綾小路は恋がしたい   作:Кудрявка

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今回も長めです


#31 狂っているのではない。狂ってでも愛したいものがあるだけ

 

第二回目のグループディスカッションでも大勢は変わらなかった。

 

葛城含む3名は輪を離れ、坂柳は席から動かず俯瞰する構図。

明らかに俺と目が合う回数が多いのは、この状況を打破する事を俺に期待してるからだろうか。

 

坂柳自ら手を下すよりも俺や龍園のような明確な敵に葛城が敗れ、自滅する方が都合が良いからな。

 

(俺が一枚カードを切るだけでこの膠着は崩れるんだろうが…)

 

「見てください。綾小路君」

 

この膠着状態の中どう動くべきか悩んでいると、もはや隣が定位置となった椎名に呼ばれる。

そちらを向くと、彼女は机の下で両手の甲を合わせ、器用に指を複雑に組み合わせていた。

 

…ハンドサインで言葉では言えない何かを伝えようとしているのだろうか?

 

わざわざ机の陰になって他人に見えにくくしてることからも、この手の形にこの試験に関わる重大なメッセージを秘匿させている可能性が高いと考えるべきだろう。

 

「これが何かわかりますか?」

 

椎名は首を傾げて、この世の森羅万象全てを包み込むかのような柔らかい笑みで俺に問いかけてくる。

その自然と調和するような表情を見て、このメッセージは俺以外には悟らせたくないものだと推察し、脳をフル回転させる。

 

坂柳の期待など吐き捨てる価値もない塵芥同然だが、椎名の期待を裏切る事は万死に値する。

 

(まずは複雑に絡み合っている手はこの試験の状況を示唆していると仮定する。次に両手10本の指に個人を当てはめてみようとしてみるが、そこで矛盾が発生した。龍グループのメンバーは12名……、いや……)

 

(なるほどな。そーいう事かいな)

 

俺は色黒でもなければ、関西出身でもないが、散りばめられていたピースが1つずつハマり、真実が少しずつ見えてくる。

 

(傍観者の坂柳と独力で試験の攻略を宣言した龍園を除けばピッタリ10人。そうすれば綺麗に説明がつく)

 

(ならば、纏まっている左手の人差し指と中指と薬指はAクラスの面々で、それに反発するように合わせられた右手の人差し指、中指、薬指はBクラスだ)

 

(そして、その右手の人差し指が右手の親指とくっついているのは、孤立していた園田を上手く話し合いに巻き込んだ一之瀬を表現しているのだろう)

 

(ここまでくれば大詰めだ。完全に孤立している左手の親指と強固に結束されている両手の小指。そこに俺と椎名と櫛田を……)

 

と、ここまで考察を進めた俺は衝撃の事実に息を呑む。

強固に結束されて両手の小指が俺と椎名の絆を示していることに疑う余地はない。そうなると完全に浮いている左の親指が櫛田と言う事になる。それが示す意味とは1つしかない…

 

…これ以上は踏み込んではいけないと瞬時に判断して、俺は全力で話を逸らす事に決める。

 

「悪い。さっぱり分からないな。手の柔軟体操か?」

「ブッブー、ハズレです。では少しヒントを」

 

俺が間違えた事を喜ぶかのように笑った椎名は、組み合わせた両手に動きをつけ始める。

孤立している左手の親指が跳ねるように動く。

 

俺にはもう、優待者である櫛田が文字通り椎名の手の上で、無様に踊っているようにしか見えなかった。

 

「…降参だ。参ったよ」

「えっ……。…難しかったですか?頑張って再現してみたんですが…」

 

一体いつ気付いたんだ?とそんな言葉を続ける前に、椎名が少し悲しそうにぽつりと感想を漏らした。

本来ならその不自然とも取れる彼女の落ち込みように力一杯に抱きしめるなどして決死のフォローを入れるべき事案。

 

だが、その時の俺は椎名の再現という言葉に引っ掛かりを覚えていて、そこまで気が回らなかった

 

「…答え合わせしてくれないか?」

 

