それはあなたかもしれないし、あなたじゃないかもしれない。   作:茶漬四郎

24 / 25
レールを降りた先導者

 その夏、あなたが経験したことは決して他の人に自慢できるようなことではなく、物語のような奇跡的な事でも、人生を大きく変えるような事でもありませんでした。しかし、あの3人と過ごした時間は誰しもが得ることのない人生の大きな教訓として、いつまでも思い出に残っているのです。

映画のようなドラマはなく、漫画やアニメのようなロマンスもありません。

しかし、学習児であるあなたは大人たちから直々に手を引かれているような温かい気持ちになったのです。

 

 夏休みも中盤に差し掛かると、日差しの強さに比例してパラダイスの終焉を告げる導火線の様に心が焦燥し始める。特にあなたにとっては夏休みの終焉は公私の他、心まで現実に戻らされるので、その動揺は計り知れないのだ。

今は長期休みを利用して、転校前の地元まで戻ってきている。つまり、夏休みの終わりというのは現実をシフトチェンジし、新たな生活へ馴染まなければならないということなのだ。

これが現実なら、今の環境は夢の中である。

それならば多少の無理は何ともない。らしくもなく、毎朝ラジオ体操へと参加することに決めたのだ。これには親も快く承諾し、彼らへの反抗心を持ちつつ意地になって早起きに専念するのだった。

