神皇興国紀   作:HawkAndEagle

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7.

 『魔猪』と『魔熊』。

 

 こいつらが一体どういう存在なのかと端的に説明するなら、魔物化した猪や熊、と言えば最も適切な表現になるだろう。

 

 魔物化した、と述べた通り、こいつらも元は野生で生きていた普通の猪や熊だ。

 そいつらが、とある〝きっかけ〟によって身体に異常をきたし、その結果、高い狂暴性と異常化する以前とは比べ物にならないほど頑丈な肉体と極めて高い膂力を獲得した個体。それが『魔猪』や『魔熊』と呼ばれる魔物化した生物たちなのである。

 

 では、その野生動物たちが魔物化してしまう〝きっかけ〟とは何なのか?

 これも諸説はあるらしいが、体内に蓄積した魔力が許容量をオーバーし、それが長期間続いたことによる魔力の淀み――要するに『魔力中毒』に罹った野生個体が長年に渡って死なずに生き続けてきたことが原因として最も有力らしい。

 

 本来、肉体が許容する量を超えた魔力を蓄積したことで発症する『魔力中毒』に罹った生物は、超えた分の魔力を早急に取り除かないと、時間が経つごとに意識や運動機能に障害が発生するようになり、衰弱して死に至ってしまうことがほとんどだ。

 ……ただ極稀に、その状態による苦しみに耐えて生きながらえる個体も存在し、そうした個体が体内に蓄積した多量の魔力を、淀みが生じるまで長期に渡って保持し続けたことで肉体と精神が変質し、魔物化してしまうというわけである。

 

 そしてこの魔物化した生物。草食だろうが肉食だろうが、放っておくと周辺地域で暮らす住民への被害が馬鹿にならない。

 だからこそ魔物化した動物は、発見が報告され次第、早急に討伐しなければならないのだが……。

 

「――なーんで、よりにもよって現れるのが『魔猪』か『魔熊』なのなぁ……?」

「……急にどうしたわけ? 愚痴を溢してる暇があるなら、もっと周りをよく見て」

「あー悪ぃ悪ぃ。けど、そういう意味で言ったんじゃないんだ、アズサ」

 

 まあとは言え、トモエと会う約束をドタキャンせざるを得なくなったことに対する愚痴も混じってたことも確かなので、完全な誤解というわけでもないのだが……。

 

 ――ちなみにだがトモエには今回のアズサの仕事を手伝う件について、また後日に会う約束も含め、伝令役の人に謝罪の言伝を頼んでおいた。どんな理由があれど、約束を破ることになるのであれば、まず初めに謝るのは当然だろう。

 

〝まあ、それは一旦置いておくとして……〟

「……討伐任務だし、危険な相手と戦うことになるっていうのは別に良いんだよ。ただ……その討伐対象が魔物化した動物って聞かされると、どうしても不安が、な」

 

 討伐隊は現状、俺たち含めて少人数の複数の組に分かれて行動し、討伐対象である魔物が『魔猪』か『魔熊』、どちらであるかの特定とその発見に全力を注いでいる。

 捜索の範囲を広げるためとはいえ、少数で行動してる最中に魔物と遭遇した時の可能性を考えると、たとえ杞憂だったとしても不安を感じずにはいられなかったのだ。

 

「あら? 私たち程度じゃ『魔熊』どころか、『魔猪』とも渡り合えるか不安に感じてるってことかしら?」

 

 どことなく試してるようにも揶揄っているようにも聞こえる声で、俺の不安を聞いたアズサがそう返事をする。

 

「おいおい、クニヒコさんよ? もし仮に、本気でそう思ってるんだとしたら、さすがにそれを聞き捨てならないぜ?」

「同感ですなぁ。長年に渡って葦洲と大王の剣たらんと精進し、お役目を果たしてきた小生の力不足を疑われてしまうとは……」

 

 そしてそんなアズサの発言に釣られてか、一緒にいた二人の武官――精悍で厳つい大柄な男性の『牧清義(まききよのり)』と、細身だが武者としての貫禄を感じさせる初老の男性の『道家白也(みちいえはくや)』さんも、何ともわざとらしい喋り方で話しかけてきた。

 ……なんか思いもしない形で、彼女たちのプライドを刺激してイジられることになってしまったな。

 

「違う違う、そうじゃない。というか、なんで今この場にいない面子を含めて、俺があんたたちの実力を疑わなきゃならないんだよ……」

 

 急に振られた三人からの冗談に、若干呆れながらも俺はそう返事をする。

 