俺が恐る恐る問いかけると、椎名は頬を真っ赤に赤らめて、こちらを恥ずかしそうに流し目で見て言う。

 

「…ぎです」

「……え?」

 

予想外の答えに思わず条件反射で訊き返してしまった。

しっかりと一言一句聞き取れていたと言うのに。

 

だが、答えを聞いてしまえばそれにしか見えないほどに納得できる。

俺は机の下で表現していた事を深読みして勘繰ってしまったようだ。

 

「やっぱり見えないですよね」

「いや、俺の目の付け所が甘かっただけだ。上手くできてる」

「…本当ですか?」

「ああ」

 

俺ははっきりと頷いて見せるが、椎名の不安を完全に払拭するにはもう一言必要らしい。

 

「可愛いよ。そのうさぎ。そして、それを俺に嬉々として見せてくる椎名も」

「……ありがとうございます」

 

恥ずかしさの臨界点に達した椎名は、普段の明瞭さからかけ離れたぽしょぽしょとした声でお礼を言う。

そんな椎名と連動するように足元の床で手影絵の兎が跳ねていて、こちらの心も弾んだ。これが幸福感という奴だろうか…。満たされていく……。

 

 

あ〜、やっぱ特別試験なんてどうでも良いわ。

 

 

 

 

「…つまり、今日一日、何の成果も得られなかったって事かしら?」

「話を聞いてたのか?むしろ、これ以上の収穫は無いと思うんだが」

「くだらないわ」

 

手ぶらで帰ってきた調査兵団に失望するような冷めた目で堀北は俺が持ってきた土産話を一蹴する。

…別にいいさ。ついついテンションが上がって、椎名の話をしてしまったが、無理に分かってもらおうなんて思ってない。

 

「綾小路君さ。椎名さんと仲が良いのは分かったんだけど、その話を私達にするのって微妙だと思うよ?」

「無意味だよ。松下さん。綾小路君、ひよりんの事になると見境なくなるから」

「まあまあ、良いじゃないですか。そういう可愛いところも含めて綾小路君の魅力だと私は思いますよ」

 

松下と櫛田が呆れるように諭してくるのに対して、みーちゃんは俺を全肯定して力強く笑いかけてくれる。

何だか、イエスマンを側につけておく経営者の気持ちが分かった気がする。心強い味方だ。自分の気持ちに自信が持てる。

 

「そもそもの話、綾小路君から今日は様子見するって指示が出てましたし、椎名さんがいて自然に振る舞えたのであれば、何も問題はないはず。いえ、むしろ万事良好ではないでしょうか?」

「…あはは。まあ、そういう見方もできなくはないのかな…?ね?」

 

みーちゃんの熱烈な擁護に堀北と松下が反論を失う中、櫛田は困ったように頬をかいて俺に目配せしてくる。

ちなみに、櫛田からは第二回グループディスカッションが終わった直後に「イチャイチャすんな。目障り。死ね」とお説教を受けている。

 

つまり、今の櫛田のみーちゃんへの返答は本心とかけ離れており、真意は別にある。

控えめに察しても「話が進まないからこのクソチビを黙らせろ」くらいの含みはあると見るべきだろう。もっと非道な事を思っていても不思議ではない。

 

「これから話す事はトップシークレットになる。くれぐれも口外無用で頼む。龍グループの優待者は櫛田なんだ」

 

堀北と松下とみーちゃんを招集したのは他でもなく、この事実を共有する為。櫛田は俺の言葉に呼応するように、スマホを取り出し優待者である証明とも言えるメールを3人に見せる。

 

この後の作戦会議に疑念を残さない上で必要な通過儀礼だ。

 

「様子見は苦肉の策ではなく、至極真っ当な防御手段ということね。…煩わしいわ。そういう大事な情報は最初から教えるべきじゃないかしら?」

「私は堀北さんとは逆。何で私達にそんなこと教えたの?同じクラスであっても優待者の情報なんて知らない方が良いに決まってる」

 

俺の描く勝利へのグランドデザインを余す事なく共有して欲しい堀北と秘密が漏れた最悪のケースを想定して、そのリスクを何よりも懸念する松下。

 

