「………」
歩きながら、頭を抱える。
あんまりにも触り心地の良い狼毛に心を奪われていて正気でなかったとはいえ、勢いのままにターニャの言葉に頷いた。酷すぎる。あれだけ格好つけて彼女を引き留めたというのにチョロ過ぎる結果を自分で招いてしまった。アホか。
「ナイン、なんとなく考えてることは分かるわ。
けど私としては……少し複雑ではあるけど、
嬉しいことだと思ってるの」
獣車の中で揺られながら、シェイラの言葉に顔を上げる。
そういえば恩返しについては彼女も知らなかったようだが、シェイラは最初から賛成のようだった。
顔を上げた先にあるシェイラの表情はどこか憂いを帯びて、そしてその言葉通り、嬉しそうでもあった。その青い双眸を細め、微笑みを湛えている様子からは、そう見て取れる。
「なんでだ」
「あなたは、いつも一人で無茶をするから」
「そんな覚えはな……く、も、ない……が……」
「でしょう?
あの時のことは私たちの問題でもあったけど……
それを背負ってくれたのは、あなただったし」
思い至った過去に俺が狼狽すると、シェイラは俺の隣で眠るターニャを、いや、どこか、遠くを……
俺と同じ過去の一幕を、その青瞳に映しているようで。
…………。
あの時は、どうしようもなかった。
だから彼女と彼に背負わせることは出来なかった。
だから俺が代わりにそれを背負った。
仕方ないことだった。
だから、彼女には気を使って欲しくなかった。けれど、寧ろシェイラはそれをずっと気にしていた。後悔と言い換えてもいいほどに、それは彼女の心に突き刺さって消えない過去の欠片だったのだろう。
「……あなたを一人にしていると、
いつか、突然消えて失くなってしまいそうだから」
「…………」
「冒険者なんてやってるなら尚更。
だから、私はターニャを利用した。酷いわよね」
「…………そうだな」
震えるシェイラの言葉に、最悪の肯定を返す。
要は、俺が消えないか監視をつける、そのためにターニャを利用した、ということだろう。全く貴族の癖に、こいつらは自分を追い込んでばかりだ。そこが良いところでもあって、彼女を彼女足らしめることでもあるのだが。
だからこそ、彼女には事実を突きつけるべきだ。
一つの物事に、ちゃんとケジメをつけていくためにも。
「でも、俺は死ねないし、死ぬつもりはない。
お前たちの前から消えるワケにもいかない。
そう、お前たちと約束したから」
「………うん」
約束は、守るべきものだ。
何があろうと、俺はそれを違えることは出来ない。けれど、彼女はそれでも、恐ろしいのだろう。頷いてはいる。それも俺の言葉にではなく、自らを納得させようとするものだ。
………話題を、変えよう。
過去を語るのは悪いことではないが、暗い話になりがちだ。
「近いうちにアンドルにも会いに行かないとな。
バートリ家は心配性ばかりだし」
「えぇ、兄さんも喜ぶと思うわ。
心配性になったのは主にあなたのせいだけど」
「ぐうの音も出ない」
それに関しては何も言えなくなる。
何にせよ、シェイラはそれに口元を扇で隠して、くすくすと笑う。その笑顔だけでも、彼女らの問題を共に背負い込んだ甲斐があるというもの。それに、俺自身も救われている。
「そういえば……組合から連れ出してしまったわね。
今日も依頼を受けに行くんでしょう?」
「いや、いいよ」
俺とシェイラが撫で回したせいでターニャがダウン、そして狼の姿へ変化するところを組合の大勢に見られ、質問攻めに合う前に組合から逃げ出し、シェイラたちが乗ってきていた獣車に飛び込んだ、という次第だ。シェイラが御者に指示を出していたようだが、どこに向かっているのだろうか。
「今日はのんびり王都を散歩して回ろうかな」
「ご一緒しても?」
「勿論。何なら今日にでも
そのままアンドルに会いに行くのも良いな」
「そうね。お昼は私の家で食べましょうか。
どう? 久しぶりに稽古でも」
「それもいいな……
稽古か、本当に久しぶりだ」
なんだか自然に彼女の家に向かう流れにされた気がするが、まあ良いだろう。そういえば、今日はシェイラの従者の姿を見かけない。彼女にも稽古を手伝って貰ったりしたが……
「そういえば、カトレアは一緒じゃないのか?」
「あぁ、ふふ、そう。
そうね……カトレアはね……」
カトレア。
バートリ家のメイド、執事を束ねていた給仕長であり、昔の俺たち幼馴染みの中で一番年上だった少女。主人でもあった兄妹の命令、もとい趣味で男装をさせられていたが、本人も満更ではなさそうだったのを思い出す。それから、稽古でも一番の強さだった。彼女の振るう短剣を模した短い木刀は、鋭く、かつ、力強く、防ぎきることは困難だった。使い方を教えてもらったりもしたな……
彼女は幼くして給仕長であり、年上の給仕たちを指導したり指示を出していた。そして兄妹とはいつも一緒にいたはず。出掛ける際は彼女が護衛としてつくほどだ。彼女がいない、という事実が、違和感となるほどだ。
彼女に何かあったのだろうか。
しかし焦らすように、笑みを堪えきれないという様子で扇を閉じたシェイラが、遂にその事実を告げた。
「カトレアは、
「はい!!?」
思わず敬語で叫んでしまう。
あれだけアンドルとシェイラの二人が可愛がってたメイドが結婚した!? それを兄妹揃って許したのか!?
