ある世界の冒険者のお話 作:無名
──冒険者の酒場「月下のランタン」。
低く灯されたオレンジ色の明かりが、木造の梁をなぞるように揺らめいている。帳(とばり)が降りた闇の時間帯にもかかわらず、酒場の内は熱気とざわめきに満ちていた。壁に掛けられた古地図や、数え切れないほどの武器のオブジェが冒険者たちの心をくすぐり、酔いどれた重戦士や魔法使いたちが思い思いに声を張り上げている。
中でも一際活気があるのは、暖炉のそばに陣取る我ら四人のテーブルであろう。剣士のクレハ、狩人のレナ、騎士のドロン、そしてわたし、魔術師グレンが腰掛ける席には、微笑ましい笑いと興奮に彩られた空気が漂っていた。
わたしはグレン。軽く一口、さっき頼んだ蜂蜜酒を飲むと、かすかな甘みとアルコールの熱が喉をさす。カップをテーブルに戻すたび、琥珀色の揺らめきが目を魅了した。剣士クレハが一瞬わたしを見て、昨日の冒険について嬉々として語り始める。彼女の声は高く、そしてどこかあどけない。
「ねえ、グレン。昨日の遺跡での最初の仕掛け、あれって魔力感知の罠だったのかな? どうしても理解が追いつかなくて……」
彼女の目は好奇心で輝いている。曲線の美しい刃を持つ愛剣を腰に差し、小柄な身体に似合わぬ自信を漲らせている姿は、いつ見ても頼もしい。彼女が言う「最初の仕掛け」とは、古代文明の遺跡内部で発動した結界のことを指しているのだろう。
レナが静かに口を開く。すらりとした体躯に、長く艶やかな黒髪。まるで夜の帳に溶け込むかのような、神秘的な雰囲気の美しい狩人だ。彼女は斜めに腰掛け、周囲を見渡しながら、さらりとそれに応じる。
「あれはおそらく、踏み入った者の魔力か気配を読み取って、強制的に神経を麻痺させる類の術式だったのでしょう。それに、入り口付近に散らばっていた石像……あれも仕掛けの一部だったのではないかしら。わたしは弓で遠くから様子を窺っていたから、確証はないのだけれど」
まるで何事もなかったかのように口調は淡々としているが、よく見ると口元にほんのり笑みが浮かんでいた。レナは集団で何かをするのが苦手そうに見えるが、わたしたちが迷宮の奥深くまで入るのを援護してくれる、心強い仲間だ。彼女が目を細めると、それはまるで暗闇に光る宝石のように優美で、儚ささえも感じさせる。
「ふっ……」
沈黙を破るようにドロンが低く笑う。騎士としての名誉心に厚い彼は、武骨な性格に見えて実は仲間のことを常に気遣っている人物だ。頑丈そうな重鎧を身にまとい、何があっても我が身を盾にして守ってくれる。
「そもそも、あんな遺跡に近づこうなんてのが正気じゃないんだろうな。だがグレン、お前が術式を中和してくれたおかげで、俺たちは大きな被害を受けずに済んだ。本当に感謝してる」
豪快な声でそう言いながら、大きな手でわたしの肩を叩く。ずしりとした衝撃に、思わず体がわずかに揺れたが、彼の言葉には悪意など微塵もない。彼の金属鎧と椅子がこすれ合う音が、耳をくすぐる。
わたしはややはにかみながら、テーブルの上に両肘をつき、軽く微笑んでみせた。
「あれは単なる偶然さ。ちょうどいい呪文を思い出したから使ってみただけで、上手くいったのは運が良かったとしか言えないよ。それより、クレハが最後に倒したゴーレム、あれは見事だったな。あの一撃は本当にすごかった」
そう言うと、クレハは照れたように小さく笑う。昨日の遺跡での冒険は危険もあったが、こうして思い返せば、仲間との協力が見事にかみ合っていたように思える。何もかも順調で、わたしたちにはもう敵なし――そんな気すらしていた。
***
「そういえば、ゆうべの成果は何か換金できたのか?」
ドロンがからりとした声で尋ねてきた。彼はこう見えてお金の管理にも気を配る性分だ。パーティ全体の維持費や、宿代、物資の補給など、ドロンが率先してやってくれている。豪放な男の見た目とは裏腹に、意外なほど几帳面な一面を持っているのは、わたしたちのパーティが安定して活動を続けられる要因の一つだろう。
「今朝、ギルドへ報告に行ってきたわ。魔道石のかけらがいくつか高値で売れたみたいで、報酬はそこそこ出るそうよ。正確な数字はこれかららしいけど、生活に支障はなさそう」
レナがそう言いながら、一枚の書類をテーブルに広げてみせる。そこにはギルド担当者の簡易的な査定結果が記されていて、文字だらけの書類を苦手とするわたしの目には少しばかり難解だが、レナの言うとおり悪くない数字が並んでいる。
「そっか。なら、少しは美味しいものでも食べられそうかな?」
