【カオ転三次】どう考えても90年代にジャンプで連載されてたアレ   作:寛喜堂秀介

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【小説形式】カオ転世界の地獄先生 後編

 

 

 木村克也は不良小学生である。

 このことは、克也自身、否定しようがない。

 タバコは吸う、エロ本は読む、趣味はバンドとバイク。ケンカは嫌いだが、まあ不良の範疇だろう。

 

 ただ、克也からすれば同年代連中の趣味こそ子供っぽい。

 野球やサッカーはまだいい。高学年になっても仮面ライダーやら戦隊モノ。子供向けアニメを見て喜んでる連中とは、話が合う気がしない。

 

 だから克也がつるむのはいつだって年上の、それも不良と呼ばれる連中だった。

 克也は自分が大人びてるとは思わないが、一番話題が噛み合うのは中高生だから、マセてはいるのだろう。

 

 ただ、先輩たちはすぐに大人になる。

 中学や高校を卒業して働き出せば。大学に進学すれば、子供の克也とはどうしても話が合わなくなり、疎遠になっていく。

 

 自分も早くそっちに行きたい。

 だから大人に憧れて、真似事をして。

 その結果、不良扱いされているが、克也自身には大人や社会への反発心などない。

 ただタバコを吸いたい。お酒を飲みたい。パチンコやりたい。エッチしたいだけなのだ。

 

 大人の得なとこだけ見てるんだよ。

 なんて言われもする。実際それは事実なのだろう。

 だからこそ大人と子供の狭間にいる中高生と話が合う。克也が最近つるんでいる先輩もそうだった。

 

 

 ──どうして、こうなっちまったんだろうな。

 

 

 秘密基地に足を踏み入れながら、克也は自問する。

 

 薄暗い小屋の中は、空気が生ぬるく淀んでいて。

 奥行きが見えないほど広大で曲がりくねった、プレハブの洞窟と化している。

 最後に先輩と会ったほんの1週間前までは、ここはただの古びた事務所だったはずなのに。

 

 

 ──先輩……

 

 

 口の中でつぶやいて。

 克也は鉛のように重い足を無理やり進める。

 

 先輩と初めて出会ったのは、1月下旬のことだった。

 休日。妹におままごとセットを買ってやったおかげで繁華街に行く金もなく、なんとなく近所をぶらついていると、ふと電柱の下に花やお菓子、タバコが置いてあるのを見つけた。

 

 花やお菓子に興味はないが、タバコには興味がある。

 あたりに人がいないかと視線を巡らせ、タバコに手を伸ばしたところで。

 

 

「──よ、その歳でタバコとは、いい趣味じゃねえか小学生」

 

 

 先輩に、声をかけられた。

 年頃は、14か15。世間的には子供扱いされる年頃。

 それでも10歳の克也にとっては十分大人で。なにより少年の無頼な雰囲気に、どうしようもなく惹かれて──「先輩」と、自然に呼んでいた。

 

 

「おう。この辺のヤツなら童門小だろ? なら後輩だ。よければ俺の秘密基地に来ないか? 奢るぜ後輩」

 

 

 先輩が笑いながら案内した先は、北山神社の裏手。

 林の中に埋もれるようにして建つプレハブ小屋は、古びているわりにきちんと掃除してあって、お菓子やタバコも揃っていた。

 

 秘密基地で克也たちは、好きなバンドやバイクについて語り合った。

 先輩の好みはやけにオヤジっぽくて、「先輩、それひと昔前の流行りっスよ」と克也が突っ込むと、先輩は「古くても俺ぁ好きなんだよ」と返す。

 時代感覚はズレてるのに、話は不思議とぴったり噛み合う。同い年の連中はおろか、連るんできたどんな先輩とも感じたことがない、たまらなく楽しい時間だった。

 

 それから克也は、時間を見つけては北山神社に通った。

 先輩は日曜には必ずやってきて、「よ、また会ったな」と笑顔で秘密基地に誘う。そんな日々が続き……だが、破滅は突然訪れた。

 

