「よっ!」
逆手に握り回した槍を振り下ろせば、足元で濃緑色の怪物が血の華を咲かせる。これで十匹、ピッタリだ。だがしかし、ゴブリンは一匹いれば十匹いると云われ、前世のGを関するあの虫のような扱いを受けている。
顔を上げて、周囲を警戒する。
林の中。視界も悪いし、小柄なゴブリンたちを相手取るには不利な場所だ。槍も枝やら茂みに引っかかるし。転がってるゴブリンたちは頭を潰して、未だ痙攣しているものもいる。連中の生命力の高さには驚かされるばかりだ。だって四肢を落としたとしても歯ガチガチ鳴らすし。怖ぇよ。
ま、何はともあれ、だ。
他に敵の気配もないし、森は静まり返っている。
「試験達成、だな。
ふーっ、頑張ったよなあ、俺」
槍を地面に突き刺して、その腕で額の汗を拭う。
べっとりとした汗がじんわりとして、気分が悪い。それからゴブリンたちの血と死臭が酷くなってきた。さっさと帰って浴場に行きたい。
とはいえ、やるべきことはまだこれから。
腰を下ろして、頭を潰され痙攣するゴブリンに向かう。腰の鞘からナイフを抜き、ゴブリンの腕を持ち上げ、他の指より短い小指を切り落とす。これが十本で討伐の証になる。
そして、他のゴブリンの指も持っていこうと立ち上がった、その時。
──────わぁあぁぁぁぁぁぁ!!
「ん? なんだ?」
絶叫。そして何か大きな音が、一帯に響き渡る。
がたがたばきばきと、木々の折れるような音に、土を滑って行くような、何かを引き摺るような音。
これは……行った方がいいよな?
多分、聞こえた音もそう遠くはないだろう。
だが試験もあるし……いや、これも試験の一環か?
「………行くかぁ」
ナイフを納め槍を引き抜き、音のした方向に走り出す。
この世界は、魔物や魔法が存在し、また文明も前世と大きく違っているようだ。例を上げるのなら、魔石と呼ばれる石にそれぞれの魔力を込めることで火を起こしたり、水を出し、光を放ったりと、様々なことが出来る。
そんな世界で、俺は冒険者を目指すことにした。
冒険者というのは、所謂〝何でも屋〟だ。発注された依頼を受注し、魔物の討伐から迷子探しまで、それらを仕事としてこなして報酬を貰う、というものだ。依頼によっては危険なものもあり、特に魔物の討伐を行うには、冒険者組合の出す試験を通過することで受けられる資格が必要なのだ。
討伐依頼は命の危険こそあるが、一攫千金の仕事が多い。
俺もそれを狙ったもので、今回はゴブリン十匹を討伐する、という試験を受けているところ、だったのだが………
「っ、はっ、はっ、はっ……!」
槍を手に茂みを掻き分けて、林を走り抜ける。
あぁチクショウ、どうせ先輩たちも来てるんだからそっちに任せても良いだろうに! 格好つけて出しゃばって、それで良いことがあったか!? 自分がちょっとやれるからって、それで調子に乗ってるんじゃないのか!?
いや、いや、いや。
一番近い場所にいたのは恐らく俺だけだ。先輩たちは緊急時以外は林に入ってこないと言っていた。恐らく聞いているが来るには少し遅れるはずだ。この林には先のゴブリンに加え大蜘蛛の魔物までいると言っていた。先輩の話では、人間も越えるような巨大な大蜘蛛もいる、そいつに出会したらすぐ逃げて叫べと言っていた。今の絶叫は、恐らくその蜘蛛らも聞こえているはず。なら余計に危険で………!