クレハが安堵したように胸を撫で下ろす。彼女はどちらかというと食べることが大好きで、懐が温まればすぐに豪華な食材を仕入れようとするから、よくドロンに釘を刺されている。
わたしはテーブルの上に置かれた紙片を見て、それからふと視線を店の奥へと向ける。そこには巨大な酒樽が積まれており、冒険者たちが歓声を上げながら、次々とふるまわれる飲み物を味わっている。夜も深いというのに、まるでお祭り騒ぎだ。
どこかに次の新たな冒険の話は転がっていないかな――そう考えていたそのとき、酒場の主人が厚手のエプロンを身につけた姿で、わたしたちのテーブルへと近づいてきた。
***
酒場の主人――名をガルドという、強面の初老の男性だ。頬には無数の傷があり、その昔は冒険者だったのだろうと思わせる雰囲気を持つ。けれど表情は穏やかで、飾り気のない親しみを感じさせる。彼はふくよかな笑みを湛えつつ、わたしたちをひととおり見回した。
「おぉ、中堅冒険者のグレンたちじゃねぇか。昨晩の冒険はなかなか派手だったみたいだな。おまえらの噂、どこ行っても耳にするぜ」
そう言われると、クレハが嬉しそうに微笑む。彼女は自慢げに胸を張っている。だがガルドは、その笑みを受け止めつつも、どこか深刻そうな表情に変わっていった。
「実はな、ちょいと厄介な依頼が舞い込んでな……。おまえらに相談したくて、わざわざ足を運んだんだ。話を聞いてくれるか?」
ガルドはそう言うと、腰のポーチから一枚の parchment(羊皮紙)を取り出し、テーブルの上に広げる。そこには大きな爪痕が描かれたような紋章と、依頼内容らしき文字が記されていた。
「こいつは……グリフィン?」
わたしは目を凝らす。グリフィン――獅子の胴体に鷲の頭と翼を持つ、伝説級の魔獣だ。個体にもよるが、その強大な力は中途半端な冒険者が手を出すと即死しかねない。
「近頃、この辺りの牧草地帯で家畜がやけに減っているって話は耳にしたことがあるだろ? そいつの犯行らしい。鳥や狼の仕業じゃなく、グリフィンとなりゃあ……被害も相当だし、放ってはおけねぇ。だがこの辺に腕の立つ冒険者がいなくてな」
そう語るガルドの表情は重い。もちろん腕の立つ冒険者ならほかにもいるのだが、グリフィン討伐とあれば、それなりの実力と信頼が必要になる。それに依頼主が相当に金を積まなければ、命を懸けた討伐に踏み切る者はそう多くはない。
わたしはクレハやレナ、ドロンの顔を順に見回す。クレハは気が強い性格ゆえか、すでに興味津々の表情だ。レナは黙ってわたしの意見を待ち構えている。ドロンは眉間にシワを寄せて考え込んでいる様子。
「グリフィンの討伐か……正直、俺たちに荷が重くはないだろうな?」
ドロンが低い声でつぶやく。わたしも一瞬、同じ不安が頭をよぎるが、冒険者としての熱が胸の奥から湧き上がってくるのをはっきりと感じる。ここ最近は順調に成果を上げてきたし、そろそろ大きな依頼をこなせる段階ではないか――そう思う自分もいる。
クレハはきらきらとした瞳でガルドを見つめ、ずっと黙っていたが、ついに堪えきれず声を上げた。
「やりましょう! わたしたちが受けます。大物だって、力を合わせればきっと倒せます。ここで尻込みしてたら、いつまでたっても中堅のままですよ!」
***
わたしはクレハの頼もしげな横顔を見て、口角を上げた。間違いなく、彼女のその直向きな情熱は、パーティに勇気を与えてくれる。レナは静かに頷き、ドロンはやや渋い表情を見せながらも、結局クレハに押し切られた格好だった。
「よし……それじゃ、この依頼、引き受けるとしようか」
わたしがそう締めくくると、ガルドはほっと息を吐くように微笑む。彼はわたしたちに念押しするように、あらためてグリフィンの危険性について語った。狩りの手口、戦い方、そして討伐成功後に警戒すべき点など、手早く要点を整理してくれる。
「グリフィンは厄介だ。地上でも空でも戦えるし、魔力にも抵抗力がある。おまえらだけが頼りだ、くれぐれも死ぬなよ……」
その言葉を聞きながら、わたしたちは改めて気を引き締めた。昨日の冒険で得た誇りや喜びは確かなものだが、それ以上に、相手が相手だという危機感を忘れてはならない。これまで積み重ねてきた経験や絆を総動員してこそ、やっと勝機が見いだせる相手だろう。
わたしはそっとクレハの肩に手を置く。彼女は昂揚しきった表情を浮かべていたが、その瞳には自信に満ちた光が宿っている。
「クレハ、気を張るのはいいけど、焦りすぎないでね。まずは情報を集めて、慎重に行動しよう」
