前回に続いてボクシングはしません!
「し、死ぬかと思ったわッ!!!」
合宿初日の昼、俺はテントの中で叫んだ。
早朝から約4時間、モンスターを相手に大立ち回りを繰り広げた俺は、なんとか生還してテントに入れてもらった。
「まさか、主君があそこまで木登りが得意だとは驚きました」
それに関しては自分でも驚いた。先ほど大立ち回りを繰り広げたと言ったが、実際はほとんど木に登って逃げ回っていたのだった。
まさか、自分があんなに早く木を登れるなんて思ってもみなかった。自分をほめてあげたい。
「しかし主君。あまり食料は持ってきていませんので、できれば早めに"バッファルー"か"ウルファ"あたりを狩ってきてください。この合宿の後半はそれらの肉を料理して凌ぐつもりですから」
「嘘だろ!? 冗談じゃないぞ!」
実際に"バッファルー"や"ウルファ"を生で見たが、とても戦える気がしなかった。
「俺、あんなのと対峙したら死ぬよ!?」
「安心してください。 私は回復魔法のかなりの使い手ですので、もし主君が大けがをしても即死でない限りは治してみせます」
「いや、即死あるから! 普通に即死もあり得るから!」
もし"ウルファ"があの大きな牙で首元にかみついてきたら間違いなく即死だ。
「やはり、
ノバクはぼそりと独り言をつぶやいたが、声が小さくてあまり聞き取れなかった。
「ところで主君、お腹はすいていませんか?」
ノバクは今度は大きな声で話しかけてきた。
生還するのに必死で空腹を気にする余裕はなかったのだが、言われてみればお腹はぺこぺこだ。
「もしよければ、こちらのおにぎりとスープなどいかがですか?」
ノバクにしては珍しく気が利く。
美味しそうなおにぎりとスープを見て、俺のお腹がグーと音を鳴らした。
「ああ、ぜひいただくよ!」
受け取ったおにぎりを食べながら、俺はテント内を見渡した。
テントの壁にはなにやら凝った形の図形が描かれていた。これが結界というものなのだろうか。
シートには俺が持ってきた寝袋が二つと食料が少々、あとは先ほどの覚醒ドリンクの瓶がいくつか転がっていた。
「魔法劇薬部が作ったドリンクか…」
俺は覚醒ドリンクの
絶対に飲みたくはないが、魔法劇薬部という如何にも怪しい部活動が作ったドリンクに少し興味がある。怖いもの見たさだ。
瓶には"覚醒ドリンク"と大きな文字で書かれている。
瓶の裏側を見ると、そこにはドリンクの説明が書かれていた。
・このドリンクは全ての痛みをなくします。
・このドリンクには興奮効果と暴走効果があります。
・このドリンクの効き目は24時間です。
・このドリンクを8日連続で服用すると、死よりも恐ろしいことが起こります。
「怖い!! このドリンクめっちゃ怖い!! 8日連続で服用するといったい何が起きるんだよ!」
幸いこの合宿は7日間だから、ノバクは7本しかドリンクを用意していなかったようだ。流石のドS執事も主君を"死よりも恐ろしいこと"に巻き込むつもりはなかったらしい。
少し安心した。
俺は栄養ドリンクの
おにぎりもこのスープも中々美味しい。ノバクの手料理なのだろうか。
スープを飲み干した俺はテントの中にある自分のリュックを探る。
あった、ボクシンググローブだ!
午前中はグローブがなかったため、本当に素手で闘う羽目になった。
まあ、そのおかげで木登りができたのだけれど。
ご飯を食べ終え一息ついたその時、急に体の内側が熱くなるのを感じた。その熱さは次第に全身に広がっていく…
そして、ふっと頭が冴えた気がした。
…あれ? なんだろう。先ほど木登りでモンスターから逃げた自分のことが、急に恥ずかしくなってきた。
このテントに入って直ぐは自分をほめたいと思っていたのに、なぜか急に情けなくなってきたぞ。
俺はいったい、なぜ敵を前にして逃げてしまったのだろう!
俺は強くなるためにこの山に来たはずなのに、なぜモンスターに怯えているのだろうか!
体の内側から発せられた熱は全身に広がり、そして燃えるように熱くなってくる。
その熱のせいか、俺の思考はどんどんと勝気になっていった。
"バッファルー"だろうが"ウルファ"だろうが、俺は殴り勝つべきではいのか!!
なんだなんだ!? 今なら誰が相手でも負ける気はしないぞ!!
どういうことだ!? 今なら世界チャンピオンだって目指せる気がしてきたぞ!!!