 春休みの初週、田舎に帰っていた克也は、次の日曜、朝早くから北山神社を訪れた。

 2週間ぶりに先輩に会うためだったが、何か用事があったのか、しばらく待っても先輩は来ない。

 

 

 ──俺ももう先輩の仲間だ。勝手に入っても許してくれるよな。

 

 

 ふとそう思い、プレハブ小屋の扉を開けて。

 眼の前に広がっていたのは、物理法則を無視した異常な空間だった。

 

 混乱しながらも、まず気にかかったのは、先輩のこと。

 先輩が秘密基地に来ていたとしたら、この異常に巻き込まれているかもしれない。

 そう思い、コンテナの洞窟をがむしゃらに奥へと進んで──その先に、先輩は居た。

 この世のものとは思えない異形の化け物に捕らえられて、身動きひとつできない状態で。

 

 その化け物は、克也に言った。

 これを助けたいなら、かわりに餌を──人間の子供を連れてこいと。

 

 

「わかった。連れて来る。連れてくるよ……だから先輩は、先輩だけは助けてくれ」

 

 

 その場では懇願したものの、克也には子供を犠牲にする度胸などない。

 先輩のためにと必死で身代わりを探したものの、いざ声をかけようとすると、化け物に食われる子供の姿を想像して怖気付いてしまう。

 

 

 ──自分の都合で切り捨てられる相手を、仲間なんて呼ばない。

 

 

 町をさまよう中、空き地で出会った美少女、京子はそう言った。

 

 まったく同感だ。

 子供を犠牲にできないからって、先輩を切り捨てることは絶対に出来ない。

 克也を克也たらしめている何分の一かは、すでに先輩で構成されていて、先輩を見捨てたら、自分が自分でなくなってしまう。

 

 だとしたら、他の手段を取るしかないのに。

 決断を先延ばしにして、無駄に時間を浪費してしまった。

 

 

 ──まったく。自分で自分が嫌になるぜ。

 

 

 自身を嘲りながら、克也は洞窟の最奥にたどり着いた。

 

 そこは、これまでにも増して異質な空間だった。

 プレハブの壁面は大きく湾曲して、体育館ほどの広大な空洞を形成しており、いたるところに白い蜘蛛糸が張り巡らせている。

 

 その向こう。

 蜘蛛糸のもっとも濃い場所に、化け物は居た。

 禍々しい気配を放つその姿は、巨大な蜘蛛に近い。

 体高は克也の倍以上。八本の足は蟹の爪のように野太く、甲殻質。

 おぞましくも神秘的な巨蜘蛛が、繭のごとく張り巡らされた巣に鎮座していた。

 

 その眼前には、蜘蛛の糸で吊るされ、ぐったりとした先輩の姿。

 

 

「帰ってきたか。だがエサのガキはどうした。居らんのか」

 

 

 巨蜘蛛が口を開く。

 その音圧で、克也の肌がびりびりと震えた。

 

 心が折れそうになる。

 足が勝手に逃げ出しそうになる。

 身も蓋もなく命乞いしそうになる。

 

 そのすべてを、無理矢理に抑えて。

 震える声で、克也は巨蜘蛛に対峙する。

 

 

「いいや、餌なら居るぜ……オレだ」

 

 

 巨蜘蛛をまっすぐに見据えて、宣言する。

 

 先輩を助ける。

 子供を犠牲にしない。

 両方の命を助けるための、それが克也の選択だった。

 

 

「──お、オレが餌になってやる……だから、だから先輩を放してくれ!」

 

 

 恐怖に涙を浮かべながらの、一世一代の覚悟に。

 

 

「つまらん」

 

 

 巨蜘蛛は、そう吐き捨てた。

 

 

「──悩み苦しみ、どれほど味を熟成させたかと思えば、期待外れよ」

 

「な、なにを……」

 

「元よりこんな未練の薄い霊魂になど興味はない。儂が餌と見定めたのは貴様ひとりよ。逃げようが、代わりを連れて来ようが、喰ろうてやるつもりであったわ……こうしてな」

 

