それはあなたかもしれないし、あなたじゃないかもしれない。 作:茶漬四郎
突然ですが、皆さんは推しのために何ができると思いますか?
SNSを開けば彼女、彼らはいつも私達リスナーを迎えてくれます。そこには時間の共有と感情の共感が存在し、離れていても見ず知らずの人達のみならず、タレントとも信頼関係を築けるのです。いわば、推しというのは人と空間をつなげるパイプのようなものです。
では、消費者であるあなたはどんなことをして彼らに恩を返せるのでしょうか。
都内某所に集まった謎の集団はお互い初対面らしく、ところどころ律儀に挨拶を交える声がする。ここは繁華街から外れた場所であるが、調べてみるとなかなか色の濃い社交場の集まる場所のようだった。
今日はあなたの推しである、さくらみこの2Dライブの開催日だ。この集団は彼女と一緒にライブに参加する他のタレントのリスナーであった。
彼女たち配信者がこの日のために様々な準備をしてきたことは、配信やポストを追うと手の取るように理解できる。ここ数日の配信でみこはライブの告知を行い、頭を振って「バッバイ」と締めるのがパターン化していた。
さくらみことの出会いは配信ではなく、いわゆる屋内展示会で声をかけられたところから始まる。その頃のあなたは生気が抜けたようにフラフラと真新しいものはないかと天井に視線を向けて歩いていた。
そんな時、どこからか声をかけられる。キョロキョロと首を振り、辺りを見渡すと彼女はそこにいた。
他の出展と違いそこには生身の人間はいなかった。代わりに設置された小さなテレビ画面にはピンク色の髪にカーブを巻いたアホ毛、そして巫女服からはこちらを挑発するように横乳をさらけ出した少女が不安そうに声をかけていたのだった。
彼女は「あっ!止まってくれた!」と子供のように声を上げた。
「こんにちは!バーチャルアイドルを目指しています、さくらみこって言います!」
みこは一文字一文字ゆっくりと噛まない様に言葉を区切る。それからカメラを見つめるあなたに向かってみこは、自分のチャンネル概要について説明し始めた。
今にして思えば、あなたの対応は人前に出るタレントにとって有難かったのではないかと思う。多くの人が素通りする中、あなたは足を止め、彼女に注目した数少ない通行人だったからである。そして配信者である画面の向こうの彼女は、あなたの名前と顔を認識したのだ。
その日の配信にお邪魔すると、みこはイベントの振り返りをしていた。
気のせいかも知れないが、あなたが「こんにちは、初見です。」とコメントを打つと配信自体の雰囲気がやんわりと柔らかくなったように感じた。
「あ!35猫さんだ!今日は来てくれてありがとうございマス!」
えへへと笑う彼女。
「みこと同じ名前なんだよ~。えへへ、嬉しい。」
みこは赤ちゃんの様にニコッと笑った。
この時、あなたは輪の中に入ることが出来た気がした。
学校や仕事など日常が終わり、完全に一人となったとき、突如となく訪れる虚無感はまだみなぎる活力が余力を余しているか、孤独を嘆く証拠である。
その場はあなたが誰かと何かを共有できる空間であり、その場所をようやく見つけられたのだった。
そんな出会いを経て今日、さくらみこは初のライブを行うに至る。会場の定員は30名が限界だが、数々のライバーの出発地点となったこのコンセプトバーには、他推しのリスナーがすでに入場していた。
清潔感のある猛者たちに交じったあなたは手作りの応援グッズを手に肩を小さく今か今かと開始を待つ。
その様子を見た集団の一人が話しかけてきた。
「みこちゃん推しですか?」
あなたは「ハイッ!」と声が裏返る。
見ると彼らの手には、各々の推しに合わせた色のサイリウムを手に準備が完了していた。
赤、青、緑、紫、黄色などなど。
ピンクはあまりいないように感じ、思わずぎゅっと手に力が入ってしまう。
