今日もまた、異世界の空は青い。   作:青い灰

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序章 王都にて
1話 異世界生活と最高の狼毛


 

 

 

 

差し込んできた陽の光に、顔を上げる。

 

磨き上げた矛先が、その光を反射してキラリと輝く。鋭利に研ぎ澄ましたそれは、熱に強い黒魔鉱の刃だ。並の岩ならば容易く斬り穿つ威力を持つそれを、更に研ぎ澄ましておく。その理由はいつ戦いになるか分からない、というのが一番。

 

王都の街中でも、王都の外でも、この家でも。

前世のように、安全な場所と安心することは出来ない。

 

 

……それはともかく、休養は大切である。

 

 

「~!」

 

 

腰かけていたベッドから立ち上がり、軽く伸びをする。槍の矛先を革の鞘に納め、砥石と拭布を机に直しておく。

 

寝間着から普段着に着替え、着ていた寝間着と槍を手にして家を出る。家、といっても一室だけの小屋みたいなものだが俺が家だと言っているから家なのである。

 

 

「……んん」

 

 

家から出れば、巨大な壁の上から顔を出した光輪の光に目が眩む。この世界では、太陽の代わりにあれが明るくなったり暗くなったりして昼夜を作っている。天輪、と呼ばれているが、その正体は未だ分かっていない。まぁ、分からなくても日々に支障はない。たまーに欠けたりして不吉の象徴だとか言われている。

 

さて。

天輪はともかく、まず洗濯だ。近くの川へ向かい、畑沿いに畦道を進んでいく。

 

王都郊外。基本的に畑や畜産をしている場所だ。

ギリギリ王国法が適用される境目であり、ここから壁の外は無法地帯ということで、ごくまれに盗賊が現れたりもする。そういう奴をボコボコにして騎士団に引き渡せば金も貰えて気分もハッピーになれる。

 

川を進んでいけば、小さな池に辿り着く。

音を立てて小屋の水車が回っており、そこの扉を開けると、広げられた藁の束の上に、白髪の少年のような少女のような見た目が完全に男と女の境目にある子供が眠っていた。

 

 

「……いつ見てもどっちか分かんねぇな……」

 

 

大きく開かれた股と胸を見ながら呟き、まっ平らなのを見て呟く。ここで脱がせるほど性欲に狂ってるワケでもないが、知り合ってもう二月になる。性欲より好奇心が止まらない。未知への憧れが止められない。

 

とはいえ。

好奇心と倫理の狭間にいつまでも囚われていても仕方ない。聞くのもなんだか恐ろしいし、暴いてはいけない、もしくは知るべきでない秘密もあるのだろう。

 

俺は好奇心を抑えつつ、その横を抜けて水車の回る場所へ。桶に寝間着を入れ、声をかける。

 

 

「クルス、起きろ。

 もう天輪が昇ってきたぞ」

 

「……んぅ、んー……ん……」

 

「洗濯物はあるかー?」

 

「……すいしゃの……すみに、あるやつ……」

 

「水車の隅……あぁこれか、やっとくぞ」

 

「おね、がい……しまぅ………」

 

 

言われた通り、水車の隅に服が何着か置かれていた。それを拾って桶に入れ、水車の傍に座り込む。足を水につければ、ひんやりとして気持ちがいい。桶を水に浸し、衣類を纏めて洗っていく。クルスの服は男物ではあるのだが、これも奴が自分で選んだものだ。性自認は男なのだろうか。いや、だが多少は洒落た服を選んでいると思う。……どっちだ?

 

 

「ふぁ……おはよう、ございます……」

 

 

大きな欠伸と、寝惚けた朝の挨拶が聞こえてくる。

振り向けば、目を擦りながら積み藁のベッドの上でクルスが起き上がったところだった。

 

 

「おはよう。朝は組合でいいか?

