生活基盤が整ったところで、改めて俺の人間関係を精査しようと思う。
1つ目は佐倉とみーちゃんと松下と俺の4人グループ。
昼休みを共にすることや休憩時間に会話する事も多い。
所謂仲良しグループとでも言うべきか。女子3人は休日に一緒にいる事も多いようだ。
佐倉の面倒を見る事がすっかり板についてきたみーちゃんからは良妻賢母の才を感じずにはいられない。
小さい体いっぱいに情が詰め込められている彼女は俺とは完全に真逆なモデルケースといっていい。
2つ目は堀北を中心とした意識高い系グループ。
中間テスト以降は高円寺とは関係が途切れ、メンバーは長谷部、幸村、俺、松下、堀北の5人。
幸村との関係も自然消滅するかと思ったがそうはならなかった。
一気に姦しくなったクラス内でここが唯一安心できる居場所だと判断したんだろう。
俺が今回のテストで全ての教科で100点を収めたことで幸村から一定の信頼は得たらしく距離が縮まり関係は良好だ。
必要な時に集まるミニマムな関係は各々のライフスタイルに合っているのだと思う。
そして、所属しているグループは主にこの2つだけだが個人との関係の深さは櫛田と椎名の方が上だ。
今日はそのうちの一人である櫛田とケヤキモールに行くことになっていた。
俺の狭い交友関係を改善するべく櫛田が打ち出した新たな一手ということだ。
(…まだ来ていないようだな)
堀北の調教で染みついてしまった15分前行動で現地に着くが彼女の姿はない。
だが心配は無用。俺は今を生きる現代人である。
手持ち無沙汰な時間はこの文明の利器であるスマホが如何様にも埋めてくれるのだ。
ホワイトルームでは学べなかったエンタメはこのスマホ1つに詰まっている。
俺はイヤホンを装着して流行の音源を流し、それと並行して無料の漫画アプリを起動する。
速読技術にダブルタスク。俺の持つスペックをフル活用してインプットしていく。
「はい。マイナス1億点」
背後の柱からひょっこりと出てきた櫛田からの評価は救いようがないレベルに辛辣だった。
というか、いつの間にいたんだろうか。
最近のイヤホンのノイズキャンセル機能は前では、特殊な環境で培ってきた俺の危機察知能力も歯が立たないらしい。
「開口一番から手厳しいな。何がダメだったんだ」
「まず何そのファッション。色調強め緑のTシャツにベージュのチノパンに安物のスニーカー。極め付けは半袖パーカーだね。全部検索したらサジェストでダサいって出てくるよ。てか、芋すぎてマジ無理。ラッパーファッションより隣歩きたくない」
「…確かに俺はファッションには無頓着だが、人は外より中身だ」
「何言ってんの?中身がいいなんて大前提の話でしょ。そこからのプラスαで皆競ってるわけ?分かる?」
「……はい。すいません」
ぐうの音も出ないとはこのことだ。
これなら大人しく制服でも着ておいた方がマシだったかもしれない。
「当然だけど待ってる時の態度も駄目。スマホはともかくイヤホンなんて論外。スマホも見るなら今日のために有効的に使う事。例えばランチの場所を調べるとかね。てか、スタバのフラペチーノをテイクアウトしておいて女の子が来たら渡すくらいスマートじゃないとマイナスだから」
櫛田はそう言って俺にカフェのカップを押し付けてきた。
テイクアウト用の洒落たカップには店員のちょっとしたアートまで描かれていて遊び心が感じられる。
求めすぎだろうと反論する気も失せるくらい大人の余裕を見せつけられてしまった。
「髪型もいつもやってる適当なセンターパートだし。てか、癖毛くらい伸ばしなよ」
「これが本当の無造作センターパートってやつだ。……女子はノーセットが好みな人が多いってのは眉唾なのか?」
「あのねぇ…。女子がいうノーメイクがどすっぴんだと思う?ノー残業が本当に残業なしって意味だと思う?」
「……そんなのありかよ」
「ありなんだよ。分かったらさっさと頭下げる」
櫛田が語る男女観はネットの見識よりもリアルだ。
でもそれが現実ならYES/NO枕はYES/YES枕になるし、キリスト教の始祖も本当に信仰されているのか分からないノーキリスに改名しないとならない。
…いや、ならないか。
そんなつまらない想像に脳のリソースを使ったせいで、櫛田の指示の思惑を考えもせず思考停止で俺は頭を下げてしまった。
ぞわりと耳付近の側頭部に彼女の手が伸びてきて、背筋がピンと張る。
思わぬ急接近。それに加えて女の子特有の甘くて濃厚な香りまで漂ってくるのだから硬直する他なかった。
俺の髪を手櫛で梳かす事によほど夢中になってるのか、もしくはこのパーソナルスペースを大きく侵略するような距離感が彼女のデフォルトなのか。
とりあえず、いつもよりも魅力的に感じる彼女が近くて居心地の悪さを感じている自分がいるのは確かだった。
「ん〜…、まぁシルエット的にこんなもんかな。…何?」
「いや、ありがとう」
「…別にお礼を言われることはしてないよ。隣を歩く私が恥ずかしいだけだから」
素直にお礼を受け取ってくれないのは堀北と似てるなぁ…。
