少し前まではメンズのヘアセットに使われるスタイリング剤といえばワックス一択だったらしい。
しかし、それはもう古い習わしだ。
ヘアバームにヘアオイルにヘアジェルにヘアスプレーにヘアグリース。
美容に拘るようになった俺は見事に企業戦略の罠にハマっていく。
勉強と違い、ヘアセットに正解はない。
まるで、まだ答えの出ていない未解決問題を研究してるような気分だった。
とりあえず、今日はヘアオイルで艶感を出してヘアバームでナチュラルな仕上がりにしてみるか…。
(まあ、こんなもんだろう。…まずい、もうこんな時間か)
せっかく上がった女子達からの評価もクオリティが下がってしまえば蜻蛉返りだ。
入念にヘアセットをしたせいで、部屋を出るのが遅れてしまった。
とは言ってもまだ時間に余裕はあるのだが、身だしなみに人一倍気を遣い始めてから朝の時間の貴重さを再認識している。
俺は準備を済ませて早足で部屋を出た。
「朝早くから対応していただきありがとうございました。失礼します」
俺がエレベーターを降りた直後、寮の管理室から一之瀬が出てきた。
寮の管理人に笑顔で見送られている彼女を見ていると、ばっちり目が合ってしまう。
お決まりのBGMでも流せば、エモーショナルな展開になるのだろうか…?
彼女は俺達の間に気まずさが発生するのを阻止するかのように話しかけてきた。
「おはよう。綾小路君。随分とゆっくりとした登校だけどお寝坊さん……って感じじゃなさそうだね」
「これが寝癖なら楽なんだけどな」
「それは皆が一度は思う事だねー。私も朝起きたらいつも前髪が爆発してるもん」
「それは今度見てみたいものだな」
「…え?む、無理無理!絶対ダメだよ。うん。絶対だめ!」
大袈裟に頭を振って拒む一之瀬だが、髪型は一向に崩れない。
学年の中でも群を抜いて可愛い彼女も美を追求する努力を怠っていないのだ。付け入る隙がないとはこの事だな。
「それは残念だ。俺の芸術作品のような寝癖とどちらが酷いか比べてみたかったんだが」
「…ぜ、絶対に無理だけど……それはちょっと気になるね」
「どちらかが寝坊する事に賭けるしかないな」
「でも、綾小路君は寝坊してもヘアセットしてから登校するタイプだよね」
「現状はそうだろうな。俺が遅刻したとしてもクラスにはノーダメージだし。だが、そういう一之瀬はキャップを被って誤魔化すタイプだろう?」
俺と一之瀬が直接会話するのは今回が初めてだ。
お互いに多少の情報は持っているとはいえ、初対面と表現しても差し支えない関係。
ここまで話が弾んでいるのは彼女の才能の賜物だ。
アイスブレイクのような冗談と笑顔を交えたラリーをさらに数回重ねたのち、
「もし嫌じゃなかったら、このまま一緒に学校行かない?」
彼女からの提案を断る理由は思い当たらなかった。
◆
「もうすぐ期末試験だね。こんな事訊いていいのな分かんないけど…順調?」
「個人的な話をするなら相当な自信がある。だが、聞きたいのはこっちの話じゃないだろう?」
「うん。あ、でも綾小路君個人に興味がないって話じゃないよ?それよりも…」
「心配しなくていい。クラスとしても二の轍を踏むような事にはならないと言い切れる」
「そっか…。リーダー不在のDクラスを引っ張ってるのは綾小路君だったんだね」
あの前代未聞の事件が予期せぬアクシデントであれば俺達のクラスはこのまま空中分解していただろうな。
一応あの事件の裏にいた張本人としては責任を取るまでが仕事だと割り切っている。
今はまだ視覚化されていないが、Dクラスは俺を発信源とした糸で細く繋がっている。
しかし、それはまだ視覚化されていない事実。今は仮初のリーダーが必要だ。
「悪いがそれは勘違いだ。俺は自分の事に精一杯でクラスの運営に携われてはいない。クラスを引っ張ってるのは櫛田だよ」
「にゃは、そうなんだ」