「うおおおお!! 俺…いや、俺様は行ってくるぜ!!! モンスターどもをしばき倒してくるぜ!!!!」
俺様はグローブを両手にはめテントから外へ飛び出した。
今までテニスの試合ですら経験したことない、異様な興奮を抱えて…。
「覚醒ドリンク、凄まじい効果ですね…」
俺の背中越しにノバクの声が聞こえた。
合宿4日目、俺は昼過ぎまで爆睡してしまっていた。この3日間の疲れのせいだろう。
野生のモンスターを両の拳で殴り続ける。1週間という短期間で強くなるためには、ここまでしないといけないのだろうか。というか、そもそもこの訓練で本当に強くなるのだろうか。
「…強いって何ですか」
「主君、何寝ぼけたこと言ってるんですか? それより、もう昼過ぎですよ。昼食を作りましたので食べてください」
ノバクは俺に焼いた肉とスープを渡す。この肉は昨日初めて倒した"ウルファ"の肉だ。焼いても野生の香りが残っている。
俺は肉を食い、スープを飲み干した。
すると、先ほどまで寝起きのテンションだったのに、とたんに体が熱くてじっとしていられなくなる。
俺は…いや、俺様はボロボロになったボクシンググローブを両手にはめる。
「さあ! 狩りの時間だ! 俺様の拳でモンスターどもを蹴散らすぜ!」
そう叫びながら、俺様はテントから外へ飛び出した。
「いってらっしゃいませ、主君」
俺様の背中越しにノバクの声が聞こえた。
合宿6日目の夜、テントの中でノバクは俺様に回復魔法をかけている。
「さて、明日はいよいよ決闘の日ですね」
「ああ、そうだな! 進化した俺様の実力を見せてやるぜ!」
この6日間、俺様は今までにないくらい充実した訓練を行えた。
最高にハイだった!!
"ウルファ"に何度噛まれようが、"バッファルー"にどれだけ突き飛ばされようが、俺様はこの戦いを生き抜いたのだ。
不思議なことに、初日の昼食をとってからは大した痛みを感じることがなかった。ただ、回復魔法でも消えない傷跡が体中に残っている。
最終的に"ウルファ"は5体"、バッファルー"は2体も撃退した。
元の世界の野生動物に近い形のモンスターを殴り続けるのは少し気が引けたが、野生の戦いはやるかやられるかだ。仕方がない。
弱ったモンスターを殴り続けている様は、動物愛護団体の人たちが見たら失神ものだったろう。ゲームの世界で本当に良かった。
ノバクの予定通り、合宿の後半は撃退した"ウルファ"と"バッファルー"の肉を食らい生き延びてきた。
この山での生活で俺様はよりワイルドに仕上がったのだ!!
「ところでノバク! 一週間前はアンディの野郎が勝つと予想してたが、今の俺様の成長を見て勝敗はどう予想してるんだ? んん?」
俺様はノバクに顔を近づけながら質問する。なぜかノバクは物凄く面倒臭そうな顔をした。
「ええ、まあ、そうですね、はい。 今ならかなり良い勝負ができると思いますよ」
「そうかい、そうかい! だが気を付けないといけないな! アンディの野郎を倒した後、勢い余って奴の肉を食べちまわないようにしないとな。ガハハハッ」
今のジョークは我ながら、なかなか面白い!
ちらりとノバクの反応を窺ったが、彼は更に面倒臭そうな顔をしていた。
「ところで主君。 決闘前の景気づけに明日の朝"ベーアー"を討伐するという話ですが、あれは辞めておきませんか」
「どうしてだ!? 明日の昼食は"ベーアー"の肉といつものスープを食べようと言ってたじゃんか!」
「ええ、まあ、そうですが。 実は、私の魔力が底を尽きてしまいまして。回復魔法がもう使えないのですよ」
そう言うと、ノバクは自分のリュックから空の小瓶をいくつか取り出した。"覚醒ドリンク"とは別の瓶だ。
「この瓶は?」
「これは、魔力回復のポーションです。実は私はこの合宿中何度もこちらを服用して、魔力切れが起こらないようにしていました。しかし、このポーションは飲み過ぎると頭痛を起こしてしまうのです。そして、今既に軽い頭痛状態でして」
なるほど、つまりこれ以上そのポーションを飲むと頭痛が悪化し、最悪の場合、魔力が回復しても当のノバクが回復魔法を使えない状態になってしまうという訳だ。
「それは仕方がないな… ところで、このポーションも魔法劇薬部が作ったのか?」
「いえ、これは市販のものです。さすがに魔法劇薬部が作ったものを自分で飲みたいとは思いませんので」
こいつ! 俺様には魔法劇薬部が作った"覚醒ドリンク"を飲ませようとしたくせに!