おっとまずい。他の女子と比べる行為がNGだということくらい俺にも分かるぞ。気をつけないと。
「それじゃあ、まずは見た目をなんとかしないとね。使わなかった保険のお金はまだあるんでしょ?」
「櫛田がうまくやってくれたおかげさまで丸々残ってるが、それを自分に投資するのは中々に抵抗があるな」
平田始動の勉強会には櫛田も先生役として参加していた。
英語の模範解答を知る櫛田は彼女達に過去問の存在を知らせずに点数を引き上げてくれた。
足りない点数は俺が補填をする運びになっていたので手元には多額の保険金がある。
しかし、これは禁断の一手。リボ払いに手を出したみたいなものだ。
「クズでカッコイイ男と真面目でダサい男。どっちがモテると思う?」
「…完全に前者だな。…大きな出費は出来ないからな」
「元々そんなつもりはないよ。綾小路君がハイブランドを着るとそっちが本体になっちゃうから」
遠慮なく無個性の烙印を押し付けられるが自覚があるので文句はない。
ファッションセンスの欠片もない俺がハイブランドを着ても豚に真珠。着せられている感は隠せない。
ハイブランドは別にダサ男をお洒落に見せてくれる万能アイテムじゃないのだ。
身の丈に合った等身大のアイテムをいかに着こなすかがファッションの極意だろう。
「ユニクロ、GU、無印は苦学生の三種の神器だから。これテストに出るよ」
「どんなテストだよ」
「ちなみに港区女子はDior、イヴサン、GUCCIが標準装備だね」
「港区は天界かよ」
庶民と港区女子では文字通り天と地の差だ。金銭感覚が違いすぎる。
エアリズムで立ち向かえるはずもない。戦う前に負けているのである。
「時間ないからさっさと行くよ」
引っ張られるように連れられて、俺はファッションセンターへと向かった。
綾小路改造(垢抜け)計画。第一章の始まりである。
◆
「すいません。この牛乳をかけた白米にマヨネーズで味付けしたような彼のファッションをどうにかしてあげてください」
櫛田は警察に指名手配犯を突き出すような勢いで俺をアパレル店員に丸投げした。
彼女曰く、迷った時はプロにお任せするのが一番だという。
彼女とて男のファッションに精通しているわけではないからだ。
それにしても、俺ってそんなに誇張するほど白いか?
確かにホワイトルームに15年間引き籠って、ろくに紫外線を浴びていないので肌年齢が赤子レベルな自信はあるが…。
…いや、本当分かってます。
これ以上ないほど食べ合わせが悪いアレンジ飯くらいに、俺のファッションが絶望的だということは。
「…これは急患ね。応援を要請するわ」
「マジですか。そのレベルですか」
「マジよ。もしそれが仮に好みを追求した自己満足の果てのファッションだとしても美的センスがないと言わざるを得ないし、何も考えずにチョイスした結果なら先天的な病気を患っている可能性が高いわ。少なくとも後発的要因でその極致には辿り着けないわ」
俺は無自覚のうちにダサいを極めてしまっていたらしい。
店員は本当にインカムで応援を呼び、俺はあっという間に囲まれてしまった。
「あの…、彼は治りますか?」
「大丈夫よ。可愛くてお洒落な彼女さんに見合うように私達も全力を尽くすから」
治るとは断言しない辺り寸劇としてのクオリティは高い。
けれど、美容関係者が医療の小芝居とは最近流行りのエステ脱毛みたいだ。
あんなのものは効果に見合ってないのに高価を請求してくる笑えない冗談である。
美容はいつだってノーペインノーゲイン。痛みなくして美は得られない―
「ちょっと待ってください。普通に痛いです。そんな強引にっ―」
「どうか彼を…‼︎」
懇願する櫛田にサムズアップを返した複数の店員達は俺を引き摺られるようにフィッティングルームに連行した。
「じゃあ、脱ごっか?❤️」
俺は抵抗する間もなく身包みを剥がされたのである。
―数分後―
「どう?見違えたでしょ?」
全身鏡に映る自分を見て驚いていると、自信満々の表情で店員が話しかけてきた。
いい仕事をしたという自負があるのだろう。
「お洒落の基本を学べた気がします」
「ほほう。その心得を聞かせてもらおうか」
「基本ベースは落ち着いた印象を持たせる黒か白で統一。差し色には季節感の感じる色合いを。後は俺の髪色と肌の色にシナジーのある小物をチョイスすれば一端の服装が完成です」
お洒落は引き算というがあれは真理をついていると思う。
奇抜な柄や特徴的な色調のようなNG例を全て省いた後に残るのがお洒落なのだ。
「…若い子の成長速度って凄いのね」
「もう、彼女さんを悲しませちゃダメだよ?」
「それと沢山褒めてあげるんだよ?デートでお洒落してきてくれてるんだからっ」
我が子の成長を喜ぶ親のような店員達は誤解を解くのも面倒なくらい勘違いを飛躍させていて手がつけられない。
戸惑いを隠せず黙っていた俺をそのままに彼女達は声を合わせてこう言った。
「「「全部でお会計。合わせて5万ptになります❤️」」」
(……普通に高ぇよ!!苦学生舐めんな!!)