彼女ははっとしたように目を瞬かせる。
「……うん、わかった。ごめん、つい熱くなっちゃって。でも、グレンがそばにいるなら安心。みんなで力を合わせて、絶対に成功させようね!」
***
こうしてわたしたちは、グリフィン討伐の依頼を正式に引き受けることとなった。酒場を出る頃には、店内にいた他の冒険者たちが「若いのにチャレンジするな」「無謀だ」と口々に噂していたが、わたしたちはそれほど気にしてはいなかった。
月の光が石畳を白く照らす夜道を、四人並んで歩く。ドロンが盾を背負って大股で進み、クレハは飛び跳ねるようにしてその後ろにつく。レナは後方を守るようにしながらも、あたりを警戒していて、わたしは少し遅れ気味にその背中を追う。
「まずは、ギルドから得られる追加情報を確認しつつ、いまグリフィンが出没しているという荒野へ向かうことになるかな」
わたしは呟くように皆に伝える。するとドロンが振り返り、力強く頷いた。
「そうだな。朝になったらすぐに準備をして出発しよう。グリフィンの目撃情報がある場所までそこそこ距離はあるが、馬車を借りれば二日ほどで到着するはずだ」
闇を切り裂くように街灯が遠くで瞬き、風が古い石造りの建物の隙間をすり抜ける音が耳に優しい。わたしたちは今、期待と不安とが入り混じる奇妙な高揚を胸に抱きながら、明日への決意を固めていた。
***
翌朝――。
宿の自室で目を覚ましたわたしは、軽く瞑想をしてから支度を整えた。魔術師としての準備、すなわち魔力の巡りを整え、呪文の詠唱をスムーズに行うための訓練だ。毎日怠らずに続けているこの一連の動作が、いつしか日課となっている。
外へ出てみると、もうクレハとドロンが宿の前で待機していた。クレハは鞘に収めた剣を丁寧に磨いていて、ドロンは貸し出し用の馬車の荷台に装備を積み込んでいる。二人とも朝早くから動いているあたり、本気度がうかがえる。
「レナはどうした?」
わたしが問うと、ドロンは苦笑いを浮かべた。
「少し前に、弓の手入れがあるから先に出るって言ってたな。どこか静かな場所を探してるんだろう」
なるほど、確かに彼女らしい。わたしはうなずき、三人で少し世間話をしながらレナの帰りを待った。朝の冷たい空気が頰を刺激するが、わたしたちの心を引き締めるのにはちょうどいい。
やがてレナが姿を見せると、馬車に乗り込み、いよいよ出発する。途中でギルドへ寄り、グリフィンに関する追加情報を手に入れるが、やはり危険度の高い存在であることには変わりないらしい。畑を荒らし、家畜を狩るグリフィンは、まだ移動範囲が限られているが、もしこれがもっと広い地域に飛び回るようになれば、大勢の命が脅かされる。いずれにせよ、今のうちに叩いておくのが最善なのだ。
***
馬車は日差しを浴びながら淡々と進む。広い街道沿いには小さな集落や商店が点在しており、ときおり笑顔で手を振る子供たちの姿もある。その平和な光景を眺めながら、わたしはこの仕事の重みを改めて感じていた。大物の魔獣が人々を脅かしているという事実。それをわたしたちが何とかしなくては、この平和も守れない。
クレハが前方の風景を見つめつつ、小さく声を上げる。
「ねえグレン、あの大きな樹、すごく立派だね。今度はああいう木陰のある場所でキャンプをしてみたいな……なんて」
その声色はどこか楽しげで、まるで恐ろしい魔獣の討伐依頼に向かう旅の最中だというのを忘れてしまいそうなほど。わたしは思わず微笑み返し、彼女と他愛のない会話を交わす。これがわたしたちの日常。どんなに危険な任務に向かう途中でも、仲間同士で語り合う時間は格別だ。
「今度は、平和な依頼のときにゆっくりと行こう。美味しい食材を持ち寄って、キャンプやバーベキューでもしようか」
わたしがそう提案すると、クレハはパッと明るい笑顔を見せ、「絶対だよ!」と嬉しそうに言ってくる。
そのやり取りを横で聞いていたドロンは、呆れたように肩をすくめる。
「戦いの前だってのに、ずいぶん呑気だな。でもまあ、余裕があるのは悪いことじゃない。うまくいくならそれでいいんだ」
彼の言葉の裏には優しさがある。大きな体と豪胆な見かけに反して、ドロンは誰よりも仲間を気遣い、守ろうとしてくれる男だ。それをわたしはよく知っている。
レナは黙って遠くを見据え、時折耳をそば立てるようにして警戒しているようだ。きっと狩人としての習性なのだろうが、その横顔は美しく、そして凛々しい。