今日も今日とてラジオ体操の会場である高架下へと行く道中。あなたは元クラスメートと偶然出会った。

「おはよー」とお互い声を交わすとあくびが出た。体内がまだ眠っているので体調が悪い。

「今日どうなるんだろうね。」と元クラスメート。

「へ?」

「昨日言ってたじゃん!いつものPTA会長が休むから代役の人が来るって。」

「そうだっけ?」とあなたが呟くと「誰か来るかわかるの?」と続けざまに聞いてみる。

彼はニヤリと口角を緩めると早足になって歩き出した。

まるで行く事を楽しむようなその様子にあなたは不思議に思った。

彼は知っている。しかし自分は知らない。そんな疎外感にあなたは自分の人生を恨んだ。

 会場に着くとなぜ彼が嬉しそうだったのか判明した。

そこには体操当番らしき二人の女性がいたのだ。半袖とショートの体操着を上下に身に着けている。近づくと背丈があまり変わらないほど彼女らは小柄だった。

「おはようペコ~」

兎の耳がピンッと立たせた兎田ぺこらが、あなた達が来るなりに声をかけてくれた。

藍と白のツインテールがツイストの様に編まれている彼女の隣でラジカセと格闘しているのはルビー色の髪をふわふわと揺らしているもう一人の女性だ。

「マリーン」とぺこらが彼女の名を呼ぶ。

宝鐘マリンである。

彼女は「はあい」と寝起きの猫のような声で返す。

「アイツまだ来てないぺこよ。」

「は!?ふざけんなアイツ!」

先ほどの声からドスの利いたものへと一転する。目つきも鋭くなるが内面のナイーブさは隠しきれていなかった。

その最後の一人がやって来たのは体操の始まる直前だった。

「セーフ!」

「アウトだ。バカ!」

朝だというのに汗だくになりながら、着ていた薄着がびっしょりと濡れている。黒髪に眼鏡をかけているところを見るとオタクと言う存在が連想されるのが不思議だ。

マリンが来たばかりの彼に噛みつくように言葉を投げつけるが、何故か雰囲気が和やかになる。そのやり取りの中でその人物が一味という名前なのが分かった。

背丈がマリンと比較してぐんと高いにもかかわらず、彼女はその勢いを止めない。単に度胸があるのか、いや違う。そこには信頼関係があるのだとあなたは直感した。

何故なら、このやり取りは自分の両親が行っているものと似ていたからである。

その事実に気付いた時、底知れぬ敵対心が沸々とわいてきた。

「酒くさ!」

「すみません二日酔いです。」

「働かないで飲む酒はうまいか?おお?」

「いや、二時には切り上げたぺこよ。」

唐突な語尾の変化にぺこらが素早く反応する。

「コラ!ぺこーら巻き込むんじゃねえ!このニートが。」

ニート?ニートなのにこんな良好な関係を築けるのか。その事がさらに闘争心を燃やした。

しかしこのニート、もとい一味という人物はただ者ではないのは確かであった。単調なラジオ体操は完璧にこなし、マリンの揺れ動く胸にも興味を示さない。

曲調が終わるといつもならハンコをもらいに行くのだが、今日は違った。

ぺこらが一歩前に歩み出て来る。

「さあみんな。これからもう一曲お姉さんたちと体操しようぺこ。」

ざわざわと騒ぎ出す会場に、気持ち悪くなって金網に方手をついて唸っている一味が反応した。

「まだあるの。」

「お前は強制参加な。」

時間が押している人はここでハンコを押してもらうらしく、残ってみたい人は自由に参加できるらしい。

これから行うのは二人のオリジナルだそうだ。

去る者もいるが、皆興味を持っているらしく大半が残った。面白いことに普段はイソイソと帰る父兄も残っている。

ラジオからは二人の声が録音された「ぺこマリ体操」が流れ出した。

いつもの体操とは違い、明るい声と軽快なステップに一同戸惑いを見せたが、それもすぐに収まった。

何故なら突然一味が最前列に躍り出て、完璧なまでに彼女たちの振り付けについて行っているからである。

負けてたまるかとその動きを真似しだしたらほかの参加者も動き始める。その特別なコールは自然と広がって行ったのだった。

体操が終わると彼女たちはフリフリと小さく両手を皆に向けて振る。それが終わるとあなたはハンコを求めて列を作る集団に紛れて自分の番を待った。

マリンからのハンコを期待していたあなたは自分の番になると彼女が一味にクドクドと文句を言っている場面に遭遇した。

眼鏡を拭けだの、クラクラすんなだの、その様子は肝の据わった母親が息子に対して注意しているようだった。

「ほら、ポカリ。」

力強く手渡されたペットボトルを受け取った一味は息も荒々しく礼を言う。

「さすがマリン、仕事できる女。」

「うっせえ!ここで倒れんなよ!」

「経緯報告書、書くんか?」

そんな二人の間に空気をあえて切って入り込む。

「一味さんってニートなの?」

「へ?」とマリンが突然の言葉にキョトンと反応する。

一味が「そーだよ。」と答えた。

「ニート歴ウンヵ月です。」

「恥ずかしくないの?」

彼らにとっては子供の無邪気で残酷な質問に受け取られるかもしれないが、あなたにとっては言葉の武器だった。

マリンがゲラゲラと笑う。

「言われてんぞ。おい。」

「会社にふられ続けてるからしょうがないね?」

「会社だけか?」

「うっせえ。」

ここでぺこらがスッと間に入る。手にはハンコが握られていた。

「ハンコ、押してやるぺこよ。こっち来な。」

一瞬気がそらされたが最後に攻撃を仕掛けた。

「マリンさんはニートでもいいの?」

突然の脈絡のない発言にマリンは一瞬戸惑った様子を見せた。

「…何が?」

ぺこらが軽く息を吐いた。

「鋭いな。子供ってのはさ。」

ぺこマリ体操初日のハンコは少し苦い思い出を残した。

 

 その日を境にラジオ体操への参加者は増加した。本来は顔を見せない中高生もチラホラと交じるようになる。その魂胆はあなたにはうっすらと分かっていた。

胸元のマリン、太もものぺこら。思春期の学生たちの間ではそんな下世話な話題が漏れ出す。

それもそのはず、薄着を着込んだだけの彼女たちは体を動かすたびにそれぞれが自慢とする部位が自然と目立ってしまうのだ。

何故、年を取るということは苦労をするということだと思っていたが、目の前の大人たちは楽を見せるのだろうか。欲に塗れて鼻の下を伸ばし、自分が羨ましいと心底思う環境で生活できるのだろうか。

彼らにはタイムリミットがないのである。

ここでマリンとぺこらに対して言及しないところを見ると、あなたも彼らの一員であることが分かる。

もう一人、一味について観察すると来るたびに着て来る服装が違うのが分かった。

ある時は色の薄くなったジャージ、これは高校の頃から愛用しているらしい。ある時はスポーツウェア、これはこの後ランニングするというのだ。ある時はTシャツ、これは二日酔いの時よく見る。