◆
「普通にあれが相場だよ。むしろ、頭から爪先までかっこよくしてもらったことを思えば良心的すぎる値段。品質のいいアウターを買おうとすれば1着5万とかざらだからね?」
店を出て櫛田と合流して軽く愚痴っていると、衝撃の事実を伝えられた。
俺の金銭感覚がいかに世間の価値観と乖離していたのかが分かる。
ホワイトルームでは支給されていた無地のシャツを問答無用で着させられていたので服飾関係の知識はすっかり抜けているのだ。
「お洒落とお金は切っても切り離せない関係ってことか」
「安直な結論だね。経済的にお洒落してる人なんて沢山いるじゃん。大事なのは塩梅だよ」
「やりすぎもやらなすぎも良くないってことか?」
「平たく言うとね」
ファッションについて小一時間齧った程度の俺が、あえて今お洒落という価値観に結論を出すとすれば…
それはズバリ、「誰が見ても90点」だ。
視点が変わった今、改めて櫛田のコーデを見ると洗練さを実感した。
空色とライトグリーンと白の3色を基調としたショートワンピーススタイルで女の子らしい可愛さを残しつつ、落ち着ついた印象を演出。
靴やバックは茶髪に似合うライトブラウンの革製品に統一して、初夏を感じさせる赤色のリボンがアクセントとして映えている。
誰が見ても90点のトータルコーディネート。その完成形を彼女は体現している。
「とりあえず、ランチ行こっか」
「その前に一ついいか?」
「何?まだ何か―」
「櫛田。服似合ってる」
別にあの店員達に感化された訳じゃない。
俺は櫛田の努力を素直に褒めたくなったのだ。
「…………そういうのは言えるんだね……」
「悪い。聞こえなかった。なんて言った?」
「『今更気付いたの?』って言ったの。私が可愛いのなんて当たり前じゃん。ばーか」
可愛いとまでは言ってなかったんだが……、まあいいか。
心なしか上機嫌に歩き出した櫛田の気分を損ねるような発言は控えるべきだろう。
……それに言えなかっただけだしな。
本人も言ってる通り、櫛田が可愛いのなんてもはや当たり前のレベルなのだ。
◆
櫛田の案内についていき向かったレストランはお昼時ということもあってか生徒で混雑していた。
変哲もないチェーン店なのに長蛇の列が出来ている。何と60分待ちだそうだ。ここは夢の国のアトラクションなのか?
「3名で予約してた櫛田です」
まさかのファストパス。…櫛田がシゴデキすぎる件について。
若干割り込みしているような気分なりながら、他の客を置き去りにして俺達は店の奥へと案内された。
……って、え?3名?
「お待ちしてました。櫛田さん。綾小路君」
「ひよりんっ!」
櫛田は名古屋名物のスイーツみたいな名前を呼んで、自然に椎名の隣に腰を下ろした。
櫛田レベルになると同学年の生徒と交友関係がない方がおかしいのだが、俺が知らないところで椎名と随分仲良くなっていたらしい。
(…でも、なんでここに椎名が?)