対照的だが、どちらの意見も正しい。

だが、その上で間違っている。

 

俺はそんな中、ただ一人黙って次の言葉を待っていたみーちゃんを不思議に思い水を向けてみる。

 

「みーちゃんはどう思う?」

「え、私ですか?う〜ん、そうですね…。綾小路君にどういう意図があるのかは分かりませんが、それを知る必要はないと思ってます。きっと綾小路君が伝えたいのはその先でしょうから」

 

俺の思考をトレースしたかのような答えが聞けたことが嬉しくて、無意識にみーちゃんの頭に手が伸びていた。

彼女は無条件で俺を持ち上げるわけではなく、理解した上で肯定してくれる。それが嬉しくてたまらなかったのだ。

 

「ありがとう。みーちゃん」

「えへへぇ。どういたしまして」

 

頭を撫でる俺の手を一切の抵抗なく受け入れて、顔を綻ばせるみーちゃん。

無人島試験で、彼女に推しだとか言われて奇妙な感情になったものだが、今なら分かる気がした。この感情はきっと一方通行じゃない。

 

「納得出来ないかもしれないがそういう事だ。俺がこのタイミングでこの情報を教えたことには意味がある。だけどそれを事細かに知る必要はない。これは今回の試験に限らず今後も同じことだ」

 

堀北からの文句を受け付ける義理もなければ、松下の言うリスクなど百も承知。

それら諸々を含めたその上で俺は勝つ戦略を練っている。

 

「冷たく聞こえるかもしれないが、これが俺の勝負論なんだ。勝ち筋は一つで十分だが、負け筋は一つでも致命傷。悪いが何も聞かずに、無条件の協力をしてもらいたい」

 

俺はみーちゃんの頭から手を離し、その手を握手を求めるように3人へと突き出した。

だが、頭は下げない。あくまでリーダーからの指示という体裁は崩さない。

 

「綾小路君を手助けできる機会があるのに、それをふいにするなんて選択肢はありませんっ」

 

即答して手を強く握ってきたみーちゃんに俺は出来うる限りの笑顔で返した。俺なりのファンサービスである。

みーちゃんの後ろで櫛田がうわぁと顔を歪めてたところを見るに、上手く笑えてない可能性はある。それでもみーちゃんは大満足してくれたようだ。

 

「…都合のいい道具として扱われて喜ぶ女の子なんていないよ?」

「みーちゃんは喜んでくれてるが?」

「いやいや、超レアケースだから。それ。M-1グランプリでトップバッターが優勝するくらいレアだから。令和ロマンくらいルールブレイカーだから」

「そうか。なら、より一層みーちゃんに感謝しないとな」

「…後続の私達をみーちゃんを基準に審査されたら困るって話なんだけど伝わんないかぁ…」

 

知らない単語が次々に飛び出して、断片的にしか話が見えてこなくて、それでも無難な返事をしたつもりだったんだが…。

これは果たして俺以外には伝わる例えなんだろうか?

 

「はぁ…、締まらないなぁ、もうっ」

 

松下は大きく溜息をついた後、俺の差し出していた手をパチンと勢いよく叩く。

いっそ清々しいくらいの痛みがむしろ気持ちいい。

 

「最初から私の結論も決まってる。私、そういう合理的なのは嫌いじゃないし。だから、さっきのはただの忠告。綾小路君のやり方は理解はできても納得はできないものだからね」

「悪いな。無茶を聞いてもらって」

「ほんとだよ。まったくっ」

 

口調は荒々しいものの、表情が明るい。

彼女は目的を達成できるなら、その過程や手段を選ばないタイプ。1学期中間テストの時に学力の低い生徒を切り捨てる判断をした俺に協力してもらった事からそれは明らか。

 

Aクラスを目指すという目的さえあれば、彼女が無償で協力してくれる事は目に見えていた。この作戦のメンバーに彼女を選抜したのは能力面よりもむしろその特性の方が大きい。

 

「堀北。後はお前だけだ。協力してくれるだろ?」

「…最初から拒否権なんてない癖に」

 

