神皇興国紀   作:HawkAndEagle

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3.

 

 ――小さい頃、自分が一番怖いと感じたモノのことは今でもよく覚えている。

 

 六歳の時のことだが、些細な好奇心がきっかけとなってとある事故に自分は巻き込まれた。

 あの事故によって自分は意識不明の重体に陥り、両親とも一時的にではあったが完全に離れ離れにならざるを得なくなってしまった。

 

 目を覚ましてから事情を聞かされ、すぐに家へ帰ることができないと小さい子供ながらに理解した時に感じた大きな『孤独』は、それまで自分が体験したことのない未知の恐怖そのものだった。

 

 両親が仕事で家を留守にしがちで、一人で過ごす時間が比較的多かった自分にとって『孤独』とは、慣れ親しんだ単なる静寂に過ぎないものだとそれまでは思っていた。

 しかし、家に帰れないかもしれない、という普通だったらあり得ない可能性を突き付けられたことで、慣れ親しんだものと思い込んでいた静寂は内側から蝕むように込み上げてくる、抑えきれない恐怖を生み出す源泉になるのだと思い知らされた。

 

 昔、母親の実家に預けられて親戚のいとこたちと川で一緒に遊んでいた最中、うっかり足を踏み外して溺れた時ですら、そこまでの恐怖を感じることはなかった。

 あの時の自分にとって、本当の意味で初めて体験した真の『孤独』の方が、何よりも恐ろしいと感じたのである。

 

 ……だからこそなのだろう。

 事故に遭った自分を助け、寄り添ってくれた人たちとの出会いが、その恐怖を和らげてくれたのだとすぐに理解できたのは。

 

 もちろん出会った人すべてが最初から自分に優しかったわけではないし、むしろ自分を煙たがって近づこうとしなかったり、何ならあからさまに気に入らない態度を見せたりする方が多かったような気もする。

 だがそれでも両親と家で一緒に過ごしてる時や、母親の実家に預けられて過ごしてた時に感じたモノとはまた異なる大きな安心感を、どういうわけかその助けてくれた人たちとの交流を重ねる中で自分は感じるようになった。

 

 そして、その出会えた人たちの中に彼女がいたからこそ、あの時から今に至るまで、俺の日常は実り豊かに彩られたモノとなり、何物にも代えがたい宝物に変わったのである。

 

 ……たとえそれが、一瞬しか見ることができず、手にすることの決して叶わない輝きであったとしても、だ。

 

 

 ※

 

 

 顔、ひいては頭部に妙な肌寒さを感じて、おもむろに目が覚める。

 瞼を開いて見えてきた景色が見慣れた自分の家の天井でなく、露出した木造の屋根の裏側であったことから、自分が離れの館で寝ていることがすぐに分かった。

 

「――あ。良かった……お目覚めになられたようですね」

 

 それと同時に、今日ここへ来てからずっと会いたいと思っていた女の子がすぐ傍にいることにも瞬時に気がつく。

 ……そのことを理解した途端、まだ若干まどろんでいた意識が一気に覚醒するあたり、自分が結構単純な男であることに内心苦笑いせざるを得ない。

 

「……ああ、良い目覚めになったよ。今一番見たいと思ってた顔を、こうして拝めることができてるからな、トモエ」

「うふふ、ありがとうございます。そう言っていただけると、お目覚めになるのを傍で待っていた甲斐がありました」

 

 優しく微笑み、柔らかい透き通った綺麗な声でそんなことを言われれば、照れるなという方が無理な話だろう。

 しかもそれを口にした相手がとびっきりの美人――アヤカ同様、小さい頃から付き合いのある、惚れた幼馴染の女の子であればなおさらだ。

 

「お、おぉ……そっか……。なんつーか、それなら良かったよ。

 ……あー、それで、さ。俺どのくらい横になってたんだ? 急に眩暈がして、そのまま倒れたってところまでは覚えてるんだけど」

「およそ二刻、といったところです。薬師に診てもらったところ、倒れた原因は軽度の『夏負け』でそれほど深刻なものではないとのことなので、そこは安心してください」

「そうか……とすると、今はもう夕方か……」

 

