
『悪いが、ストーカーに構う趣味はない』
飄々とした軽口は、しかしすげなく躱された。きっと回線の向こう側では、むっつりとしかめ面をしていることだろう。ジョークに乗らない生真面目さは相変わらずかね、と言ってやるべきか、どうか。相手の言葉は、今まさに向かってきている灰色の機体に向けられた。
『……621、手間をかけてすまない。こいつのことは構わん、撃破しろ』
極力眦を下げないように発せられた言葉には、彼女もいよいよ閉口せざるを得ない。事もあろうに『
「おまけにひどい言いようだ。猟犬の世話ばかりで、女の扱い方を教わらなかったのかい?」
『……戯れ言に構うな。始末しろ、621』
心とは裏腹に、なお軽口を垂れる彼女を無視して、ウォルターは
ハンドラー・ウォルターの猟犬、独立傭兵レイヴン――こいつの腕前は把握済みだ。こいつを野放しにしたまま、目的を達成することはできない。すなわち、この猟犬と殺し合いを演じるか、なりふり構わず逃げるか、その二択だ。
「さて、ワンちゃん。残念だが、用があるのはご主人様の方だ。邪魔をするなら死んでもらうよ。
……あいつが使い潰してきた猟犬たちと、同じようにね」
『猟犬……?』
老獪さが育んだ軽口の端々に、冷徹な殺意を滲ませながら、コルヴスが跳び上がった。意味深な言葉に当惑するエアを置き去りに、621も応戦するようにライフルとミサイルポッドを向ける。
――いま、何か
『構うな、621。……そいつは、アイビスの火以前から戦ってきた傭兵だ。
この女は、アイビスの火を……その後の半世紀を生き抜いた強敵だ。油断するな』
その軽口を遮るように、ウォルターが通信を挟んだ。その回線にはヘリ本体の危険を示すノイズも、ウォルター自身の負傷を伺わせるものもない。いつもとは少し異なる、決して相手を侮らない緊張感があった。
ひとまず、彼は安泰らしい。冷静さを取り戻したエアは、まず
『――機体情報を解析。機体名コルヴス、搭乗者はアイリーン・スピアリング。
「灰かぶり」を名乗る上位ランカーの実力者です。機動力に翻弄されないよう注意を』
それが、
「――……待て」
マシンガンを撃っていたコルヴスの動きが、ぴたりと中空で停止した。そのままがしゃんと墜落……とはならず、コアシステムに統制された
コクピット内で呆然とする、アイリーンを置き去りにして。
「あんた、まさか……“声”かい?」
『!?』
呆然と呟かれたアイリーンの言葉に、息を呑んだのはエアだった。
一方、621はコクピット内で瞬きを重ねるだけだった。“声”。何のことか。もしかして、このエアのこと?
「そうなんだね? あんたには、
『……アイリーン……? 貴様、何を言って……』
今まさに銃弾を交わしていた敵対者を前に、無防備に立ち尽くす――それは歴戦の傭兵にとって致命的な隙であり、つまりこの“灰かぶり”が決して見せるはずのない行動だった。ウォルターでさえ思わず困惑する奇行に、しかしまるで頓着しない様子のアイリーンは、かすれた声で問いを重ねた。震える声は、ウォルターではなく、“声”ではなく、621へと向けられた。
『声が見える』という表現には、覚えがある。
確か、大陸間輸送カーゴランチャーで
『レイヴン……彼女は、まさか……私のことを……?』
かすかに声を震わせるエアは、抱くべき感情を見つけることができなかった。
「ああ、だめだ。だめだめだめだめだめだめ――」
コクピット内で頭を抱えるアイリーンのことなど、慮る余裕はなかった。
頭の中に埋め込んだ警報が止まらない。強化手術を受けた心筋の動悸が止まらない。ヘルメット越しに頭皮を掻く手が止まらない。
だめだ。だめだ。だめだ。だめだ。だめだ。だめだ。だめだ。だめだ。
「絶対にだめだ。それだけはだめなんだよ、ワンちゃん」
あってはいけない。見つかってはいけない。存在してはいけないはずの――消えたはずの、
――凡人には理解不能な、専門用語の羅列。
――複雑なグラフの数々。急速な跳ね上がりが、唯一理解できる異常。
――それを渡す
――「