ご名答。俺の横暴にどれだけの不平不満があろうと関係ない。

松下の言葉を借りるなら、理解はできても納得はできないだったか。言い得て妙な表現だと思う。

 

だが、みーちゃんと同じくして堀北も特別。

彼女に対しては納得はおろか理解すらも必要ない。

 

「いや、拒否権はある。その上で堀北の意思でYESかNOを選んでもらう」

「あくまで私の合意を引き出そうとする魂胆がなお、気に食わないのだけど?」

「後から本当は嫌でしたじゃ、お互いに後味が悪いだろ?」

 

まるで性的同意だな。なんて思ったが、男一人で使用している客室に女の子4人を呼んで比喩するには少し生々しい気がした。

 

俺の態度が一向に変わらない様子を見て、堀北は諦めたように顔を伏せ、俺の方に手を伸ばす。

しかし、それは俺の手に触れる直前で止まる。

 

「……少しは仲間になれたと思ってたのは私だけ?」

 

堀北は自信無さげだが、しっかりと目線は逸らさずに聞いてくる。

本人にそんな思惑はないんだろうが、結果的に上目遣いになっている彼女が幼気で、少し返答に困る。俺の答えはきっと彼女が求めているものにはならないから。

 

「そんな事はない。三人にこの話を持ちかけたのは信頼に足る仲間だと思ったからだ」

「…そう」

 

御為ごかしな言葉だった。けれど、これ以上の言葉を用意してやる事はできない。

彼女は俺の隣に立ち、時には背中を預けて戦えるようなパートナーのような特別な関係を望んでいるだろう。しかし、勝ちを追求する上でそんな関係は枷にしかならない。

 

…いや違う。…いつからだ。

俺はいつの間にか貪欲なまでに勝ちに執着している。ホワイトルームに置いてきたはずの思考が戻ってきている証拠。

どうやら、俺のこの病的なまでに染み付いた習性はメリー人形みたいなもので到底捨てられるものではないらしい。

 

俺は決意を新たにまるで糸の切れた凧のような彼女の手をこちらから掴むことを決める。

 

「堀北。偉そうな事を言ったが俺だって完璧じゃない。支えてくれると助かる」

「…完璧じゃない?あなたが?」

「買い被ってくれるのは嬉しいが、俺にも足りないところは多々ある。櫛田もそう思うだろ?」

「んーと、まあ、抜けてるところは多いかな?」

「…そうなのね」

 

堀北は俺に弱点と呼べる部分がある事が嬉しいのか、普段敬遠してるはずの櫛田の言葉をすんなり飲み込んだ。

当の櫛田は俺に利用されたことを快く思ってないだろうがな…。

 

「分かったわ」

 

さっきまで不安定だった彼女の手が頑丈な土台を手に入れたかのように力を込めて握り返してくる。

 

握られすぎてて少し痛いくらいだ。俺が寿司のシャリなら職人の手の中でぐちゃぐちゃになってるだろう。

…いや、この想定はおかしい。なんだか思考回路を森下に汚染された気がする。すごく嫌だ。

 

「仕方ないから助けてあげる」

「随分上からだな。完璧じゃないとは言ったが、限りなく完璧に近い存在だぞ。俺は」

「綾小路君。その台詞、言ってて恥ずかしくないの?」

 

櫛田にツッコまれて、自分の発言を振り返ってみる。伝説の暗殺一家のエリートもびっくりのイキリっぷりだった。

クセになってんだ。黒歴史作るのって感じだ。

 

櫛田や松下に冷めた目を、みーちゃんからは慈愛の目を向けられる渦中、俺はコホンと一つ咳払いして話を切り替えた。

 

「作戦内容を伝える」

 

 

 

 

作戦会議を終えた後、松下のお腹が減ったの一言でルームサービスで食事を頼む流れに。

俺としてはもう一人コンタクトを取りたい相手がいたため、少し都合が悪かったが仲間と親睦を深めることの方が大事だと判断した。

 

前述の通り、勝つ事が俺の目的ではないのだ。

手遅れになる前に本来の目的を思い出し、考えを改める事ができて本当に良かった。

 