 

 巨蜘蛛の足が一本高く上がり、下りる。

 同時に克也の右手が勝手に上がり──そのまま宙に釣り上げられた。

 

 

「くっ──!」

 

 

 右手の甲をよく見れば、細い蜘蛛の糸が張り付いている。

 おそらくは、最初の邂逅の時から付けられていたのだ。克也を逃さないために。

 

 甘かった。

 相手は化け物だ。交渉できる相手じゃなかった。

 命懸けなら。命を差し出せば交渉できると勘違いしていた。

 

 ほぞを噛むが、もう遅い。

 克也の視界はどんどん高くなっていき、化け物を見下ろすほどになる。

 

 近くには、同じように吊るされた先輩の姿がある。

 未練の薄い霊魂。あの化け物蜘蛛はそう語ったが、克也の目には、生身の人間にしか見えない。

 

 

「先輩……」

 

「克也、すまねえ。俺みてえなのとツルんだばっかりに」

 

 

 声を掛けると、意識があったのか、先輩から弱々しい声が返ってくる。

 

 

「なに謝ってるんだよ。先輩は悪くねえよ……それより嘘だよな? 先輩が幽霊だなんて」

 

「すまん、克也。あいつの言う通り、俺ぁもう死んでるんだ。たまたま波長が合ったとはいえ、生きてるお前とは、本当はツルんでちゃダメなんだ。そんなことわかってたのに……どうしても別れられなかった」

 

 

 克也の問いに、先輩は肯定を口にした。

 そう聞けば、納得してしまう部分もある。

 バイクや音楽の趣味がやけに古臭かったり、どこか浮世離れしていたり。

 

 だが、克也に騙されたという思いはない。

 たとえ幽霊でも、先輩は克也にとって大切な仲間で、その存在は克也の一部だ。

 

 

「先輩……オレ楽しかったんだ。先輩と連んでて、本当に、本当に……」

 

「ありがとよ。俺も楽しかった。つまんねえ事故で死んだ馬鹿な俺に、昔の仲間は忘れずにお菓子やタバコを供えてくれる。でも連中はだんだん大人になっていって、なのに俺は大人になれなくて……情けねえが、寂しかったんだ……」

 

 

 少年は告白する。

 

 大人になれないもどかしさ。

 克也が抱えている苦悩と、それは同じで、より深くて。

 だからこそ克也も、この先輩に惹かれてしまったんだろう。

 

 だから。

 克也は、先輩の目をまっすぐに見て、語る。

 

 

「オレは後悔してねえ。先輩を助けようとしたことも、先輩の身代わりに、自分を選んだことも」

 

「克也、お前……可愛い後輩だと思ってたのに、デカくなりやがって」

 

「デカくはねえよ。オレは相変わらずのビビリだ。今だって怖くて仕方ねえよ」

 

「俺もだよ。幽霊なのにな」

 

 

 顔を引きつらせながら、ふたりは無理やり笑顔を作る。

 

 巨蜘蛛の思惑はわかっている。

 悩み、苦しむことが味付けになるなら、先輩とのやり取りにそれを期待していたのだろう。

 もし先輩が、自分を取り殺そうとするような悪霊だったなら、克也は期待通りに絶望していただろう。

 

 だが、先輩は克也が思ってたより弱くて……思ってた通りにいい先輩だった。

 

 

「……最後までつまらんやつらめ。せめて苦痛を味付けとして──喰ろうてくれるわ」

 

 

 つぶやいて。巨蜘蛛はその爪を横に払った。

 克也を吊るす糸が音を立てて切れ、地面に落下する。

 足裏と尻を打ちつけて、同時に落ちた先輩ともども悶絶して。

 気づけば、繭を出た巨蜘蛛は、間近でふたりを見下ろしていた。

 

 克也は明確に己の死をイメージした。

 自分の体が足からバリバリと齧られて、巨蜘蛛は痛みに泣き叫ぶ克也の様子を楽しみながら、ゆっくりと食べていく。先輩は前菜か、箸休めか……そんな未来が、容易に想像できる。