「…その反応は気に入らないな。その場凌ぎの作り笑いで誤魔化すくらいなら傷付ける覚悟で本音を言ってくれ」
「……え?」
俺を見逃すような彼女の発言を本能が許さなかった。
いきなり立ち止まり豹変した俺を前にして呆気に取られるのも無理はない。困惑した声も無意識だろう。
目を丸くして驚いた彼女は申し訳なさそうに一拍遅れて弁解する。
「待って。不快にさせた事はごめんなさい。だけど、別に他意はないよ?」
「他意はなくても本意はあるんだろう?明らかに俺の発言を信じてはいなかった」
「…参ったなぁ」
俺がブレない事を察した彼女はさぞ困ったように頬をかいた。
でもそれも束の間だ。すぐに切り替えた彼女は
「先に前置きしておくね。私、櫛田さんのことは大好きだよ。優しくて気遣いが出来て周りを自然と明るくする性格にはいつも助かってる。でもそれは統率力であって、クラスを丸ごと引っ張るような牽引力じゃないと思ってるんだ」
確かに櫛田桔梗はアイドル的存在であってリーダー的存在じゃない。
しかし、それは本質じゃない。
彼女はアイドルの中でもセンターを陣取るタイプだからだ。
「即興にしては筋の通った事を言う。真実に嘘を織り交ぜれば誤魔化し切れると思ったのか?」
純粋な好意を口に出せるほど櫛田と親密度を築けているのなら、彼女の本質を理解していなければおかしい。
…というのが俺の見解だったのだが、どうにも雲行きが怪しい。
焦ったように顔から血の気が引いていく彼女を見て、俺を出し抜こうとした意図は無かったのだと気付いた。
「え、えっと…」
彼女の言葉が続かない。続きを持ち合わせていないのだから当然だ。
今まで彼女は相手が心地良いと感じる距離感を保つように立ち回ってきた。それが卓越した対人スキルの正体だ。
俺の不満を納得しそうな言葉を並べて解消しようとしたことも。
偶然にも目が重なってしまった気まずさを消すように先手を打ってきたことも。
初対面特有のぎこちなさを無くすかのように上手に話を繋いだことも。
彼女は理性ではなく本能でそれをこなしてしまっている。
まるで歩く性善説だ。
「自覚がないみたいだな」
これ以上彼女を責め立てても無駄だ。
これは罪の意識と罰の有無が紐づいているケース。
著作権違反の違法ダウンロードに対する認識や認容がない時、その者が刑事訴求される事がないように。
彼女には情状酌量の余地がある。
「一之瀬。俺と初めて会った場所を覚えているか?」
「…えっ、えーと、確か職員室の前だったよね?」
「そうだな。あの時の俺は星之宮先生をぞんざいに扱い、茶柱先生に対してもフランクに接していた」
「そうだったね。星之宮先生と二人の時に綾小路君のことを嬉しそうに生意気だって言ってたし…」
最近は星之宮先生と話していないが、そんな事を自分の生徒に吹聴してるのか。
なんとも口が軽い人だ。まあ、軽そうなのは口だけじゃないが。
「続いて質問だ。2回目はどこで会ったか覚えてるか?」
「うん。生徒会室だね。あの時はびっくりしたよ」
「だろうな。事情を知らない赤の他人が見れば俺の態度は上級生相手にするものじゃない」
あの時は生徒会長に暴言紛いの事を言い放ち、橘先輩相手にも気の知れた友達のように振る舞った。
しかし、今ここでわざわざ過去を持ち出したのは思い出話に花を咲かせないわけじゃない。
むしろ話したくなかった。誇れる武勇伝でもないし、どちらかと言えば黒歴史に近いものだからだ。
「一之瀬は櫛田の能力が役不足だと思っていた訳じゃない。俺に抱いていた先入観が俺をリーダー格へと押し上げた」
虎に対して立ち向かう獣は強く見える。
一之瀬は会長や先生に対して対等以上に接する俺が凄い人だと勝手に勘違いしていたのだ。
「…変なの。初対面なのに私より私のことを理解してるなんて」
「それは違うな。俺が変ではなく、一之瀬が変なんだ。他人軸で生きて自分を蔑ろにしているからこうなる」
「自分軸………」
