「ところで、試合を行うのは構わないけれど今日は雨よ」
お蝶先輩は女子寮の廊下の窓を指さす。窓ガラスには雨粒がバラバラと打ち付けられていた。
「ソウデスネ」
俺は怪しまれないように相槌を打つ。
当然だが、俺は今日が雨であることは重々承知でお蝶先輩に試合を申し込んでいる。
「これでは、屋外のテニスコートは使えなくってよ」
「ソレハ、コマリマシタネ」
「ケイ。先ほどから相槌がわざとらしくてよ」
「ソ、そんなことないですよ!」
実のところ、雨でテニスコートが使えないことはすべて作戦の内なのだ。そのことをお蝶先輩に悟られないように振舞っていたのだが、かえって怪しまれてしまった。
「それよりお蝶先輩。実は
「卓球…。ケイ、あなたはそれで本当によろしくて?」
お蝶先輩は俺の目をしっかりと見つめる。
お蝶先輩の少女漫画さながらのキラキラ光る瞳は力強さをより際立たせている。
その瞳からは、「あたくし、卓球も強くてよ」だとか、「テニスへの思いが本物なら、雨の中でもテニスを選ぶべきではなくて?」といったメッセージが詰まっているように見えなくもない。
……が、気のせいかもしれない。
この人、無駄に目力が強いんだよな…。
しかし、俺は今日の勝負ははじめから卓球の試合を挑むつもりだったのだ。今さら迷いはない。
「はい、卓球で勝負しましょう!」
「そう。いいわ。試合開始は2時間後でよくって?」
「はい!」
お蝶先輩は今度は女装したノバクを見つめる―――というか睨みつける。
「ではあなた、審判をお願いできる?」
付き添いできただけのノバクは、急に話しかけられて驚いたようだ。
「審判ですか? 私は卓球のルールなどよくわかっていないので…」
「そう。なら試合までの2時間で勉強なさい! 図書館に行けばルールブックは借りられるわ」
やんわり断ろうとしたノバクに構わず、お蝶先輩は圧の強さで押し付ける。
その圧に気圧されてノバクはたじろいだ。
どうやら、ノバクのようなドS野郎は逆にせめられるのは苦手らしい。
「では、2時間後に卓球場で試合よ。準備をなさい!」
俺が卓球場に来た時には、お蝶先輩とノバクがすでに準備を済ませて待っていた。
ノバクは「異世界人でもわかる卓球」と書かれた辞書並みに分厚いルールブックを持っている。どうやら図書館から借りてきていたようだ。
「それでは主君、それと、その…お蝶様。試合を始めましょう」
審判を務めるノバクが、試合開始の合図を告げる。
審判に任命された時は物凄く嫌そうな顔をしていたが、このノバクという男は意外と付き合いがよかったりする。
今回もなんだかんだで、お蝶先輩に指示された通り分厚いルールブックを読んできたみたいだ。
「では、まずはお互いのラケットを見せ合ってください」
「お互いのラケットを見せ合う? 何それ?」
「相手のラケットやラバーを見せ合い、プレイスタイルを確認するのですよ」
ノバクは分厚いルールブックの初めの方のページを開き一文を指さす。
…へえ、そうなんだ。初めて知った。
俺はお蝶先輩のラケットを受けとる。
お蝶先輩のラケットは意外にもペンホルダーラケットだった。お蝶先輩もテニス部員なので、テニスラケットに近い形をしたシェイクハンドラケットを使ってくるものだと思っていたのに。
ちなみに、ラバーの種類は… 俺は初心者なので見てもわからない。
「…あれ? でもこのラケット、ペンホルダーラケットなのに裏にもラバーが貼ってあるな」
お蝶先輩のラケットを不思議そうに見ていると、ノバクが解説してくれた。
「そのラケットは反転式ですね。フォア面に表ソフト、裏面には裏ソフトラバーです。表面と裏面でラバーが違うので戦術に合わせて切り替えるつもりでしょう。主君、相手との打ち合う距離には注意してくださいね」
「お、おう…」
やばい、何言ってるか全然わからない。
というか、ノバクも2時間前までは卓球初心者だったはずだ。ルールブックをどんだけ読み込んだんだよ。
試合はお蝶先輩のサーブから始まった。
お蝶先輩はトスを高く上げると、ピン球がラケットに当たる直前にラケットをキュキュッと動かして回転をかける。
…ん? 今どんな回転をかけたんだ?