しかし、ノバクの飲んだ小瓶の量をみて、俺様は怒るのを辞めた。
彼は頭痛がする限界までポーションを飲んで、俺様のために回復魔法を使ってくれていたのだ。
仕方ない、許そう。
幸い、俺様は覚醒ドリンクを1本も飲まなくて済んだわけだしな。
明日の朝は"ベーアー"を討伐を中止し、予定より少し早いが下山をしよう。
そう考えていた時、ふと名案を閃いた。
「そうだ! 俺様が無傷で"ベーアー"を倒せば、回復魔法はつかわな…」
話している途中、ノバクの手刀が俺様の後頭部を直撃した。
直後、フラッと意識が遠のく。
「まさか、主君が俺様系になってしまうとは。明日も最後の1本を飲ませるつもりでしたが、このウザさはどうしたものでしょうか…」
「…出会ってしまった」
合宿7日目の昼前、俺様たちは下山をしていた。そしたらなんと、標高の高いところに生息しているはずの"ベーアー"と、なぜか下山中に遭遇してしまったのだ。
「まずいですね。いったん引きましょう」
ノバクが珍しく慌てている。確かにこれはピンチだ。昨晩、"ベーアー"との戦闘は避けようと話したばかりなのに。
しかし、俺様はこの出来事をポジティブにとらえることにした。
ピンチはチャンスだ!
今ここで"ベーアー"倒すことで俺様はさらに一段階強くなれる!!
「俺様はいくぜ! ぶっ倒してやる!!」
背負っていた荷物を放り投げて、叫びながら"ベーアー"に飛び掛かる。
俺様の行動に驚いたノバクが叫ぶ。
「ダメです主君! 普通に考えて人間が素手で"ベーアー"には勝てませんよ!」
あれ? 合宿初日と言ってることが違うくないか?
そう思った矢先、"ベーアー"の右腕が俺様に向かって振り下ろされた。
"ベーアー"の爪は鋭く、俺様の胸は綺麗な3本線で切り裂かれた。
ぐはぁ!
かなりの衝撃が全身にめぐる。切り裂かれた胸は激しく出血した。
傍から見れば重症。しかし、いつも通りなぜか痛くない。
…………いや、 だんだん痛くなってきたぞ!
この合宿中、初日の午前中以外はほとんど痛みを感じることがなかった。しかし、よく考えたら昼飯前だけは痛みを感じることがあった。昼飯のスープを飲むと、なぜかその痛みも失われたのだが。
「主君!!」
ノバクは自分のリュックから急いで市販ポーションを取り出し、それをためらうことなく飲み干した。しかし、「うっ、ぐっ」と呻きながら頭を抱えだしてしまった。どうやらかなりの頭痛が伴ったようだ。
俺様は…いや、俺は出血が止まらない胸を手で押さえて、何とか立ち上がる。
そして、"ベーアー"と向かい合って対峙した。
"ベーアー"の顔を見上げる。
全長2m近くある"ベーアー"とは、目線を合わせるだけでも一苦労だ。
でかい。怖い。勝てる気がしない。
正直、なぜ自分がこの"ベーアー"に対して飛び掛かったのか、よくわからなくなっていた。
それでも、今更逃げ出すことはできない。今逃げ出せば頭痛でうずくまっているノバクを置いていくことになるそれはできない。
「おい"ベーアー"、お前の相手は俺だ!」
"ベーアー"の意識がこちらに向くように叫んだ。
そして、"ベーアー"の顔にワンツーのパンチを打ち込む。
…当たった!
これも練習の成果だろうか。
"ベーアー"はパンチを受けて少し怯んだようすだった。しかし、すぐに立て直して鋭い爪のついた左手を大きく振り下ろしてきた。
…しまった! これは避けられない!!
と思った瞬間、俺の体は勝手に"ベーアー"の攻撃を避けていた。
避けた後に、「うわ、避けれた」と声が出てしまうくらい、自分でも意外だった。
どうやら、俺はこの7日間の合宿で本当に強くなったようだ。
もしかしたら、"ベーアー"にだって勝てるかもしれない。そう僅かな希望を見出した。
後は、胸の出血がどれだけもつかだ。
――――そう思って自分の胸を触ると、傷がふさがり出血がおさまっていた。
ノバクの回復魔法だ!!
「お待たせしました主君! ここからは回復魔法でサポートしまくります! 即死であっても治してみせますのでガンガン戦ってください!」
先ほどまで頭痛でうずくまっていたはずのノバクは、何故か妙に元気になっている。
どうやらノバクは何らかの方法で頭痛を消したようだ。いったいどんな方法で
ノバクが復活した今、"即死以外はほぼ不死身の俺" 対 "ベーアー"の闘いとなった。
この闘いは文字通り死闘となったのだった。
「主君! とっととぶっ倒して"ベーアー"鍋にしてやりましょう!!」
あれ? ノバクお前そんなキャラだっけ?
ボクシンググローブは普通、バンテージを巻いてからはめます。
次回は、ボクシング編5話目にして、ついにボクシングリングに立ちます。