運命の岐路というやつは、意外とそのあたりに転がっているものだ。ただ、存在に気がつくかどうかというだけの話であり、時にはスルーした方がいい結果に繋がる場合だってもちろんある。
暗闇の中にあった意識が、徐々に覚醒する。右手。やっとのことで動かしてみると、ざらついた粒子が指に触れた。一点が目覚めると、感覚はやがて全身に拡がっていく。
目蓋が重い。ゆっくりと持ち上げ、両眼を開く。少し、頭痛があるようだった。
鮮烈なほどの青。ここまで澄みきった空を見たのは、初めてなのかもしれない。それに、乾いた空気だった。思わず咳き込む。ここはどこなんだ。俺は、いったいどうしてしまったんだ。じゃり、と砂粒で顔が擦れる。こういう経験をしたのは、小学校で馬鹿な遊びをしていた頃が、最後だったように思えてくる。
「やっ⋯⋯。なんだってんだよ、こんな」
見慣れた寝室の景色はどこにもない。ちょっと不満に感じていたはずの安ベッドの包容感が、今はたまらなく恋しかった。
風。砂を吹き上げる。反射的に眼を閉じると、また軽い痛みに襲われた。どこからか音が近づいてくる。それも、蹄が地面を叩くような音だった。
心がざわつく。ここを離れなければ、と本能的に感じているようだった。一応これでも、県内で持て囃される程度には剣道を嗜んでいるのだ。強い人間の放つ鋭利な気配。それも、特大のやつが押し迫っている、はずだ。
「おい、そこの貴様」
「うえっ⋯⋯!? は、はい、なんでしょうか、って」
肌がひりつく。痛いくらいの闘気を、浴びせられているせいだった。
声の主は、黒髪ロングの女性である。見事に馬を乗りこなし、遥か上方から自分を睨みつけていた。左眼を覆う眼帯が、全体の厳しさを増している。気合をしっかり入れていないと、まともに視線すら合わせていられない。文字通り、剣呑な殺気だった。
その後ろ。もう一人に守られるようにして、金髪縦巻きのお嬢さんが、馬上で悠然と背を伸ばしていた。発する視線のあまりの冷たさに、身体がぞくりと震えた。三人とも、どう考えたってカタギじゃない。逃げたところで、間違いなくいい目はでない。だから、嫌な汗の滲み出る手を強く握りしめた。
眼帯のお姉さんが、話を続けた。
「星が流れて、大地に落ちるような気配があったと民が不安がっていた。それで、確認にやってきたら貴様がいたというわけだ」
「はっ、えっ……? 星とか民とか、なに言って……」
「おい。迂闊な動きだけは、してくれるなよ。でないと、そちらの額に穴を空けることになる」
「うへっ……!? しょ、正気かよ、あんたたち」
正真正銘、本物の殺気を宿した矢が、地面についた手の真横に突き立っている。後方にいる青髪のお姉さんが放ったものだった。どちらにも、冗談でやっているような雰囲気は少しもない。下手なことをすれば、躊躇なく殺されるという事実が重くのしかかった。
「ふふっ。あまり怯えさせるものではないわよ、二人とも。確かに、この男は星が落ちた場所にいた。けれど、それ以上のことはなにもなさそうじゃない」
「むっ……。しかしですねぇ、曹操さま」
「弁えなさい、夏侯惇。とにかく、この男は一旦城に連れ帰るわよ。夏侯淵が言ったように、おかしな真似をした場合は、即座に首を刎ねなさい。それで、いいわね」
「はっ、ははっ。すべて、曹操さまの仰せのままに」
眼の前で行われるやり取りに、半分頭がバグってしまいそうになる。曹操、夏侯惇、それに夏侯淵まで。単語がバラバラに出てきたのならともかく、この組み合わせで別のパターンを考えるほうがむしろ難しいのではないか。
まったく身に覚えのない景色。頭に残る痛み。そして、現代の常識から乖離しすぎている、三人の女性たちの行動だった。
異世界転生。あるいは、過去へのタイムスリップなのか。夢物語でしかない話だったが、概念がある以上、発生する確率は完全なゼロではない。しかも、俺は自分自身でそのことを証明してしまっている。もっとも、この光景がリアルすぎる夢でなければの話ではあるが。
「そこのあなた、ゆっくりと立ちなさい。いいわね。逃げようとしても、寿命が縮まるだけでなんの意味もないのだから。理解したのなら、一度大きく頷きなさい」
金髪縦巻きの少女。おそらくこの世界での『曹操』に、俺は従うよう命じられた。ゆっくりと頭を動かす。一歩踏み外した先には、死が待っている。冷たい汗が首を流れた。
時間をかけて立ち上がり、三人の方を見た。とてつもなく恐ろしい存在だが、それと同じくらい華がある。
「そう、そのまま。楽にしていいから、話を聞きなさい。私は名は曹操。このあたりを治めている人間よ。どうやら意思の疎通に問題はないみたいだから、あなたの名前を聞かせてちょうだい。星から落ちたからといって、そのくらいの礼儀は持ち合わせているわよね?」
現実世界でオタクをしていてよかった、とここは素直に思えてくる。自分がそうした文化に疎ければ、女性化した『曹操』をすぐさま受け入れられたはずがない。異世界転生(仮)にしても、そうだ。
からからになった喉にわずかな水分を送るために、唾を飲み込む。やるぞ。ここがきっと、人生の分岐点になるはずだ。異世界に飛ばされたんだったら、主人公ムーブをしてみたいと考えるのが男の子心というものである。現代人である利点を活かして、曹操の覇道を助ける。あるのはふわっとした理想だけだが、空想上の英雄だって初めの一歩は危ういものだ。
「
たぶん、声はふるえていなかったはずだ。
あいも変わらず飛んでくる視線は冷たいが、三人が少しは感心してくれている、と武史は思いたかった。