それはあなたかもしれないし、あなたじゃないかもしれない。 作:茶漬四郎
宝鐘マリンがこの町を去ってから一年以上の月日が経ちました。暖冬とは言え、一月になればさすがに寒くなってきます。
特にマリンタワーのある山下公園の辺りは海からの風が磯とともにやって来て余計に冷え込みます。
そんな中、あなたは一層にも二層にもガタの来る体を持ち上げてはうなだれるのでした。
まるで恋人を失ったかのような損失感を胸に、マリンタワーへと続く道を歩くあなたは焦りと共に上がる心拍数に圧迫され、フラフラと足元がおぼつかなかった。横断歩道で倒れなかったものの、街道の真ん中でとうとうがっくりと膝から崩れ落ちてしまった。
それはまるで糸の切れた人形の様に、一切重力に逆らっていなかった。
その後ろ姿を憐れみと共に見つめる一人の影がいた。
彼女の名は海に夢とかいて「まりん」と呼んだ。そんな彼女の小さな足が、あなたの尻めがけて叩き込まれる。
「道の真ん中で止まってんじゃねーよ!考えろ!」
ルビー色の長髪が綺麗に宙を舞った。
会う人たちに彼女との関係を尋ねられたあなたは「20年位の仲」だと答える。海夢はそれを聞くと決まって複雑そうに顔をしかめるのだ。
「20年ってさ、アタシ生まれてないし。」
「は?」
「はって何?は?って」
そしていつも圧に負けるのだ。
チョコチョコと小さな足であなたに付いてくる彼女は、瞳の色が左右同じという点を除いて宝鐘マリンと瓜二つなのである。コスプレをするならカラコンを着ければ本人が現実に現れたのではないかと錯覚するくらいである。
強い。
「…なんか…恋人と別れたような気分なんだよな。」
「アイドルとガチ恋はやめとけって。期待スンなよ。」
彼女は上着の萌え袖をパタパタと振った。
「赤スパ投げてんの?」
「スパチャしたことない…」
青すらしたことないのだという。
「しろよ!」
「マイルストーンは投げてる。」
「メンシ入ってんのかよ!」
明るく、しなやかな声がツッコミに入る。
第三者から見れば、海夢があなたを心配しているのが分かる。言動はともかく、目に見えない気遣いがそう語るのであった。
場所は移って近くの神社へとやって来た。
「で、どうなのよ。海夢ちゃん。」と古くからの友人であるしぐれういが綿毛のような声でこっそりと彼女の耳元で囁いた。
息を詰まらせるもすぐに態勢を取り戻した彼女の様子を見て、ういはこの友人が何も言えないのか、それとも言いたくないのか考えた。
まだ本気で踏み込もうとしていないのだろう。
当のあなたが必死に何かを賽銭箱の前で願っている間、ういからの矢継ぎ早の質問攻めに彼女は反撃のチャンスをうかがった。
そしてやっと出てきた言葉が「その頭に乗せてるの何?」であった。
作戦は功を成し、話題の矛先が外れた。
ういは「可愛いでしょー」と鼻を膨らませる。
それは鏡餅のように座り込むアヒルだった。
「生きてんのか?コレ?」
と海夢は触れるのを躊躇うが、ういは知らんと言わんばかりにツンツンと指先で突いた。
「しらね。」
海夢はういの頭頂に鎮座するアヒルと目の前の彼女を視界に納めると、その歯抜けな姿を見て「アホっぽい~」とつぶやいた。
「は?お前ほどじゃないが?」
「いや、お前がアホだわ。」
「いやいやいやいや。」
「いや、アホなんだワ。」
「遠回りしかしていない人に言われたくないが?」とういは得意気に反論する。再び言葉に詰まってしまったので、さすがのういも鞘を納めた。
「ところであいつは何でこんなに時間をかけてるの。」
「しらね。」と海夢は言葉を区切り、「多分推しの事じゃないか」と投げやりに返答する。
何を願っているのか、賽銭箱から離れないあなたを横目に見てういの方を向く。
上着に籠った熱気を脇から放出した彼女は、この会話で自分がかなり緊張して追い詰められていたことを自覚した。
