ローラン学園のテニス部は、ウィンブル学園と同じように男女混合の部活動だった。
先週男子の試合を終えたばかりにも関わらず、練習には男子の姿もちらほらと見える。
俺が元の世界で所属していたテニス部だと、中学、高校、大学とどの部活でも試合の翌日でさえ練習するのは当たり前だった。
しかし、この世界の運動部員は試合が終わると当分姿をくらます連中が多いのだ。
そんな中、数人とはいえちゃんと練習に出てきている男子部員がいることに思わず感心してしまう。
ちなみに俺は試合後も部活動のある日は全日参加していたのだが、まだエチゴ先輩とヤニクの姿は一度も見ていない。今練習している男子たちの爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだ。
―――っと。俺が今日ここに来たのは男子部員を見るためじゃない。来週試合をする女子部員の偵察に来たんだった。
俺たちは茂みに隠れながら双眼鏡を使って偵察をしている。
もし学園の警備に見つかりでもしたら、許可なく潜入して女子テニス部員を眺めていた変態野郎として処罰されることになるだろう。
それだけのリスクを背負ってきたのだ。ちゃんと偵察しないと意味がない。
女子部員は五人しか姿が見えなかった。テニスの団体戦はシングルスが3試合、ダブルスが2試合で、メンバーの被りは許されていない。そのため、最低でも七人必要になる。
「二人見当たらないが、残りの五人については確認できそうだな。誰と試合をすることになるかわからないから、とりあえず強そうな相手を注視するぞ」
ノバクは小さく頷くと右端のコートを指さした。
「でしたら主君。あのコートにいる水色髪の女性。彼女が一番上手いのではないですか?」
ノバクの指の先には、ふわりと丸いショートボブで額には存在感のあるヘッドバンドを巻いた、小柄な少女がテニスをしていた。
彼女は綺麗なフォームで全身を効率よく回転させ、その華奢な体には似合わない威力のストロークを放っていた。
―――そう。俺も偵察をはじめてすぐに気づいたのだが、この学園の女子で――――いや、恐らくこの学園の男女合わせてで一番上手いのは彼女なのだ。
それこそ、テニス初心者のノバクですらわかる程にはレベルが違う。
俺たちは茂みの中をゴソゴソと移動し、水色髪少女が練習しているコート前までたどり着いた。ここなら双眼鏡がなくてもよく見える。
コートではシングルスの試合が行われていた。
水色髪少女の対戦相手には見覚えがある。確か先週の男子団体戦で、ラファエル先輩にボコボコにされていた3年生の人だ。
あのラファエル先輩が相手だったので気の毒なイメージが定着してしまっているが、彼もそこそこの実力者ではあった。
そんな彼を相手にスコアボードに刻まれたゲーム数は4ー1。
試合内容から見ても水色髪少女の方がかなり優勢のようだ。
「あの女性はコートの後ろで構えて、ボールを一度バウンドさせてから打つことが多いんですね」
「ああ。典型的なストローカーだな。パワーショットよりかは足の速さと手数で勝負をする、守備型のタイプみたいだ」
「足の速さはわかりますが、手数というのは?」
「手数っていうのは打球の種類の多さだよ。力いっぱい速いボールを打つだけでなく、あえて山なりのボールを打つことで緩急をつけているんだ。それに、コースや回転も意図的に複数パターンを操っている。…っとスライスも扱いが上手いな」
「は…はあ」
水色髪少女はストロークで相手を翻弄する。
けれど、相手選手も左右に振り回されながら必死に食らいつくことでラリーが何往復も続く。
こういうラリーが応酬したポイントは、たった1ポイントであるにも関わらず勝ち取った方に試合の流れが傾いたりするものだ。
右、左、右と深いスピンボールを連打する水色髪少女。相手も負けじと強打で返す。
相手の返球が少しだけ浅いな――――――と思った直後、水色髪少女がスッっと軽くラケットでボールを擦る。
先ほどまでのハイペースな打ち合いから、まるで時間が止まったかのようにボールは緩やかな軌道を描いて相手コートの手前に落ちた。
「「お…おーーーーーー」」
数秒遅れて、俺とノバクは思わず声を漏らした。周りのテニス部員からも同じような感嘆の声が漏れる。
「今のは…… ドロップショットですよね」
「そうだな……」
水色髪少女のドロップショットは別に零式ド〇ップのような必殺ショットという訳ではない。ただ、そのドロップショットに至るまでの過程が見事だったのだ。
速くて深いスピンボールの連発で相手の意識を後方に釘付けにして、そこからのドロップショット。完璧な試合運びだ。
「しかし、相手選手も強打していますが彼女は全て返球しますね。あの足の速さは相当のものですよ」
「確かにな…」
ノバクの言う通り彼女の足の速さは異常だった。とても女子選手の速度とは思えない。
