綾小路は恋がしたい   作:Кудрявка

35 / 42
前半 シリアス寄り 後半 ギャグ寄り


#35 身から出た錆びは身を削ることでしか落とせない

 

 

「真鍋、藪、山下、諸藤か。4対1の構図で気が大きくなって、歯止めが効かなくなったか」

「女の子の名前には随分詳しいじゃん。前はすぐに私に頼ってきたのに」

「今回は事前調査が済んでるだけだ。性別は関係ない。…てか、このバイオレンスを目の前にして真っ先に気になるのがそこっていうのは倫理的にどうなんだ?」

「…まあ、そこは。女子がああいう生き物だって知ってるし」

 

軽井沢を囲む四人に見て、低い声で呟いたああいう生き物という表現には、酷く差別的な意味を含んでいる気がした。

 

自分より強いものには屈服し、自分より弱い者は虐げる。

 

その弱肉強食という原理は、遺伝子の深奥にまで刻まれていて、社会の待遇が変わろうと、環境がどれほど整えられようと、人間の根底に巣食うその本質だけはそう容易く変わりはしない。

 

「実体験がベースにある意見は参考になるな」

「……ねぇ。私がその話して欲しくないの知ってるよね?」

「ああ。知ってる。なら、逆に訊くがどうしてあの時俺にそんな過去を打ち明けたんだ?」

「……あんたには本性バレちゃってるしってあの時言ったと思うけど?」

「理由になっていないな。本性を知っていることとその本性が招いた過去を打ち明けることは全くの別物だ。しかもそれは、その事実を知っている恐れのある堀北を退学にさせたいと考えてしまうくらいの代物なら尚の事」

「なに…?私を脅してるわけ?」

「吹聴するリスクを散らつかせた俺が言うのはお門違いかもしれないが、本当に俺が櫛田を脅していると思っているなら悲しい勘違いだな」

 

…何よそれと口のへの字に曲げる櫛田はとても脅されている人間の顔じゃなかった。

不信感を募らせてはいるものの、それは満たされているからこそ目に付くレベルの些細なこと。

 

そう、本当に窮地に立たされた人間は、目の前の彼女みたいに声を切れ切れにし、現状を打破することに必死で……

 

「悩んでる時間はもうなさそうだ。さっきの問いだが、答えられないならそれで構わない。忘れてくれていい。だが、答えたくないのに黙っているのなら考えを改めて欲しい。俺にはそれを受け入れる準備がある」

「……意味分かんない」

 

彼女は無表情でそう呟いて、脳裏に刻まれた思考を振り払うように強く首を振った。

 

だが、それは彼女のパーソナリティの根幹に組み込まれたもので、どれだけ振り払っても必ず彼女の元に舞い戻る。

なつき度が最高のポケモンは逃しても戻ってくるのと同じだ。

 

……あれは確か無人島試験6日目だったか。

 

佐倉が俺と秘密を共有した直後の事だった。櫛田が俺に過去を打ち明けたのは。

きっと肩の荷が降りて生まれ変わったような佐倉を目撃して、期待を抱いてしまったのだろう。

 

本性を知ってもなお認めてくれる俺になら、この一人で抱えて歩くには重すぎる過去を打ち明けられるかもしれない。

 

この過去を精算して生まれ変わる事が出来るかもしれない。

 

今までの人生をなぞるような生き方じゃなくて、新しい生き方を見つけられるかもしれない。

 

そんな淡く切なくもある願いのような期待を。

 

俺は近いうちにその変化を見届けることが出来ると半ば確信している。

だから、今は目の前で起きている事実に対処するのが先決だろう。

 

「櫛田ならこの状況どうするべきだと思う?」

「はぁ…。いきなり切り替えないでよ。…まあでも、とりあえず証拠残しといた方がいいんじゃ無い?」

「それが、軽井沢を助ける上では誰もが一番最初に思いつく有効な一手だろうな。だがこちらまで、彼女達と同じく手を汚す必要はない」

 