 嫌なら作るけど」

 

「大丈夫、です……ふぁ…あ……」

 

「その寝起きはともかく……

 気持ち良さそうに寝るよな、お前」

 

「……んぅ? そうですか……?」

 

「羨ましいよ」

 

「へへぇ、ありがとうございます……」

 

 

にへら、と砕けた笑顔。クルスは俺の近くに歩いてくると、俺と同じように水場に腰を降ろして足を浸ける。と。

 

 

「っ冷たっ!!?」

 

 

クルスは水飛沫をあげて浸けた足を振り上げる。

水飛沫がこちらにも飛んでくる。冷たい。クルスの真っ白で細い足は産毛すらなく、まるでシルクのような肌色。だが、そのせいか全くと言っていいくらい色気もない。

 

 

「目も覚めたろ」

 

「う、うん……冷たくないです? 水」

 

「丁度いいくらいだ」

 

「えぇ……」

 

「肉が付いてねぇからだろ、もっと食え」

 

「でもすぐお腹一杯になるんですもん」

 

 

クルスはそう言い、パチャパチャと足で水を叩いてこちらへ顔を向けてくる。細められた深い青の瞳と目が合う。水より濃い青は、だが一切の淀みなく澄んでいた。

思えば初めて会ったときも痩せ細っていたが、それにしても食が細い。だというのにあの時は餓死しかけていたのだから分からないものだ。何日飲まず食わずだったのか。

 

 

「昨日は朝夕は一緒だったけど、三食とったのか?」

 

「はい、慣れてきました。

 昨日の昼はパンとスープまで食べられましたよ!」

 

「……まぁ量は少しずつ増やせばいいな」

 

 

パンとスープ、といってもスープは皿の半分程度だろう。

とはいえ少しずつ食べられる量が増えてるのは良いことだ。洗い物を終え、桶の水を流して立ち上がる。クルスもそれに合わせて立ち上がり、桶の濡れた服を取った。

 

 

「その調子だ……けど、無理しない程度に食えよ」

 

「はいっ」

 

 

そう元気な返事をするクルスと一緒に、小屋の上に張られた縄に洗濯物を掛けていく。先日の戦闘で服が一着とズボンも血で駄目になってしまった。染み付いた血は中々取れない、これは新しく買いに行くべきだろう。

……そういえば、昨日といえば。

 

 

「昨日はどうだった?

 組合に仕事受けに行ったんだろ」

 

「あっ! そうですね、王都に初めて来たっていう

 行商人から王都の簡単な案内の依頼でした!」

 

「へえ、行商の……

 それで、どうだった?」

 

 

目を輝かせ言うクルスに聞くと、クルスは思い出したように突然目を逸らし、引きつった笑みを浮かべた。それから目をぎゅっと瞑る様子は、小さい子供のようで可愛らしい。

 

 

「えぇ、っと……ボクも、迷ってしまって。

 町の人たちに聞きながら、行商人さんと一緒に

 色んなところを回る羽目になっちゃいまして…….」

 

「っはは、そうか。

 まあ失敗は誰にでもあるだろ」

 

「はい……行商人さんからも言われました。

 あっ!でも、襲ってきたチンピラは

 一人残らずブッ飛ばしてやりましたよ!

 行商人さんからも褒めて貰えました!」

 

「………そうか。よくやったな」

 

 

残念でもないが、そのチンピラたちは無事ではないだろう。

南無三。

今度は俺が引きつった笑みを浮かべる羽目になり、再び目を輝かせるクルスの白髪をくしゃくしゃ撫でる。

 

 

「~♪︎」

 

 

喉を鳴らして撫でられるのは猫のようだ。

すると、ハッとしたようにクルスは顔を上げる。それに手を引き、様子を見る。嫌がられたのだろうか。

 

 

「あの、ナイン、それの報酬なんですが……」

 

「あぁ」

 

「金貨4枚と銀貨が10枚で……」

 

「……随分と貰ったな」

 

 

金貨は前世で日本円換算で大体五千円くらいだった。それを四枚、あと千円程度の銀貨を十枚ということは………

町を案内するだけで三万も稼いだ、ということになる。まぁ道中もそれなりに色々とあったのだろうが、かなり金持ちの行商人だったようだ。

 

 

「金貨は盗人退治のお礼だとかで……

 こんなに貰って良かったんでしょうか?」

 

「別に良いんじゃないか?

