雪蓮から受けた不意討ちのせいで、俺はもう一度眠りに落ちてしまったようだ。目が覚めると、超絶不機嫌そうだったあの子はどこかに消えていた。ひとり残ってくれていた雪蓮が、薄焼きの猪口でなにかを飲んでいる。たぶん、中身は酒なんだろう。
それにしても、と武史は思う。時代の英雄が総じて美少女化している中で、劉備の存在だけがあまりにも異質だった。その特異性のおかげか、あろうことか劉備は天下統一まで成し遂げているらしい。
ここでは孔明が、狂気の北伐マシーンと化して出師の表を提出したりすることもない。孫策や孫堅が生存するほどバグり散らかしている世界線なんだから、きっと桃園の義兄弟たちも元気にしているのではないか。いや、正しくは義兄妹になるのかもしれないが。
いずれにせよ、現代の歴史家にこの世界での出来事を話したら、狂人扱いされて終わりだろうけど。
「雪蓮。劉備のこと、少し聞いても? 俺ってどうやら星から落ちてきたみたいでさ、世の中のことがさっぱりなんだ」
雰囲気的に雪蓮はちょっと年上なんだろうけど、怒られるまではフレンドリーにいってしまえと覚悟を決める。
「らしいわね。秋蘭が言っていたけど、あなた真名も知らないし持っていないんでしょう? まっ、こっちは大事な真名を許しているのだし、勝手に武史って呼ばせてもらうけど」
「うん、全然それでオッケー。俺の名前を呼ぶ権利なんて、吹けば飛ぶほど軽いもんだ」
「ふうん。妙な言葉まで使ってくれちゃって、まるでアイツみたいじゃない。とまあ、星から云々は置いておくとしても、あなたがこの国に馴染みがないことだけは間違いないようね。これが乱世の序盤だったら、もっと面白いことになっていたでしょうに。ふふっ、あなたも案外運がないのかもしれないわ」
からかうように雪蓮が笑った。
確かに華琳たちと出逢った直後は、自分だってそうした英雄譚に加わることを期待してたんだ。だけど、争乱が終熄しているってんならどうしようもない。ここからわざわざ治世を乱すだけの知恵も度胸も、一般人の自分にあるはずがない。
「さーて、どこから話したらものかしら。これでも付き合いは長いから、いろいろとネタは握っているのよ?」
「そうだな……。まずは、華琳を倒したところから聞きたいかも」
乱世の奸雄が、治世の能臣へと姿を変えることを決めたきっかけ。まずはそこから教えてもらわないと、ほかの流れをまともに飲み込めない気がしていた。
「へえ。物語は、一番最後の部分から読む方だったりするのかしら、あなた。まっ、別になんだっていいんだけど。ひとの興味だなんて、それぞれなんだし」
「やっ、なんかごめんなさい……」
酒を注ぎ足しながら、雪蓮がぴっと人差し指の先を向けてくる。
だって、もう答えは出てるんだからしょうがないじゃないか。当人的には初っ端から徐々に話そうとしてくれていたのかもしれないが、やや早漏気味な俺の辞書に、我慢の二文字は存在しないのさ。
「私の率いる孫家が東から。劉備の軍勢が、西から曹操を攻め立てたの。肥大化した領土は、守るのが面倒になるものよ。電撃作戦で、華琳は劉備を先にやっつけるつもりだったのでしょうけど、それが裏目に出たってわけね」
「劉備と曹操による最終決戦か。いいな、なんだかわくわくする」
「ちょっとちょっと。話したそばから、孫家がいたことを忘れないでもらえるかしら? だいたいこっちの援護がなかったら、あいつ単独で曹操の全圧力を受けることになっていたのよ? 孫家は、揚州一帯を治められればそれでいいから一番手柄も天下も譲りはしたけど、もーっと深く感謝されていいとあなたも思わない? ねえ、きっとそうよね?」
「えっ……? あのちょっと雪蓮さん……? 顔がこわい、こわすぎるってば」
酔った勢いもあるのだろうが、雪蓮を宥めることにまずは専念する。
天下統一事業の話題になると、よく似たような流れが発生するんじゃないか、と武史は推察した。でなければ、いきなり雪蓮がブチ切れる理由がわからない。
「……っと、あははっ。悪かったわね、武史。仕事もせずにふらふらしてるだけの母さまが、あいつと愉しくやってると思うとつい……。あーあ、私もさっさと妹に家督を譲ってしまおうかしら。そもそも、平和な世の中での内政だなんて、孫策伯符には向いていないのよ」
「ええっと。つかぬことをお聞きしますけど、雪蓮もやっぱり劉備とそういう仲だったりして?」
「えっ? ああ、そういえばまだ言っていなかったわね。私も母も妹たちも、みーんなあの男に弄ばれているのよ。もっと言うと、華琳たちだってそうなんだから。天下の極悪人だと思わない? 毎日美人を取っ替え引っ替えして、あの性欲魔人めぇ」
いや、いきなり惚気だすのはやめてもらえませんか、雪蓮さん。こっちは寂しいひとり者なんですよ、世界を跨いで正真正銘。
薄々気づいてはいたことだけど、これにはちょっぴりショックを受けたりもする。
天下の覇者劉備。いったい、どれだけ大きな器量の持ち主なんだろうか。そもそも、これだけ血気盛んな奥さんを大人数抱えて、枯れ果てていない事実がますます恐ろしい。
このままイチャコラ伝記が語られようものなら、いっそ再び意識を飛ばしてしまおうか。
いつの間にか酒のつぎ役となった武史には、遠く洛陽にいる劉備を恨むことしかできなかった。