***
丸一日かけて道なりに進んだわたしたちは、二日目の夕方にはグリフィンの出没情報がある荒野の近くに到着した。周囲は草原が続き、遠くには岩山が見える。大きな木々は少なく、空が広々と広がっていた。こういった開けた場所では、空を飛ぶグリフィンを目視できる可能性があるが、逆にこちらも隠れる場所に乏しいという不利な状況でもある。
「ここからもう少し先に行ったところに、牧草地があるらしい。被害があった場所も近いはずだ。そこで野営をしながら奴の出現を待つのがいいかもしれん」
ドロンが地図を確認しながら提案する。クレハは頬に手を当てて、考え込むような表情。レナは相変わらず静かなままだが、何か考えがあるのかもしれない。
わたしは杖を握り直しながら、辺りの風景を見回す。荒野の風は乾いていて、日が暮れ始めると一気に肌寒くなってくる。星がいっそう際立ちそうな、そんな夜になりそうだ。
「よし、あの岩陰を拠点にしよう。あそこなら多少風も防げるだろう」
わたしが皆に声をかけると、クレハが笑顔で頷き、ドロンが馬車をそちらに誘導する。レナは馬車からすばやく飛び降り、岩場のあたりを見回して警戒を続けている。
***
夜が訪れ、わたしたちは用意したテントを岩陰に張り、焚き火を囲んで休憩していた。火の粉がパチパチと弾け、オレンジ色の光が皆の横顔を照らし出す。冷たい夜風をやわらげるため、クレハが毛布を肩に掛けながら、小さく震える声で呟いた。
「本当に来るのかな。グリフィン……」
その眼差しには、わずかながら不安の色が浮かんでいる。わたしは火の手を注意深く見つめながら、低い声で答える。
「きっと来るさ。ここは被害が多かったって話だし、奴が棲み家にしているのはあの岩山かもしれない。夜襲をかけてくる可能性もあるから、油断しないようにしよう」
クレハはこくりと頷く。焚き火の明かりのせいか、彼女の頬はうっすらと赤らんで見えた。彼女の真っ直ぐな瞳を見ていると、こちらの胸も熱くなるような気がする。仲間のためなら、わたしはどんな困難にも立ち向かいたいと思う。
ドロンが軽くあくびをしながら、厚い胸当てを外した。騎士の鎧を長時間着用していると、相当な疲労が溜まるらしい。けれど彼はそれを表に出すことを好まない。今こうして外すのも、身体をリラックスさせて明日に備えるためだ。
「……今日は順番に見張りをしよう。俺とレナが先に立つ。グレンとクレハはしっかり休んでくれ。気配を感じたらすぐに起こす」
その言葉に、レナもうなずき、弓を抱えたまま立ち上がる。彼女が焚き火の向こうに消えていく気配を見送りながら、わたしはクレハと視線を交わした。
「ありがとう、ドロン。わたしたちもゆっくり眠るよ」
そう言ったものの、わたしは簡単には眠れそうになかった。大物討伐の前に抱く高揚と恐れ。それに、このパーティへの愛着や責任感。心のどこかがずっと脈打ち、鼓動がやけに早い。
***
朝日が昇り始める少し前、ドロンがわたしの肩をゆさぶって起こした。
「……グレン、そろそろ夜が明ける。何事もなかったが、これから先は分からん。すぐに支度してくれ」
わたしはうっすらとした眠気を振り払い、頭を軽く振る。少し肌寒いが、意外と疲れは残っていない。じきにクレハも目を覚まして、簡単な朝食を摂りながら、わたしたちは昨夜の状況を確認する。レナとドロンが交代で見張ってくれたおかげで、獣の足音ひとつ聞かなかったらしい。むしろそれが不気味にも思えるほど静かな夜だった。
「……グリフィンは夜行性の印象があるけど、昼も飛び回ることがあるって聞くし、何か策を練れないかな」
クレハが不安そうにつぶやく。レナは黙ったまま、馬車の荷台から弓矢を取り出し、矢尻の確認をしている。打ち合わせでもしているように、ドロンがわたしを見やる。
「グレン、何かいい方法はあるか? 相手は空を飛べる。仮に姿を見せても、こちらが追うのは難しい。逆に近づいてきたら一気に叩かれる恐れもある。どちらにせよ、こっちが翻弄されちまう」
わたしは杖の先を地面に突き刺すようにして立ち、周囲の地形をもう一度確認してみた。開けた荒野に、風を遮る岩場。遠くには高い山脈が見える。グリフィンにとっては空を舞うのに恵まれた環境だと言える。
「……いっそ、奴が現れるエサ場を突き止めて、そこに罠を仕掛けるか。もしくは、あえてこちらの存在を見せつけて誘い出すか。あまりうまい手段は思いつかないが、待ち伏せができれば、それが一番だと思う」
レナがわたしの言葉に相槌を打つ。
「同感ね。何か誘引材を用いて、グリフィンが警戒を解く隙を狙うしかないわ。この辺り、家畜が襲われた場所があるんでしょう? そこに近づいてみるのも手かもしれない」