 

 克也は人一倍マセた子供だ。

 同い年の子が欠かさず見てるアニメや特撮はとっくに卒業している。

 だから。ピンチにヒーローが颯爽と現れるなんて、克也は期待しない。

 

 自分は間違いなくここで死ぬ。

 だが、それも先輩といっしょなら……

 

 

「はは……悪くねぇ」

 

 

 巨蜘蛛の口が迫ってくる。

 鉄板すら噛み千切れそうな凶悪な牙が、克也の足を食い千切る、直前。

 

 

「──よくなーいっ!!」

 

 

 少女の声とともに、克也の体は後ろに引っこ抜かれた。

 なにが起こったかわからないまま、気づけば克也は少女の背後に居た。先輩も同様だ。

 

 克也を危機一発で救ったのは、見覚えのある少女だった。

 オレンジ髪に青い瞳、ワンピース姿の、蜘蛛の巣の地獄に場違いな美少女。空き地で出会った転校生の京子だ。

 

 

「お、お前、転校生の……」

 

「最後まであきらめるな! というか悪魔相手にして死ぬだけで済むと思うな!」

 

 

 なぜ京子がここにいるのか。

 なんでこんな雑な口調なのか。

 理解が及ばぬ内に、少女の手が克也たちの腰に回り。

 少女の細腕とは思えない力で、二人を両脇に抱えてしまった。

 

 

「貴様!」

 

 

 次の瞬間。

 獲物を奪われた巨蜘蛛の怒りの爪が、横薙ぎに襲い来る。

 

 だが、少女の動きはそれより速い。

 人間2人を抱えながらも後方に跳び、巨大な爪の殺傷圏から逃れてしまった。

 

 

「ちょ、おぱっ!? 小さいけどおっぱいの感触が肩に!?」

 

「この非常時になに言ってんの!?」

 

「逆に尊敬するぜ克也」

 

 

 3人でわちゃわちゃしながら。

 少女は跳び退ったそのままの勢いで、蜘蛛の巣の出口に向かう。

 

 

「小癪な! 我が巣より逃げられると思うてか!」

 

 

 だが、逃げられない。

 巨蜘蛛が糸を手繰ると、格子状に編まれた太い糸がせり上がり、入り口を塞いだ。

 格子の幅は大きいが、人一人が抜けられるほどじゃない。完全に閉じ込められてしまった。

 

 

「あー。やっぱ逃げるのは無理か」

 

「不届き者が! 貴様も喰ろうてくれるわ!」

 

 

 怒りとともに吐き出した巨蜘蛛の糸が襲いかかってくる。

 高速で飛来するそれを、少女はトン、とステップを踏んで軽やかに避けた。

 

 化け物の巣の中に閉じ込められ、逃げる手段はない。

 絶望的な状況。なのに京子の周りだけ、やけに空気が軽い。

 

 

「京子。おまえ何者だ?」

 

退魔師(デビルバスター)

 

 

 克也の問いに、少女は短く答えた。

 以前なら鼻で笑っただろうその名乗りが、今はとてつもなく頼もしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ──やらかしたーっ!

 

 

 自信満々に名乗りはしたが、橘京子は内心めちゃ焦っていた。

 

 別にハッタリをかましたわけじゃない。

 京子は本物の退魔師で、実戦経験も豊富な腕利きだ。

 重傷をたちまち癒やし、病毒を退け、限定条件下では死者すら蘇生できる。そのうえ転生者で、前世は成人男性だ。いまは関係ないけど。

 

 問題は、京子がドラクエでいう僧侶だってことだ。しかもバギ系使えないタイプの。

 だから偵察も、あくまで鳴介との合流前に、軽く情報収集するだけのつもりだったのだが……

 コンテナ小屋の異界が思いのほか狭かった上に、克也が窮地に陥っていたため、つい手が出てしまったのだ。

 

 相手は【地霊 ツチグモ】。

 正確にはその姿を借りた悪魔だ。

 不覚を取るような敵ではないが、素殴りで勝てる相手でもない。

 そもそも少年2人を小脇に抱えてる状態なので、攻撃できないけど。

 