…正直、彼女に自覚がなかったと分かった今は悪いとは思っている。
歯に衣着せぬ堀北。
悪意に忠実な櫛田。
喜怒哀楽を隠すのが下手な椎名。
こんな環境に身を置いていると、嘘や誤魔化しに敏感になるというもの。これは完全に巻き添えだ。
「忘れてくれ。他人同然な俺がこんな風に諭す権利はない。噛み付いてすまなかったな」
「…それはなしじゃないかな?その場凌ぎはダメって綾小路君が言ったんだよ?」
俺の言葉を真剣に咀嚼する真面目な彼女を見て、そんな彼女を責め立てていたという罪悪感がじわじわとやってきて、ついには口を衝いて謝罪が出てしまった。
だが、それはしっかりと咎められる。
「……な?本音を言ってもらった方がスッキリするだろ?」
「即興で思いついたにしては筋の通った誤魔化しだね?」
俺達の間にある壁を取っ払うということは、一之瀬からも俺の領域に踏み込めるという事だ。
一之瀬はニタリと笑い俺の真意を問いただすように一歩距離を詰めてきて、顔を覗き込んでくる。
精神的にも物理的にも追い詰められたと言っていい。
「なら、チャラってことにしないか?」
「…綾小路君ってもしかして、狡い人?」
「隣の席に座る奴からはいつも狡賢いって評価を頂戴してる」
「だとしたら、その人は中々鋭い人だね。残念だけどチャラには出来ないよ」
曇り空が晴れたような笑顔を見せた一之瀬は俺を許してはくれないらしい。
誤魔化そうとした事実はお互い様だが、俺が一方的に責め立てた事は変わらない。
今の一之瀬はそれを無かったことにはしてくれないようだ。
「実は私ね。今日、告白されるんだ」
「急な話だな。だが、一之瀬なら珍しいことでもないんじゃないのか?」
「えっ!?や、そんなことないよ。私、告白なんてされるの初めてで、今朝もどう答えていいかずっと悩んでたんだから」
まあ、可愛すぎるが故に告白のハードルを上げてしまっているのかもしれないな。高嶺の花的な。
ちなみに櫛田は既に10人以上に告白されているらしい。在学中、恋人は作らない宣言をしているのにも関わらずだ。
この違いは容姿ではなく距離感にあるのだろう。
ほら、櫛田って本気で土下座して頼み込めば抱かせてくれそうだし…。
その点一之瀬はしっかりと怒られそうだ。
「でもね、綾小路君のおかげで納得いく答えが出たの。だからチャラには出来ないよ。今度お礼にランチでも奢らせて?」
「いいのか?成長期真っ只中の男子高校生の食欲を舐めてないか?」
「にゃは。私だってまだ成長期だよ?」
吹っ切れた気持ちを表すかのように胸を張った一之瀬。
…まだこっから成長するというのか。
「なら食べ比べだな。楽しみにしておく」
「うん。私も楽しみ。じゃあ、行こっか?そろそろ急がないと遅刻しちゃう」
「まあ、俺のクラスは0ptだからいくら遅刻しても―」
「あ、さっきも思ってたんだけど、それ触れにくいからやめた方がいいよ?」
…中々言うようになったじゃないか。
◆
1学期期末テスト。
その内容は副教科と呼ばれるものが存在せず、主要教科を細分化した8科目で行われた。
高校課程などとうの昔に終えている俺から言わせれば、知育玩具で遊ばせられているようなものだ。
つまり、間違えるという事は末代までの恥。
「次の鐘が鳴れば、貴方の魔法は解ける。楽しみね」
「俺はそんな非科学的なものに頼った覚えはないな」
「息をするように嘘を吐くシンデレラね。エンドロールの準備をしておいた方がいいんじゃない?」
相変わらず自信家だな。大口を叩いていると言う事は、納得のいく結果なのだろう。
テンションが高いとメルヘンな世界観を展開してくるあたり、女の子はディズニーが好きという王道の公式には堀北も当てはまるようだ。
運命のチャイムが鳴り、茶柱先生が入室してくる。
彼女の強張った表情はいつもの事なので、結果の良し悪しは蓋を開けるまで分からない。