俺は勇足にスマホを取り出しそうとする櫛田の手を上から軽く抑えた。

コンビニのお釣りの受け渡しの時に店員と客が軽く手が触れ合った程度の接触だったのに、櫛田の手がピクリと反応するように跳ねた。

 

取るに足らない身体的反応と言われればそれまでだが、俺にはそれが隙に見えて仕方がなかった。そして、隙があれば突く。紳士の嗜みだ。

 

「それに、これから先、櫛田との逢瀬を記録に残すなら少しでも空き容量は多く残しておきたいからな」

「……あ、あんた……ッ。こ、この状況で私をからかって楽しいわけ!?」

「何故照れる?自分で言い出した事だろ」

「……ぅ……。あ、あの時はちょっと頭に血が上ってただけで、ほ、本心じゃないし…」

 

逆に俺も下腹部の方に血が下っちゃって、あの時は自分の口から出たとは思えない、ひよりに聞かれればぷいっと顔を背けられそうな良からぬ言動をしていた気がする。え、なにそれ可愛い……。今すぐ見たすぎる……

 

…じゃなくて、お互いにもう掘り返すべきではないという話だ。

 

性的欲求が高まると反比例的に知能指数が低下するのは統計学で明かされていたが、冷静になった時の反動ダメージについては言及されてなかった気がする。

やっぱり統計学はクソだな。MBTIとかlovetypeとか糞の役にも立たないし。

 

「まあ、わざわざ彼女達の土俵に降りる必要はないって事だ。それにこっちの手札はブタなのに、相手が勝手に折れる方が愉快だろ」

「…快楽主義者の思考じゃん。まあ、分からなくはないけどね」

「事態は急を要する。俺は4人の対処に当たるから、櫛田は軽井沢の保護を頼む」

 

はいはい。分かったよ。やればいいんでしょ。と面倒そうな表情で了承する彼女だが、役割は完璧に遂行してくれるだろう。

表向きは拒んでいても、行動に出る素直さには好感が持てた。口では嫌がりながらも、体は正直。まるで、そんな言葉を地で行くようだった。

 

「随分と楽しそう事をやってるな。俺も混ぜてくれないか」

 

俺は一段一段丁寧に階段を降りながら、そう真鍋に声をかける。

だが、真鍋は俺よりも慌てた様子で軽井沢に駆け寄り介護し始めた櫛田の方がお気に召さなかったようだ。

 

「ちょっと櫛田さん。余計なことしないでくんない?」

「無理だよ。私、傷付いたクラスメイトをほっとくなんてできない」

「これは私達の問題なの。無関係の人が入る余地なんてないわけ。分かる?」

「だとしても、こういうのは良くないんじゃないかな?」

 

櫛田が言葉を濁して直接的な単語を使わないのは被害者、加害者その両者にとって悪い刺激にしかならないと心得ているからだろう。

 

時間を稼いでいるんだから早くなんとかしろと櫛田がアイコンタクトで伝えてくるが見なかったフリをした。

 

俺が迷っているのはどう助け出すかじゃない。

 

助けるべきか。見捨てるべきか。まずはそれを見定める。

 

「無関係の人間が入る余地が無いか。当事者にそれを言われれば俺達は手出しできないな。クラスメイトという関係性だけで首を突っ込むのは事態を混乱させるだけだ」

「…へぇ。意外にも話が分かるじゃない」

「逆にお前は話が分からないようだな。俺は当事者はお前達だけじゃないって言っているんだ」

 

俺の言葉の意味をプラスに捉えたのか軽井沢の目がカラーコンタクトが溢れんばかりに見張られる。

しかし、冷徹無慈悲に目の前の出来事を淡々と処理する俺を見てすぐに思い直したようだ。

 

俺は味方ではないと。

 

「軽井沢。今、決断しろ。俺にどうして欲しいのか。そして、お前はどうするべきなのかを」

 