ゆっくりとご飯を食べながら談笑中、みーちゃんがうつらうつらと船を漕ぎ始めたのを愛おしく思っていると、それを好機と捉えたのか櫛田がスムーズな流れで解散を宣言した。

 

時刻も23時を過ぎたところ。

明日の試験も変わらず午後1時からなので、多少夜更かしする余裕があるがそのメリットは少ない。

 

「ほら、みーちゃん起きて」

「あいにーらおじー」

「ダメだ。手遅れだったみたい。中国語で何言ってるかわかんないや。完全に寝落ちしたみたい」

 

眠りの浅いレム睡眠時に出る寝言は潜在意識に強い影響を受ける。もしかしたら夢の中で遠い母国に思いを馳せているのかもしれない。

 

「英文に訳すならLove yourself、もしくはIlove me が近いだろうな」

「へぇ、綾小路君、中国語も分かるんだ」

「現地に行けば使い物にならない一般教養レベルだ」

「それは素直に凄いと思うけど、どうして英語訳?もしかして、またかっこつけちゃった?綾小路君」

 

櫛田からの鋭い指摘。称賛を挟むことで緩和しているが、後半の毒は中々の致死量。

だが、本来の彼女であれば「帰国子女でもない癖にサーティワンの事をバスキン・ロビンスって呼ぶ洋物コンプレックスの塊くらいキモいねっ」くらいは刺してきて、きっと死体すら残さない。 

 

「基本的な文法だけに、意味が多岐に渡るから日本語に訳せなかっただけだ」

「まあ、そういうことにしてあげよっかな。それよりみーちゃんどうしよっか?」

 

櫛田は語尾にめんどいし、とつきそうなくらいあっさりと俺の苦しい言い訳を切り捨てて、話を前に進める。

解散を切り出したのも櫛田。よほど堀北と同じ空間にいたくないのか。いや、堀北ではなく俺という線も濃厚だ。

 

「三人は帰ってもらって構わない。みーちゃんが目を覚ますまで俺が付き添っておく」

「綾小路君なら安心だねっ。じゃあ、お願いしてもいい?」

「いやいや、櫛田さん。それはいくらなんでもまずいんじゃない?」

「私も松下さんに同意見。学生として褒められた行動ではないわ」

 

俺の爆弾発言は簡単に着火する。二人が想定通りに話を拗らせようとした時、櫛田の舌打ちが聞こえてくる気がした。

…これ以上の刺激は逆効果かもな。万が一を考えればここが引き際だ。

 

「なら、堀北がみーちゃんを連れて帰ってくれ。お前なら女の子一人を背負うくらい訳ないだろ?」

「……そうね。それが結局、一番でしょうね」

「決定だな。三人とも遅くまで付き合ってくれて助かった」

 

グダグダと引き延ばしていた時間が嘘かのように、俺は淀みの無い動きで四人を廊下まで送り届ける。

すると、松下が大事な用事を思い出したかのように声を上げる。

 

「…あっ。私、綾小路君に言わなきゃいけない事あったんだ」

「何だ?」

「ここじゃあ、ちょっと…」

 

周囲に聞かせたくない話なんだろう。松下は堀北と櫛田の様子を伺い、距離を取ろうとする。

数秒に満たないアイコンタクトで了承を取って、俺達は輪から離れた。

 

「…もしかしてなんだけど、軽井沢さんと喧嘩した?」

「いや、してない。そもそも喧嘩になるような間柄でもない。何か気になる事があったのか?」

「……うん。今の軽井沢さんちょっと危ういんだよね。無人島試験が終わった後は綾小路君のことを手放しに褒めてたのに今は逆っていうか…」

 

その先は言葉がなくても想像できる。十中八九、仕返しのつもりなんだろう。だが、俺が導いた結果の前では逆効果。

どれだけ周囲に俺の事を悪人だと説いたところで、盛り上げムードのDクラスに水を差すだけだ。

 

「…軽井沢は本当の優待者かもしれないな」

「え、何で急にそんな話になるの?」

「俺はクラスの優待者を全て把握している。だが、それも完璧ではなく二人だけ取りこぼしがある。高円寺と軽井沢は確認が取れていない」

「…もしかして、綾小路君、良からぬことを考えてる?」

「情報提供に感謝する。だが、これ以上の詮索は松下にとって良くない。俺を信じて一任してくれ」

 