 

「──っと!」

 

 

 思考を中断し、ツチグモの吐く糸を避ける。

 そうそう当たりはしないが、抱えてる少年たちに当たってもアウトだ。油断はできない。

 

 

「かわいい霊能者さんよ。助けてくれるってのなら、俺はいい。克也を優先してくれ」

 

 

 状況を察したのか、幽霊少年が主張する。

 

 でも、そうはいかない。

 克也とのやり取りを聞いてしまった以上、見捨てる選択はない。

 

 

「君のために克也は頑張ったんだ。最後に気持ちよく別れられるよう、もうすこしだけ頑張ろう」

 

 

 ツチグモの糸を避けながら元気づけると、幽霊少年は苦笑した。

 

 

「克也のためと言われちゃ足掻くっきゃねえけどよ。逃げられるのか?」

 

「逃げるのはキツいかなー。現状、この異界を掌握してるのはアイツだし……」

 

 

 異界を発生させた、わけではないだろう。

 おそらくは自然発生した異界を占領したクチ。

 それでも相手は蜘蛛の悪魔だ。獲物を巣から脱がさない手管は心得ているに違いない。

 

 

「──でも大丈夫。時間さえ稼げば、絶対に助けが来るから」

 

 

 京子の保護者にして守護者、鵺野鳴介のことだ。

 童門町ではまだ住職しか知らないが、実はガイア連合の高性能式神。しかもバリバリの戦士系(アタッカー)

 自我が芽生えて間もないため、日常ではやらかしがちだが、こと悪魔との戦いでは、頼りになる相棒だ。

 

 異界に潜る前に念話で連絡済みなので、助けに来るのにそう時間はかからないだろう。

 ヒロシをお使いに出したのは、あくまで彼を避難させるための方便だ。ほっとけば勝手に異界に入ってきそうだったし。

 

 だから、あとは時間を稼げれば問題なし、なのだが。

 

 

「おのれちょこまかと逃げおって!」

 

 

 業を煮やしたツチグモは咆哮すると、四方八方に糸を撒き散らし始めた。

 五月雨打ちに放たれる糸の軌道は複雑で、しかも速い。常人なら反応すら出来ない蜘蛛糸を、京子は紙一重で避けていく。

 

 ツチグモが発狂し続けてくれるなら時間稼ぎは簡単だが、そう都合よくはいかない。

 敵は乱暴に見えて狡猾だ。地面、壁、天井。そこら中に巡らされた蜘蛛糸は、いつでも京子を絡めとる罠に変わるだろう。

 

 

「マズいな。逃げ場が狭まってきてやがる」

 

 

 幽霊少年が焦りを滲ませる。

 外れた蜘蛛糸は、地面や壁面に張り付き、ピンと張っている。

 それが、京子たちが動ける範囲を次第に狭めてきているのだ。

 

 

「──っ転校生、足元!」

 

「おっと!?」

 

 

 蜘蛛糸が足元から迫るのを、京子は大きく跳んで避ける。

 

 瞬間、失敗を悟った。

 逃げた先は蜘蛛糸が複雑に交差する袋小路。

 左右に避ける道はなく、背後は封鎖された出入り口。

 唯一空けた前方──ツチグモとの間には、障害はない。

 

 

「ようやく巣にかかったな。手間取らせおって。小娘、貴様はあらゆる痛みを与えながら食ろうてくれる!」

 

 

 ツチグモの口が窄まる。

 口から垂れる液体の色は、ひどく毒々しい。

 それが、こちらに吹きかけられる──寸前。

 飛来した白い球体が、ツチグモの鼻先にぶち当たった。

 

 それは待ち望んでいた助け……ではない。

 

 

「──京子! 助けに来たぜええっ!」

 

「来るなあああっ!」

 

 