「この町から推しが消えて一年経ったんだとよ。」
「んー?何かあったっけ?」
「去年さ、マリンタワーにタカラカネ?マリン?っていうの?」
知っているのにあえて知らないふりをするのが白々しい。その様子はさながら母親が子供の趣味に理解を深めようと首を傾げているように見えた。
「あ、宝鐘マリン?」
「そう!それ!」
いつまでたっても賽銭箱から離れないあなたを無視した彼女たち二人は、贅沢をして昼から居酒屋へと来ていた。昼呑みという行為は人間として終わっているという認識だが、事の成り行きと気分によって、たまには許されるような気がした。
「そんな罪悪感あるなら夜まで飲んじゃえ。」
カウンター越しの店主はそう言って彼女たちの間に日本酒の徳利を差し出した。とろりと揺れる透明な液体をそれぞれのお猪口へと注いで小さく両手で乾杯をすると口に流し込む。
ほのかに暖かいアルコールが食道へと流れて行った。
「ういちゃん、その頭のアヒルいつまで乗せてるの。」
店の主に指摘された彼女はさすがにそれを外して側へと置いた。
「それぬいぐるみ?」
「たぶん。」
「頭に乗っけてるとか鏡餅みたいだね。」
「えへへ」
やはりみな同じ感想を持つことに笑った海夢はガハハ、と声を出す。
「頭は正月ボケってか?」
「違うが?」
圧がない。
「鏡餅って昔はヒビが入ってたり、カビが生えてたりするよな。」
「おい、喧嘩なら買うぜ、偽マリンちゃんよぉ。」
「直接触れるアタシがオリジナルだから!」
少し冷え込んだガラスの徳利は、まるで金魚鉢のようである。アルコールに視界を揺らされた二人はその中に本当に金魚が泳いでいるように思えた。
木製のカウンターに肘をついて寄り掛かると、自身との間に隙間が無くなってしまった。海夢は「ムカつくなー」と下に向けて呟いた。
「昔フラれたとかでね。」
「あらあらまあまあ。」
その話をゴシップの様に茶化そうとは、今のういには毛頭考えていなかった。
「そこまで知ってるんだ。それから生身には興味なくなっちゃった感じ?」
「さあ…」
カウンター越しにいる店員は、あなたが幾度となく異性と共にここへ来たことを知っていたが、口には出さない。
長年飲食業を営んできた彼らにとって、このような人間関係は星の数ほど聞いてきた。もう少し、どちらかが一歩踏み込んでもいいのではないか、そんな老婆心ながら余計な事を思ってしまう。カードが手札に加わった瞬間、その戦略は持ち主によって勝敗を喫する。「オーディエンス」である彼らは当事者同士のやり取りを見守ることしかできないのである。
不思議なことに、このような話題が店内に広まると騒がしくなる。そして淡水と海水が交わるかの如く静かに聞き耳を立てるグループと騒ぎ続けるグループに綺麗に分かれるのだった。
女性陣2人が何やら暖かい空間で楽しんでいた頃、置いて行かれたあなたはただ一人でプラプラと思い出を追って彷徨っていた。マリンタワーを周回し、そこにはもういない推しを求める姿は不審者そのものである。
あなたはふと息を吐き出す。白い息は吹かした煙草の煙のように空気へと消えて行った。
現状を整理するいい機会かもしれない。
そう考えたあなたは寒さから逃れるように一軒のパブへと逃げ込む。深い味のある木材と煉瓦で整えられた英国風の外観を持つパブからは、昼間にもかかわらず小さなネオンが灯っていた。扉を開いて室内へ入ると、重厚なウッド調の店内が出迎える。
年季の入ったカウンターの後ろには酒瓶が本棚に並べられた本の様にずらりと並べられていた。掛け軸の様にかけられた小さな黒板には、本日のおすすめが箇条書きで表記されている。
カウンターからはひょっこり顔を出した店員が「おあよ」と短くあいさつをかけてくれる。