 依頼内容から外れた仕事をすることになったなら

 それ相応の報酬を要求すべきだと思うが」

 

「………確かに、言われてみればそうですね」

 

「金にならない労働は無駄だからな」

 

 

最後の服を干し終えて、首をゴキゴキ鳴らす。

他愛もない話はここまでにしよう。そろそろ腹も減る頃だ。洗濯物を全て干したのを確認し、肩を回す。前世よりずっと体力もついたが、やはり腕を上げていると疲れるものだ。

 

 

「さて、行くか。城下まで歩けば腹も減るだろ」

 

「はいっ、行きましょう」

 

 

 

 

 

 

────────

──────

 

 

 

 

 

異世界に来て、18年。

すっかり一人での生活と仕事にも慣れて、こうして安定した生活も出来るようになってきた。王都での暮らしは元々いた小さな村とも、勿論前世での生活とも違うものだが、それも少しずつ慣れてきている。

 

まあ、冒険者という職がハイリスク、ハイリターンであり、そしてそれが俺の性に合っているから、というのもある。

好きな仕事を選び、それで稼ぐというのは中々にやり甲斐もあり、そして多少我慢すればこの世界では高価なものである本なんかも買えるのだ。

 

それに、親交のある人たちのお陰で戦闘技術も身に付いた。対人での修練のため対魔物より対人の方が得意ではあるが、それでも、魔物についての学びを深めればそれも力になる。やはり困った時は暴力だ。大抵の状況ならば相手が自分より弱い場合は暴力でなんとかなる。

 

とはいえ、俺も元は現代日本人。

最低限のモラルはあるつもりなのだが、やはり王都も治安は現代日本に及ばないため、一月に一回は必ず拳か槍を構える羽目になる。町中で。

 

 

「ゆ、っ……ゆるじでぐだざい…………」

 

「有り金一つ残らず置いてけ。

 次に同じことがあるようなら……

 そうだな、壁外で生きたまま野犬の餌にしてやる」

 

「は、はぃ、っ……!」

 

「返事しろって言った覚えはねぇよ」

 

「が、ぼおっ!!?」

 

 

足元で転がっている、小汚ない男の腹を蹴りつける。

場所は城下町の正門区、冒険者組合。木造の大きな建物で、その一階は食堂、そして仕事を受けるための受付だ。今日はそこに突然『態度の悪いお客さん』が来て、出された朝食の邪魔をしてきた、というワケだ。

 

それなりに人もいるが、大抵は二日酔いで死にかけだ。

手頃なのがいると思われたか、その『お客さん』は迷惑にもクルスと食事中の俺に掴みかかってきた。何か言っていたが槍の柄尻で何度か腹と頭を殴ってやると大人しくなった。

 

 

「とっとと有り金出せっつってんだ。

 お前みたいなのに使う時間で朝餉が冷めるんだよ。

 時は金なり、って云う言葉があってな?

 お前に使った相応の時間を金で返して貰おうか」

 

「がほ、っ、げお、っ……」

 

 

そう捲し立てれば、『お客さん』は咳き込みながらも必死に懐をまさぐってみる、が。

 

 

……一つ。

 

……二つ。

 

……三つ。

 

 

「ぉがね、ない、ぇす」

 

「はあ?」

 

「が、っ!!?」

 

 

今度は頭を蹴り飛ばし、組合の入口の壁に叩きつける。

こいつが小綺麗な女なら身体で払わせるところだが、しかし男だ。それに加え、三秒待ってやったというのに彼はお金を持っていないと嘘を言ったのだ。

 

 

「……呆れた。本当に時間の無駄じゃねぇか。

 どうしてくれるんだ?」

 

「ぁ、ぇ……」

 

「あーあァ、困ったな……ちょっと─────」

 

 

『お客さん』は、頭から血を流して意識を失くしたようだ。ここで死なれても困る。振り向きパンを齧っているクルスに外に出てくる旨を伝えようとして……

 

