それはあなたかもしれないし、あなたじゃないかもしれない。 作:茶漬四郎
思い出というのは不思議なもので、自分の人生に大きな影響を与えたものはどんなに時が流れても意外としぶとく残るものです。ラーメン大会はあなたにとって地元との交流であり、異文化に触れた瞬間でもありました。
あの日から数年経って、大学でアメリカ人と交流したりすると、当時、一緒に写真を撮ったあの軍人たちと雰囲気が違うことが分かります。その理由は大学へ留学に来る彼らは文化の入り口である沿岸出身の者たちが多くを占めており、軍人の大半は内陸から来たものだからだと分かりました。
除隊し、日本に住んでいる一人とは今も交流があります。
彼が言うには軍の広報からは「ネイビーに入れば衣食住完備な上に、世界中を周れるぞ。」と謳い文句を言われたそうです。
「大抵はシップの中からだけどね。」と苦虫をかみ殺したように言います。
「そういえば」と彼はコーヒーを片手に片言の日本語で話を続けました。
「フォト、覚えてる?あの時の」
…そういや、あの人まだ店に飾ってたな…。
世界の果てまでイッテQに出演している宮川大輔をご存じだろうか。
大食い大会に参加すると高確率で一点見つめを披露する彼である。そんな彼の心情が、今のあなたには痛いほど理解できた。
本日5杯目のラーメンを食す体は理屈では動かない。まるで機械を操作するように繊細な操縦で頬に蓄えた麺をモチャモチャと噛みしめるのだ。傍から見るとまるでガムを噛んでいるようだ。
そして首を横に向け、何かを待っているぼたんへと話しかける。
「おかわり、準備しといて。」
「えっ!」
普段驚かない彼女が珍しく感情のままに声を上げた。
仮設コンロの後ろに移動すると彼女はわためと密かに話し合った。小さな笑い声が思わず二人の口から洩れる。それは意地を張って自分を苦しめている若者を見て「可愛いバカがバカやっている」ことに対する素直な反応だった。
「あれかな」とわため。
「あの子、引くに引けなくなっちゃったのかな。」
「確かに」とぼたんは答える。
しかし途中で声をかけようにも鬼神と化した気迫に押されて思うように意思疎通ができない。
「ぼたんちゃんも圧に押される事ってあるんだ。」
「おん、あのオヤジ一体何けしかけたんだよ。」
すると横で話を聞いていたオヤジが割り込んできてそれを否定した。彼の頭部は水蒸気でテカテカと輝いていた。
「じゃ、何言ったんだよ。」
「負けるなよ、とは言ったがね。」
それからオヤジは少し得意気になって話し始める。
「あの子はなあ、アイツのオヤジの○袋にいた時から知ってるんだ。」
「き、きんのたまってこと?」
「…お前んとこの食材面白いな。」
数年前まで、あなたは家族に引きつられてよく中華一番にやって来ていた。両親共にちょっとしたエリートだったが、どういうわけか下町風情が似合う一家だったそうだ。
それがいつの間にか、来店するのは一人だけになっていたのだ。
「高校に進学してからもちょくちょく来てくれたぜ。いろいろ大変なのに、いつもニコニコしててな。」
それは初耳だった。やはりそっちの味が好みなのだろうか。
「それが今じゃお宅の常連だもんなあ。」
オヤジが羨ましそうに首をひねったのが印象的だった。
「え?」
「色々と教えてやったつもりだったが。俺とは別の味が好みになったとは。」
それからこの前下手な変装をして遊びに来たことをひっそりと口添えした。
「飲食店ってのは提供する物だけでお客を呼ぶんじゃないのさ。人を呼び込むには人柄がよくないとダメ。」
「どういう事ですか。」
「アイツはシンプルな味付けが好きなんだ。普通のね。」
箸を進めるあなたの表情が段々と乾いた粘土のように変色していくのが見て取れた。
「だからアイツはラーメンじゃなくてアンタが気に入ったんだよ。」
そう告げられたぼたんは思わず頭に巻いたタオルをそっと手に取って外した。ぴょこんと丸い獣耳が頭髪の間から顔を出す。
「人の作るものってのは、その人柄が出やすいのさ。いいじゃないか、どっちかでも気に入られて。」
そう付け加えると、親父は一杯の丼を差し出してきた。中華一番のラーメンである。
「せっかくだし、こっちも異文化交流しようや。お互い食ったことなかったし。」