叫んだせいで、隣のターニャが唸り声をあげていたが、俺はそれにも気をやる余裕を失くすほど驚いていた。
けれど起こすのも可哀想なので、出来るだけ落ち着いてからシェイラに問いただす。
「だ、誰と?」
「兄さんと!」
「!?!?!?」
あの二人デキてたのか!?
いや、確かに思い返してみれば、アンドルの木製の車椅子を押して俺とシェイラに着いてきては、アンドルの言う感謝に頬を赤らめていたような……いや、だが、結婚した!?
「ふふふっ! その反応が楽しみだったの!
カトレアが告白したのも、つい最近のことだもの」
「カトレアから告白したのか!!?
あの鉄鉱石より頭の硬いカトレアが!?」
「そうみたいなの!!
兄さんの部屋で、二人きりの状況で!!」
「二人きり!?」
「えぇ、給仕のみんなと盗み聞きしてたんだけどね?
流石に告白の言葉までは聞けなくて……でも、
『
そこからね、少ししてから、
兄さんが『僕も同じ気持ちだ』って……!
この先のことは、私たちは無粋だから退散したけど……
語るのは不要にして野暮ってものよね?」
ヤッたのか……
ロマンチックにも程があるだろう、異世界の存在より二人の関係の方がずっとファンタジー、というかラブコメしている気がする。メイドとその主の禁断の恋というやつだ。しかしその禁断の、という部分の枷を取っ払ったのは俺なんだが。
「あなたのお陰でもあるのよ。
バートリの家を縛っていた鎖を引き裂いて、
私たちを、みんなを自由にしてくれた。
カトレアも、兄さんも、きっとそうだから」
「ただ、その鎖が気に入らなかった。
それだけの話だ」
「ふふ。でも、あなたがいなければ今頃、
私と兄さんは何処か知らない家の誰かと、
そしてあの鎖に縛られたままだったでしょうね」
それが気に入らなかったから、鎖を砕いた。
鋭く尖った鎖の破片は今も彼女らを締め付けるが、それでも今俺が見ているシェイラの笑顔は、紛れもない本物だった。それがどうしようもなく眩しく見えて、座席に背中を預けた俺は、一度だけ強く眼を瞑る。
一息おいて、シェイラは告げる。
「ナイン、何度でも言うわ。ありがとう。
私たちは……私は、何があってもあなたの味方。
それを忘れないでね」
穏やかな笑みを浮かべたシェイラは、真っ直ぐに、こちらを見てそう言った。それが、あまりにも真摯なものだから。
だから、ひねくれた問いが腹の底から出てくる。
「………俺がその鎖みたいになってもか?」
「趣味が悪い質問ね。もし、そうなったら……
そうね、あなたを殺して私も死ぬわ」
「お前も大概だな」
「思い出は綺麗なままにしたいもの」
眼を細め、再度扇を開いて口元を隠して笑うシェイラ。
もしそうなったとしたら、彼女に殺されるのも悪くはない。長い付き合いだ、もし死ぬなら彼女の手で。
「窮屈な鳥籠の扉を無理なやり方でこじ開けて、
初めて青空を見るような無知な小鳥に
果実を手渡したのは、他でもないあなたなの。
その責任は取って貰わないとね?」
「相変わらず、
よくもまあ詩的な台詞が出てくるもんだ」
「ロマンチックな気分なの。
一時は歌姫にも憧れたことあるのよ?