一階の全ての視線が、俺に向かっているのに気付く。

さっきの蹴りで起こしたのだろうか、二日酔いの連中も酷い目でこちらを見ている。我関せずと仕事を探していた連中も同様で、掲示板に向かっていた視線が俺に来ていた。

 

クルスだけは、椅子に座って小さくパンを齧り続けている。

 

 

「……はぁ、クルス」

 

「なんですか?」

 

「俺の朝食、置いといてくれ」

 

「分かりました、それお願いしますね。

 ボクは先にお仕事探して行ってきます」

 

「あぁ」

 

 

男の首元の服を掴み、冒険者組合の外に引きずり出す。今は大体七時頃だろう、空は茜色が差し込んでいて、けれどまだ動き始めるほどの時間帯ではない。それに、そろそろ寒期に入る。寒くなり始めたくらいで、まだ長袖に変えるほどでもない気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気を失った男を、組合から少し離れた大通りの脇、路地裏に投げ入れる。王都の正門区は人通りは多いが、だが路地裏は王城のある中央区以外は治安が悪い。騎士団も巡回に回るがその時間も決まっているため、入る時間を間違えると、まぁ酷い結末を迎えることになるだろう。

 

 

「………」

 

 

こいつらは、王国法で定められた王国民ではない。

まともな職に就けず、就こうとしたが失敗した、そういった連中の集まりである裏路地の住人たち。だが、多分どこかにこいつらを纏めている者がいるのだろう。世界からあぶれた彼らにも規則があるようで、襲ってくるようなことは、本来ないはずなのだ。だが彼はその規則すらも破ってしまった。

 

 

裏路地を離れると同時に、足音が複数聞こえてきた。

 

石畳を引き摺られる音。

 

 

何が起こるかは、知らなくてもいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……いや、アレですよ。

 あぁして脅せば、二度としないでしょう?」

 

 

すっかり冷めてしまった朝食を終え、俺は受付に弁明する。対する受付のおじさんは、おっかなびっくりと言った様子で引きつった苦笑いを浮かべている。

これでも組合ではそれなりに優等生の振りをしてきたのに、今回の件でそれが露呈してしまった。だってあの野郎、俺の朝ごはん床にぶちまけやがったし。元日本人として、大切なご飯を無駄にするのは絶対に赦せないことだし……

 

 

「……ナイン、あぁいうのは控えた方がいいと思うぞ。

 いや控えてたんだろうが……」

 

「返す言葉もないっす」

 

「優しい人ほど怒る時は、ってことかねえ」

 

「優しい? 誰がです?」

 

「いや、お前だよ。お前以外誰がいんだ?」

 

「……えっ、その目玉って飾りだったりします?」

 

「言い過ぎだろ……」

 

 

見る目がないにも程があるのでは?

とはいえ、今は。

 

俺は、バーのようになっているカウンターに置かれた一枚の紙、そして、その上に置かれた小さなカードを見下ろして、溜め息をついた。そこには『冒険者組合資格・通過通知』と書かれており、俺の悩みの種そのものが、記してあるもの。

 

 

「外地探査・魔物討伐資格は

 合格だそうだ……が、なんでそんな残念そうなんだ?」

 

「試験のちゃんとした合格が出来てないから、ですよ。

 もう一回試験を受けるべきでは?」

 

 

俺の試験は特別に合格となった。

そういう旨が、紙に書かれている。試験中に発生した事故、そこからの被害者の救出を成功させ、そして試験官の二人の証明によって、この者の試験を合格とする……とのことだ。

 

俺はそれが納得いかない。

『合格したこと』ではなく、『特別に合格になったこと』に納得がいかないのだ。だって本来のゴブリン十体討伐の証を得ずに合格してしまったのだから。

 

しかし、受付のおじさん……

一級冒険者であるレナードさんは、それに呆れたような顔でカウンターに頬杖をつく。

 

 

「別に良いだろ? 事前試験はオレも見てたが、

 お前さん、一級程度の実力は確実にあるぞ。

 あの槍捌きに火の魔法、一体どこで学んだんだ?」

 

「魔法は友人に教えて貰って、槍は独学ですよ。

 多少はその友人と稽古はしましたけど。

 いや、今話してるのは実力の話じゃなくて……」

 

「流れの槍使い!