クレハは少し表情を曇らせる。
「……でも、もしまた家畜が襲われたら、被害が増えちゃわない?」
ドロンが彼女の言葉に応えるように、力強く拳を握る。
「それはわかるが、放っておけばまた別の場所で被害が出る。それなら、あえてここで食い止めるほうがベターだろう。すまないな、クレハ。割り切れないかもしれないが……」
クレハは少し困ったように視線を落とす。人当たりのいい彼女にとっては、家畜を囮にする行為はあまり気分のいいことではないのだろう。だけど、わたしたちがグリフィンを討ち取るために多少の犠牲は避けられないことかもしれない。
***
そうして協議の末、わたしたちは近くの牧草地を巡回し、襲われた場所を確認することにした。馬車に乗って荒野を進むうちに、いくつかの農家や牧場が見えてくる。被害を聞き込みながら先へ進むと、あちこちの農夫が怯えた様子で「夜になると翼のある化け物が来る」と恐怖を吐露していた。
「おお……あいつは、でかい鷲の頭をした猛獣だ! 息子が馬を追われて、命からがら逃げ帰ってきたんだが……本当に危なかったんだ……」
取り乱しながら訴える中年の農夫を前に、わたしたちは軽く息を飲む。やはりグリフィンの仕業に間違いないらしい。被害が拡大する前に討伐しなければ、犠牲者がさらに増えるのは明らかだ。
「ここを拠点に、今日から数日は見回りをしよう。夜間は危険だが、俺が盾役を務める。レナが遠距離から援護、クレハは近接戦闘の要、グレンは魔術で対応してくれ」
ドロンが意見をまとめると、わたしたちはそれぞれに頷く。今夜から行動を開始し、グリフィンの出現を待ち受けるというわけだ。できれば、これ以上の犠牲は出したくない。その想いを胸に、わたしは杖を握る手に力を込めた。
***
夕暮れが近づき、空が朱色に染まるころ。わたしたちは牧草地の近くに陣を取り、比較的見渡しのいい場所で待機していた。風が草原を渡り、さわさわと心地よい音を立てている。どこか牧歌的な景色ではあるが、今はそんな余裕も感じられない。
クレハは剣を抜き、鍔(つか)に手を添えたまま、警戒態勢に入っている。ドロンは大盾を立てかけ、わたしはいつでも呪文を放てるように精神を集中していた。レナは地面に伏せるようにしながら、遠くを見据えている。
やがて日が沈み、空が紫紺から深い青へと変わり始める。星が瞬き出すタイミングで、わたしたちは静かに息を呑んだ。
草原の向こう――遥か遠くの空を見やると、僅かに黒い影が横切ったように見えた。大きさはまだ判別しづらいが、きっと普通の鳥ではない。ドロンが緊張感を帯びた声を発する。
「……来るぞ。あれがグリフィンかもしれない。構えろ!」
その瞬間、レナが一気に身を起こし、弓を引き絞る。クレハも姿勢を落として剣を構え、わたしはすぐさま呪文の詠唱に入る。
「キャアアアアアアアッ!」
耳を裂くような甲高い鳴き声が、空気を震わせる。風を切ってこちらに急降下してくる巨大な影。それは間違いなくグリフィンだった。月光の下、その姿がはっきりと映し出される。鋭い鷲の目、猛禽類のくちばし、そして獅子の胴体。翼を大きく広げると、まるで夜空の主が降臨したかのような迫力だった。
「くっ、でかい……」
ドロンが呟く。近づいてくるグリフィンは想像以上の大きさだ。雄々しい鷲の頭部とたくましい獅子の四肢を持ち、その翼がはためく音は轟音のよう。これだけの相手を本当に倒せるのか、心が一瞬震えるが、それでもわたしは呪文の詠唱を止めない。
「はあっ!」
まず先手を取ったのはレナだ。矢を放つと、グリフィンの翼の付け根付近に命中したように見える。しかし分厚い羽毛の防御力は高く、大きなダメージにはならないらしい。グリフィンは鋭い視線をレナに向け、襲いかかるべく一気に距離を詰める。
ドロンが盾を前面に構えてグリフィンの突進を受け止める。金属と獣の衝突音が響き、ドロンの足元が少しめり込む。衝撃は相当なものだろうが、彼は歯を食いしばって耐えていた。
「クレハ!」
わたしが叫ぶと同時に、クレハがドロンの脇をすり抜けるようにしてグリフィンの脇腹へ斬撃を見舞う。金属的な刃と甲殻がぶつかる音が響き、獣の唸り声が空気を震わせる。血飛沫こそ見えないものの、多少のダメージは与えられたらしい。グリフィンが嫌そうに翼を広げると、砂埃が舞い上がり、わたしたちの視界を遮る。
「邪風よ、彼の者を阻め!」
