6.
「やっぱ壮観だなぁ……この時期の葦洲の景色は」
いつものように元の世界とこちらの異世界を繋ぐ『門』を使い、トモエたちの暮らす宮に向かって足を進めていた昼前の道中。
葦洲国内でも随一の水田地帯が広がる地域に入ってから見える黄金色に輝く一面の景色に、つい立ち止まって見渡しながらそう呟いた。
あと数週間も経てば収穫が始まるであろうこの地域で、僅かな期間しか目にすることのできないこの綺麗な光景は、実り豊かな秋を伝える祝福そのものと言っていい。
〝小さい頃からずっと見てきたし、俺の世界の田舎とかにある広い田んぼでも似たような景色はもしかしたら見れるのかもしれないけど……こっちの方が他に並ぶモノがないくらいに綺麗だって思うのは、やっぱ俺自身がこの景色を気に入ってるからなのかな?〟
景色を見渡しながらなんとなくそう思いつつ、俺は立ち止まっていた田んぼ道の場所から再び歩き出した。
収穫の時期が近いこともあってか道すがらには稲の実り具合を確認する人や空模様と風向き等から明日以降の天気を予測し、稲刈りをいつ行うべきか相談し合う人たちなどの姿がちらほらと見受けられる。
またこの辺りの地域を管轄する府所――葦洲国内で定められた地域ごとの役場になる――からの派遣であろう役人の姿もたまに目に映り、稲の状態を確認してる人たちへ聞き取りをしたり、村のお偉いさんと思われる人と話し合っていたりなど、それぞれの仕事に邁進している様子だ。
そんなこの国の秋の風物詩と言える光景を目に収めながら、俺は宮に向かって変わらず歩き続けた。
顔見知りを見かけたり、そうでなくとも向こうから声をかけられたりすれば軽く挨拶だけはするものの、立ち止まって雑談したりするのはなるべく避ける。
なにせ『門』のある場所から宮までは「片道一時間弱」かかる距離なのだ。挨拶する度、される度に止まってたら着くのがどんどん遅くなる。
出なければならないお務めがますます増え、忙しくなったトモエの貴重な休みが今日だと聞いてやって来てるというのに、別の場所でわざわざ油を売って一緒に過ごす時間を削るなんてもったいないことはしたくなかった。
〝それに俺も中学二年の秋って時期に入ったのもあって、来年に待ち構えている受験への対策をぼちぼち始めなきゃって感じだしなぁ……〟
正直、評判や民度の低すぎる高校でなければ進学先がどこになろうと気にならないが、そうでない真っ当な高校を選びたいのであれば、それなり以上の偏差値は確保する必要があるだろう。(一応両親からは、私立と公立のどちらになっても構わないとは確認済みである)
まあ幸い、というか前向きに捉えるなら、よっぽど苦手な科目を除いて成績は悪くないし、勉強に対する意識も他の同級生たちと比べればかなり高い……はずだ。
なにせ小さい頃からトモエの一族や彼らに仕える人たちの世話になるにあたって、彼女を含む一族の子供が成人するまでに受ける勉強と鍛錬を、自分にも例外なくみっちりと仕込んでくれた。
文字を覚えるところからのスタートだったのでかなり苦労はしたが、おかげで元の世界でもそれなり以上に通用する教養と知識をこの歳で修めることができた。
もちろん、あくまで異世界で学んだ教養と知識なので対策しなくても合格なんか余裕、とかそういうわけではない。だが勉強することへの苦手意識や苦痛を特に感じなくなったのは、間違いなくトモエたちとの交流を重ねて鍛えてもらえたからだろう。
慢心さえしなければ自ずと結果は付いてくるものと信じたいところである。
「……。……そういえば。この世界にやって来てから文字を覚えることについてはずっと苦労してきたけど、言葉を使って話すことに関して困ることはほとんど無かったな」
勉強のことで考えを巡らせていたからか、気にすることがなくなってすっかり忘れていた、異世界で用いられてる文字と話されている言葉の謎について不意に思い出す。
俺がこの世界へ足を運ぶようになってから今までに出会った様々な人たちとの会話で使われた言葉はすべて日本語だったし、こうして歩を進めていく中で聞こえてくる会話もやはり聞き慣れた日本語を使って話している。
この事実を最初に知った時は、この手の転移モノを題材にしたフィクションでありがちな『言語翻訳』ないし意思疎通を補助する類の能力を、所持してたり与えられてたりしたためなのかとてっきり思った。
が、俺が意識を失った状態で宮へ運び込まれた際に、治療と同時に身体の方も色々調べられたようだが、どうもそういった類の能力は特に見つからなかったらしい。
……その話を聞かされた時は、もし自分に何か隠し持った能力があってその覚醒を果たせば、覚えるのが面倒極まりないと感じていた葦洲国の文字だけでなく、この異世界で使われているあらゆる文字を苦も無く理解することができるのではないか、と少なからず期待してただけに結構がっかりしたものである。