彼女が「いつもの?」と問うとあなたはコクンと頷き椅子に腰かけた。
レバーが倒されたビールディスペンサーからは、黒味を帯びた泡が垂れ流される。パイントグラスに注がれた液体は、その中で荒波のように動くとやがて下の方からゆっくりと黒くなり、上部にカプチーノのような泡が形成された。
店員はその様子を見つつあなたに話しかけた。
「昼呑み?いいねえ」
ビールを手渡し頬をつくと、クルリとあなたの様子を見渡した。
「みおしゃがおつまみ作ってくれたよー。食べる?」
ここらで占い師として活躍している常連との共同作業だそうだ。
「いいっす。今日は食欲ないんで。」
「じゃあ、よそっとくね。」
話を聞きてくれない。
一瞬感情を表すように垂れ下がった尻尾が再びフリフリと動き出した。
ニスが剥がれたカウンターには、音を立てて小鉢が一つ置かれる。
「美味しいもの食べてさっ、そのシケた面治せよな。」
元気がないのはお見通しのようだ。
「ころさん…」
名前を呼びかけられた彼女は嬉しそうに小さく頷くと、波を描いた唇が開きだした。
「それ一つ500円ね。」
「え、サービスじゃないの。」
「んなわけねーだろ、社会舐めんな。」
この世の中、当たり前のことは決して当たり前ではないのである。周囲にいる人間も、美味しいものが口にできるのも、それらは水に浮かんだティッシュの上に文鎮を乗せるようなものである。日頃から浮かせる努力を怠れば、バランスを崩してすぐさま水底へと沈んでしまうのだ。
「まあ、その努力も無駄になりがちだけどな。特にお前。」
「え」
「推しの面影追い求めてグルグル歩くのはさすがに努力とは呼ばねーでよ。」
今にも笑いだしそうな声を上げる。
それからあなたの心の奥に根付いている核心へと突く様に「どういう人がタイプなん?」とスライムの様に姿勢を溶けさせた。
「…ママみたいな人。」
「あらやだー」と嬉しそうにお礼を言いつつも腰をうねらせる。
「ごめんねー、こーねにはさ、ころねスキーっていうダーリンがいるから。」
「え?ロシア人っすか。」
「違う違う。」
「なんか、可哀想。」
「主語無いから解釈いろいろできるんだけど、どういう意味?」
話の道筋を作るのも接客業に携わる者の使命である。あなたに対してリードするように新しく話題を持ち出した。
「その推しはどんな人?どんな特徴がある?」
語尾が上がってしまう言い方に、あなたは安心して話し始めるのだった。
随分予習をしたおかげか、パブを出た頃のあなたは背中を押されたように胸を張っていた。時刻は段々と夕刻に差し迫りつつあり、雲が陰り曇天の中をチラホラ灯りがともすようになった。
向かう先はあなたを置いて行った海夢とういがいるであろう居酒屋である。
地元では一番勾配のきつい坂の元に、その店はある。前まで来ると、扉のガラスから洩れる暖かい灯りが入店を歓迎してくれているようだった。
一言文句を言ってやろう―。心の中では何度もシミュレーションをこなし、図上演習では自分がいかに自然と会話に入り込む様子を確認できた。しかし、戦火を前に予想は水泡に帰してしまう。
入店したときに店内の客が一斉にあなたへ視線を向けたのだ。そのほとんどは顔馴染みであるがゆえに、何か話題にされていたのではないかと勘ぐぐってしまう。
好機の眼差しを前に全ての予想は頭から去って行ってしまった。
彼ら、もとい店内はすでに出来上がっている。そしてその奥の方に、ルビー色の髪と栗色のボブが目に入った。やはり彼女たちはここにいたのだ。
店員はあなたを手招き、ごく自然に二人の元へと来るように促した。挨拶も手短に済ませたあなたは海夢の隣へ両肘をついた。気のせいか、海夢もあなたの方へ重心を寄せている。
刹那、永遠とも感じ取られるほどの気まずい沈黙が流れる。会話の火蓋を切ったのはあなたからであった。