わたしはすかさず風の魔術を発動させる。グリフィンの動きを一時的に鈍らせようとしたのだ。青白い魔力が杖の先から奔流のように迸り、突風がグリフィンの周囲を包み込む。しかし獣は力任せに翼をバタつかせ、突風を振り払うかのように宙へと舞い上がってしまった。
「まずい、飛んだ……!」
ドロンが唇を噛む。相手に上空から狙われると、こちらは立ち回りが難しくなる。レナが次々と矢を放つが、羽ばたきで弾かれたり、当たっても浅く刺さるだけだったりで、決定打にはならない。
「落ち着け。奴が再度降りてくるのを待とう。中途半端に追えば、逆にやられるだけだ」
わたしはそう呼びかけ、皆の注意を散漫にさせないようにする。グリフィンは上空を旋回しつつ、こちらの弱点を探るかのように鋭い目を光らせている。相手は知能も高い。それを肝に銘じておかねばならない。
「来るぞ……!」
上空で急に角度を変えたかと思うと、グリフィンは高速でこちらに急降下してきた。目標はクレハか――! わたしは瞬時に判断し、「防御魔法、展開!」と叫んで指先に魔力を込める。クレハに光のカーテンが覆いかぶさり、直接の一撃を和らげる防壁となる。だが、それでもその衝撃はすさまじく、クレハは小柄な体ごと吹き飛ばされ、地面を転がった。
「クレハ!」
わたしはすぐさま駆け寄り、彼女の状態を確かめる。防御魔法が功を奏して重傷は避けられたようだが、かなりの打撲と擦り傷を負ったらしく、呼吸が荒い。クレハは苦しそうに顔をゆがめ、必死に立ち上がろうとするが、まだ足がふらついている。
「大丈夫……わたしは平気……」
彼女は痛みを抑え込むように喉を詰まらせながら、わたしにそう言う。しかし、その姿は見るからに限界が近い。
「お前ら……! オレが引きつける!」
ドロンが大盾を構えたまま雄叫びを上げ、グリフィンの前に立ちはだかる。グリフィンは鷲のように甲高い声を上げ、ドロンの盾を爪で引き裂こうとする。金属が軋む音が耳をつんざく。
その間に、わたしはクレハを抱きかかえるようにして安全な場所に移動させようとした。しかし、グリフィンの攻撃は連続する。ドロンが完全に止め切れるわけもなく、一瞬の隙をついて獣の爪が横薙ぎに振り下ろされた。
「危ない……!」
レナの放った矢がグリフィンの胸筋を掠め、その攻撃の軌道をわずかに逸らす。だがその衝撃が地面を叩きつけ、土煙が舞い散った。わたしはクレハを抱きしめ、咄嗟に地に伏せることでなんとか難を逃れた。クレハは血の気のない顔で、息を詰まらせながらわたしを見上げる。
「ごめん……わたし、足が……」
そう呟く彼女の足元を見ると、見たくないほどのひどい傷がある。先の一撃で何かが刺さったのか、血がそこかしこににじみ出ている。
「クレハ、無理しないで。もう戦えないなら、下がるんだ」
わたしは魔術で応急処置を施そうとするが、回復の呪文は得意分野ではない。完全に治療しきれる自信がなかった。クレハは歯を食いしばり、今にも涙が零れそうな表情をしていた。
「……嫌だ……グレンと、まだ戦う……みんなと一緒に……」
彼女の決死の思いは痛いほど伝わるが、ここで無理をしては命が危ない。わたしは彼女の肩をそっと押さえ、説得しようとする。
しかし、そのときグリフィンが荒れ狂うように翼を広げ、怪我を負った身体を奮い立たせるかのように吼えた。どうやらドロンとレナの攻撃で少し傷を負っているようだが、それでもなお高い闘争心を保っている。血走った瞳はまるで獲物を確実に仕留める気迫に満ちている。
「クレハ、聞いて。ここはドロンとレナに任せて、君は下がるんだ。頼む……死なないでくれ」
わたしは懇願するように声を落とす。こんなところでクレハに死なれては困る。彼女はわたしたちにとって大切な仲間で、パーティの心の要だ。
クレハは唇を噛み、涙混じりの声で叫ぶ。
「でも……嫌だよ……グレンが危ないもの……!」
彼女の悲痛な声が胸を締め付ける。それでも、わたしはこの状況を打開しなくてはならない。
「グレン、クレハを頼む!」
ドロンがこちらを振り向きざまに怒鳴る。その表情には焦りが見える。グリフィンは空からドロンとレナを狙いつつ、わたしたちにも奇襲をかけようとしている。ここで時間をかけてしまえば、全滅の危険すらある。わたしは奥歯を噛みしめ、深呼吸する。そして、一つの決断を下した。
***
「クレハ。君はドロンと一緒にここを離れるんだ。……わたしが囮になる」
そう告げた瞬間、クレハの瞳が大きく見開かれる。彼女は首を振り、必死に拒否を示そうとするが、わたしは強引に彼女の手を握り、力を込めて語りかける。