――「ただ死ぬだけならいい。滅びるだけならいい。それは悲惨だが、しかしいずれ到る末路だ」
――「だが、もしも、
――「既存生物の何物にも該当しない――いや、
がしゃり、とコルヴスが再起動した。
「……事情が変わった。あんたには、ここで消えてもらう」
その瞬間、621はふと、鼻腔に妙な違和感を覚えた。呼吸器の一部でしかないそれを、くすぐる何かが生じた。それが、すでに失われたはずの嗅覚がもたらした錯覚――“死の匂い”であると、本人だけが理解できなかった。
それを待たず、
『敵機の行動パターンが変化しました。レイヴン、応戦を!』
エアの叫びに、621はいち早く再起動した。がりがりと装甲を削る死の礫を、
コルヴスのカメラアイが素早くそれを追い、そして
「まったく、あの腑抜け野郎が言う通りだったとはね……
――悪いね、ワンちゃん。あんたを生かしておくわけにはいかない」
『来るぞ! 油断するな、621!』
ハンドラーの叫びに、しかし621は満足に応じることができなかった。
機械仕掛けの脳裏に厭な感覚が走る。かすかな鼓動を保つだけの胸がざわめく。敵は倒す、ハンドラーは守る。それだけでいいはずだ。なのに、どうして思い通り動けない――
コルヴスの肩部から射出された二対のミサイルが、621の視界外を大きく逸れ、しかし急旋回して襲い掛かる。それを紙一重で掻い潜り、応報とばかりにライフルのトリガーを引いた621の弾丸は、しかし流線型の薄く脆い機影を捉えることなく、明後日の方向に飛んでいった。
突進する黒鴉に向けて、左腕に装着したパルスブレードを振るう。しかしそれは、咄嗟に迎撃を察知したコルヴスの
「どうした、その程度かい!? 前の猟犬たちの方が、よほど強かったよ!」
『敵機は軽装甲ですが、高い機動力で翻弄してきます。落ち着いて対処を!』
『焦るな、621。隙を突いて、確実にダメージを与えていけ』
しわがれた罵声を遮るように、621を見守る二人の声が、
とにかく、戦わなければ。この
――何のことはない、いつも通りだ。敵は殺せ。とにかく、殺せ。
咄嗟に着地したコルヴスに向かって、ぐりんと二連装
「なるほど、猟犬も伊達じゃないってか……」
――知っていた。分かっていた。熟練のハンドラーに手綱を握られた殺戮人形と、老いさらばえた小兵。まともにやり合えば、不利なのは己の方だと。
「だからこそ、見逃すわけにはいかないね――たとえ、刺し違えてでも……!」
『あと一歩だ、621。油断するな』
小粒ながら高密度の弾幕を、完全に避け切ることはできない。割り切った621が構わず放ったライフル弾が、次々にコルヴスに衝突し、その衝撃を蓄積させていく。それは、二重関節がゆえに精密な姿勢制御を要求し、衝撃抵抗に劣るKASUARの
好機。621は咄嗟に
ぶおん、ぶおんと二連撃。それはコルヴスのコアブロックを深く深く抉り、アイリーン本人にすら届いた。所詮、非常脱出用のパイロットスーツなど、鋼鉄装甲の裁断を前提としたブレードには無力だ。辛うじて彼女の肉体が両断されなかったのは、奇跡と言っていい。
だが、それはアイリーンの命を両断するには十分だった。脊髄一歩手前まで深く斬り抉った一撃は、彼女の臓腑を焼き切り、破損したコクピット内に夥しい血を撒き散らした。びーびーとコクピット中に鳴り響くアラートを、彼女自身がどこまで認識できていたことか。
「……先、生……申し訳、ありま……」
――不始末の謝罪すら、満足に言い切らないとは。
我ながら、耄碌したもんだ。
強力な電磁パルスがコルヴスのジェネレータに引火し、内蔵燃料がぼんと爆炎を上げた。そのまま墜ちていく黒赤の鉄塊は、着地姿勢も取らずに地面へ激突し、べしゃりと泥を跳ね上げた。ばちばちと火炎と黒煙を上げる機体は、それ以上動く様子がない。
『……敵AC、機能停止。生体反応もありません。……撃破、完了です』
『……よくやった、621』
621の脳裏に、それぞれ声が響く。それは、敵機の完全な死亡停止を宣告するものだった。
これで、ハンドラーの脅威は去った。己の脅威は去った。それでいいはずだ。
