パパが、出張から帰ってきた。
妹たちが玄関へ駆けていった。続いて、シャーロットが静かに降りていく。
何ごとですか、とロックウッドはブランウェルに尋ねた。
少年は微笑む。
ブ「車の音が聞こえるでしょう」
ロ「風音しか聞こえませんよ?
どうして、わかるんです」
ロックウッドはカーテンを開いて、窓の外を眺めた。
まっくらだ。雨粒が横殴りに叩きつけてくる。
邸の防嵐対策は完璧なので、厳密には風音だって、注意していなければ気にならないほどだけれど。
ロ「僕も、降りていった方がいいかな。お父様に御挨拶しないと」
ブ「ああ……そうですよね」
ほどなく、家長のアーンショー氏が三層の風除室を経由して、顔を覗かせた。
出迎える家族の顔を、にこやかに眺める。
長女シャーロット、次女エミリー、三女アン。長男ブランウェル……と、その隣に見知らぬ青年がひとり。
パパ・アーンショーは、首を傾げた。
アン「パパ、その子、誰?」
アーンショー氏も、見知らぬ少年を連れてきていた。色黒く、縮れ髪で、あまり育ちのよくなさそうな、10歳くらいの男の子だ。
家長の背後にじっと隠れているが、その目付きは、幼いながらも凶暴そうな野性をたたえていた。
パパ「紹介は、明日にしよう。この子も長旅で疲れている。
客人よ、すまないがベッドをひとつ、この子に使わせてやってはもらえないか」
ロックウッドは恐縮した。ずいぶん低姿勢な家長だ。
もちろん承諾する。ブランウェルに勉強を教えているところだったが、今夜は終了にしよう。
男の子を連れて、客間へと引き上げる。
メイドがすぐに着替えを用意した。男の子はパジャマ姿になり、ベッドへと潜りこむ。
手短に聞き出したところによると、彼の名前はヒースクリフ。
リヴァプールから連れてこられたという。
孤児かと思っていたが、実のお父さんはちゃんといて、でもオトナの事情というやつでアーンショー家へもらわれてきたようだ。
年端もいかない、こんな子供本人から、これ以上根掘り葉掘り聞くべきではないな、と思いロックウッドはおやすみを告げた。
ヒースクリフは、すぐに寝息を立て始めた。
寝つけなかったロックウッドは、こっそりと寝室を出る。
まだ宵のうちだ。耳をすませると、嵐の響きがずっとビブラートを奏でている。
応接間に、人の気配がした。
ノックをして入ってみる。アーンショー氏がひとりで晩酌をしていた。
手招きされ、御相伴にあずかる。
やっと自己紹介ができた。
ロックウッド青年はフリージャーナリスト。パリやロンドンの出版社・報道機関に原稿が採用された実績を持つ。
このたび放浪記を書こうと思ってハイランドやヘブリディーズなどの秘境へと一人旅を敢行。
荒野の真ん中でガソリンが尽き、車を乗り捨てて丸一日歩き回っていたら、この邸へ辿りついた。
しばらく厄介になることにして、ブランウェルくんの家庭教師をしています。
ア「なるほど。さっき妻から簡単に説明されましたが、大変でしたね。
この付近では、特別仕様車でないと、エンジンの空気取入口がすぐに詰まってしまうのですよ。
メーターがぐんぐん減っていって、生きた心地もしなかったでしょう」
ロ「自然を舐めすぎてました。
その他にも驚くことばかりで、立ち去りがたく思っているところです」
ア「私も、次に出かけるのは数ヶ月先になるから、急がないのであればゆっくりしていってください。
よければヒースクリフの勉強も一緒に見てもらえると、トレードとしては悪くないのではありませんか」
ロ「ありがたいお言葉です。
ところで御主人はいったい、何のお仕事をされているのですか?」
ア「このような土地に住む以上は、利益率の高い商売を営まなくてはなりません。電気も通信も届かない、農作業や観光にもまったく向いていない、当地周辺でできることは限られます。だから、まあ、外では、なんでもやって来ますよ。
おかげで家族の生活と、この邸……ウォアザリング・ハイツを維持できている。それが私の誇りですね。
ブランウェルにも、二代目として、この精神を継承させていきたいと思っております。先生、よろしくお願いします」
ロ「はあ。せめて一宿一飯の恩義には報います、けど……
あの。お父様にとって、跡継ぎはブランウェルくんなんですか?
男の子だから?
ブランウェルくんは、がんばってくれてます。けれど、お嬢さんたちの方が学力も知識量も、とんでもなく上ですよ?
実際、僕が彼女たちに教えられることは皆無です。
この辺り、お父様としては、どのように考えておられるのでしょうか」
ア「ロックウッド先生。なかなか鋭い指摘をされますね。
実は、私にとっても、娘たちとの向き合い方は難しい課題なのです。
その話は、よければ明日にでも、じっくり相談させていただけませんか」