あまりに素早い動作だったので、ピン球にどんな回転がかかっているかわからないままのサーブが飛んできた。
…まあ、回転なんて何でもいいか。
お蝶先輩のサーブはゆっくりと俺のコートに飛んできた。それを見て俺はほくそ笑む。
やはり、テニス勝負ではなく卓球勝負を仕掛けたのは正解だった。
――――お蝶先輩の強みというのは、あの強靭な脚力から繰り出されるジャンプサーブだ。
以前テニスの試合をしたとき、俺はお蝶先輩の上から下に叩きつける高速サーブを攻略できず負けたのだった。
しかし、卓球はテニスと違いサーブを自分のコートで1回、さらに相手のコートで1回バウンドさせる必要がある。つまり、テニスのような上から下に叩きつける高速サーブというのが物理的に打てないのだ。
現に今、俺はお蝶先輩のサーブをしっかりと目で追えている。
「やはり、この勝負は俺の勝ちだ!」
俺はラケット面でピン球を軽く打ち返す。
…その直後、俺のラケットに当たったピン球は、物理法則を無視したかのような動きでネットに吸い込まれた。
「…へ?」
ピン球の動きの意味が分からなくて、思わず声が漏れる。
確かにさっき、俺は普通に相手コートに打ち返そうとした。決してネットにひかかるような低い弾道でではない。
むしろ、自分がかけたドライブ回転も考慮してネットのはるか上を目がけて打ったのだ。
それなのに、ピン球はネットに吸い込まれた。
「今のは…」
「主君! 今のは下回転サーブです!」
「下回転? 確かになんか回転はかかっていたけど…。でも、お蝶先輩のサーブにどんな回転がかかっていても俺が打ち返した時点で関係ないだろ?」
テニスのサーブだって跳ねるサーブや沈むサーブ、曲がるサーブはある。けれど、リターン側がしっかりとラケットに当てさえすれば普通に打ち返せるのだ。
すると、お蝶先輩が不敵に笑った。
「ふふふ。ケイ、あなた卓球とテニスの違いが分かっていないのね。卓球はテニスと違い相手のかけた回転を無視して打ち返すことはできなくってよ。つまり、あたくしのかけた回転を見破れない以上、あなたに勝機はないわ」
どうやら、俺のリターンがネットに吸い込まれたのはお蝶先輩のサーブの回転が原因だったらしい。
まさか、卓球とテニスにそんな違いがあるとは…。
当然ながら、体育の授業でしか卓球をしたことない俺にとって下回転サーブとかいうよくわからないサーブは未知のものだった。
「ちなみに、あたくしは下回転サーブ以外にも、ナックルサーブもありますわよ」
ナックルサーブ。 ……なにそれ? 拳で殴ってくるの?
続いてのポイントも俺がリターンできず、お蝶先輩の連続得点となった。
この2ポイントで分かったことだが、お蝶先輩はおそらく卓球経験者だ。それも、俺のようなテニス崩れのなんちゃって経験ではなく本物の経験者だろう。
まずい。お蝶先輩のサーブを返球できないとわかった今、俺が自分のサーブポイントを落とすわけにはいかなくなった。
今度はこちらのサーブ番だ。俺はトスを上げてテニスのアンダーカットの要領でサーブを打つ。俺はこのサーブ以外の打ち方は知らない。
俺の打ったサーブはお蝶先輩のコートに入る。しかし、お蝶先輩は俺のサーブを打ち返すことなく呆然と立ち尽くした。
「よし!!!」
きっと、俺のオリジナルサーブに対応できていないのだろう。これなら戦える!
―――そう思った矢先、お蝶先輩が審判のノバクに確認を取る。
「今のトス16㎝未満よね」
「はい。主君の反則ですので失点となります」
「え… なにそれ?」
ノバクはまた分厚いルールブックのページを開き一文を指さす。
「主君、卓球のサーブではトスは16㎝以上、高く上げなければいけません」
「なんだそのルール!?」
聞いたこともないルールに思わず面を食らう。
「トスの高さ…? そんなものいちいちルールで指定するなよ!?」
テニスのルールではトスの高さの指定などない。あるはずがない。
そもそも試合中に定規を持ち込む馬鹿などいるはずがなく、本来トスの高さなど正確には測りようがないのだ。
「あと、主君はピン球を握っていましたが、トスの際は手のひらを開いて上げないといけませんよ」
「手のひらの形!? そんなもの気にしてどうするんだよ? 卓球のサーブ、細かすぎないか!?」
元々、俺はスポーツのルールはスポーツ漫画を読んで覚えるタイプだ。野球、サッカー、バスケ、ボクシング…。
けれど、卓球漫画はあまり読んでこなかったのだ。そのため、卓球の細かなルールなど知らない。
…いや、本当は卓球漫画も読もうとした。週刊少年ジ〇ンプを毎週読んでいた俺は、その中にある卓球漫画も当然読んでいたのだ。
しかし、卓球漫画は何故か往々にしてすぐ打ち切りになる。特に週刊少年ジ〇ンプの卓球漫画は、面白いのにすぐに終わってしまうのだ。
スポーツ漫画好きの俺がこの漫画面白いじゃん、楽しみだな!―――と思ったものに限って続かない。世のみんな、もっとマイナーなスポーツの漫画も読もうよ!