「このままじゃ、君はその足じゃ戦えない。グリフィンの動きは俊敏だし、長期戦は望めない。だから、わたしが魔術で奴を引きつける。そうすれば、君たちは逃げられる。レナもドロンも、君を安全なところへ運んでくれるはずだ」
涙を滲ませたまま、クレハは必死に首を振る。言葉にならない声が喉の奥でつっかえているようだ。わたしはそれを無理やり押し留めるように、ふわりと微笑みかけてみせる。
「大丈夫。わたしは、こう見えてしぶといんだ。もし倒れても……君たちが生き延びてくれれば、それでいい」
「嫌……グレン、いやぁ……!!」
クレハの絶叫にも似た声が荒野に響き渡る。その哀切な響きに、わたしの胸が苦しくなるが、もう後戻りはできない。彼女が涙を流しているのを見て、わたしも心が揺れる。だけど今、仲間を守るために必要なのは、この決断しかない。
「ドロン、レナ! クレハを頼む!」
わたしは力強く呼びかけ、立ち上がって杖を握りしめる。ドロンは戸惑いながらもうなずき、クレハの身体を抱え込むようにして立ち上がらせる。クレハは必死に足掻こうとするが、痛む足とドロンの腕力には勝てない。レナもわたしたちの意図を悟り、苦悶の表情を浮かべながら周囲を警戒している。
「行くんだ……頼んだぞ!」
そう言い放つと、わたしはグリフィンのいる方向に向き直る。獣はわたしの気配を感じ取り、再び鋭い視線をこちらに向けた。思いきり地面を蹴ると、わたしはグリフィンのほうへ一直線に走り出す。
***
「風よ、我が足を駆け抜けろ!」
足元に青い魔法陣が瞬き、瞬時に身体が軽くなる。疾風の魔術で移動速度を上げ、グリフィンとの距離を詰める。相手は飛行を得意としているが、今は地上でドロンたちとやり合った直後で、一瞬だけ警戒が解けている。そこに素早く接近し、こちらに意識を集中させるのが狙いだ。
「おおおおっ!」
わたしは咆哮を上げて、挑発的に杖を振り回す。グリフィンの目がカッと見開き、獲物を前にした猛獣の血が騒ぐように地を蹴って飛びかかってくる。その勢いはすさまじく、地面がえぐれ、土塊が宙を舞う。わたしはその一撃をなんとか横に転がってかわすが、ものすごい衝撃波で耳が痛む。
「……まだだ!」
体勢を立て直し、魔力を練り上げる。今度は火の魔術だ。
「灼熱の炎よ、我が敵を覆い尽くせ!」
炎の渦が杖の先から放出され、グリフィンの前脚付近を焼く。獣は痛みで顔をゆがめ、ひときわ甲高い声をあげる。わずかに怯んだ隙に、わたしはさらに距離を取ろうとする。
しかし、その翼の一振りが想像以上に速い。わたしの横っ腹をかすめるように鋭い風圧が襲い、身体が宙を舞う。まともに食らったらひとたまりもない。かろうじて逃れたものの、転倒して砂利道を転がる衝撃に、息が一瞬止まる。
「ぐっ……」
血の味を感じながら顔を上げると、グリフィンはわたしに狙いを定めて、ゆっくりと迫ってくる。奴は明らかに怒り狂っていて、この獲物を確実に仕留めようとしているのだ。
「やれ……グレンは囮になるって言っただろうが……!」
ドロンの声が遠くから聞こえる。わたしはちらりと振り返り、ドロンとレナがクレハを抱えて離脱していくのを横目に捉える。クレハは泣き喚きながらこっちに手を伸ばしているようだが、声はもう遠くて、風に流されてしまった。
それでいい。クレハを守れたなら、それでいい。あとは、わたしがどうにかして時間を稼げば、三人は逃げ切れるだろう。
「さあ、来いよ。ここが貴様の墓場だ!」
わたしは杖を地面に突き刺すようにして立ち上がり、グリフィンを挑発する。獣は大きく翼を広げ、爪を構えた姿勢を取る。今にも飛びかかってきそうだ。
わたしは必死に魔力を集中させる。もう後がない。ここで仕留められれば上出来だが、たとえ仕留められなくても、時間を稼ぐしかない。
「光よ……その輝きで我が敵を撃ち砕け!」
精一杯の魔力を注ぎ込み、一条の光が杖の先から迸る。グリフィンの体がまばゆい光に包まれ、灼熱の熱量がビリビリと空気を震わせる。獣は苦しげに声を上げ、もがくように身をよじる。成功か――わたしはそう思ったが、グリフィンの体力は思った以上に桁外れだった。傷を負いながらも、そのまま突進してくる。
「くっ……!」
わたしは避けるのが間に合わず、鋭い爪がわたしの身体を深く斬り裂く感触が走る。激痛が肩から背にかけて広がり、呼吸が詰まりそうになる。杖を持つ手がぐらりと揺れ、一瞬視界が真っ暗に染まった。
「まだ……終わらない……!」