そんな俺の疑問を見抜いたのか椎名はふふっと微笑んできた。
まるでサプライズが成功したかのような悪戯っ子の笑みだ。
俺は椎名に促されるがままに彼女達と対面の椅子を引いた。
「驚いたよ。椎名がここにいるとは思わなかった」
「先程、櫛田さんとばったり本屋で会いまして。お昼ご飯に誘っていただきました。櫛田さんは私の数少ない友人の一人ですから、断る理由はありません」
俺がアパレル店員にあんなことやこんなことをされている間に二人は偶然にも出会っていたらしい。
椎名は部活動帰りでいつもと同じ制服を纏っていたが髪型はいつもと違って後ろに束ねていた。
ポニーテールというやつだ。茶道をする上では合理的な髪型だろう。
しかし、まじまじと見るとこの学校の制服ってイラストレーターが監修してるのか疑いたくなるくらいお洒落なビジュアルをしているな。
「それに驚いたのは私もです。綾小路君、学校の時と雰囲気が全然違いますから。似合ってます。かっこいいですよ」
胸の前で手を合わせて椎名はそんな風に褒めてくれるがどうにもむず痒い。
彼女からの賛辞は単純に嬉しいのだが、隣でニタァとドヤ顔している櫛田がいるせいで素直に喜べなかった。
展開として出来過ぎているからだ。
椎名がこの場に居合わせたことは偶然の産物ではなく、櫛田の脚本だ。
「それは、普段の俺はかっこよくないという事か?」
「ひ、卑屈だ…。そこは素直にお礼を言うところだよ!」
色んな思考が回った末に俺は捻くれた返答を導き出した。
しかし、椎名はそんな俺を責める櫛田を宥めながら、
「大丈夫ですよ。櫛田さん。私の言葉選びが悪かったんです」
「え?ひよりん?」
「綾小路君。いつもに増してかっこいいですよ」
「…そうか」
「はいっ」
それは…いつも俺をかっこいいと思っていることか?
分かりやすく設置された地雷を踏み抜く勇気は俺にあるはずもなく、生返事を返すに終わる。
櫛田の計算や俺の卑屈さえも塗り潰してしまう椎名の天然。無自覚の才能ほど怖いものはないな。
「これは……。私、ちょっとお手洗いに行くね」
「椎名、一人にして悪いが俺も離席していいか?」
「気を遣われなくて結構です。本を読んで待ってますね」
椎名は鞄から持ち前の本を取り出して、柔らかく微笑んでくれる。
櫛田の一瞬のアイコンタクトだけで明確に意図を汲み取ってしまうのだから、俺の犬としての才能は堀北によって開花させられたのかもしれない。
これが本当の犬系…、これはもういいか。
◆
「脈アリアリだね」
「胃に悪そうな響きだな。脈拍が早すぎるのも不整脈なんだぞ」
「そういう小ボケいらないから。TPOを弁えてくんない?」
TPOとはtime、place、occasionの頭文字を取った和製英語だ。
プロトコルマナーは一通り叩き込まれてきた俺だが、今回のケースは想像の埒外だ。
共用トイレに櫛田と二人きり。刻一刻と争う状況。
俺はどうするのが正解なんだ。そこの授乳用の椅子にでも座ればいいのか?…流石にこれだけはないな……。
「それで?脈がなんだって?」
「……は?本当に意味分かってないの?」
俺は素直に首肯する。
この状況下でも俺の心拍数に乱れはなく一定のリズムを刻んでいる。そういう風に体が出来ているのだ。
急に脈の話をされても、俺に全くの心当たりはなかった。
「ある意味真逆だね…。こっちは天然というより常識がすっぽり抜けてる感じ」
「これでも一般常識は身に付けてきたつもりなんだが?」
企業独自の一般常識問題やRMSが提供するSPIも学んできた。そこらの就活生なんかじゃ相手にならないだろう。
けれど、自信満々な俺の態度に顔を歪めた櫛田を見るにそういう話ではないらしい。
「…でも、まあお似合いかもね?足りないところを補い合うって理想の関係だし」
「相補性の法則ってやつだな」
「恋愛事情に心理学なんて持ち込まないでくれる?野暮小路くん」
「俺が悪かったからその仇名だけは勘弁してください」
櫛田の言う通り野暮。いや、怖いまである。
普段から吊橋効果とかミラーリングとか意識してる奴って飲み物に媚薬とか盛りそうだし…。
「それで、具体的に俺はどうすればいいんだ?」
「どんな事があっても椎名さんを拒まない事。出来る?」
「出来るも何も今まで通りって感じだな」
「なら、答えはYESって事でいいね?じゃあ、私先に出るから」
俺と椎名はお互いに拒んだ前例がない。互いにお互いを受け入れ認め合う心地の良い関係を築いてきた。
そして、それはこれ先も変わらないものだと俺は思っている。
「今まで通りにいかないことは往々にあるよ」
退室間際に櫛田が放った骨身に沁みるような一言の本質を俺は決定的な瞬間まで気付けなかった。