そうすれば、あなたの視線が引けるかもって」
「いつにも増して熱烈だな……」
「えぇ、恥ずかしくて死んじゃいそう。
これだけしても、あなたの視線が変わらないから」
…………本当に、長い付き合いだ。
こうも見抜かれるのは、女の勘というやつだろうか。いつも目を逸らしている。眼に映るもの、眼に映らないものから、ずっとずっと、目を逸らして続けている。
焼けつくように寒くて。
凍えるように熱い。
灼熱の中で、冷めていく。
ジリジリと突き刺すような熱と、失われていく命の熱。
忘れることを許さない、死の記憶。
燃え盛る家の中。
血の海に沈みながら、崩れ落ちてきた瓦礫が──────
「ナイン」
その呼ぶ声に、意識を引き戻される。
慌てて思考を回して、いつの間にか俯いていた顔を上げる。シェイラが、こちらを覗き込んでいた。
「なんだ?」
「………ごめんなさい。
あなたが何を見ているかは分からないけれど、
多分、それを……」
「いや、違う。大丈夫だ。
ちょっと……眠くなったんだよ。
ずっと揺られてるもんだから」
「…………」
「気にするな。誰にだって抱えてるものはあるだろ?
それをちょっと思い出したってだけだ。本当に」
背中を流れる冷や汗を悟られないように、弁明する。
シェイラはそれに一つ、息を吐く。
それがどういう意味かは分からないが、彼女はその後、俺を真っ直ぐに見据える。
「……話しては、くれない?」
「話すようなことじゃない」
「それでもよ」
「それでもだ」
「………はぁ」
溜め息。
ジトリとした眼で、シェイラが睨む。同時に、獣車が大きく揺れ、その動きがゆっくりとなっていく。
「………自分のことになると意固地になるわよね。
私の気持ちにも気付いている癖に」
「痛いところを突いてくるな……」
「兄さんとの話を聞いたとき確信したわ。
身内のことになると極端にお人好しになるわよね。
どうするの? 私に加えてターニャまで侍らせて、
一夫多妻の大家でも築くつもりなのかしら」
「よせ。そんなつもりはな────」
「つもりが無くても遅いわよね?
私の家を滅茶苦茶にしたのを忘れたの?
私どころか兄さんにカトレアにまで取り入って、
その挙げ句に家の問題まで解決しておいて?
クルスもそうだし、ターニャだってそうなるわ。
組合の中にだってもう仲が良い先輩もいたわね?
遅かれ早かれ、というかまだ増えるわ。間違いなく」
「………そんな言う……?」
一週回って傷付くのだが。
ていうか先輩たちは先輩たちでお似合いだろ……
早口で捲し立てるシェイラに軽く引きながら、今まで自分のしてきたことを振り返ってみる。確かに、人当たりよく、を心がけて、また手助け出来ることは積極的にやるようにしていたが………そこまで言われるほどではないはずだ。多分。
「それに侍らせるとか取り入ったって……人聞きの悪い」
「確かに言い方は悪かったわね。
でも今はともかく、最初私に近付いてきたときは
貴族との関係性を狙ってのものだと思ってたのよ」
「環境のせいだろ。
貴族としてはその考えの方が正しいんだろうし」
「だとしても、よ。
あなたにとっては取るに足らないことでも、
私からすれば返しきれない恩があるの」
何回その話するんだよ。
それに少しでも言葉を返そうと、どうにか返す答えを考えて口にする。
「こうして一緒にいられるだけで
返して貰ってるようなものだけどな」
「そういうところよ。似合ってないし」
「自分で言ってても恥ずかしかった」
我ながらこんな洒落た台詞は合っていない。
真顔で反撃を食らって結局ダメージを受けたのは俺である。無様すぎるだろ。恥ずかしい。
「すぐ顔に出るから分かりやすいわ。
見てて面白いしね」
「俺の顔なんか見てて面白いか?」
「えぇ、ずっと見てたいわ」
「………やっぱ無理だな、お前に口で勝つのは」
「貴族だもの、これくらいは出来て当然。
今のを誰にでも言ってる訳でもないけれどね」
「よくもまあ恥ずかしげもなく……」
「言葉にしないと伝わらないもの、ね?
