それはあなたかもしれないし、あなたじゃないかもしれない。 作:茶漬四郎
ふふ、って感じ
仕事を辞めてからというものの、あなたの就職活動は思うようにいかず、周囲から心配の眼差しを向けられていた。そんなあるとき、宝鐘マリンから気分転換に外に行かないかと誘われるのであった。
ソロライブを終え、自己肯定感がマックスまで高まっている様子だったにもかかわらず、目の前にいる彼女はどこか丸い負のオーラを放っている。
海からの風を一身に受け、不機嫌そうなマリンはワナワナと肩を震わせ小さな猛獣のような眼を鋭く見開いた。
そんな彼女に開口一言あなたは声をかける。
「どうしたのマーちゃん、機嫌悪いね。」
「ッたり前だろぉ、お前。ココどこだよ。」
「横浜市中区、山下公園のトーイメンですね。」
つまりマリンタワーである。
「バカがオメエよ。」
あなたの回答に対してマリンが返したのは一切怖くない罵倒であった。
「おかしいだろ!本人前にしてなんで当人のコラボイベントに参加しようとしてんだ!」
マリンタワーを背にした二人の目の前には海の見える山下公園と右に行けばメガドンキがある。
「アタシとどっか行くならもっと他にも場所あったろうがよぉ。」
ホラッとマリンは左手を指さす。その先には一層高い建物が目に入った。
「ランドマークタワーとか!映画見るとか!観覧車は…ちょっとハードル高いか。」
「いいだろ。友人の活躍を間近で見たかったんだよ。」
「じゃあソロライブ来いよ‼」
もっともであったため「ごめん」と思わず下を向いて答えてしまった。とは言うものの、同じタイミングでマリンタワーに向かって歩き出したところを見ると、嫌々ながらも付き合ってくれる彼女に心の中で小さく感謝を伝えるのだった。
変装したマリンとマリンタワーへ上るためのオンラインチケットを購入する。時間的にナイトチケットでも良かったが、時季的にデイチケットでも夜景が見れると踏んで準備を整えた。
スタスタと歩く彼女をあなたは呼び止めた。
「宝探しクイズ、やりながら行くぞ。」
声をかけられたマリンの表情は見えなかったが、大きくため息をついて振り返る。
「そんなに特典が欲しいの?しょーがないなー。ご褒美はマ・リ・ン」
「やっぱこれスキップするか。」
「おい、ちゃんとやれよ。値段に含まれてんだから。」
ちなみにクイズは一人ではほぼわからなかった。チート兵器、本人の協力を惜しみなく使っていく。マリンの機嫌はさらに悪くなった。
マリンタワーの見どころは中華街から反対側の横浜港を見渡せるその絶景にあるのだが、今回の目玉は29階にある等身大「宝鐘マリン」のフィギュアである。気圧の変化をダイレクトに受けながらエレベーターを降りると、そこにはコインのあふれる宝箱に腰掛け、自身のルビー色の髪を遊び、脇を見せる魅惑の船長がそこにいた。
思わず「エロッ」と歓喜の声を漏らす。そしてついうっかり「本物よりかわいいかも」と口を滑らせてしまった。
マリンの機嫌はカンストしてしまった。これ以上はないから上を向くまでである。
「本物隣にいるのにそれ言うか?デリカシーねえな。だからモテないんだよ。」
彼女ご自慢の胸は配信で見るよりも心を掴む形をしている。しかし同時に胸の大きさと大差ない肩幅を持つ彼女の体を見て改めて、その小ささを実感する。
「頑張ってるんだな。」
「あ?」
「いや、意外と小さいんだなって。」
「何が?キャパが?」
何を言っても悪い方へと捉えられる。これが自業自得であることは言うまでもない。
二人がクイズを終わられる頃には辺りは真っ暗になっていた。ディープブルーに染まった海上には、ライトアップされた氷川丸が宇宙にある一等星の様に輝いていた。街の明かりも天の川のように列をなして横浜という街を照らしている。明かり一つ一つがこの知らない街を形成しているのである。
「綺麗だね。」と思わず二人は言葉が重なる。
予想外に気まずくなったあなたは山下公園とは反対側、つまりランドマークタワーの対面を指さした。
「あっち方面って何があるんだろう。」