 サッカー少年、ヒロシの登場に、京子は思わず叫んだ。

 蜘蛛糸の檻を抜いて巨蜘蛛にサッカーボールを当てたのはすごいけど、未覚醒者が異界に突入して、さらには悪魔に攻撃とか無謀を通り越した暴挙だ。

 

 サッカーボールは、てん、てんと転がって。

 ちんけな革風船に怯まされたと知ったツチグモは激怒した。

 

 

「おのれええっ! 貴様らまとめて串刺しにしてくれるわっ!」

 

 

 ツチグモが吠えながら突進し、巨大な爪を振りかぶる。

 狙いは京子たちと、その背後に居るヒロシだ。

 

 左右に逃げ道はない。

 なら、受けるしかない。

 咄嗟に判断した京子は、抱えていた2人を背後に下ろす。

 

 

「二人とも退がれっ!」

 

 

 叫びながら、京子は懐から黄金の三鈷杵(さんこしょ)を取り出した。

 大きさは20cmほど。持ち手の両端が3つに分かれた密教の法具で、薬師如来の力が込もった京子の護身具だ。

 

 

「死ねえええっ!!」

 

 

 突き出されたツチグモの爪は、槍の如く鋭く、鋭利で。

 だが、京子は勝利を確信し、真言とともに三鈷杵をかざす。

 

 京子が不敵に笑う、その、背後から。

 蜘蛛糸の格子を突き破って伸びて来た漆黒の手が、ツチグモの爪を掴み取った。

 

 鋭い爪の先が、三鈷杵の手前数センチで止まり、ツチグモ自身の突進すら阻む。

 それを成したのは、漆黒のスーツを着た、眉根太く凛々しい面差しの男──京子の守護者、鵺野鳴介だ。

 

 そう、ヒロシは一人で勝手に来たわけじゃない。

 鳴介とともに来て、危ないところをサッカーボールで救ってくれたのだ。

 

 

「やれやれ。ひやっとしたよ……ぬ~べ~」

 

「ひやっとしたのはこっちだよ。このおてんば娘」

 

 

 ツチグモの鋭い爪を前に。

 京子と鳴介は、軽口を交わす。

 

 

「京子、子供たちを頼む」

 

「頼まれた。緊縛警戒。毒攻撃は狙い目。物理は通じるからやっちまえ」

 

 

 鳴介と京子は体を入れ替える。

 鳴介が前に立ち、京子は退がって克也たちの前へ。

 3人を守るのは厳しいが、前衛が加わればツチグモもこちらに構ってばかりはいられない。

 

 

「おのれ……!」

 

 

 ツチグモは爪を動かそうともがくが、びくともしない。

 黒手袋に包まれた鳴介の左手にガッチリ掴まれて、押しも引きも出来ないでいる。

 

 

「貴様……何者か知らんが、我が爪を一つだけと思うなよ!」

 

 

 ツチグモは、掴まれた爪が動かせないと悟ったのだろう。

 残る三本の前足を大きく持ち上げて、鳴介に襲いかかった。

 

 

「覚えておけ! 俺の名は鵺野鳴介! この町を守る霊能教師で──京子の守護者だ!」

 

 

 鳴介の発言に、後ろの子供たちが引いているのは、ともかく。

 

 襲い来る爪に対し、鳴介は半身になって身をひねる。

 捕まえた大爪を巧みに盾にして、ツチグモに思うように攻撃させない。

 

 

「おのれ脆弱な爪しか持たぬ弱い人間があっ!」

 

「勘違いするな。爪なら持っているぞ──お前を滅ぼせるほどのな!」

 

 

 苛立つツチグモに、鳴介は不敵に笑う。

 笑いながら口にするは、白衣観音経の文言。

 

 

「南無大慈大悲救苦救難──鬼の手よ、その力を示せ!!」

 

 

 鳴介が叫んだ、瞬間。

 左手が大きく盛り上がり、黒手袋が内側から弾けるように千切れ飛んだ。

 

 その下から現れたのは、鋭い爪を備えた赤紫色の異形の手。

 人のものとは思えぬ巨大な手に握りしめられ、ツチグモの巨大な爪はミシミシと悲鳴を上げ──砕け散った。

 