 いいねぇ、格好いいじゃ────」

 

 

お、殺すか?

 

 

「その目玉、やっぱり飾りみたいですね。

 抉り抜いてみても良いですか?

 きっとよく見えるようになると思うんですよ」

 

「わ、分かった分かった!!

 やめるから槍に手をかけんでくれ、怖ぇよ!」

 

「……」

 

 

背中の槍から手を離す。

まぁこの距離なら腰からナイフを抜いて喉をかっ捌いた方が早いが、何にせよ、脅しは分かりやすい方がいい。それは、俺にとっても、相手にとっても。

 

それにレナードさんも対応してくるだろう。腐っても一級の冒険者、回避されるか防御されるか、少し興味はある。が、流石に王都城下、それも組合の中で殺し合いは駄目だろう。

 

レナードさんは息を吐き、目を瞑る。

そして、顎の薄く切られた髭に手を触れる。

 

 

「……ふぅー……悪かったよ。

 若者を弄りたくなるのはオッサンの悪い癖だ」

 

「………そっすか。

 まあともかく、試験は合格ですか」

 

「そうなるな。まぁ、ともかく依頼を受けてみな。

 依頼をこなしていきゃあ気にならなくなるだろうよ。

 これを持ってな」

 

「んん……そうですね─────」

 

 

と、差し出された資格証を受け取った、その時。

 

 

 

 

 

バタァン!!と組合の入口の扉が強く開け放たれる。

壊れるって。

 

そして、中に入ってきたのは。

 

 

 

 

「ナイン!!! いるかしら!!!」

 

 

 

 

うるっさ。

デカすぎる声を張り上げて、目立つ赤髪に青い眼の女が俺の名を呼んで、づかづかと組合に入ってくる。凛として、また堂々としたよく通るその声音は、大きめの建物である組合の中でもよく響き、またしても泥酔していた呑んだくれたちを叩き起こしていく。

 

そして、その女の後ろに。

 

 

 

 

あのとき助けた、獣人の少女がいた。

 

 

 

 

「今日はお前さん目当ての客が多いな。

 あの赤い髪……ありゃバートリ家のご息女か?

 お前一体何やらかしたんだよ……」

 

「勘弁してくれ……何もしてませんって」

 

 

レナードさんのヤバい奴を見る目から逃げながら、彼女らの元へ視線を向け、少し距離があるが、声をかけることに。

 

 

「シェイラ!」

 

「ナイン!

 あぁ良かった、郊外まで探したわよ!」

 

 

彼女、シェイラは俺を見て頬を緩める。

シェイラが動くより先に彼女の元へ走っていけば、その手に握られた扇を開いて、彼女はニコリと人懐っこい笑みを頬に浮かべた。その笑みに、俺も頬が緩む。

 

 

「家まで来たのか。

 いや、わざわざ悪かったな」

 

「会いたかったわ。

 もう三日も会ってなかったから心配だったのよ」

 

「早いし近い」

 

 

彼女の前で足を止めると、息が届くかどうか、という距離に一歩詰められる。距離感と好感度がバグを起こしてる。

三日前に話しに行ったきりではあるが、それで心配したとか幾らなんでも心配性すぎるだろ。親か?幼馴染みだが。

それに……

 

 

「心配すべきなのはその子じゃないのか?」

 

「いえ、実はそうでもなかったわよ?