「ひとまずはよくやったと褒めておこう。今回のテストで退学者は出なかった」
不安要素が無かった訳ではないので、ひとまずは胸を撫で下ろす結果に収束したようで何よりだ。
らしくもない賛辞を送る茶柱先生と不意に目が合った気がした。
気に留める程でもない一瞬の出来事。
しかし、そこには強いメッセージ性が込められていたように思えた。
「続いて具体的な詳細について発表する」
茶柱先生は恒例のように一枚の紙を黒板に貼っていく。
8教科の合計点を記した紙。その頂点には俺の名があった。
「………嘘でしょう?」
綾小路清隆 800点
堀北鈴音 776点
俺としては順当な結果。だが、学年で見ても全教科満点の生徒が俺だけだったのは誤算だった。
中間テストでは攻略法が用意されていた事もあり、全教科満点でも浮いた結果にはならなかっただけに完全に油断していた。
「綾小路君…マジすごくない?」
「坂柳さんや一之瀬さんより上って事だよね…?」
言葉を失っている堀北同様にクラスメイトからも信じられないものを目の当たりにしたかのような反応。
…堀北が満点取る可能性も考慮して、プライベートポイントで何点か上乗せする事も視野に入れていたが実行しなくて良かった。
「静かにしろ。今は他人の成績ではなく自分の成績と向き合う時間だ。特に軽井沢。今回の数学、お前の成績はギリギリだった」
まさに不安要素と呼んでいるのはその軽井沢の事だ。
数学の平均点74点に対して軽井沢は40点。
赤点ラインは四捨五入で37点。クラスの平均値が上がったという事は必然的に赤点ラインが引き上がる事を意味する。
平田洋介の幻影をこれ以上追いかけ続けていると、最初に脱落するのは彼女になるだろう。
しかし、これは後々の課題だ。
今、直面すべき氷山の一角は隣の彼女の方だろう。
「平均点97点。坂柳と横並びの成績。このままの偏差値で卒業出来ればMARCHは堅い。将来安泰だぞ」
「…………………負けは負けよ。約束は守るわ」
堀北は俺の煽りを噛み締めて殺す。
張り合いが無いとこちらの大人気なさが浮き彫りになるのでやめてもらいたい。
しかし、口では潔く敗北を認めている堀北の目には熱く燃えたぎる闘志が籠っていた。
少年ジャンプの主人公のようなその目に触れようものなら良からぬ反撃を喰らいそうだ。
触らぬ堀北に祟りなし。俺は話を前に進めることにした。
「公序良俗に反しない範囲の命令を一つできるだったよな?」
「…ええ。あの時勢い任せに何でもありにしなかった私を褒め称えたいところね」
自分の体を抱き抱えた堀北は俺が合コンの王様ゲームのような不埒な命令をすると思ってそうだ。
中々に心外である。俺は別に堀北の体にこれっぽっちも興味なんて………………。
「小耳に挟んでいるかもしれないが、期末テストを乗り越えたご褒美に夏のバカンスに連れていってやる。2週間に及ぶ豪華客船によるクルージングだ。どうだ?楽しみだろう?」
茶柱先生の口からはテストの話から一転、夏休みの素敵な予定について語られていた。
しかし、クラスの面々の顔付きは硬い。
甘い蜜で獲物を誘い込み捕獲する。この学校の食中植物のような手法には体がトラウマを覚えているのだ。
「信じるも信じないも君達次第だ。…だが、これは教師としてでなく私個人のアドバイス。高校生でいられる時間は人生で今しかないと言う事をゆめゆめ忘れないことだな」
俺達の猜疑心を優しく手解きしていった茶柱先生は退室していく。
…丁度いい機会だな。
「堀北。2週間のクルージング。俺に1日貸してもらう」
公序良俗に反しないという条件下では優しい部類に当たる罰。
その認識は彼女にもあったのだろう。ゆっくりと頷いた彼女は
「…いいわ。1日くらい貴方に付き合ってあげる」
「意外だな。もっと抵抗するものだと思ってたぞ」
「貴方の生態を観察するいい機会だもの」
…何だそれ。シンプルに怖。
◆