そしてある時はスーツで来るのだった。

「一味の兄ちゃん。」

「なんだいマセガキ。」

「え」

「恍けんなよ。」

ばれていたらしい。

「何で今日はスーツなの。」とあなたが訪ねると彼は毎回ニカッと笑って「デート」と答えた。

これについてはマリンの方が詳しく知っていたのが癪に障った。

いつしか彼女からは「クソガキ」と呼ばれるほど、仲が良くなっていた。

「クソガキ!?」

「アイツの事ニートって呼んだろ。」マリンも一味と同じようにニカッと八重歯を見せた。

お返しということだろうか。

「スーツ着ている理由?デートな訳ないだろ、見栄はりやがって。」と少し呆れていた。

彼がスーツを着る理由は就職活動らしい。

「働くために頑張ってるのよ。」

あなたはイマイチピンと来ていない。働く場所を探すのがそんなに難しいというのだろうか。

「まあ、我が強いから探すのも一苦労なの。」

「マリンと一緒ジャン。」

「マリン船長だろ?」

その日は珍しく、体操の後に4人でマクドナルドに行き朝食を摂ることになった。もっとも、一味はすぐに行かなければならないということでコーヒーを片手に駆け足で店を飛び出して行った。

行ってらっしゃい、と声をかけられた彼の姿は自分の父親と似ていた。

元々今日は親にも外で朝食を摂るという許可をもらっていたため悠々自適に楽しむことが出来た。

毎朝、最初から最後まで残っている数少ない参加者ということもあり、彼女たちにとってあなたは特別眼をかける存在なのであった。

「ポテト美味しいよねー。」と言ってマリンは塩気の利いたハッシュドポテトを頬張る。

土から採れたものは全て野菜である、とでも言わんばかりの勢いだ。

ぺこらも小さな口をモグモグと動かしてその空腹を満たす。会話を始めたのは彼女からだった。

「いつ帰るぺこ?」

ぺこらの問いに思わず心臓が冷える。

既に周囲からはあなたが一時的に帰省していることが知られており、残り少ない夏が過ぎれば、海を越えて戻ってしまうことは知られていた。

「海外か?」

「うん、そう。」とあなた。マリンはストローで氷に浸ったお茶を吸い込んで「いいなあ。」とつぶやいた。

ぺこらがその反応を尻目に小さく言い放つ。

「本人はあんま乗り気じゃないみたいだけどな。」

あなたの人生は、他の人間とは違う道を辿ることになる。つまり、他の人達が当たり前に経験できることを知らずに生き続けるのだ。

登下校を学友と一緒に寄り道したり、好きなことと進路の両立に悩むことも少し違った形で経験する。そしてその悩みは誰にも相談できない。

思わず口からこぼれた言葉を後悔するマリンだったが、はたして「ごめん」という言葉が正解なのかわからずにいた。

「もしかして、一味に厳しくあたっていたのってそれが理由?」

「へ?」

最初は戸惑っていたあなただったが、マリンの感性に素直に頷く。

「自分は逃げられない環境にいるのに、あの人はフラフラしてて、それでいてちゃんと生活しているところにムカついちゃったんだ。」

この生活というのは、勉学だけでなく遊びを知っているという意味である。

マリンは軽くあなたのおでこを指ではじいた。それはあなたに視野を広げろと言っているようだった。

「アイツもさ。」とマリンは言葉を区切る。

「色々あったんだよ。」

「色々?」

「大学卒業して、いい企業に入ってボロボロになったりね。」

「…大人も大変なんだね。」

「パワハラって聞いたことある?あれも経験したみたい。」

「骨はある奴だよね。」とぺこら。

そんな環境にいても毎日会社に通っていたらしい。ただ、会社に着く前に精神が疲れ果てて膝から崩れ落ちたこともあったそうだ。

その事実はマリンも初耳だった。

逃げずにいたから今があるということを言いたいのだろうか。

しかし会社を辞めたということは、組織から逃げたのではないか。

「それについてはマリンも言えることあるぞ。」

何故だか少し明るい。

「どういうこと?」

「会社に助けを求めたら逆に手放されたんだって。」

つまり、「転勤」を言い渡されたというのだ。

自分の父親を見る限り、転勤と言うのは栄転のように見て取れたが、そういう状況は稀らしい。

ガタついたレールからは飛び降りるしかなかったのだ。

「それから食いしばって転職活動続けて、無職になっても毎日次の就職先を探してるんだって。」

「マリン船長。」

「ん?なんだ、どうした?」

「よく知ってるね。」

あなたの返しにぺこらは思わず眉を顰める。

「…一味だからな。」

目線をそらしたマリンの返答は、到底納得のいくものではなかった。

 