ライブは派手なカウントダウンと共に開催された。
緊張したのは最初の内だけだった。
トップバッターの赤色パイレーツが先陣を切ると、皆、彼女のリスナーを最前列へと案内し始めたのだ。前列が赤色で染まるとその光は室内全体へと広がっていく。
あなたもそれに倣い、一面が赤色で染められたのだ。
周囲のエネルギーに負けないように声を上げ、合いの手を打ちサイリウムを振りまくる。
出演している演者が交代すればまたほかのリスナーが前列へ先導されては、推しの色で暗い室内が照らされたのだった。
とうとうみこの番になる。
冷房が効いているとはいえ、既に洋服にはジンワリと汗がにじみ出ている。喉も乾き、つばすら飲み込むのに一苦労する。
おしゃれをした洋服も、セットした髪型も自分の美意識からかけ離れた見た目になっているだろう。
ただそんなもの、気にならなかった。
最初にあなたに話しかけた赤いサイリウムは、前列へ歩むように静かに声をかけた。
「みこちゃんのファンでしょ?ほら、前行ってくださいな。」
周りに異論を挟む者はおらず、おずおずと申し訳なさそうに前へ出た。
そしてゆっくりと目線を上げると一瞬、みこと目があったような気がした。
いつも配信で見る彼女とわずかに違う。すでに輝いているのだ。
ハッと息をのみ、手に持ったピンク色のサイリウムを掲げ、思わず手を振りそうになった。あなたの視界の端では小さく同じ色のライトが一本、また一本と天井に向け伸びていく。
後ろにいるホロリスが一団となって応援してくれようとしているのだ。
あなたを中心に桜色が広がり、みこの目にもそれが映ったのであろう、彼女が息をのむのが分かった。
それから一瞬間をおいて、いつものように頭を左右に振ったみこは大きく声を上げるのだった。
「みんなぁ!にゃっはろー!」
その声は涙をこらえているように聞き取れた。
「にゃっはろぉ!」
みこから発された1の声が100になって返って来る。
とうとうあなたの推しのライブが始まるのだ。
ライブが終わって数日たち、満足感を腹の底から感じていたあなたはどんなことでも自信をもって成し遂げることが出来た。朝の目覚めが少し優しく感じる。日中の生活も活気が湧いていた。
一日が終わりかけて床に就く間際、ケータイに通知がやって来る。推しである彼女の配信が始まったのだ。
その日のさくらみこの配信は、ライブの振り返り配信だった。その内容は感想と今後の事についてだ。
まずは感謝を告げ、その場に来れなかったリスナーと共に思い出の共有をはかる。みこは自分の番になって会場がさくら色に染まったことをうれしそうに話した。
その様子は本当に愛された赤ちゃんのようである。
「こっそり写真、撮っちゃったもんね!」
いひひ、と鼻から声が漏れる。
「ライブカメラ越しにみんな見てたんだよ~。みんなサイリウム振ってくれてさあ。」
そんなやり取りを見ていると、あなたはいつものようにコメントを打つことが憚れた。スマホを操作する指が何故か、文字を打つたびに止まるのだ。
あなたの心境は、何かが壊れてしまうような気がしたのだ。それは自分の恐れとでも言おうものか。自分の中で勝手にブレーキを踏んでいるだけなのに、それに気が付いたのは配信に映るあなたの推しの笑顔だった。
「にゃっはろ~!」
意を決して一歩踏み出す。
ピコンとコメント欄が上に上がると、みこの体が一瞬止まったように見えた。
みこにとって35猫という名前はライブにも、配信にも顔を出してくれ、さらには手作りのグッズで応援してくれた言葉では形容し難い光なのであった。
サイリウムを一番大きく振っていたあなたを思い出す。暗い室内で一心不乱に飛び跳ねては咲き乱れるライトを、コメントを目にした途端、その情景が脳裏に自然と浮かび上がったのだ。
「今日も来てくれてアリガトッ!ゆっくりしていってね!」