松下は入学当初、軽井沢と同じグループで過ごしていた。

瞬時に悪い想像が働いたのも、思うところが少しはあるからだろう。

 

それに松下は時と場合に応じて冷徹になれるだけで、心の芯から冷徹な人間ではない。

 

まだ言いたい事が残ってそうな彼女だったが、巻き込むつもりは毛頭ない。

 

「大丈夫だ。絶対に悪い結果にはしない」

 

話を切り上げ、松下の肩を叩き、二人の元に送り返す。

櫛田は笑って歓迎していたが、目のハイライトが消えていた。

 

 

 

 

夜は更け、日付が変わってからさらに時間が経った。

もう男女が邂逅するには健全とは言えない時間だ。それでも、彼女と会うなら早ければ早い方がいい。

 

『手が混んでて連絡を返すのが遅くなった。今からなら会える』

『ううん。連絡ありがとう。どこに行けばいい?』

『船首のデッキで待ってる』

 

俺がメッセージを送ってすぐに既読がつき、返信が返ってくる。俺と彼女との熱に差を感じ、少し申し訳なく思うが、こればかりはどうしようもない。

 

俺は上着を持って、待ち合わせ場所へと先に向かうことにした。

エレベーターに乗り、ボタンを押す。だが、目的地につく前の階層でエレベーターが止まった。

 

「あっ……、こ、こんばんは。綾小路君」

「格好がつかないな。先に行って待ってようと思ってたんだが、道中で会うとは」

 

いや、他の生徒に出会してこんな時間にどこへ行くんだと詮索される最悪のケースを考えればここで会えたことは悪いことじゃない。

俺ならともかく、佐倉が誤魔化せるとは思えないからな。

 

「そ、そんな事ないよ。綾小路君は……、その……、かっこいいよ?」

「俺には勿体無い言葉だな。ありがとう」

 

佐倉は嬉しそうにはにかみながらエレベーターへと乗り込んでくる。

俺とは付かず離れずの腕二本分の距離。今の彼女が考える俺との適正距離だろう。

 

なら、俺が考える彼女との適正距離はどうだろう。そんな思考に耽っていると、目的地への階へと辿り着き、デッキから黒一面の海が見えてきた。

 

「わぁ……綺麗……」

 

景色に釣られるように彼女は俺を置き去りに歩みを進めて、デッキの手摺りを身を乗り出す。

…俺としては、海や空よりもその手摺りに乗っかるものをずっと見ていたい。そんな下心で胸はいっぱいだ。

 

そして、佐倉はそれを拒まない。そんな関係を築けていると俺は思っている。

 

俺は一度離れた佐倉との距離を再設定するかのように肩が密着するかしないかの位置に立つ。どちらかがその気になれば、そのまま溶けてしまうような甘い距離。

 

「佐倉」

「ひゃ、ひゃい……!な、なんでしょう……!」

「…久しぶりに見たな。極限まで緊張してる佐倉は。敬語に戻ってる」

 

俺は彼女を落ち着かせるために、深呼吸するように指示する。

彼女はその俺の言葉に一切の躊躇もせずに実践し始めた。

 

…しまったな。迂闊に指示していいものではなかった。

肥大化していく物体はまさにブラックホールの如く、俺の視線は抵抗虚しく吸い込まれていく。

 

しかし、それは彼女が落ち着きを取り戻せる機会をみすみす逃してしまうことになる。俺は断腸の思いで視線を海へと逃した。

 

「落ち着いたか?」

「う、うん。ごめんね。取り乱して。こういう経験ってしたことなくて…」

 

それがどういう経験のことを指しているかは俺にはもう分かっている。だからこそ、訊くことはしない。

そしてまだ、佐倉本人から歩み寄ることさえ許さない。

 

「実は佐倉に見て欲しいものがあるんだ」

「…え?何?」

 