 アズサはもちろんだが、清義や白也さんを含む葦洲の宮に仕える武官の人たちも、俺は小さい頃からずっと近くで見てきた。

 成長してからは定期的に鍛錬や手合わせを一緒にするようにもなったので、彼らが文字通り『国を守る』に足る強い人たちであることは身を以て理解している。

 ……最近は俺も彼らとの本気の手合わせでようやく勝利を収められるようになりつつあるが、それだって『一対一』の場合のみで『一対複数』で勝てたことは一度として無い。

 

 そんな彼らの実力を正しく認識してるであろう俺が、〝力不足〟という意味で彼らに対して不安を覚えるなんてあり得ないことである。

 

「だったらクニヒコよ。お前さんは一体何にそんな不安を感じてるんだ? 去年の冬、たった一人で魔猪を討ち果たしてアヤカ様を救った益荒男とは思えない気弱な口振りとしか、俺の目には見えないぜ」

 

 そう言って今度は割と真剣な声で清義が尋ねてくるが、それに対する俺の答えはもう既に決まっている。

 

「あれはアヤカを助けるために無我夢中で動いた結果、運良く討ち果たせたってだけのことだよ、清義。おまけに俺が討った魔猪は、魔物化して間もない比較的若い個体だった奴っぽいから、一人で討ったって言っても仰々しく自慢できるものじゃないさ。

 ……だからこそ不安なんだよ。俺が戦った未成熟の個体ですらあんな化け物じみてたのに、あれと同等か遥かに超えるような脅威を持つ個体をこれから討つ上で、一人の犠牲も出さずに終わらせられるのかなってさ」

 

 ……既に一年近く経とうとしているが、あの化け物じみた生き物との闘争は俺にとって未だ昨日のことのように思い出されるほどの衝撃的な出来事だ。

 

 宮の練兵場で日頃行っていた鍛錬や武官たちとの手合わせとは全く違う――命を賭した本物の戦いを生まれて初めて経験したことや、いくら手傷を負わせようと怯むことなく迫ってくる魔猪の姿に戦慄させられたからというのも理由としてはあるだろう。

 

 だが、俺があの時の戦いを忘れられず、今なお脳裏に焼き付いて離れない一番の理由は、魔猪に襲われて動けなくなったアヤカが危うく食い殺されるところだった危機的な場面を、直に目にしたからだ。

 

「アズサたちの力は俺も信じてるし、何なら俺がいなくても何の問題もなく魔物を討伐できるって思ってるくらいだよ。……ただ、もし万が一のことが起きたらってのを考えるとやっぱどうしても、な」

 

 ……あの日の夜、山で無茶な修行をしていた最中に事故で遭難したアヤカを、苦労の末に見つけた際に目の当たりにしたあの光景は、今でも脳裏に焼き付いて離れない。

 あの時はまだ比較的弱い『魔猪』が相手だったからこそ、俺もアヤカも無事に生きて帰ることができたが、今回はそんな都合の良い展開を期待することはできないだろう。

 

 目撃された個体は魔物として完全に成熟した個体であろうとのことなので、未成熟の魔物とは比べ物にならないほどの強さを持っていることは確実だ。おまけに今回は運が良ければ『魔猪』の討伐で、悪ければ『魔熊』の討伐になるという、どっちに転んだとしても危険極まりない最悪の二択である。

 

 誰も怪我をすることなく……というのは、さすがに贅沢どころか傲慢にもほどがある願いだろうが、全員で無事に生きて帰れるかどうか分からない今回の戦いに対して、不安を拭い切ることがどうしてもできないのだ。

 

「……クニヒコ殿。あくまでも他の者たちよりも長く生き、多くの戦場を見てきた老兵の取るに足らぬ弁であるということを、承知の上で聞いていただければ」

 

 すると、俺の溢した不安を聞いた白也さんが、静かに、そして諭すように語りかけてくれる。

 

「どのような存在が相手であったとしても、そこで命のやり取りが行われるのであれば、誰もが死と隣り合わせになります。無論、知恵を絞って動けば生き延びる可能性を広げることはできますし、弱き存在が相手ならば、驕ることさえなければ不意を突かれて命を落としてしまうことは滅多にないでしょう」

「うん……そうだな」

「……ですが、あまりに強大かつ凶暴な存在を相手にするとなれば、例え驕らなくとも、どんなに知恵を絞って動こうとも、気づいた次の瞬間に命を奪われてしまうことが珍しくありません。

 ――そしてそれは、どのような猛者であれ、どれほど貴き御方であれ、巡り合うことになれば皆等しく、です」

「…………」

 

 冷静にではあるが、その実、強い悔恨とどこか諦めを感じるような声でそう語る白也さんに、俺はどんな言葉を口にして良いのか分からなくなってしまう。

 