 獣人の治癒能力って凄く高いのね、ほら」

 

 

彼女は扇で、先の獣人の少女を指し示す。

みずぼらしい布切れではなく、薄手の服にジャケット、また動きやすそうなスカートの後ろからは、ふわりとした銀色の尻尾が揺れる。また高そうなブーツも履いており、どうやら彼女がこの子を気に入ったことが分かる。

 

そして、その眼からも、濁りが消えていた。

今もまだ痩せているが、僅かに見て取れる肌の血色も良い。彼女は恐る恐る、といった様子で俺の動きを伺っている。

 

 

「ターニャ、この人よ。覚えてるかしら?」

 

「……うん。あの……」

 

 

ターニャ、と呼ばれた彼女は、シェイラの言葉に頷き、その黄金の瞳を再度こちらに向ける、が、その視線は揺れていて落ち着かない様子だ。どうやら警戒されているらしい。

まずその警戒を解くべきだろう、俺はシェイラの隣に立ち、彼女の雰囲気を借りて、頬を緩める。

 

 

「調子はどうだ?」

 

「えっ? あっ……えっと……かなり、良くなった。

 あ、良く、なりました」

 

「敬語はいいよ、楽にしてくれ。

 聞いてるかもしれないけど、俺はナイン。冒険者だ」

 

 

簡単な自己紹介をして、手を差し出す。

彼女は驚いたように目を見開くと、差し出した手に気付き、その手を重ねてきた。出来るだけ刺激しないようにゆっくり握手を交わすと、彼女は一つ、息をついた。

 

そして、俺を見上げて口を開く。

 

 

「……私は、ターニャ。

 助けてくれて、ありがとう、ナイン」

 

 

微かな笑顔。

助けられて良かった。微かに口角が上がった程度の表情だ。けれど確かにそう思えるほどに、優しい笑みだった。

 

 

「ふふ、良かった。

 男の人に慣れないみたいだったけれど、

 やっぱり、あなたは大丈夫みたいね?」

 

「……そうか」

 

 

隣で扇で口元を隠して笑うシェイラの言葉に、思い出す。

あの獣車にいた人攫いだろう男二人、連中が『商品』に手を出すことはなかっただろうが……

 

ターニャと握手をやめて手を離す。

すると、シェイラが口元を隠したまま首を傾げた。

 

 

「それで、ターニャ?

 ナインに会えて、これからどうするの?

 決めているとは言ってたけれど」

 

「うん。あの、ナイン」

 

「? なんだ」

 

 

一瞬、ターニャの視線が揺らぐ。

だがすぐに俺を捉え、その口端を強く結ぶ。

 

そして。

 

 

「私は、あなたに命を助けられた」

 

「あぁ」

 

「だから、私を恩を返さなければいけない」

 

 

気にする必要はない、とは思ったが、黙る。

彼女の思いと覚悟を無駄にしたくはなかった。事実、彼女の眼には強い感情が宿っている。俺が言葉を遮って断るのは、彼女にとっても悪い。だから最後まで聞く。

 

 

「私に、あなたの仕事を手伝わせて」

「断る」

 

 

そして即座に、彼女の言葉を聞き終えて否定する。

ターニャはそれに息を呑み、そして。

 

 

「ちょっと!!?」

 

 

誰よりも先に、外野からシェイラが割り込んできた。怒り、というよりも困惑の方が強いらしく、シェイラは俺にまたも詰め寄ってくる。近い。

 

 

「なんで!?」

 

「なんでもなにも。

 そもそも、お前、身内はいないのか」

 

 

シェイラから、ターニャへ向き直る。

普通に考えれば分かることだ。

 

 

「いる、けど」

 

「帰る家は?」

 

「ある……」

 

「なら、まずはそこに行くべきだ。

 それに……俺の仕事は命に関わるものだ」

 

「………」

 

 

ターニャは苦い顔で、視線を泳がせる。

当然だ。覚悟を無下にされた挙げ句、慣れ始めた人間から、こうして拒絶を叩きつけられている。俺が最低なのはそう。だが、彼女にも彼女を必要とする場所があるはずだ。

 

帰るべき場所が、あるはずだ。

だからこそ、ターニャはこうして迷いを見せている。

 

 

「そこに送ってやるくらいは出来る。

 獣車だったんだ、そう遠くはない距離だろ」

 

「……でも」

 

「恩を返す必要はない。俺はお前を助けて

 それで損はしてない……ワケじゃないが、

 少なくともお前を助けたのは、ただの気紛れだ」

 

「…………」

 

 

それにターニャは俯いた、かと思った瞬間。

 