半信半疑だった豪華客船。ここは贅を尽くすためだけの空間だ。
しかも、ここの娯楽は全て無料で楽しむことが出来る大盤振る舞いだ。
未だ0ptの俺たちにとってまさに渡りに船。
その魅力に虜にされるのは時間の問題だ。
「生活に支障をきたすレベルの先天性心疾患があるのなら、事前に教えておいてくれ」
「あのマウント合戦の最中で、私に弱点を曝け出せと?」
「…それは、まあ無理な相談か」
他の皆が珍しい施設に釘付けになっている中、俺はというと…。
Aクラスのリーダーの一人である坂柳有栖を背負って船内を歩いていた。
本当なら俺だって豪華客船を満喫したい。
椎名と談笑しながらサンライズを眺めたり、仲良しグループで屋内プールを貸し切るのもいいだろう。
……一体何故こんなことに。
事の発端は数日前に遡る。
有名税…だとよかったんだがな。あれはどう見てもファンガではなくアンチだ。男だし。
匿名をいい事に誹謗中傷を書き込まれる分には嫉妬だと開き直れたかもしれないが、あれは実害が伴う厄介なタイプ。
なんだか寝室でゴキブリを見つけてしまった気分だ。
対処するのは死ぬほど面倒だが、対処しなければ安眠を脅かされる。
「坂柳の指示か?それとも、お前の独断か?」
「……いつから、気付いてたんだよ」
「図書室を出た辺りからだ」
「最初からかよ。俺は死角で待ち伏せしてたはずだぜ?後ろに目でもついてんのかよ?」
そんな訳ないだろう。俺はただ微弱な生体電流を近くに感知しただけだ。
だが、それを言語化して説明すると変な宗教に入信したのかと思われるだけだろう。
それに橋本のような諜報員タイプの参謀には言葉数を最小限にして情報を与えないのが鉄則。
眼圧を込めて無言で見つめていると、橋本は降参するように両手を挙げた。
「参ったよ。だが、俺がここにいる理由は残念ながら3つ目の選択肢さ。葛城の指示だ」
「いいのか?その回答で」
「…おいおい。ちょっとは信じてみてもいいだろ?ありえない話じゃないはずだぜ?」
「男に傾倒するタイプじゃないだろ。お前は」
Aクラスは坂柳と葛城の二大巨頭。
坂柳とは会った事がないが、葛城は生徒会室で目撃している。
真面目を地で行く絵に描いたような優等生の葛城とチャラチャラしたこの男とでは水と油だろう。
俺の芯を食った回答に盛大に吹き出した橋本は
「ぶっ。そこを突かれたらおしまいだな。そうだよ、坂柳の指示だよ」
「目的は?」
「Dクラスとは言え、期末テストであれだけの結果を残したんだ。綾小路をマークしてるのはうちのお嬢だけじゃないぜ?どんなイカサマを使ったんだよ」
「迷惑千万だな。中高一貫の私立なら高校課程を中学の内に終える事は珍しい事じゃない。海外に目を向ければそれはなおさら加速する。あのテストで満点を取れないようじゃお里が知れるってもんだ」
情報を与えないと言った俺が饒舌に解説したのは何故か。
それは彼がポケットに忍ばせた通話状態のまま放置されたスマホのその先。坂柳有栖への警鐘だ。
『…流石はホワイトルームのお山の大将。その縄張り意識には感服しますよ』
ホワイトルームへの理解が深ければ深いほど、その言葉の重みを知っているものだ。
第三者の橋本がいるこの状況。口論の弾みで軽々しく口にしていいものではない。
「所詮は実情を知らない財界関係者ってところか」
『あら、そこまでご存知でしたか?』
「知らなくても分かる」
あの場所は内側の光は完全に反射する特殊な構造をしている。
陳腐な表現をすれば逆マジックミラー号みたいなものだ。
だが、外側の景色が見えなくたってそこで何が行われているか推察する事は容易だ。これもマジックミラー号然りだな。
ホワイトルームとは言わば人工的に天才を作り出すビジネス。その運営には莫大な資金が必要だ。
人間を実験動物扱いする科学都市のようなビジネスモデルである以上、知っている人間はごく一部に限られる。