お蝶先輩もそうだったが、この乙女ゲーム世界の女性はたまに男性のトップアスリートのような筋力を発揮する。
もしかしたら、この世界の女性は筋肉の質が男性寄りなのかもしれない。
さすがは乙女ゲーム、乙女は強いというわけか。
「だがなノバク、ボールに追いつけるのは足の速さだけじゃなくて……」
俺が説明しようとする間に再びラリーの応酬が展開された。今度は相手選手が打ち勝ったようで、水色髪少女の返球が少し浅く相手にとってはチャンスボールとなった。
強打を警戒した水色髪少女はベースラインよりも後ろに構える。
その直後、先ほどのお返しとばかりに今度は相手選手がドロップショットを仕掛けた。
―――が、ボールが2回目のバウンドをするより早く、コートの後方にいたはずの水色髪少女がドロップショットに追いつき軽々と返球をしたのだった。
またも周りから驚きの声があがった。
「今のドロップショットに追いつくのは凄すぎませんか? 足が速いのはわかっていましたが、反応速度が尋常ではありませんでしたよ」
「反応…ね」
「相手選手がドロップショットを打つ直前には、既に前に走り出していたような……… おや?」
「気が付いたか?」
そう。水色髪少女は相手選手がドロップショットを打つよりも先に、ドロップショットがくると判断して前に走り出していたのだ。
「つまり、反応がいいわけではなく、ドロップショットがくると予測して動いていたということですか?」
「そうだが、少し違うな」
「……といいますと?」
「相手選手がドロップショットを打つ直前、彼女はわざと立ち位置を後ろに陣取ったんだ。あれは、相手選手にドロップショットを打たせるために、わざと前のスペースを空けていたんだ。
つまり、相手がドロップショットを打つと予測したんじゃなくて、相手がドロップショットを打つように
「そう……だったんですね」
ノバクは思わずといった様子でうなる。
テニスには様々な球種やコースがある。クロス、ストレート、ショートクロス、ロブショット、ドロップショット……。
これらをすべて警戒しながら試合をするのは例えプロでも不可能で、数回ラリーが続くといくつかの球種は意識外へと飛んでしまうのだ。
一つ前のポイントで水色髪少女がドロップショットを決めたのが正にそれだ。相手選手はドロップショットが頭から抜けていたので、実際にドロップショットを打たれても反応することができなかった。
けれど、水色髪少女がドロップショットを打ったことで相手選手は思い出した。
「ああ、そういえばドロップショットなんてあったな」―――と。
そうなると、相手選手はボールを打つたびに「ドロップショット」という選択肢が頭の中をちらつくようになる。
その思考さえも水色髪少女の作戦の内で、今度はドロップショットを打ちたくなるようなシチュエーションを意図的に作り出したのだ。
ここまで丁寧に誘導されると、誰だってドロップショットを打たされてしまうだろう。
「前のポイントを駒にして試合を有利に進める。まるで将棋……じゃなくてチェスだな。このレベルのテニスプレイヤーがまだいたとは、この世界も意外と広いな」
これだけシングルスが上手い水色髪少女は、来週の試合でもシングルスに出場するだろう。
対戦する機会はないだろうが、いいものを見れた。
俺たちは茂みの中で伏せたまま水色髪少女の偵察を続けていた。すると、急に周りの茂みが何者かによってガサッと大きく広げられた。
驚いて振り返ると、そこには190cm近くはありそうな巨漢なオッサンがいた。
短い黒髪に渋い髭、黒のモーニングコートに身を包んでおり、強面の顔で俺たちを見下ろしている。
服装からして誰かの執事だろうか…。それにしても威圧感が凄い。
「お前たち、こんな茂みに隠れて何をやっているんだ。その手に持っているのは双眼鏡か? まさかお前らお嬢のストーカーじゃないだろうな?」
お嬢? ――――おっと。これはまずいぞ。
どうやらこの巨漢なオッサンは、水色髪少女の執事のようだ。
テニスの偵察のためとはいえ、俺たちが茂みに隠れてコソコソと水色髪少女を見ていたのは紛れもない事実だ。
それに、偵察だと言っても信じてはもらえないだろう。なにせ俺もノバクも男だ。男二人で女子テニスの偵察をしていたと言われて、誰が信じるだろうか。
このピンチな状況の中、隣で伏せていたノバクがゆっくりと立ち上がった。ノバクはなぜかすまし顔のまま余裕を滲ませている。
「ストーカーとは随分な言いがかりですね。初対面の人相手に失礼な態度、それに気崩したモーニングコート。どなたの執事かは存じませんが、気を付けた方がよいかと」
「今はお前たちが何者なのかを聞いて――」
「同じ執事としての忠告ですよ。あなたの礼儀がなっていないと、恥をかくのはあなたの大切なお嬢様ですよ?」
そう言い終えるとノバクはうすく口角を上げ、相手を値踏みするように笑う。
な…なにィ!!