 

「ぐわああああっ! お、鬼だとおっ!?」

 

「そうだ。これが鬼の手──お前たち悪魔を倒すための、俺の唯一の武器だ!」

 

 

 苦悶の声を上げるツチグモに、鳴介は鬼の手を示す。

 数多の悪魔を滅ぼしてきた異形の手は、京子ですら畏怖を覚える存在感を放っている。

 

 

「おのれ、おのれ鬼がぁっ!」

 

 

 ツチグモの鋭い爪が、鳴介を襲う。

 鳴介はこれを鬼の爪の一撃で断ち切る──が、同時にツチグモの口蓋より蜘蛛糸の束が、至近距離から撃ち出される。

 

 肉を切らせて骨を断つ。

 糸の軌道は鳴介に向けて一直線。

 爪を断った直後で、鳴介の体は伸び切っている。

 

 

「ぬ~べ~!」

 

 

 京子はとっさに鳴介のベルトを掴み、体を入れ替えて庇った。

 蜘蛛糸は京子の体に絡みつき、動きを封じるが、鳴介と鬼の手は無事だ。

 

 

「──行け、ぬ~べ~! やっちまえ!」

 

「おおおっ! 小娘えええっ!」

 

 

 死に体となったツチグモに、鳴介が鬼の手を叩き込む。

 強烈な一撃はツチグモの体に食い込み──引き裂くように両断した。

 

 

「ぐおおおおおっ!」

 

 

 真っ二つになったツチグモの体が、光の粒子に分解されていく。

 

 その様を見送って。

 京子の守護者たる式神はため息をついた。

 

 

「無茶するな、京子。俺は攻撃の一度や二度食らっても平気なんだ。お前が庇う必要なんてないんだぞ」

 

「ぬ~べ~が拘束されたら、ツチグモがこっちを狙ってくる危険もあったからね。後ろに3人抱えてる状態だし、攻撃の手札は残しておきたかったんだ。こっちだって多少攻撃もらっても平気な体だしね」

 

 

 あきれたような鳴介に、京子は当然のように返す。

 物騒な会話をのんびりと交わしていると、子供たちが心配して駆けてきた。

 

 

「京子! 大丈夫か!?」

 

 

 真っ先に駆けつけたヒロシが、糸まみれの京子を気遣う。

 たしかに見た目酷い状況だが、敵のいない現状、心配は無用だ。

 

 

「平気平気。緊縛効果は喰らってないから、あとは糸さえ千切れば──とっ? 思ったより服に張り付いて……助けてぬ~べ~」

 

「本当に後先考えないな……ほら、鬼の手で千切ってやるから」

 

「ありがとありがと──ってちょっと待って!? ストーップ! 引っ張るんじゃなくて切って!!」

 

 

 京子の静止は間に合わなかった。

 鳴介が鋭い爪先で引っ掛け、絡まる糸を引きちぎる。

 丈夫な京子は無事だったが、蜘蛛糸よりはるかに脆弱なワンピースの布地は、耐えきれずに破れてしまった。

 左肩口から袈裟懸けに、下に着ている水着が丸見えになるくらい、どうしようもない感じに。

 

 ちなみに京子が着ているのは、正確にはハイレグアーマー。

 一般的なハイレグアーマーと違い、一見ただの水着だが、鎧の概念が付与されているため、異界内では全身を守る鎧として機能するガイア連合狂気の産物である。

 一人の転生者の「嫁式神の尻を見ながら戦いたい」という執念から生みだされた防具で、他の嫁式神や女性転生者の着用も期待されたが、彼女たちは普通に上に服を着た。彼は泣いた。

 

 なんだかんだいって防具の持ち運びに苦労する地方遠征組にとっては神装備で、京子も愛用しているが、この装備、ひとつ欠点がある。

 重ね着しても服まで丈夫になるわけじゃなく、ハイレグアーマー単体だとただの水着にしか見えないことだ。しかもかなり際どい感じの。尻丸出しの。

 

 