結局、この卓球勝負は終始お蝶先輩が圧倒した。
お蝶先輩はまるで卓上を舞うアゲハ蝶のように華麗なサーブを打った。かと思えば、リターンはフルドライブで速球を打ち込んできた。
卓球は11点先取だ。そして今、0-10で俺は負けている。つまりは絶体絶命だ。
俺は絶望に打ちひしがれながらも、それでも勝利は諦めなかった。これはスポーツ選手としての意地だった。
このポイントを取られたら負ける。そのプレッシャーを背負いながら、俺は渾身のサーブを放った。
俺のサーブはお蝶先輩のコートでバウンドする。お蝶先輩はいつものようにドライブで強打をしてきた。
―――しかし、カンッと強い打球音を発したお蝶先輩のリターンは、そのままネットに突き刺さった。
…お蝶先輩のミスだ!
「う…うお! うおおおおぉぉぉぉぉ!!!」
この試合初の得点に、俺は震えながらガッツポーズをする。
そうだ、試合はまだ終わっていない!
同じ絶望的な状況でも0点と1点では意味合いが違う。1点取れたということは、2点でも3点でも取れる可能性があるということだ。
「よし、次の得点もとるぞ!!」
抑えられない高揚を胸にもう一度高くトスを上げる。さあ、俺の戦いはこれからだ!!
――――しかし、俺がサーブを打とうとした直前に審判のノバクが口をはさむ。
「主君。今サーブのトスを台の下から上げましたよね。トスは台の上から上げなければいけないため反則です」
「…え? 何そのルール、初耳なんだけど」
「このポイントは主君の失点のため、1-11でお蝶様の勝利です」
「だから卓球のサーブ細かすぎるだろッ!!!」
こうして、俺とお蝶先輩のテニス部副部長をかけた戦いは、俺の敗北で幕を閉じた。
お蝶先輩は、敗北に打ちひしがれる俺を強く睨む。
「そんな体育の授業でやった程度の実力であたくしに勝負を仕掛けるなんて、あなた卓球のことを舐めすぎではなくて?」
う、うぐ。
「アスリートを名乗るのなら、どんなスポーツにも敬意を払い真摯に向き合うべきよ。…よろしくって?」
「お、おっしゃる通りです…」
ちくしょう、ぐうの音も出ねえ!!
お蝶先輩が卓球場を去った後も俺は敗北を噛みしめていた。
けれど、決して心が折れたわけではない。なぜなら、俺は最後に1点だけだが取れたのだから。
「今回は完敗だった。…けれど、最後に1点とれた。この1点は、きっと俺の今後の人生で大きな意味を持つぞ。どんなに実力差があっても、あきらめなければ1点取れるということを知れたのだから!!」
俺は熱い独り言をつぶやく。
すると、ノバクが物凄く気まずそうな顔でルールブックのあるページを開いて、俺に見せてきた。
「主君、どうやら卓球は11-0で勝つことを良しとしないスポーツのようです。そのため、10-0になったら、わざと1点落として相手の面子を保つという文化があるそうですよ」
「……え? つまり?」
「つまり、主君とった1点は、主君の実力ではなくお蝶様の気配りですね」
ボキッと心の内側で音がした。
…ああ、心が折れた音だ。
「そこにいろノバク」
そう言い、俺は卓球場の出口に向かう。
「どうしたんですか?主君」
「少し泣く」
***************
夏休み最終日、俺は卓球場でピン球を打ち込んでいた。
「これがチキータ。そしてこれがミユータだ!!」
俺の打ったピン球は、強烈か回転がかかったまま相手コートに入る。
「どうだノバク! 残りの夏休みすべてをつぎ込んで鍛えた俺の卓球の腕は!!」
「はあ。確かに凄いですね」
「そうだろ! 俺は卓球に真摯に向き合った。これで俺は堂々と名乗れる、卓球選手だと!!」
「そうですか。 …ところで主君。主君はどうして卓球の練習をしているのですか?」
「どうしてって、そりゃ、テニスの練習のために… あれ?」
俺はプロテニスプレイヤーを目指していた。そのために、この夏休みはテニスの練習に全てをかけるつもりだった。
「俺、なんで卓球してるんだっけ…」
「本末転倒ですね 」
ノバクは俺の血のにじむような卓球の努力を、たった一つの四字熟語で評したのだった。
卓球編完結!
学生の皆様、残り少ない夏休みをぜひお楽しみください!
社会人の方は…、引き続き頑張りましょう!