「それでねケイ君、チェスには難しいルールがあるんだけど……」
休み時間、教室で自席に座っている俺にマリアが話しかけてきた。
マリアは一つ前の席に座る女の子で、茶色いロングヘア―に少し釣り目の綺麗な瞳、教室で目立つタイプではないが気さくで優しい性格をしている。
そして、休み時間になるといつも体を後ろにむけて話しかけてくれる――――俺がこの世界に転生してから唯一できた友人だ。
元の世界ではずっとテニス部の仲間とつるんでいたため、俺は部活以外の友達の作り方をすっかり忘れてしまっていた。
休み時間は放課後の部活に向けて仮眠をとり、行事ごとはいつも同じ部活のメンバーで集まる。これは運動部あるあるだと思う。
ちなみに、マリアのいう『ケイ君』というのは俺のことだ。
本名は圭太(けいた)なのだが、親しい友人にはケイと呼ばれている。……この学園での親しい友人はマリアしかいないが。
「……って聞いてる、ケイ君?」
「ああ、聞いてるぞ。テニスの話だよな」
「テニスじゃなくてチェスだよ」
マリアは呆れた様子でツッコミを入れる。
けれどその直後、不安そうに俺の顔を覗き込んできた。
「ていうかケイ君、目の下にクマができてるじゃん」
「ん? ああ、最近ちょっと眠れてなくてな」
「そうなんだ。なにかあったの?」
「いやなに、ただテニス不足による禁断症状がでてるだけだ」
「そうか、テニス不足で…… って、テニス不足!? 何それ!? テニスってそんな中毒性あるものだっけ??」
乙女ゲームの世界に転生してからもう2か月が経った。
これは悪い夢で放っておいたら元の世界に帰れるだろう――――と甘く考えていた転生直後の俺は、どこの部活動にも所属しないことを選んだのだった。
しかし、それが仇となり、最近ではテニス不足の禁断症状が頻繁に現れるようになってしまった。
友達が少ないのは構わないが、テニス不足は一大事だ。生命にかかわる。
「仕方がない、ついに入部するときがきたか……テニス部に」
「その前に保健室に行きなよ」
マリアは呆れた顔でそう言い放った。
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次の休み時間がくると、いつも通りにマリアが俺の方に体を向けた。
「ケイ君テニス部に入るんだよね。テニス部にはラファエル様もいるんだよ。知ってた?」
「ラファエル様? 誰だそれ?」
まったく聞き覚えのない名前に俺は首をかしげた。
「誰って……。この国の第一王子様だよ!! 私たちの1つ上の学年にいるじゃん。なんで知らないの?」
「なんでって言われても…」
別に接点のない先輩の名前なんて知らないだろ――――――そう言いかけて、言葉に詰まった。
第一王子ラファエル。俺はその名前を見たことがあったのだ。確か攻略対象の一人がそんな名前だった気がする。
「そのラファエルってのはどんな人なんだ?」
俺は攻略対象について知るため、詳しく聞くことにした。
マリアは人差し指をピシッとたてて、「ラファエル『様』ね!」と注意しながらも教えてくれた。
「ラファエル様は文武両道で頼りがいもあって、この学園の皆の憧れだよ。あとはやっぱり、この国の第一王子様だからね。将来は国を背負って立つ人だから、同じ学生でもそう易々とは話しかけられないって言う人も多いよ」
俺たちが通うウィンブル学園はグランドスラム王国という国の中にある。『王国』なので当然、王様が一番偉い。
そして、その息子である第一王子ラファエル様――――(やっぱりラファエル先輩でいいか)ラファエル先輩も偉いらしい。
王族以外には貴族や平民という階級があり、貴族にも上級・中級・下級という区分がある。このウィンブル学園には平民はおらず、王族や貴族、それも有力な上級貴族が多く在学しているらしい。俗にいうお坊ちゃま学校というわけだ。
そんな中、俺の階級はというと………下級貴族、つまりはこの学園の最下層なのだとか。
俺の家は元々平民だったが、親父が功績をあげて下級貴族に昇格したらしい。そのため俺は、平民上がりの下級貴族という立ち位置になる。
もっとも、本来は一般家庭育ちの体育大学生なのだが……。
ちょっと待てよ、ラファエル先輩が第一王子だってことは、下級貴族の俺が喧嘩するとまずいのではないか?