俺はこの再設定した距離にそれらしい理由をつけるかのように、自分のスマホを取り出して彼女に見せる。

画面にはクリエイターとファンを繋ぐ創作支援プラットフォーというコンセプトと親しみが込められたポップなサイト名が表示されている。

 

「…ファンピア?」

「知らないのも無理はない。知る人ぞ知るサイトだ。ちなみに由来はファンにとってのユートピアを略してファンピアらしい」

 

俺がそう説明するも、佐倉はゆーとぴあ?と首をふにゃと傾げた。

その動きはミミッキュの化けの皮でも剥がれたのかと思うほど人形じみていた。

 

「百聞は一見にしかず。見てもらえば分かると思う」

 

俺は佐倉にスマホを預けて、好きに操作してもらう。

ユートピアという聴き馴染み深い英単語すら分からない佐倉でも簡単に理解できるシステムのはずだ。

 

クリエイターは自主制作の漫画、小説、イラスト、音楽や映像作品等を有料コンテンツとして提供し、ファンは資金を支払うことでそれを受け取る事ができる。

 

この世の中にいくらでもありふれているビジネスの形の一つだ。

 

それでも佐倉にとっては目から鱗だったらしい。

 

「え、これ…」

「ああ、雫のアカウントだ。既にツイッターと特別な銀行口座も紐付けてあり、投稿すれば利益の分だけプライベートポイントに変換されるようにしてある」

「え、でも規則で外部への接触は……」

「特例を除いて、禁止だな。だが、そこをクリアするのが俺の仕事だ。言っただろ?佐倉の障害は俺が取り除くって」

 

彼女に全てを語る事はできないが、これを実現するため紆余曲折あった。

 

まず校内の施設に佐倉のストーカーが存在する事を引き合いに出して茶柱に強請り、坂柳理事長へとコンタクトを取る。

そして、佐倉から性犯罪の予告と取ってもおかしくないメッセージの数々を証拠品として預かり、坂柳理事長と直談判する事ができた。

 

『理事長。これは最大限の譲歩です。俺が佐倉を守らなければ、早いうちに事件は起こる。その結果は貴方が掲げる教育方針にキズがつく。後はお分かりですよね?』

『君の父親が出張ってくる事は想像に難くないね』

『お言葉ですが、少し甘い想像をされてるようですね。俺の父親が出張って政治的いざこざが起きる程度のことでは済みませんよ。もしも俺が父親の立場なら、ケヤキモール従業員に刺客を何人か送り込み、模倣犯を多発させるくらいのことは考えます。無論、これは最悪のケースではなく最善のケースだとお考えください』

 

坂柳理事長がホワイトルーム関係者だと分かっていなければ、こんな交渉はまず叶わなかった。

クルージング1日目に船内で身の上話をし始めた彼女をあの時は煩わしく思っていたが、今となっては感謝しかない。

 

『茶柱先生。坂柳理事長に繋いでくれてありがとうございました。着地点は理事長の方から確認して迅速に対応お願いします』

 

こちらは校内に忍び込んだストーカーを黙認して、また対処も求めない。

その代わりに、発信するだけという縛りを特例として佐倉の芸能活動を認めてもらう。

 

そんな結論を理事長から聞いた時の茶柱先生の驚愕した表情は見てなくとも分かる。

 

「…………好き」

「何か言ったか?船の音で聞き取れなかった」

「ううん。な、なんでもないよ?ほ、ほんとになんでもないよ?」

「そうか、なら構わない」

 

佐倉が俺に好意を寄せてくれている事は随分前から分かっている。

しかもその恋心には尊敬や憧憬が一切なく、愛着や親愛といった100%の好意のみで構成されているとみていい。

 

だからこそ、今は彼女に気持ちを伝えさせる訳にはいかない。

 

俺は彼女にとって身も心も全て投げ出しても得られる事がないような高嶺の花であり続けねばならない。

 

それほどまでに欲してくれないと、俺はきっと彼女に本気になれないから。





感想等、ありがとうございます。全部見てます。

そして原作最新刊までやっと追いつきました。
感想としては森下がやっぱり可愛い。あと、池はやっぱり退学させといてよかった。
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