その方角は高速道路が建ち並び、車の行き来が活発だった。
マリンは「ええ~、知らなーい。」と意味もなく目を細めて答える。
するとそばのベンチに腰かけていた中年が話の間に入ってきた。
「あそこは京浜工業地帯だよ。」
突然の不審者だったがあなたは動じなかった。むしろ「ありがとう」と礼を言うのである。
輝かしい観光地も気になるが、それよりもそこに住む人たちがどこに行き、どう生活しているのかが気になる。物語の脇役の、サイドストーリーを見ているようで好奇心をくすぐられるのだった。
「元町・中華街駅」が最寄りとは言え、地元住民が中華街で時間を潰すわけでは無いだろうと思っていたのだ。
あなたは指さし京浜工業地帯と呼ばれた方角から右へと示す。
「あの辺りは。」
そこは明かりが少し小さく、どこまでも広がっている。
「本牧だね。知らない?」
フルフルと二人は首を横に振る。
「マイカル・本牧…知らないか。ジャズ布教の地だよ。本牧ピザ、食べなきゃ損だよ。」
「もう少し、頑張ってみようかな。」
下へと降りるエレベーターの中であなたはポツリと独り言のようにつぶやいた。マリンも「お」と反応する。
「やる気出したかニート。」
「うん、元気出たよ。ありがとう。」
素直な感謝にマリンは面食らった。
「実はさ、昨日うまくいってた選考落ちちゃったんだよね。本格的に失業者手当受けなきゃって。」
「…別にいいと思うけどなあ。」
「よくないよ。見切り発車で辞めちゃってさ。世間がどう言おうと俺の中では負けなんだ。」
「何社受けたんだよ。」
「覚えてない。週2,3社受けてる。」
「もう少し休みなって。」
「母子家庭にそんな余裕はないさ。忌々しい退職金はまだあるけどな。」
エレベーターは思ったよりも早く2階へと到着した。
あなたは頑張っている友人に負い目を感じていたのかもしれない。いつもなら同乗者を先に外へと出すあなただったが、この時ばかりは早く夜風にあたりたい一心で先に出た。
するとクイッとマリンがあなたの袖をつまむ。
「グッズ、買ってけよ。」
彼女の親指が示す方向には小さなスペースがあり、宝鐘マリンで一色に染められていた。
「忌々しい退職金、なるべく軽くしていきな。」
購買エリアに入ったマリンは主婦の様に機敏に動きながら覇気のある声を周囲に響かせた。アクリルグッズ、缶バッチ、CD、ぬいぐるみ、財布の制約はあるがその中でも存分に堪能しようとしているあなたに彼女は容赦なく指示を出してくる。
「馬鹿ッ!この缶バッチは東京のキャラストでも買えるって!こっち!」
買い物の手はマリンに委ねられた。
「ワ…ワァ」
「ちいかわみたいに狼狽えてるんじゃねえ!キモイんだよアラサー!」
「フルフル…えっCDも?もう持ってるぞ。」
「…!特典!中華街の!つくから‼」
それからスタスタと奥まで行くと香りのするグッズの前へとあなたを案内した。
それは彼女をイメージした香水だった。
「嗅げ‼マリンを‼」
「ゲェ…」
「ふざけんなオメエ、鼻腔で感じろ!」
スンスンと鼻を鳴らしてみる。確かに落ち着いた、ロクシタンが似合いそうな女性の香りがした。
「ホントだ。」
思わず目をパチクリとさせる。
「匂いが似てるぞ、おい。」
「ウェ!?」似ていると言われてマリンは思わず自分の首筋に手を当てて後ろずさった。
会計はなかなかのものだったが現金が使えずにマリンのカードに頼ってしまった。ブツクサと小言を言うマリンに振り返ったあなたは礼を言う前に自分の意思を伝えた。
「次の仕事見つかったらさ、一緒にまた来てくれる?今度はランドマークタワー行ってさ。」
「…」
「…映画でも見ようよ。」
彼女はポッケに手をいれて、ゆっくりとそっぽを向いた。
「…早く仕事見つけなよ。」
夜闇のせいでその顔が見えない。
「そんでさ、本牧に家買ってさ。一緒に住もうぜ。」
話し相手が息を拭きだしたのが分かった。
「アンタとなんて死んでも嫌だね。」
その表情はマリンタワーのライトアップにも負けず明るく、海風の寒さに負けないほど暖い、今日一番の笑顔だった。