「……!」
考えながら走っていると、木々を抜ける。
枯れた川の跡、小さな渓谷。
その奥に、先の音をあげたものが転がっていた。
獣車だ。走獣という、巨大な鼬のような魔物が引くそれが、
そこに横転している。問題なのは………
それを取り囲む、大量のゴブリン。
そして、その高さだけで膝まであるだろう白い斑模様のある巨大な蜘蛛たち。
走獣が必死に抵抗しているが、襲いかかるゴブリンと蜘蛛の物量に押されて、今この瞬間に、その全身が見えなくなる。覆い隠す魔物たちの隙間から噴き出す、鮮血。
その周りではゴブリンと蜘蛛による獲物の取り合いまでもが始まって、まさに地獄絵図という様相だ。そして………
獣車の御者席で、護身用だろう短剣を魔物たちに突きつける小太りの男がいた。その男の青い眼が、こちらへ向く。
「クソ……!!」
吐き捨てると同時に、渓谷の中へ坂を走り出す。
絶叫の主がまだ生きている。最低だが、死んでくれていたら諦めがついていた。あれはもう助かるはずもないと、諦めて引き下がるしかなかった。けど。
あの男と、目が合ってしまった。
握る槍を右手に構え、坂の途中で強く踏み込む。
跳ぶ。
獣車までは行かずとも、それまでの距離を大幅に短縮して、ゴブリンと蜘蛛たちが群がる中央へ。
槍を頭上に振り上げて、ゴブリンに組み付く蜘蛛に向かって投げつける。風を切って飛翔する大槍が、その二匹を潰して地面に血飛沫を撒き散らして突き立てられる。
その傍に着地し、槍を引き抜いて構え直す。
「邪魔だ……!!」
人の丈を越える大槍を振り回し、その重さと遠心力で魔物を弾き飛ばす。そして、そのまま一直線に馬車へ走り出す。
その御者の男が、俺を見て目尻と頬が緩んだ。
瞬間。
その喉笛に、飛び出した蜘蛛の顎が突き刺さった。
「……っ………」
ほら、見たことか。
結局は、無駄だったのに。
即死したであろう、その表情を見ずに済んだのは、不幸中の幸いと言うべきか。蜘蛛たちが我先にと群がり、御者の体を解体していく。ゴブリンたちも遅れてそれに走り出し、また彼らの戦いが始まってしまった。
肉の裂かれる音が、骨を砕かれる音が、耳を突く。
「………いや」
獣車の中は?
魔物どもはまだ馬車の中までは入っていない、まだ中に誰か残っている可能性はある。こちらへ飛びかかってくる蜘蛛とゴブリンを槍で貫き斬り、馬車へ向かって走り出す。
俺を最も優先して殺すべき敵と認識したらしい魔物どもが、戦いをやめてこちらに迫ってくる。
地形は先の林よりずっといい。
枯れた渓谷、地形は平ら。槍を振り回し、その刃と長い柄で叩き伏せていく。
「げぎゃあっ!!」
「ほ、っ」
足元を払い周囲を一掃するも、それを飛び越えたゴブリンが握っているナイフを振り上げてくる。あの御者が握っていたものを奪ったらしい。足を止めずに槍を手の中で回し、その頭蓋を貫いて絶命させる。こぼれ落ちたナイフを奪い取り、その柄を口に咥える。遺品の一つでも、こいつらに渡すのは忍びない。貰っていこう。
そのままゴブリンの死体を引っ提げた槍を振るい、蜘蛛らを踏み潰して御者席に飛び乗る。
もう、男は死体すら残っていない。そこにあるのは広がった血痕だけで、ゴブリンも蜘蛛も俺を狙って馬車へ這い上がり向かってくる。それを横目に、獣車の扉を蹴り開ける。
「……!」
獣車の中は、酷い有り様だった。
恐らく頭を打ったのだろう、血溜まりに沈んで動かない男、そして、備え付けてあるのだろう鉄の牢があった。
………そこに、女の子がいた。
この世界でも珍しい銀色の髪、細く痩せており、うっすらと開いた黄金の瞳が、こちらを捉える。濁ったその眼は、ただ何の感情もなく俺を見つめている。
すぐにそこへ駆け寄り、鉄格子の鍵穴を狙い強く槍の柄尻を叩きつける。
「!」
女の子はそれに目を大きく見開く。
耳障りな金属音が響き渡り、同時にへしゃげた鉄格子の鍵が高い音を上げて開いた。片手に咥えていたナイフを槍を握る手に握って、怯えるように一歩下がった彼女へ、空いた手を差し出す。
「逃げるぞ」
「っ……? あっ……!?」
彼女は一瞬の躊躇を見せ、手をびくびくと差し出す。
その腕を強引に掴み、こちらに引き寄せて、腹に腕を回して小脇に抱える。
「!? !?」
「外は魔物だらけで…………
いや、話は後だ。連れてくぞ」
そこで、抵抗のつもりかモゾモゾ動く女の子の頭に、銀色の獣耳があることに気が付く。獣人だったのか。まあそれこそ今はどうでも良いこと、とにかくここから脱出しなければ。
ナイフを腰のベルトに挟み、彼女を抱えたまま外に出る。
当然、そこでは大量の魔物が待ち構えている………
と、思っていたが。
「……! ナイスタイミングだ、
中まで魔物が来なかったのはそういうことか」
「ーーー!?」
魔物たちは、獣車からは目を離していた。
そして、奴等が集まっていく場所には…………
「うぅおぉおおおおぉおぉっ!!」
野太い気合いの声と共に、強烈な土煙が上がる。
それと同時に舞い上がる血飛沫と魔物の肉塊の数々はまさに圧巻と云うべき一撃。人の丈ほどもある大剣を軽々と振るい魔物たちを屠ったのは、長身に筋骨隆々、黒肌の男。
「せりゃあっ!」
そしてその近くで、両手の斧を振り回して魔物たちを確実に蹴散らし数を減らしていく女も戦っている。
………いや、戦いというよりも、ただの無双だが。
一度大剣が振るわれれば、地面を抉り抜くほど広範囲に。
一度双斧が振るわれれば、確実かつ的確に。
二人の男女が、魔物たちを殲滅していく。
「先輩!!」
遠くにいる二人に聞こえるよう、叫ぶ。
それに二人も顔を上げ、俺を見るとその頬に笑みを浮かべ、周囲の怯む魔物たちを一掃してこちらに視線を送る。
「おうナイン、無事だったか!?」
「俺は問題ありません……けど!