 夜も7時になると夏季ということもあって綺麗な夕焼けが見えた。青色のリュックを背負ったあなたが最寄り駅をとぼとぼと歩いていると突如頭を軽くはたかれた。

一味だった。スーツを着ている。

彼は「夏期講習かい?」とあいさつの後に尋ねる。

「うん。」

「えらいなー。夏休みなのに休んでいないじゃないか。」

この返しも幾度となく聞いたものである。今度はあなたが言葉を投げかける番だ。

「一味は学校出ているの。」

「おう、もちろん。」

彼は突然の質問にも快く答えてくれた。

「大学まで行って働くってどうだった?」

一味は特に驚くこともなく「特に何もないよー。」と答えた。

「なんだ、親御さんに大学行けっていわれてるのか。」

その通りだった。何故自分の周りの大人たちは自分の考えをこうも当てることが出来るのだろうか。

思わず黙ると沈黙は肯定として受け取られた。

「何も変わらないよ。少しは変わることを期待してたんだけどなー。」

その表情はなんだか哀愁が漂っていた。

「そりゃそうでしょ」とあなたが言うと一味はニヤリと横目であなたを見る。まるでその回答を予想していたかのようだ。

「本当にそう思う?」

「え、うん。」と思わず圧に押されて口から言葉が出る。

「ならなんで勉強してるんだい。」

「それは…将来の為。」

「そうだね、親にとっては将来への投資、そして期待さ。」

「でも勉強はすぐに結果が出るよ。」

「君が言っているのは小テストや学期試験じゃないだろう。もっと大きな、受験とかじゃないかな。」

「…」

「勉強ってのは行動じゃない、試験に挑むことが行動だ。だってその結果で人生が大きく変わってしまうだろ?現状に不満があるなら、行動するしかないのさ。」

一瞬考えたあなたは今までの自分の行動を思い返してみる。

アレコレと考える前に「ラジオ体操」に参加することを決め、親へ説得やその他準備を行うために行動を起こした。その結果、マリンとぺこらという初めて見る人類と出会い、一味という悪いお手本を知ることが出来たのだ。途中で来なくなって友人はこんな人間関係が築けることを知らないだろう。

「勉強が花を咲かせるのは何年も先の話さ。だから手が抜けないのさ。でも同時にすぐに結果につながることも学ばねばならん。遊びとかな。」

彼が言うには、この「遊び」は翌日から一年後の間に大きな結果を作る可能性があるというのだ。

大人の遊びなら言えるものと言えないものを含めてもたくさん説明できるのだが、今一味の目の前にいるのは子供だ。

一味が子供向けに説明しようとしていた時、二人の名前を呼ぶ声がした。

「何してんだカスども。」

「あっ!マリンちゃん!」

「ちゃん付けすんな。気持ち悪い。」

どこからかひょっこり出てきたマリンはあなたと同じ視線で一味を睨みつける。それからあなたの方へと無理返り、目じりを緩ませた。

「お帰り、今帰り?」

「ん」

「夕飯は食べた?」

「帰って食べる。」

元気に答えたあなたを見て「よし」と声を上げたマリンはほのかに背伸びをしていた。

「明日もまた来いよ!待ってるからな!」

正直帰りたくはなかった。しかし、帰らなければ明日を迎えることはできない。去り際、一味はあなたに一個の缶コーヒーを手渡した。首をかしげるあなたに一味は安心させるように語り掛ける。

「夜中、誰も起きていなかったら飲みな。自分の部屋で、勉強しているフリしながらさ。大丈夫、甘いからカフェインそんなに感じないぞ。」

マリンはその横でにんまりを笑みを浮かべていた。

その夜、あなたは家族が寝静まるのを待って、自室でこっそりと缶を開けた。プッシュっという空気が漏れる。少し窓を開けて外気を取り入れると同時に外の音までも入り込んできた。電車の音や誰かの騒ぐ声が聞こえてくる。いったい彼らはどういう人生を送っているのだろうか、という意味のない興味がわいてきた。

紺色の夜空を見上げたあなたはふと、あの3人の事を思い出す。今頃何をしているのだろうか、未知なる人間の人生というのを想像して一口コーヒーを口に含んだ。

「大人っていいなあ」

そうつぶやいたあなたの言葉は過行く電車の音にかき消された。

 

次にあなたが「おかえり」と声をかけてもらえたのは一年後の夏だった。

少し大きくなったあなたは前と違って、思考までも大人びており、あの3人に少し近づけたような気がしてうれしかった。

「で、一味さんまだニート?」

「ふふふ、次は永久就職先を探さないとな。」

「アンタが雇用主じゃないのか」とぺこらはマリンをチラリと見つめて一味に言い返した。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。