 トモエから俺が意識を失って目を覚ますまでにかかった時間と病状について大まかに教えてもらったことで、ひとまずほっと一安心する。

 

 二刻半――つまり四時間ほど眠っていたということになるが、そのくらいであれば帰るまでの時間にそこまで不安になる必要はないだろう。

 倒れた原因も――少々情けないと言われるとぐうの音も出ないが――『夏負け(ようするに夏バテ)』に罹っただけで、何か重い病を患ったとかではないとのことだ。

 

 まあ、もし何か深刻な原因で倒れていたのであれば、トモエが今こうして俺を看病するなんて行為そのものが許されてないはずなので、病気が完治するまで帰ることを許されないなんてことにはならずに済みそうである。

 

 ……トモエの身の安全を心から願うのであれば、たとえ夏バテに罹っただけと分かった後でも、突然意識を失って倒れた人間の看病をさせること自体、本当は止めさせるべきなのかもしれないが、それを口にすると今拝めている天女のように優しい彼女の笑顔が、静かな怒りと圧を纏った恐ろしい微笑みに変わるような気がしたので、言わないでおくことにした。

 

「あ、無理に起きなくてもいいんですよ?」

「いや、大丈夫。気分は悪くないし、身体もどこか違和感があるわけじゃないからさ」

 

 トモエの気遣いに感謝しつつ、俺は掛布団――よくある四角い形のモノではなく、就寝用に使われる大きい着物だが――を剥いで上体を起こす。

 

 障子、もしくは簾越しに差し込む夏の西日が部屋を照らす中で、凛とした、それでいて奥ゆかしい柔らかな佇まいで正座し、こちらを見つめる彼女の姿が改めて目に映る。

 

 腰まで伸ばした艶やかな黒髪に、清楚可憐でありながら大人びた美しさまで感じさせる整った綺麗な顔立ち。

 異母妹であるアヤカと同じく、「巫女」を連想させる高貴な服装は肌の露出が控えめであるが、それでも分かるくらいに抜群なプロポーションを有していて、本当に同い年の女の子なのか疑いたくなるほどだ。

 

 特に胸は、着ている服の上からでもはっきりと見て取れるほどの大きな膨らみを抱えており、プロポーションの良さと相まって身体から溢れる色気は人並み以上のモノがある。

 

 比喩とか誇張抜きで、こんなに可愛らしくて綺麗な優しい女の子と巡り合い、仲の良い友達になるという幸運を与えてくれた運命の女神様には感謝してもしきれないくらいだ。

 

「…………クニヒコ? どうしたんですか? 急にぼんやりとして」

「――え? あぁ悪ぃ悪ぃ。実は、ちょっと懐かしい思い出を夢で見たなって思ったから、それで少し、な」

 

 いけないいけない……つい夢中になってトモエのことを眺め過ぎてしまった。

 親しき中にも礼儀あり。変にジロジロと見続けていたことがバレないよう、さっき目を覚ますまでの間に見てた夢のことを話して適当に誤魔化した。

 

「あら、それはまた。……いつの頃を夢で見てたのか教えていただいても?」

「それは構わないけど……別にそこまで面白い話じゃないと思うぞ」

「そんなことはないと思いますよ? クニヒコが懐かしいと感じるのなら、私も楽しんで聞けるはずです」

 

 ……あれ? なんか思ってた以上にトモエが食いついてきたな。

 

「ホントに大したことじゃないんだけどなぁ……。俺がこの国へ初めてやって来て、お前を含めたこの家の人たちと出会った時のことを、なんとなく思い出しただけだからさ」

 

 そう。本当にさして珍しくもなければ、会話をそこまで広げてくれるとも思えない。

 過去の思い出を『夢』という結構粗目なフィルターを通して見ただけの、誰もがたまに経験するであろうありきたりな出来事に過ぎないので、俺としてはもっと別の話題でトモエとおしゃべりをしようと考えていたのだが、

 

「……いいえ、ますますお聞きしたくなりました。どうかそのままお話しください」

 