「京子、その、なんだ……すまん」

 

「いや、悪かったのはこっちの指示だから……ありがと」

 

 

 鳴介がスーツの上を着せてくれたので、礼を言う。

 

 美少女のあられもない姿を見てしまった少年たちはドギマギしているが、京子としては反応に困る。

 前世男だから気持ちはわからなくもないのだが、単純に若過ぎて、自分の体がエロいとは思えないのだ。メカでもないし。

 

 さておき。だらしなく鼻の下を伸ばしている克也の様子に、幽霊少年がため息をついた。

 

 

「克也……そんなざまじゃ成仏していいか心配になるぜ」

 

「先輩」

 

 

 声を聞いて。

 克也の表情が、一瞬でまじめなものになる。

 

 ふたりの関係を、京子は知りようがない。

 だが、ツチグモを前にした二人の会話を聞くだけでも、絆の深さは察せられた。

 

 

「克也。傷の舐め合いは終いだ。俺は先に進むことにするよ」

 

 

 幽霊少年の体が、淡い光とともに、薄くなっていく。

 おそらくは克也との交流を通して、すでに未練は晴れていた。

 彼を縛る異界が消え、克也が助かったいま、少年は心置きなく成仏しようとしているのだ。

 

 

「先輩……」

 

「克也。俺にとっての先はあの世だが、お前にとっての先はまた別だ。馬鹿でスケベだがよ。仲間思いなお前なら、立派な大人になれるって信じてるぜ」

 

「うん……オレ、なるよ。すぐには無理だし、立派かどうかはわかんねえけど、そうなれるようにがんばる。だから……先輩も、安心して先に……行ってくれよな」

 

 

 目を潤ませながら、克也は先輩に語りかけた。

 少年の姿が消え、その残滓の燐光すら霧散してなお、克也はじっと見続けていた。

 

 ややあって。

 振り返った克也は、京子たちに頭を下げた。

 

 

「……ありがとう。助けてもらっちまって。けど、あんたらいったい何者なんだ?」

 

 

 言われてみれば、克也にとって京子たちは謎の霊能者だ。

 鳴介に至っては、いきなり出てきて助けてくれた、謎のゴツい手を持つ見知らぬ大人である。

 

 京子は自分たちの素性を説明しようとして。

 先に鳴介が、柔らかい笑顔を克也に向けた。

 

 

「あらためて自己紹介しよう。童門小学校5年2組担任、鵺野鳴介……この春からお前らを受け持つ霊能教師だ! 気軽にぬ~べ~先生と呼んでくれ!」

 

「……ま、悪魔に関わっちゃった以上、同じクラスで保護するしかないから、そうなるよね」

 

 

 急に担任だと言われて戸惑う克也たちに、京子が補足する。

 さすがに霊能者として覚醒はしていないが、一度悪魔と関わると、他の悪魔にも目をつけられやすくなるため、危険なのだ。

 

 鳴介の言葉に、克也とヒロシは顔を合わせ──同時に笑った。

 

 

「あらためて、童門小学校5年2組、木村克也だ。春からよろしくな、ヒロシ」

 

「立野ヒロシだ。こっちこそよろしくな。克也」

 

 

 ふたりは固く、握手を交わす。

 その上に、京子はぽんと手を乗せた。

 前世があるとはいえ、突き放して見るつもりはない。自分も同い年で、同じクラスの仲間だ。

 

 

「童門小学校5年2組。霊能小学生の橘京子。ふたりとも、あらためてよろしく!」

 

 

 京子を交えて、あらためて挨拶して。

 ふっ、と、克也が苦笑を浮かべた。

 

 

「お前らとなら、大人になるまでのもどかしい時間も、楽しんで過ごせるかもな──なあ、先輩」

 

 

 最後の言葉は、半ば独白だった。

 克也だけのものだろう思いに、京子は踏み込まない。

 ただヒロシとともに3人肩を並べて、外に向けて歩き出す。

 

 季節は春。出会いと別れの季節。

 桜の満開は、すぐそこに迫っている。

 

 

 

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