教科書通りのラーメンである。教科書が理想を掲載したのか、それとも理想系が教科書として残り続けたのかはわからない。
「ねえねえ、ぼたんちゃん」とわためがぼたんの袖を引く。
頭が回っていないのか半ば投げやりに視線を下げる。
「わための分は?」
ぼやく角を無視してぼたんは割りばしを割った。
一方あなたは瀕死の状態だった。軍人チームも一人二杯をたらい上げており、もはや杯数で勝ち目がないことは明らかだった。
万事休すとはこの事であり、ぼたん屋4杯目のラーメンは無謀であったと認めざるを得ない。そう思い始めると途端に箸が進まなくなるのが不思議なもので、モチベーションがいかに重要なのかを骨の隅まで思い知らされる。
背後からぼたんが歩み寄ってくる。そして旅館の女将の様に肝の据わった声色であなたに声をかけるのだった。
「限界かね。」
頬を赤くし、脱水しているのか目がトロンとしている。
「もう茹でないでおくよ」とこれは5杯目のラーメンの事だ。状況を見た彼女がそう判断したことにより、あなたは糸が切れた様に表情が緩んだ。
へへ、と笑ったあなたはコクンと頷く。そしてぼたんはあなたの残した丼の中身を覗いた。
「さっきよりだいぶスープが残ってるな。」
「うっぷ」
「まあ、これで良しとしようか。」
それからあなたの箸を取り、その手でクルクルと丼の中をゆっくりとかき回し始めた。その姿はまるで水中の獲物を狙う獅子のようだった。
何かを見つけた。
「でもこれはさすがに残しちゃいけないよなあ。」
箸で摘みあげられたそれは味の染み込んだウズラの卵だった。器用に圧をかけるとプ二プ二と反発する。
「もう腹に詰め込めるスペースがないってか。」
「バカ言っちゃあいけません…ぼたんさん。ちょっと待てば入りますよ。」
あえて彼女の名前を呼んでみた。
その反応を熱い目線で返したぼたんは意地悪をするようにズイッと箸をあなたの口へと押し込めた。
「待ってられないんだ、玉袋にでも詰込みな。」
その瞬間、周囲から大きな歓声が巻き起こった。
結論から述べると、この催しは次年度から開催されなくなった。原因は、キャパを超えたあなたが胃の中の全てをぶちまけたからである。幸いわためがゴミバケツを持ち出して来て、町の外観を汚すことは無かったが倫理的に、そして衛生的に見て開催が許可されなくなったのである。
土砂降りのような音を立ててリバースするあなたを見たぼたんはゲラゲラと笑いだす。
バケツの中を覗いたわためは「あ、血がついてる」と鼻をつまんで報告した。
見ないでくれ。
テンションの上がった軍人が「ヘーイ、フォト。」と腕を高く上げる。レンズにはあなたと彫の深い軍人たちが中央に映りだした。それから、彼らの後ろにはオヤジが腕を組んでひょっこり現れた。
対するあなたの方では、ぼたんとわための二人が少し距離を詰めてたたずんでいたのだった。
ラーメン大会から数日後、ぼたん屋には珍しい客がやって来た。
「いらっしゃーい、おっ!塩っ子じゃーん」
あなたと同じブレザーを身に羽織った塩っ子は、猫背を強調するように軽く会釈すると券売機の上に飾られた一枚の集合写真に目をやった。その中央にいる人物を塩っ子は知っていた。
「あっ!コイツクラスメートの!」
ぼたんはその言葉を聞くと花が咲くように陽気な感情を広げる。
「やっぱり知り合いだったか。」
「うん、確か次の日も試験があったのに。なんか同じ教科二回補講受けてる。」
ぼたんはゲラゲラと笑う。
「ところでコイツ、鼻から何出してるんですか?」
「ああ、それね。ウチの麺。」
曰く、シャッターが押される直前にくしゃみをしてしまい、体のどこかに残っていた麺がそこから顔を出したのだという。
「そのあとすぐに引っ込んだから本当に奇跡の一枚だったよ。」
塩っ子はその麺の行く先を想像して小さく笑った。そして再び「あれ」と声を上げた。
券売機の商品に、新しい商品が追加されていたのである。
「あっさり醤油ラーメン」と口にする。
価格は500円だ。
「珍しいっすね。ここ結構コッテリ系なのに。」
そう疑問を投げつける学生に対して、ぼたんはいたずらに微笑み片目をつむった。その姿は塩っ子が今まで見たことないほど妖艶だった。
「フフッ、食べてみる?」