あなたが言ったのよ?」
そりゃあ前に言ったが……
ウィンクするシェイラに、俺も口元を隠す。あまりに強い。俺は虚勢と演技で会話しているが、それを上からごり押して好意を伝えてくるのは強すぎる。
それに口ごもっていると、獣車が一際大きく揺れて、そして動きを止めた。ナイスタイミング。窓のカーテンをズラすとそこからは大きな邸宅が見て取れた。……嵌められた。
「……最初からお前の家に連行されてたのかよ」
「それこそ人聞きが悪いわ?
私の家に行くって言ってたじゃないの」
「誘導されてたのか……」
「言い出したのはあなただけれどね。
ふふ、歓迎の準備も出来てるわ。行きましょ」
その言葉と同時に、キャビンの扉が開く。
シェイラが先に階段を無視して飛び降りると、いつ起きたかターニャもそれに続き、俺も立て掛けていた槍を手に、外に出ると、邸宅の門の前に並ぶ三人の給仕、そして扉を開けた御者の男が、一斉に俺たちに頭を下げた。
「おかえりなさいませ、オルシェイラ様。
獣車から飛び降りるのはお控えください」
「別に良いじゃないの。
それよりも出迎えご苦労様。
いつも通り仕事に戻りなさいな」
「承知しました。失礼致します」
受け答えをしていたメイドが先に、それに続いて給仕たちが頭を下げ、それぞれ邸宅に、御者は獣車に戻っていく。
心配の言葉を意にも介さず頬を膨らませたのは一瞬で、扇を開いて口元を隠し、すぐに切り替えて指示を出すシェイラ。この場にあの兄がいれば説教が始まりそうだな、と思いつつ開かれた門へ進んでいくその背中を追う。
「まずは兄さんのところに行く?
それとも先に稽古にする?」
「アンドルは仕事じゃないのか?」
「えぇ、確かこの時間帯は……あら」
そうして彼女が邸宅の扉を開けた、その時。
大広間が目に入った瞬間、シェイラが一歩下がり、腰の剣を抜き放つ。同時に俺も腰から短剣を抜き、前に出る。
そして。
「──、──────っ、っ!!!?」
「随分な歓迎だ」
「────!? っ、っ………!」
腰を落とし、強襲してきた刺客の口元を片手で覆い、片手に握った短剣でその腹部を引き裂く。絶叫が掌に吸い込まれ、短剣を逆手に持ち変えてその背後に回し、そのまま背中から後腹部に三度、素早く短剣を突き立てる。
抱き締めるような形で、そのまま刺客を確認する。
振り下ろされた刺客の刃は空を斬り、刺客は腕の中で力なくこちらに体重を預けてくる。口元を塞いでいた手でナイフを握る腕を掴み、動きを封じる。
給仕の格好に扮していたようだ。
「ターニャ、後ろを警戒しろ!」
「分かった!」
ターニャに指示を飛ばす。
後ろに二人以外の気配はないが、念には念を入れる。
「シェイラ、殺してない。近寄るな」
「……っ、えぇ、分かったわ」
「っ、ぁ、あ、っ……」
完全に力が抜けているのを確認して、後ろに下がって刺客を床に転がす。シェイラが駆け寄るのを止めて、掴んだままの腕からナイフを奪い取る。
給仕の格好をした女は、倒れたまま呻いている。
血が床に広がり、うつ伏せの胸を足で転がして仰向けに。
どうやら、置き土産もないようだ。
シェイラが剣を携えたまま、ゆっくりと女に歩み寄る。
「………一週間前に入ってきたメイドね。
名前は確か、フィルリンデだったかしら」
「…っ……は……っ……く、そ……っ……」
「狙いは私の身柄ね。
誰の命令かは知らないけれど、吐いて貰うわよ」
「………っ……」
女は、そのまま意識を失う。
出血多量のショック症状によるものだろう。腹の傷は深いが治療さえすれば死にはしない。
バタバタと、大広間から、また庭から給仕が集まってくる。駆けつけたある者は口元を手で覆い、またある者は手にしたハタキや箒を構え、またある者は腰を抜かしている。そして最初に、一人の執事がこちらへ駆けつけてくる。
「何事ですか!?」
「刺客よ、騎士団を呼びなさい。
治癒の魔術が使える者は縛った後に最低限の措置を。
自分の身を第一優先にして治療なさい」
「は、はっ!!」
執事は慌てて周りの給仕たちに呼び掛ける。
シェイラは苦い顔で、静かに握っていた剣を納めた。それに俺も握っていた短剣を鞘に納めて、シェイラとターニャから少し距離を取り、そしておずおずとメイドが差し出してきた手拭いを受け取って、血で濡れた服を軽く拭き取る。
シェイラは、申し訳なさそうな顔で頭を下げる。
「ナイン、ごめんなさい。まさかこんな……」
「別にいいよ、それより怪我は?」
「私は無事。あなたも……大丈夫?」
「傷一つない。ターニャ、お前も大丈夫か?」
「………うん」
ターニャも、暗い顔で頷く。
彼女もやるべきことをしていた。
「ごめん、私も動けなかった」
「気にするな。一番場に慣れてるのは俺だ。
それよりお前がいて助かった、
俺が言うより先に後ろに気を使ってくれてたろ」
「………うん」
「無事でなによりだ」
笑いかけ、そう言ったとき。
「シェイラ様!!」
邸宅二階の窓が開き、そこから赤みがかった茶髪の女が顔を出す。その隅からはシェイラと同じ赤髪の男が顔を見せて、二人は血に濡れた俺を、そして、近くにいるシェイラを見て剣呑な表情を驚き、そして安堵の表情へと変える。
「ナイン……!