――だが、この感覚は何だ。密閉されているはずのコアブロック内に、中央氷原の寒気が入り込んだような感覚がする。胸元にぽっかり穴が開いたように、冷え冷えとした感覚に襲われる。
『余計な手間をかけて悪かったな。今日のところは、もう休め』
ハンドラーの命令が、脳裏に響く。その声に乗った微かな震えは、通信のノイズに紛れて消えた。その意味を問い質す手段は、
◇ ◇ ◇
【新着メッセージ 1件】
『621、あの傭兵のことなら気にするな。一度……いや、何度味方として共闘しようが、敵対するときは敵対する。この業界ではよくある話だ』
『大方、アーキバスあたりに抱き込まれたのだろう。共通の敵を倒すために一時休戦――と見せかけて、都合の良い盤面を目論んで駒を動かす……企業共の考えそうなことだ』
『奴の言葉も、気にしなくていい。腕利きの“
『……連戦で疲れているはずだ。今日だけは、よく休め』
『……レイヴン』
『彼女は……アイリーンは、あなたと交信しているだけの――
『その上で、
『……不可解です。彼女は、何を知っていたのでしょうか……』
◇ ◇ ◇
『拝啓、“
あんたがこれを読んでいるということは、一人のババアがぽっくり死んだか――はたまた、このメールそのものを処分し忘れたかのどっちかだ。
ああ、ババアの素性なら気にしなくていい。……と言っても、警戒するのがあんただろうね。その慎重さを見込んだからこそ、こうして回りくどい真似をしているんだ。
とにかく、あんた個人の敵でも、あんたたちルビコニアンの敵でもない、とだけ言っておこう。もっとも、もうどっち側にも付けなくなっている、という前提だがね。
……前置きが長いのは年寄りの悪い癖だね。こうして筆を執っても、だらだらと益体もないことを書いちまうんだから。
本題に入ろう。あんたも知っているであろう、独立傭兵レイヴン――あいつには気を付けな。
「敵として」という意味じゃない。「味方として」という意味でもない。あいつをどう扱うかが、このルビコンの未来を握っている。それは、良い意味でも悪い意味でもだ。
あんたたちがルビコニアンとして、あるいは解放戦線として、あいつとどう接するのかは、あんたの判断で決めていい。そこまで嘴を突っ込めるほど、このババアも元気じゃない。
ただ、敵として潰すにせよ、味方として抱き込むにせよ……あいつの動きには、最大限の注意を払うことだ。「やりすぎ」と思うくらい、注意深く取り扱いな。切れ者の自覚があるなら尚更だ。
世の中にはいるんだよ、そういう困った手合いが。どれだけ策を講じても、必ず斜め上の結果を叩き出す。定石なんてまるで通用しない、それこそ盤面丸ごとひっくり返しちまうような、とんでもない
ああ、あの「独立傭兵レイヴン」という名義は偽物だよ。
本物は本物で、とんでもなく厄介な連中だが……それは脇に置いておこう。「このルビコンのどこかで、タチの悪い独立傭兵が暴れている」とだけ覚えておくといい。
奴の正体は、旧型の強化人間……しかも“アイビスの火”以前に施術された、正真正銘の骨董品だ。おそらくは、第三世代か第四世代あたりだろう。それ以前の世代でまともに動ける奴がいるとしたら、そりゃもう化石と思っていい。
「それくらいなら」と思っているかも知れないが、問題はもっと根が深い。それこそ、こんなメールには残せないような、深刻な厄ネタだ。
あんた一人になら明かしてもいいが、変に話が広まっちまったら大事だしね。将来有望な若人が、あれもこれもと問題を抱えて苦悩するのは見たくない。
――それでも、どうしても知りたいのなら。
あんたたちが担いでる、あの腑抜けた神輿に聞いてみるといい。“
あいつがくたばる前に、事の真相を問い質してみるといい。あんたにその度胸があるならね。
あるいは……死に損ないを叩き起こす、いい刺激になるかも知れないね?
敬具』
本当に死に損なったのは誰?
お前ターミナルアーマーの話はどこ行ったねん、というツッコミはやめて。
あれを小説的に表現するって恐ろしく難しいんだよ。無理だよシュナイダー製コアで内部システム(と中の人)まで無事な展開とか。