事業に投資する実業家か同じ家業を営む同業者かだ。
「そういえばここの理事長も姓が坂柳だったな。依怙贔屓でAクラスに配属されてお高く止まっているようじゃ足元を掬われるぞ」
『……首輪が外れて随分とはしゃいでるようですね』
これが本当の犬系…。いや、このままだと本当に犬になってしまいそうだ。
「それは否定できないな。それでどうする?手を噛まれて大怪我するのを覚悟で俺を躾けてみるか?」
『それは素敵な提案ですね。抵抗できなくなるくらい徹底的に痛め付けて、一切の自由を与えず文字通り全てを掌握する。生かすも殺すも私次第』
「動物愛護って知ってるか?それは虐待って呼ぶんだぞ」
『細やかな冗談ですよ。犬が獣臭くて嫌いなのは本当ですが』
犬好きを敵に回す発言とは末恐ろしい。
内弁慶のお嬢様は世間知らずでもあるようだ。まあ、俺が言えたことではないが。
坂柳の加虐志向を前に体を震わせてた橋本を気遣い、俺は話を切り上げる。
「坂柳。俺に用があるのならアポを取ってお前が直接出向いてこい」
『私の分析が甘かったようです。少し刺激すれば、そちらからアクションがあると踏んでいたのですが門前払いとは。それでは、いつがよろしいですか?』
「豪華客船に乗船後すぐに3Fのデッキ。言っておくが護衛は無しだ」
なんやかんやで今に至る。
「だから嫌だったんです。船なんて不安定な乗り物は」
「出航してすぐは三半規管の乱れが起きやすい。船自体も推進力が安定期に入っていないし、操舵手が波を掴むのにも時間が必要だからな」
坂柳は落ち合ってすぐ、気分が悪そうに地面に手をついた。
聞けば、元々豪華客船には身体的都合により棄権予定だったという。
どうして、俺に会うなんてどうでもいい約束を無理をしてまで律儀に守ろうとしたのか。
その真相は本人にしか分からない。しかし、本人がこの状況だとな…。
「本当に医務室じゃなくていいのか?」
「この私にただの船酔いで医務室に行けと?」
明らかに体調を崩している彼女だが、プライドの高さだけは崩れない。スカイツリーくらい信頼できる耐震設計だ。
彼女の客室へと到着し、カードキーで開錠して中に入るも同室の生徒はいないようだ。
これは幸か不幸か。判断に迷うところだ。
「そのまま、あのベットの上に下ろしてください」
もはや介護のような気持ちで俺は彼女をベットに優しく下ろす。
すると彼女はすぐに横になって目を閉じ自律神経を整え始めた。
強情な彼女があまりにも無防備な姿を見せるものだから少しドキリとする。
「向こうのローテーブルの横に置いてあるバックに酔い止めの薬とお水が入ってます。取ってきてください」
そんな俺の内心を悟られる事はなく、坂柳は平然と次の指示を出してきた。
誠に遺憾ながら顎で使われる事には慣れている俺だ。
何の抵抗もなくローテーブルの方に向かうと横にはバックが4つ置いてある。
一体どれが彼女のものなのか。本人に聞くのが一番だ、病人に手間を煩わせるのも気が引ける。
(しかし、これでもし同室の誰かの下着でも入っていようものなら……)
「どうかされましたか?」
「いや、何でもない。すぐそっちに持って行く」
坂柳相手にいいところを見せようとしてしまったのは、弱った女を前にした男の性だろう。
だがこれで後戻りはできない。4分の1の確率に命運を委ねる事が決定してしまった。
…人間は左を好む傾向があるらしい。それなら天邪鬼な坂柳なら右を好むだろう。
(間違ってたらクラピカのせいにしよう…)
俺はそんな適当な結論をでっち上げて、勢いのまま右のバックに手を伸ばし―
「…わ、私のバックに何してるんですか?」
◆
一之瀬 帆波 7月20日 蟹座
ルックス :S
スタイル :S
性格 :S
趣味 友達と遊ぶ事
好きなもの 友達 家族
嫌いなもの なし
将来の夢 親孝行をいっぱいする
ダイジョーブのメスを持ち込んでセンス○を引いたかのようなステータス