「お前らよくも置いて行ったな。」という恨み節を吐くも、女性陣の二つの火砲から「オメエが長えからだろ。」と言う手痛い反撃を食らってしまう。どちらもこちらに目を合わせないところが火力を増大させた。
あなたの優秀な部脳が集う司令部は次の策に詰まっていると、見かねた店員がいやらしく間に入ってきて言葉で攻めてきた。
「ちょっと~、美女置いてどこ寄り道してたの~?」
すると海夢はフンッと甘い鼻息を一つ吹き出す。
「どうせまたナントカマリンのケツでも追い掛け回してたんだろ?」
そう言って彼女は投げやりに手に持ったお猪口を空にした。
図星をつかれたが、張子の虎のような役にも立たない薄っぺらいプライドが辛うじてあなたを支える。
「女のトコだしっ」
嘘ではない。
海夢は「ふーん」と煽るように鼻を鳴らすと「勝てない勝負に挑むバカ。」と言ってあなたを罵った。
見かねたういが朱く染めた頬をプ二プ二とさすりながら口を挟む。
「それじゃあどういう女と会ってたの?」
「ヒ・ミ・ツ」
「うわ、ウザっ。ゴミジャンお前。」
石を投げたら手りゅう弾を投げ返された。唯一中立として間に立っていた店員が、暖房の風にトサカのような髪を靡かせながら、優しく唇を動かした。
「じゃあ、どういう子がタイプなの?」
日本酒を飲み続ける海夢の瞳が潤んでいるのが目に入った。
何故このような話題を振られるのかあなたには分かるようで分からないふりをした。
回答に困るあなたに代わってういの頭から降ろされたアヒルが突然鳴き声を上げた。本物のアヒルだったことが判明し、うい本人が一番驚いていた。
なぜ気づかなかったのか。
しかしその一瞬が新たなチャンスを生む。店員が言葉を変えて質問を続けた。
「じゃあ、推しはどういうタイプ?」
「タイプ?」
「特徴でもいいよ。」
4人と一羽の間に静かな空気が流れる。
あなたはポツリポツリと話し始めた。
「身長は150センチで。」
「あ、アタシだ。」
海夢の返答に思わず「へ?」と反応してしまうも続ける。
「足のサイズが22センチ。」
「アタシもだな。」
「Gカップ。」
「まあ、それくらいは。」
「ポテトと揚げ物が好き。」
「大好き。」
恐らく酔っているのだろう、いつもより海夢のノリがイイ。
その後も同じようなことが続き、歌が好き、母性があるなどもすべて彼女は自身に当てはめて返答していた。唯一酒の強さだけは反対だったが、ういは二人の様子を見守る様にキョロキョロと瞳を動かして追っていく。自然と徳利は空になり、気を利かせておかわりを頼むと今度は2合の大きさで渡された。
「あとは、オバちゃん。」
これはあなたの小さな反抗だった。
「あ、それはアタシじゃない。」
海夢はそう言うと感高く「ガハハ」と笑った。
「そーいう笑い方するのよ。」
「へー。」
思わぬ返しに彼女は手元を見だした。空いたお猪口をもじもじと両手で遊びだすと、あなたは徳利を片手に彼女に酌を注ぎ始める。
「お前も飲め。」
いつの間にか用意されてあった陶器を持ち、海夢から注がれる様を無言で見つめる。そして静かに酌を合わせると、その場の全員と顔を合わせては一気に飲み干すのだった。
その後の事はお酒に任せてよく覚えていないということになっている。間違えて海夢のお猪口を飲んで怒られたりしたが、それも楽しい記憶の中である。
あなたが踏み出せない理由は彼女の存在であった。
周りには常に人がおり、親密な関係の異性もいる。そんな状況は周知の事実であり、この空間は拷問そのものであったが、駒を進めるためには毒すらも飲み干さなければならないことを自覚している。
アイドルであれば、親密になれないまでもこんな気分にならない。そんなあなたの心境は誰にも理解されずに、ただ時間が残酷にも過ぎ去っていくのであった。