生き残りを見つけました!!
数が多すぎる、一度退きましょう!!」
「生き残り……! そう、ベルガ!」
「あぁ、ここは任せとけ。お前はナインを頼む。
合流は林の外にある王都の見える丘でいいな?」
「分かったわ、よろしく」
双斧を握る女がこちらに走ってくる。
俺は渓谷を抜けるため、片手に槍を握り直し、少女を小脇に走り出す。こちらは手薄、とはいえ新手の蜘蛛がどこからか這い出してくる。
これだけの数。まともに相手をすれば物量で押され、いつか生きたまま肉を食い破られることになるだろう。この距離、先輩が来るよりも、それはずっと早いうちに訪れる結末だ。
だが。
まともに相手してやる必要などない。
「邪魔だ……!!」
槍先を地面に擦り付け、魔力を槍先の刃に集中させる。
「灰になれ!!!」
強い炎を纏った槍を、横一閃に振り払う。
その槍の動きに合わせ、巨大な火炎の津波が渓谷の蜘蛛らを呑み込んでいき、渓谷の一帯から、魔物の形跡を一つ残らず焼き尽くす。
火の魔力付与、そして付与した魔力の解放。
込めた瞬間に魔力を爆発させ、一気に焼き払った。
頭も燃費も効率も悪すぎる魔力の使い方。
今の一撃で大半の魔物は消し飛ばしたが、肝心の自分に使う魔力も殆ど消し飛んだ。後は身体に回す分しか残ってないがそれで十分、あとは自然回復を待てば良い。
「……っ」
一瞬、意識が遠退く。
魔力の急激な消費によるものだ。なんとか倒れそうになった身体を、握る槍を杖代わりに地面に突き立て、それに身体を預けて立ち止まる。
全身から冷たい汗が噴き出す。
強烈な吐き気と眩暈。
左手に力を込め、鳩尾を殴り付ける。
「っ、おぶ、っぇえ……っ……!!」
嘔吐。
赤黒いそれが渓谷の土と靴を染めていく。だがこれで少しは吐き気はマシになった。槍に体を預けながら、腕に力を込めバランスを保ち、体幹を思い出す。揺らぎ震える視界を腕で擦って、薄暗い靄を削り取っていく。
少しは、良い。
悉く焼き尽くされた渓谷の黒ずんだ土に踏み出し、ふらつく足を進めていく。次第に、少しずつ、早く、足を踏み出す。
走る。
「は、ぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
─────
────────
「……ふ、ぃぃい……!」
林を抜け、そのまま丘を上がって、その場に腰を下ろした。情けない声が漏れ、足に力が入らない。追撃の気配もなく、握っていた槍も横たえて、またもや襲ってきた眩暈に、強く目蓋を閉じる。そうして目を開けば、後ろで足音が止まる。
振り向けば、片手に斧を、そして片手にはあの獣人の少女を担いだ、茶髪に黒眼、長身の女性が俺を見下ろしていた。
「助かりました、ルーズ先輩……」
「はっ、全く無茶ばかりするね、ナイン君は」
「あの場での最善手を選んだつもりですけどね。
お陰様で何とかその子、助けられましたし。
……まあ、一人は見殺しにしちゃいましたけど」
「………あの場じゃ仕方ないよ。
私たちが来るのが遅れたせいでもある」
笑う俺に、ルーズ先輩は目を逸らして言う。
……俺だって、人の死を見たことがないワケじゃない。
でも、あと少しだった。あと少し、あの林の中で躊躇わず、もっと早くあの渓谷に辿り着けていれば。
………まあ、仕方ないと思うしかない。
別に仕事でもないのだ。生存者も一人確保できたことだし、今どうこう考えたところで意味もない。
そこで、ルーズ先輩が丘の芝生に寝かせた獣人の少女が全く動かないことに気が付く。
「その子、動きませんけど死にました?」
「いや、息はあるよ。
気絶したみたいだね、かなり衰弱してるし……
しかし、よく助けられたよ、あの状況で」
「ギリギリでした。
まぁ、多分拐われてきたんですかね。
牢に入ってましたし」
「……奴隷商の仕入れだろうね。
そう考えれば少しは楽になるんじゃない?」
「……………」
悪行の報い、そんな風には考えたくないが。