〝実際問題、文字を覚えて使いこなせるようになるまで無茶苦茶苦労したからなぁ……。日本語と比べて文字の形状が違い過ぎて、意味不明な記号と雑な走り書きで羅列された『文字とは名ばかりの単なる落書き』にしか最初見た時は思えなかったし〟
宮で勉強を教わり始めた際に、異世界の文字で『いろはにほへと(以下略)』と書き上げて覚えることすら苦戦続きで嫌気が差しかけたくらいなのだ。トモエたちの手伝いがもし無かったら、俺はこの国の文字の読み書きでの苦労を今も引きずっていたかもしれない。
……いや読み書きどころか、宮へたびたび来てるくせに文字さえロクに覚えることができない得体の知れぬ子供、という視線を宮に仕える官吏や女官たちから今も浴びて、肩身の狭い思いをしながら過ごすことになっていたのではないかとさえ思う。
と、まあそんな感じで『文字』に関する苦労は話題が尽きないほどに経験をしてきたのだが、言葉を使って『話す』ことについての苦労は皆無と言っていいほどに経験が無かったのだ。
知らない単語や聞き慣れない方言によってスムーズな会話に支障をきたすことも時々あったとは言え、そういったことは元の世界でも普通にあることだし、文字を覚える時の苦労と比べれば可愛いらしいものだ。
〝異世界なのに話されてる言葉が日本語ってことは、俺の生まれた世界と行き来できること以外にも何か繋がりがあるってことなのか? それとも単なる偶然……? いやでも、使う言葉の一致をただの偶然って片付けるのはちょっとアレだし――〟
「――あら? クニヒコじゃない。どうしたのよ、そんな考え事をしながら歩いてるなんて珍しいわね」
「――――って、あれ? アズサ?」
不意に聞き覚えのある声が耳に入ったことで、思考の海に沈んでいた俺は一気に現実へ引き戻される。思索にふけって歩いていたためか、道外れで何やら役人と話していたアズサの存在に気づかず、素通りしそうになっていたらしい。
「なんでこんなところに? つーか、俺が何か考え事をしてたってよく分かったな」
「そんなの簡単よ。普段からキョロキョロと周りをよく見てるクニヒコが、こっちに気づかないで上の空で歩いてたんだから。何もないのに声をかけず無視するなんてあり得ないし、何か考え事してるのかなって思うのは当然ね」
「……俺、そんなキョロキョロって言われるくらい周りを見たりしてたっけ?」
そう訊ねるとアズサは「ええ。それはもう、誰が見ても分かるくらいには」と小さく笑いながら返事をする。
嫌味を感じるわけではないし、適当なことを口にして揶揄うような性格をしてるわけでもないので、偽らざる本音なんだろうというのは分かるが……うーん、なんか納得し難い気分だ。
「……まあ別にいいか。んで、どうしてわざわざアズサが出張ってまで、こんなところでお役人さんと相談を?」
「ええ、ちょっと厄介事が起きてて……その調査の一環で少しね」
そう話しているアズサの後ろを見ると、彼女と一緒に来たと思われる複数の武官が村人たちから色々聞き取りを行っていた。
……ただの護衛にしては人数が多い上に、よく見ると完全武装とまでは行かなくても全員それなりの武装をしており、明らかに戦いへの備えをしている。
アズサについてもそれは同様で、服装は動きやすさを重視した無地の小袖にズボンのような袴で、服の下には薄い着込みの防具をおそらく幾重にも重ねて着て、身軽さを重視しつつも可能な限り防御を高めようとしているのが分かった。
「……ひょっとして、かなりヤバい類の厄介事?」
「その『ヤバい』が、相当危ないって意味で言ってるのだとしたら、その通りよ」
そう返事をするアズサの表情は深刻そうで、表に出さないように努めてこそいるが不安を隠しきれていない様子だった。
「……詳しく聞かせて貰えたりってできそうか?」
「それは別に構わないけど……クニヒコの予定は大丈夫なの? 今日だって、こっちに来たのもトモエに会いに行くためだからでしょ?」
「確かにそうだけど、そんなヤバそうな厄介事に巻き込まれてるアズサを放っとけるわけないだろ?」
宮付きの指折りの武官が相手であっても渡り合えるほど武芸に秀でてるアズサが不安を覚えるくらい危険と聞かされれば、このまま見過ごすなんてできない。トモエとの約束はもちろん大事だが、今はアズサの話を詳しく聞くことの方が俺にとって優先である。
するとアズサは、一瞬だけ目を見開いてからしばし考え込むような仕草を見せた後、先ほどまでやり取りをしていた役人に「もう一度、詳しい話を聞かせて」と手短に命じた。
命じられた当の役人は――アズサの方から呼びかけたとはいえ――急に話に割り込んできた俺に若干困惑してたようだが、すぐに切り替えて事情の説明をしてくれた。
「……実は、十日ほど前に、この地域の森林で魔猪か魔熊が現れたかもしれないという報告が届いておりまして」
――訂正。こりゃ『ヤバい』どころじゃなく、『相当激しくヤバい』厄介事だ。それも『非常に面倒極まりない』というオマケ付きの。