「なあマリア、もし誰かが王子様のラファエル先輩と喧嘩をしたらどうなるんだ?」
「ラファエル様と喧嘩? そうね…、もちろん喧嘩の原因にもよるとは思うけど、普通に投獄されるんじゃない?」
「そうか、普通に投獄か」
もし、ラファエル先輩を殴り倒すことで元の世界に帰れるなら問題ない。けれど、もしも帰れなかったら―――あるいは、殴り負けてしまったら、俺は投獄生活を送ることになるらしい。
ラファエル先輩、攻略難しすぎるだろ!!
何かないのか、ラファエル先輩を簡単に攻略するための情報がなにか……。
そんな俺の思いが通じたのか、マリアはハッとした表情を浮かべた。
「そうだ、ラファエル様についてすっごく大事なことを言い忘れてた!」
マリアは身を乗り出すと、グイッと俺に顔を近づけて耳打ちする。
「ラファエル様はね、すっごくイケメンだよ」
…………それはどうでもいい。
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放課後、学園に併設されているテニスコートに向かった。
そこで会った部員の一人に入部をしたい旨を伝え、部活動の備品であるレンタル用テニスラケットを借りることになった。
そして俺は……、テニスラケットを強く握りしめ感動に浸っていた。
ラケットを握った俺は、頭の中の霧が晴れ爽快感に包まれていた。頭痛が治り、眠気も飛んだ。この世界に転生して初めて意識が覚醒したのだ。
「最高だ……。まるで生まれ変わった気分だ」
「ラケットを握っただけでそんなリアクションになるか?」
ラケットを渡してくれたヤニクはドン引きしていた、受け取った俺が感動のあまり直立しながら涙を流す姿に……。
ヤニクは俺と同じ1年で、入学してすぐにテニス部に入部していたらしい。中肉中背の爽やか目な男子生徒だ。
俺は撫でまわすようにラケットを見ていると、フレームがカーボン素材でできていることに気が付いた。
よかった! 元の世界のラケットと遜色ない。
この乙女ゲーム世界の科学技術がどの程度進歩しているか、スポーツ用品がどのような歴史を歩んできたかはさっぱりわかっていない。
元の世界でもカーボンラケットが開発されるまでは木のラケットが主流だったので、科学が発展してなさそうなこの世界では、木のラケットが使われていると覚悟していた。
それはそれでよい経験にはなるが、やっぱり元の世界のラケットに近いに越したことはない。
指の間を大きく広げラケットのガットを鷲掴みにする。そして、ガチッ、ガチャチャッ…と音を立てながらいじる。
「快感!快感すぎる!」
ニヤニヤが止まらない俺をみてヤニクは更にドン引きしていた。
「ケイ、それ楽しい?」
「ああ!楽しい、楽しすぎる! ところで、このガット素材はポリエステルだよな!?」
ヤニクは引きつった表情のまま答える。
「いや、ガットの素材なんてわからないよ。そもそも気にしたことがないしね」
「そうか!わからないか!仕様がないなぁ!」
ガットは感触的にはポリエステルにかなり近い。ハードヒッターの俺とは相性がよさそうだ。
「ところで、そろそろテニス部の説明をしてもいいかな?」
「ああ、そうだな!よろしく頼む」
せっかく入部するのだ、ヤニクに気持ち悪がられてしまう前にきちんと説明は聞いておこう。……もう十分気持ち悪がられているかもしれないが。
こうして、乙女ゲームの世界で俺はテニス部に入部することになった。
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乙女ゲームには『親友ポジション』という役割のキャラクターがいる。
「ケイ君はこの世界のこと全然わかってないし、色々教えるのは大変だな」
マリアは女子寮の自室で独り言を漏らした。
同室の先輩が帰ってきていないこの時間、親友ポジションであるマリアは圭太がゲーム攻略に向かって進めるよう計画を練るのが日課になっていた。
「それに、ノバク君と2か月間同じ部屋で暮らしてるのに全然ルートの進捗がなさそうだし…。ノバク君のなにが気に入らないんだろ」
マリアにとってはどの攻略対象も思い入れが深いため、圭太をどこかの攻略ルートに導こうというつもりはない。それでも、やはりどのルートが選ばれるかは気にはなる。
「気になるといえば……。ケイ君、会話中ずっと手が震えてたけどテニス部に入ったら治るのかな。ていうかテニス中毒ってなに? 怖いんだけど……」