 

 

「なら」

 

 

 

その言葉と共に、ざわざわとターニャの髪が逆立ち始める。一歩下がり、背中の槍に手を添える。隣のシェイラもまた、俺と同じように口元を隠していた扇を閉じる。

 

バキバキと音を立てて、ターニャの形が変わっていく。

 

 

剥き出された牙が急速に伸び始め、肌から生えた白銀の毛に顔が覆われ、鼻と口が前方に伸びる。

袖から白銀が姿を表し、それが服を飲み込んでいく。すぐにそれが全身を覆い尽くしていき、前のめりになった彼女は、鋭い爪を携えた四肢を床につけて、顔を上げた。

 

 

「グァル、ル……」

 

 

そしてそれは全身を震わせ、唸りを上げる。

 

 

 

 

白銀の狼が、そこにいた。

 

 

 

 

大きな尻尾が揺れ、それは腰を下ろして、顔を上げた。犬の『お座り』の姿勢で、ターニャは、ターニャであった白銀の狼は、その切れ長の黄金の瞳で俺を見上げる。

 

あまりにも衝撃的な光景に、俺は言葉を失っていた。

獣人ってこんなのも出来るのか……

 

 

「獣人を見るのは初めてだけれど……

 獣の姿にもなれるものなのね、驚いたわ」

 

「……役には、立てると思う。

 荷物を運んだりとかは出来るから」

 

「おお、そのままでも喋れるのか……」

 

 

ターニャは特に変化もなく流暢に喋ってみせる。荷物持ちはともかく、これは役に立てますよアピールか。なにか故郷に戻りたくない理由でもあるのだろうか?

 

………。

触ってみてもいいだろうか。多分いいよな……?

ちょっとだけ手を伸ばしかけて、流石に許可は貰うべきだと気付いて手を宙に止める。

 

 

「さ、わって……みてもいいか?」

 

「うん」

 

 

頷き、眼を閉じるターニャ。

そっと手を伸ばし、その頭に触れる。さらさらとしているが柔らかく、そして指でその毛をなぞるように触れればとても心地が良い。いつの間にかもう片方の手もその頬に触れて、両の掌でその頬を上下に撫でる。

 

あぁ、これは………素晴らしいものだ。

 

 

わしゃわしゃ、わしゃわしゃ。

 

 

柔らかな毛は指に触れると形を変え、受け入れるように指の隙間に入り込む。そっと指を押し込めば、深い場所の毛が、それを優しく押し返してくる。

 

心に焼き付いた穴すらも、この一時は癒されるようだ。

あっ首の辺りが特にモフモフだ。しあわせ。

 

 

「………ナイン?」

 

「……………………………………………」

 

「ナイン!」

 

「っ!?」

 

 

シェイラの声に我に返り、慌てて手を離す。

危ない、意識が遠退いていた。恐ろしいモフモフだ。

 

 

「ご、ごめん……助かった」

 

「あなた、目付きが……

 それよりやり過ぎだと思うのだけれど」

 

「怖かった……」

 

「悪い、つい……本当にごめん」

 

 

眼を細めて震えるターニャ。罪悪感が凄い。

いやしかし、あの手触りはとんでもないものだった。恐らく麻薬とかそういう類いの依存性がある。気をつけなければ。そう思い、一歩下がったとき。

 

 

「……ターニャ、私もいいかしら?」

 

「!?」

 

 

お前もか。

シェイラが複雑そうな、だが好奇心に満ちた表情で近寄り、それにターニャがびくりと震える。

 

そして。

 

 

 

ターニャは全身、特に胴を撫で回されることになり、それに再び俺も混ざって、揉みくちゃにされるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

─────

 

────────

 

 

 

 

「そ、それで……結局……どう、するの……?」

 

「俺にはお前が必要だ。これからよろしく頼む」

 

「私もあなたが必要よ、ターニャ。よろしくね」

 

「……………ぅ……ん……」

 

 

獣の姿から人型に戻った後、ターニャは放心状態のままで、そう気力なく頷くのだった。

 

 

 

 

 

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