オルシェイラ様、ご無事ですか!?」
「えぇ、問題ないわ。
カトレア、兄さん、刺客はナインが。
悪いけれど下りてきて貰っていいかしら」
「はい、アンドル様、下へ……!」
窓が閉まり、振り向いたカトレアの姿が見えなくなる。
息をつくシェイラを横目に、俺は奪ったナイフに目をやる。文字通り、包丁そのもの。しかし何かしらの液体を滴らせるそれは、毒だろうか。
「………」
バートリ家は確かに上流貴族だが、命を狙われるほど立場がある訳ではない。寧ろ、最近まで王都から離れており、その立場は少し危ういまである。貴族院の空席を狙う他の貴族が主犯だとすれば、それを狙う理由は十分にある。
確か、貴族院の一席、その者が死亡した場合。
その席は血縁が優先され、基本的には妻子へと移るはずだ。現在のバートリ家の主はシェイラの兄であるアンドルであり貴族院の席は彼にある。
そしてバートリ家はかつて、高名な武家でもあった。
バートリ家には宝剣と共にその剣術、魔法が伝わっており、またそれに仕える家系も独自の武術が継承されている。またそのバートリ家が古くから武勲を上げていることで有名で、大抵の人間はバートリ家が武家であることも知っている。
その家に暗殺者を送り込むとして、相当な手練れでなければ大抵の場合は返り討ちに合う。だとすれば目的がその命とは考え難い。だとすれば狙いは誘拐か。
「………」
だが、狙いはターニャの可能性もある。
銀色の獣人は珍しい。というか、銀の毛色が珍しい。それを狙った可能性も捨てきれない。寧ろそちらの方が大きいか。
アンドルは足が不自由だが、それは世間には知れていない。そして知られたとしても傍にはカトレアがついており、またシェイラは剣を腰に下げ出歩いている。とてもじゃないが、俺ならこの家を狙おうとは思わない。
それに、貴族の家を狙うことはかなりのリスクを伴う。
貴族の家で事件が起きたとなれば騎士団は必ず動き、そしてその主犯が貴族以下の身分であれば間違いなく死罪となる。だが狙いがターニャであれば、貴族に危害がなければ死罪とならずに済むだろう。ターニャは王国民ではないためだ。
だが……だとすればこそ、おかしい。
あの女は毒のナイフを手にしていた。やはり命を……
「ナイン」
「ん……あぁごめん、考え込んでた」
シェイラの言葉に、意識を引き戻される。
顔を上げる。邸宅の裏口から出てきたのだろう、カトレアと彼女が押す車椅子に腰掛けた、赤髪の美丈夫、アンドルが、俺たちの前までやって来たところだった。
アンドルは、俺に手を差し出しながら微笑む。
「二週間振りだね、友よ。
まずは、妹を助けてくれてありがとう。
それから、手酷い歓迎となってしまったね」
「気にするな。友達のためなら当然だ」
それに応じて、俺も手を差し出して握手を交わす。
彼はその笑みを深めると、その表情を真剣なものへ。
その顔は確かに、気高い貴族と云うべきものだ。
たとえ身体が不自由であろうとも、その威厳は一切の陰りも見せず、誇り高くある。握られた手の力強さが、なによりもそれを証明していた。
「悪いが、また僕たちに力を貸してくれるかい?」
「嫌がったとしても手伝うよ。
長い付き合いだろ、俺たちも」
この世界で初めて出来た友人であり、親友に。
俺もまた、ただ一人の友人として、力を貸そう。