コイツやりやがった!!
俺たちは双眼鏡を片手に茂みのなかで女子テニスをじろじろと見ていた。しかも、この学園の敷地には不法侵入しているのだ。
どう考えても俺たちが圧倒的に不利、なにせ疑う余地のない純度100%の不審者なのだから。
それなのにコイツ……謝罪するどろこか逆に攻めやがった!!
「お嬢様の顔に泥を塗りたくないのなら、今のうちに謝られてはいかがですか? なに、私は寛大ですので、主君をストーカー扱いしたことも謝罪があれば水に流しましょう」
本来なら俺たちが謝らなければいけない状況なのに、逆に謝罪を要求しだした。さすがノバクだ!
「お、お前…ッ」
「おや、謝罪はなしですか。仕方ありませんね。これ以上ストーカー扱いされてはたまりませんので帰りましょうか、主君」
ノバクは強引に会話を終わらせると、明後日の方向に向かって歩き出す。
その背中を追いかけるようにしてこの場から逃げようとしていると、今度はつい先ほどまで試合をしていたはずの水色髪少女が現れた。
「なあ、これはどういう状況なんだ?」
「お嬢! いつからここに?」
「ついさっきだよ。シングルスが終ったから今度はダブルスの練習をしようと思ってさ。そしたら、茂みの方でお前のでかい図体が見えたんだよ。なにかもめ事か?」
「ええ。不審者を見つけましたので」
「不審者ぁ?」
水色髪少女は俺たちの顔を順番に見ると、何か思いあたったらしくニカッと歯を光らせた。
「お前、ウィンブル学園のテニス部員だろ?」
「そうですけど……、どうして知ってるんですか?」
「先週、うちの学園に対外試合に来てたじゃねえか。めちゃくちゃテニスが上手い一年がいるなって噂してたんだよ。名前は?」
「圭太です。みんなからはケイって呼ばれてます」
「そうかケイ。アタシはビリーだ。よろしくな」
水色髪少女―――改めビリー先輩は飾りけのない笑顔を見せると、巨漢なオッサンを肘で軽く小突く。
「ところで、うちのカバディが失礼したみたいだな。ああ、カバディってのは本名じゃなくてコイツの愛称だ。カバみたいにでかいからカバディ、覚えやすいだろ? なあカバディ?」
「ウス」
カバディってそれもうスポーツの名前じゃんか。
しかもその返事どこかで聞いたことあるし…。
先ほどかまで俺たちを睨んでいたカバディだったが、ビリー先輩が来てからは一歩下がって俺たちの会話をしかめっ面で聞いていた。
不愛想ではあるが、ビリー先輩の知り合いだとわかり不審者認定は解除されたようだ。
「ところでケイ、うちの学園に来たってことは、もしかして女子に頼まれて偵察をしに来たのか?」
「うげ… バレました?」
別に誰に頼まれたわけでもないのだが、ビリー先輩の言葉に乗っかることにした。俺が女装して試合にでるので偵察してました―――とはさすがに言えない。
「バレたついでに折角なので聞きますが、ビリー先輩はさっきダブルスの練習をするって言ってましたよね。もしかして、来週の団体戦はダブルスで出るんですか?」
「うぇえ! アタシ、ダブルスって言っちまってたか?」
ビリー先輩は明らかに動揺していた。
これは……、もしビリー先輩がダブルスで出場すれば、俺はテニス歴一週間のノバクを連れてビリー先輩と戦うことになる。それは非常にマズイ。
「まあ、その、なんだ。アタシがどっちに出るかは当日のお楽しみだ。その方が楽しいだろ? なあカバディ」
「ウス」
ビリー先輩はそう言って話を切り上げた。
俺は心底、今日偵察に来ていてよかったと思えた。他の女子部員を想定して練習していたのでは、ビリー先輩を相手に勝つことは不可能だっただろう。
彼女ほどの実力者がいることを事前に知れたのは幸いだ。
残りの一週間、最悪の事態に備えてビリー先輩が相手になる前提で特訓をしよう。
「じゃあ、アタシらは練習に戻るわ。今年は絶対にローラン学園が勝つ!! ―――そうマーガレットに伝えといてくれ」
「わかりました!」
そう元気よく返事をして、俺たちはビリー先輩たちと別れた。
……ところで、マーガレットって誰だっけ?