奴隷の所持は王国法で禁止されている。だが、未だ貴族らが闇市から奴隷の売買をしている、なんて噂もある。当然だが貴族も王国法で取り締まる対象なので、それも違法行為だ。
全く、世の中どこも変わらない。
偉くなると違法だろうが構わず法を犯す人間性になるのか、最近も貴族院の一人が奴隷所持で身分と財産を剥奪された、という話も聞いた。前世でも薬やら裏金やら、やはり政治は法律への考えが緩くなるらしい。
まぁ、気が滅入ることばかり考えても仕方ない。
そう思ったとき、後ろからまた新たに足音が聞こえてくる。振り返れば、そこに黒肌の大男、ベルガ先輩が丘を上がってこっちに歩いてくる。
「ふうっ、無事か、お前ら」
「お疲れ様、ベルガ。助かったわ」
「助かりました、ありがとうございます」
「へっ、良いってことよ。
それより……そいつ、獣人か? 珍しいな」
ベルガ先輩は寝かせられた少女を見下ろしてそう言い、目を細める。珍しい、というのは獣人の多くは住んでいる場所を離れず、また排他的な種族だからだ。奴隷制が敷かれ、また五十年ほど前の大戦乱期に奴隷として多くの種族に拐われ、その数を大きく減らしたのが原因だろうと言われている。
恐らくこいつも拐われてきたのだろう。
さて、どうしたものだろうか。
「……物好きな貴族に売り付ければ金になるか?」
「お前……」「あなた……」
「冗談ですよ」
半分は本気だが。
声が重なる先輩二人のドン引きしたような声にすぐ弁明し、立ち上がる。腰のポーチから布を取り出して、それで穂先の血と土を拭き取る。
「でもまあ、王都でも長くはないでしょうね。
最近は人攫いが多いですし、獣人は格好の的ですよ」
「おめぇの冗談は笑えねぇが……そうかもな」
「そう、ね……」
俺の言葉に、二人も腕を組んで考え込む。
俺たちの住む王都では人攫い事件が何度も起きており、特に獣人となればすぐに噂も立って狙われることになるだろう。保護したところで同じだ。俺だって守りきれる自信がない。
俺も考え込んでいると、ルーズ先輩が顔を上げた。
「ねえ、ナイン」
「なんすか」
「あなた、貴族の友達がいたでしょ?
ほら、あの赤髪の子」
「あぁそうか!
確かにあいつのとこなら安全ですね!」
俺もその提案に手を打つ。
小さい時からの友達が上流貴族、それも貴族院の一員がいる家なのだが、確かにそこなら警備も厳重で人攫いを心配する必要はないだろう。それに、あいつはかなりのお人好しだ。獣人の女の子が死にかけていると知れば自分からでも助けを受け入れてくれるだろう。
「んん、アテがあんのか?」
「はい。貴族院にも入っている家ですから、
あそこなら、間違いなく身の安全は保証できます」
「お前すげぇな……そんな貴族様と友達って……」
「火の魔法もあいつに教えて貰いましたしね。
まぁ、王都に来た前後に色々とありまして」
そう言うと、大抵の人は羨ましがる。
そりゃそうだ。貴族の権力は弱まってきているといえども、貴族であるというだけで、平民との扱いは天地の差がある。とはいえ、貴族も貴族で色々と大変らしい。俺もそれは身を以て感じることになったのだが……
「羨ましいわね、貴族とのコネか……」
「なぁナイン、俺たちにも紹介してくれよ?
ちょっとメシに付き合って貰うだけで………」
「一緒に貴族のゴタゴタに巻き込まれてみます?」
「え、遠慮しとくわ……」「じょ、冗談じゃねぇ……」
笑顔で言うと、二人は青ざめた顔で引き下がる。
当然だ。貴族は家にもよるのだが、血縁同士の暗殺や決闘が日常という家もあると聞く。実際に件の友達の貴族も、まだ小さい頃に命を狙われたことがあった。
外見こそ美しく、そして華美でこそある。
だが、その足元と影は、常に誰かの血で染まっているのだ。そんなものに巻き込まれては、命が幾つあっても足りない。
槍の汚れを拭き取り、丘から見える、城壁に囲まれた巨大な城へ視線を移す。
「今日はありがとうございました。
試験どころじゃないですし、帰りましょうか」
沈み始めた夕陽。
異世界の空も前世と同じように、青から茜へ変わり行く。
今日も、異世界の空は青かった。