 言ってること自体に納得できないとかではないし、何ならまだ一度きりとは言え、同じように死線をくぐり抜けた経験を持つ者として大いに理解すらできるくらいだ。

 ……ただ、その理屈を言われるがままに認めることだけはどうしても嫌だった。

 別に俺が認めようと認めまいと、戦いの場における理屈が覆せるわけでもなければ、俺なんかよりずっと長生きしている白也さんの考えを変えられるわけでもない。

 

 けれど、それを簡単に認めてしまうと、自分の知っている大切な誰かが目の前で理不尽に失われてしまうのではないか、とどうしても思わずにはいられなかったのだ。

 

 もちろん、今のこの考えを白也さんに伝えて問答したところで答えが得られるわけでもないし、そもそも俺がこう思うようになったのも無我夢中でアヤカのことを助け出した時以来なので、何か致命的な欠陥や矛盾があったとしても否定しきれないところがあるし、それに……、

 

「……まあ、なんだ。白也の爺さんが難しい言葉で色々言ってるが、要するに死ぬ時は死ぬ、生きる時は生きるもんなんだから、考え過ぎても仕方ないって思っておけば変に悩まなくて済むぜ、クニヒコ」

「「「……………………」」」

 

 ……うん、何というか……実にお前らしい雑なまとめ方である意味安心するよ、清義。

 

「清義はさぁ……もうちょっとこう〝知的〟にというか、気の利いた言葉を選べないのかしら……?」

「なに言ってるんですか、アズサ様。白也の爺さんが堅苦しい言い回しでクニヒコに長々と語るもんですから、それを自分が短くかつ分かりやすい言い方に直して励ますように言ってあげたんですよ」

「……配下の恥ずかしいところをお見せすることになり、誠に申し訳ございません……。この仕事が終わって戻り次第、腕っぷしだけでなく頭の方ももう少し強くなれるよう再教育することにいたします」

「いやその結論になるのはおかしいだろうが、じじい!」

 

 アズサと白也さんの両方から呆れられつつ指摘され、清義は――声が大きくならぬよう抑え気味にではあったが――必死に反論していた。

 

「まあまあ、別に良いだろ。少なくとも俺は清義の言ってくれた言葉のおかげで、励まされて気分も切り替えられたのは確かなんだからさ」

 

 そんな俺の言葉を聞いた清義は瞬時に「だよな! ほら、クニヒコだってこう言ってるんですし」とアズサに向かって必死に助けを求める。

 白也さん本人にではなくアズサに向かって頼むあたり、白也さんにどれだけ厳しく扱かれてるのか窺い知れるというべきか、清義のちゃっかりというか上手い感じで逃げようとする姿勢にらしいと感じるべきなのか……。

 

「……ええ、まあ、そうね。無事に帰ることができたら、ほどほどで止めておくようにしてあげてね、白也」

「……承知いたしました。では、ほどほどに厳しく再教育するようにいたしますので、改めて調査の方へ戻ることにいたしましょう」

 

 そうしてアズサの――若干呆れ気味、というか仕方なさそうにではあったが――言葉もあって、白也さんは清義への再教育をほどほどに止めると約束すると、痕跡探しに集中しようと提案し、アズサもそれに同意する。

 

 二人の会話を見守っていた清義は、帰ったら結局扱かれることに変わりはないと突き付けられたからか、まるで能面のような表情で絶望している。ただ、これ以上声を上げたところでもう状況が好転することはないと観念したのか、少し遅れて「……うっす」と小さく返事をすると、調査の方へ再び集中し始めたのだった。

 

 まあ、何というか……その、色々とお気の毒にではある。

 

 

 

 

 ――それから数十分くらいが経った頃だろうか?

 俺たちはようやく、近隣の集落から出没を報告されていた魔物の痕跡を見つけることができた。

 

 魔猪か魔熊、どちらの痕跡であるかを判断するために、白也さんが見つけた痕跡を入念に調べ始める。

 

 個人的に、もし出没してるのであれば、去年の冬に討ち果たした経験のある魔猪であってくれと心のどこかで願っていた。

 いや、どちらが現れたとしても討伐する上で危険極まりないことは確かなのだが、それでも魔猪か魔熊で比較するのであれば魔猪の方がまだ難易度は低いし、対峙した経験のある魔物が相手なら精神的な余裕も持てるというのも大きい。

 

 ……だが、こういう時に限って、貧乏くじというのは引く定めにあるらしい。

 

「――間違いございません。現れたのは魔熊と判断してよろしいでしょうな」

 

 最悪の二択の中でより最悪な方を、俺たちは引く羽目になってしまったのだ。

 

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