気力を振り絞って杖を振る。だが、獣の攻撃は容赦がない。もう一撃、鷲のくちばしがわたしの横腹を突き破る。まるで地獄の苦しみだ。血が口から溢れ、咳き込むたびに視界がにじんでいく。
それでも、わたしは笑みを浮かべていた。クレハやドロン、レナが助かるなら、それでいい。そんな想いが心を支えていた。
そして、グリフィンの最後の一撃がわたしを捉える。翼の一振りか、爪の切り裂きか、もはやわからない。ただ、身体が宙に放り出され、地面に落ちるまでの一瞬の間、わたしはクレハが泣き叫ぶ声が聞こえたような気がした。
「……クレハ、みんな……無事、逃げてくれ……」
意識が完全に闇に沈む直前、わたしはそう願いながら、砂埃の中に沈んでいった。
***
いつもなら最後に見る光景は、一縷の望みを感じる仲間の顔だったのかもしれない。しかし、わたしの目に映ったのは、切り裂かれた空と、目に焼き付く満月、そして遠くに霞んで見えるクレハの悲痛な表情だった。ドロンの背に担がれながら、懸命にこちらへ叫んでいるのがわかったが、もう声は届かなかった。わたしの身体から意識が離れていく。まるで、空気に溶け込むように、世界がぼんやりと遠ざかっていくのを感じる。
そして、わたしは死んだ。
***
──薄明かりの差し込む空間で、わたしはゆっくりと目を開いた。
身体にあれほどの大怪我を負ったはずなのに、痛みはまったく感じない。むしろ妙に静かで、落ち着いた空気が漂っている。自分の手足を確認しようとするが、その瞬間、周囲の景色がザラザラと崩れ落ちるように変化した。
気がつくと、わたしは柵のような装置の中に座り込んでいた。そこは、まるでまったく別の世界。……目の前には見慣れた天井があるし、部屋の壁には仄暗い灯りがひとつ灯っている。
「……あー……今日は失敗しちゃったなぁ」
口をついて出た言葉は、まるで先ほどまでの死闘などなかったかのように軽い響きを伴っていた。わたし――いや、わたしはもうグレンではなく、堀川大樹として、この椅子に座っている。VRマシンのヘルメットをゆっくりと外しながら、だるい肩をまわす。
机の上には淹れたてのお茶。まだ湯気が立ち上っていて、いい香りが鼻をくすぐる。わたしはその湯呑を手に取り、ちびちびと口に含んだ。すると、その温かさに気持ちがほぐれて、思わずため息をつく。
「ふう……あんなところで死んじゃったから、今日はあまり稼ぎもないまま終わりか。クレハたち、さぞ驚いてただろうな」
椅子を軽くきしませながら立ち上がり、窓の外に目をやる。どこまでも広がる摩天楼の夜景――そんな景色を見ても、わたしはさしたる感慨も浮かばない。今日もいつもと変わらぬ退屈な現実。
「……明日はどうしようかな。グリフィン戦の続きは、もうあのキャラクターじゃ無理だし……まあ、いいか。とりあえず他の世界で遊ぼうか」
のんきな思考が頭を回る。クレハやドロン、レナは、きっとわたしが死んだと思い込んでいるだろう。悲鳴を上げていたクレハの泣き顔が脳裏に焼き付いているが、ここではただの映像に過ぎない。わたしがあの世界に戻れば、もう“グレン”は使えない設定にしてある。あの世界観を崩したくないし、死に戻りはしないルールにしていたから。
だから彼らの中では、グレンという魔術師は本当に死んだ。それは揺るがぬ事実だ。
「でもまあ、こっちには関係ないよなあ」
お茶をもう一口含み、湯呑をテーブルに置く。現実世界の空気は味気なく、ただ無機質な静寂に包まれていた。
わたし――堀川大樹は、あくまで“プレイヤー”にすぎない。死という重い現実をあちらの世界にもたらしたとしても、こうしてのんきにお茶を飲みながら次の遊びを考えている。
「さて、今日はもう寝るか。明日になったら新キャラ作ろう。どうせ労働なんて、AIに任せりゃあいいんだしね」
そんな独り言を呟きながら、わたしは部屋の照明を落とし、無機質な静寂の中へと身体を沈めていく。ふと頭をよぎるのは、先ほどまでの荒野の光景。クレハが必死に伸ばした手の先、泣き叫ぶ姿が脳裏に焼き付いて離れない。しかし、その感情が胸を締め付けることはない。どうせVRの世界の出来事――そんな自分勝手な線引きをしているからだ。
あちらの世界では、わたしの死が悲しみと絶望をもたらしているかもしれない。だが、こちらではほんの一瞬の挫折として、あっけなく消え去ってしまう。
この温度差こそが、わたしの生きる現実。そして……あちらに残された仲間の物語は、もうわたしが知ることのない“本当の物語”として続いていくのだろう。
わたしはまた一口、冷めかけたお茶を味わいながら、静かにため息を吐くのだった。