 どういうわけだかトモエが興味津々といった様子で続きを促してきたのである。

 

「いや、お前も知ってる……つーか、覚えてるばかりのことだぞ? まあ小さい頃のことだし、もう忘れちゃてるとかだったら別だけどよ……」

「いえ、あの頃のことでしたら今でもしっかり覚えていますよ。……私が直接、見て聞いた限りでの思い出、という意味にはなりますが」

 

 目を覚ました時とはまた違う――ほんの僅かにではあるが、悪戯っぽさを感じる微笑みと眼差しで、こっちの顔を覗き込むような仕草でトモエは返事をしてきた。

 

「気づいたんですよ。私の方から、あの頃の思い出を語った機会はあっても、クニヒコの口からそうしたお話を聞いたことがないなぁ、と」

「…………」

 

 ……自分が惚れた女の子からこんな風にお願いされた時に、どう断れば正解なのか。

 それを知っている人間がもしどこかにいるのであれば、是非ともそれを教授して欲しいところである。

 

「…………はあ、まったく。かしこまりましたよ、皇女様(・・・)

 

少なくとも俺は、トモエがこの方法でお願いをしてきた時点で、もう観念するしかないというか素直に聞き届ける以外に、取れる選択肢を知らないのだから。

 

 

 ※

 

 

 クニヒコと私は幼い頃からの友人です。

 

 私たちが出会ったのは八年ほど前で、お互いがまだ六つになる歳の頃でした。

 当時、行啓されていた母が瀕死の状態で倒れていたクニヒコを見つけ、治療と保護のために連れ帰ったことが、彼との出会いのきっかけでした。

 

 ……ただ、きっかけを得たとは言っても、すぐに彼と仲良くなったかと言われれば、そういうわけではありません。

 

 クニヒコとの顔合わせ自体は、彼が宮へ運び込まれてから数日が経ち、目を覚ました翌日の朝と早かったのですが、その時に感じた私の彼に対する印象は、お世辞にも良いとは言い難いモノでした。

 

 地頭は特に悪くなさそうでしたが、教養があるかと聞かれると微妙に感じる雰囲気。

 何か大きな不利を背負ってるように感じる部分こそ見られないものの、これと言って光る何かを特に感じるわけでもない、変哲のない普通の身体。

 一応、子供ながらにそこそこ整った顔つきと、目にする機会の少なかった短い髪型には、物珍しさもあっていささか興味を引かれる部分こそありましたが、逆に言えばそれだけ。

 

 総じて平凡、強調できる点を特に見出せない『なんとなくぼさっとした垢抜けない雰囲気』をしている同年代の見知らぬ男の子。

 

 それが初対面でのクニヒコに対する、私の偽らざる印象でした。

 

 ……軽く思い出しただけでも、彼のことをそんな見込みを感じられない人間と見なしていたあの頃の自分を恥ずかしく思う限りです。

 

 当時の彼は、私と同じ教育を受けていたわけでも、ましてや同じような環境で育ってきたわけでもないのですから、出会った時点では野暮ったい雰囲気をした子供なのは当たり前のことです。

 

 さらに言えば、その野暮ったさも私や異母妹のアヤカ、そして従姉妹のアズサと共に学び、また兄のヒデヒトや弟のモリヒト含めた周囲の人たちに鍛えられたことで、ふさわしい礼節と教養を身に付けた、真っすぐで心優しい明朗快活な人間性へと成長しました。

 ……時々調子に乗って情けない姿を晒したりすることもありますが、そこはクニヒコらしい『魅力的な欠点』と言える部分でもあるので、特に気にする必要はないでしょう。

 

 ともあれ、そんな彼と出会い、血の繋がった家族や親類以外で気兼ねなく接することができる友人になれたことは、今日これまで生きてきた私の人生において一番の幸運と言っても過言ではありませんでした。

 

 ……唯一。

 お互いの生きる世界が『立場』という意味でも、また文字通りの『現実』という意味においても、大きく異なっていたという不運にさえ目を瞑れば、でしたが。

 

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