真鍋達を前に泣き喚き、櫛田が現れたことで安心感を得た。

だが、それも一瞬。生きるかの選択肢を突き付けてくる俺にまた怯え始める。

 

しかし、さながらジェットコースターのように激しく感情を揺さぶられながらも、彼女の目は思考能力を失ってはいなかった。

 

生きることへの醜い執着だけが、今の彼女の存在意義だった。

 

「こ、これからは…あんたに従うから…。だ、だから……お願い……助けて……」

 

どれだけの時間、この場で、この状況で泣き叫んでいたのかが分かる声だった。

だけど、それを自業自得だと唾棄するのは簡単だ。

冷酷かもしれないが、軽井沢に非がなければこんな状況を招くことはなかったのだから。

 

「俺の求める答えには程遠い。これが筆記テストなら赤点で退学だ」

 

松下。堀北。みーちゃん。長谷部。方向性は少し違うが櫛田もその一人。

既に軽井沢よりも能力の高い仲間が、自ら進んで協力してくれる関係を構築している。

 

「お前の選んだ道は一歩でも足を踏み外せば転落死する崖っ淵。そんな危険な橋を渡ることでしか前に進めない生き方だ。長くは続かない。生憎、そんな人間にかける情けは俺は持ち合わせてはいない」

 

赤点なら退学。それはこの学校ならではの話。

一般的な高校では追試というチャンスが待っている。

 

人間は失敗する生き物だ。

その失敗一つで人生を踏み躙られるようなことはあってはならない。

 

「いい加減、その殻は破れ、軽井沢。心の叫びを聞かせてみろ」

 

平田洋介は3ヶ月も前にこの学校を去り、俺を貶めようと画策したことで周囲の友達からは敬遠され始め、しまいには優待者の特権も勝手に剥奪された。

 

お前が寄りべにしていた精神的支柱は俺が全て破壊し、崩壊目前だ。

それでも、精神と肉体がチグハグなお前はそのズタボロの状態でも気丈に振る舞う。その結果トラブルを呼び込む事は目に見えていた。

 

全て、俺がそうなるように誘導した。

 

「……わ、わかった。ぜ、全部……捨てるから。か、過去も……今も……この先に続く未来も……もう要らない……」

 

「…守ってくれるなら、あんただけいればいい。だから……もう、私を見捨てないでっ……‼︎」

 

次の精神的支柱として、俺を求めるように。

 

俺は臆する事なく真鍋達の間を割って進み、櫛田と挟むような形で軽井沢の隣にしゃがみ込む。

腰が抜けて立てない彼女に肩を貸してやり、櫛田と協力して支えて立ち上がらせてやった。

 

「真鍋。晴れて、これで俺も関係者だ。異論はあるか?」

 

俺は怜悧で鋭い目付きを作って威圧するように宣言するが、虐めをする低俗な連中には通じる由もない。

 

「はぁ!?そんな屁理屈通るわけ—」

「待って、志保ちゃん!」

「多分、この人、龍園君が関わるなって言ってた綾小路じゃない?」

「病的なまでに肌が白くて、薄みがかった茶髪の量産型センターパート。皮肉と煽りを無表情で垂れ流すのがキモいって特徴も一致してるし間違いないかも…」

 

…なるほど。龍園に俺の事がどう見えているかがよく分かった。

 

だが、今回の特別試験で彼がひよりを俺につけるというスルーパスを出してくれたおかげで、ひよりの心のゴールネットを揺らす事が出来たと俺は思っている。

 

そのナイスアシストに免じて、今回は見逃してあげることにした。

 

ほら、俺は優しいから。

 

「最後に文句くらいは聞いてやろうなんて思ったが、甲高い断末魔はここでは反響して聞くに耐えないな。耳が痛い限りだ」

 

俺はスマホを取り出し簡単な操作を済ませ、さながら水戸黄門が印籠を突きつけるように言い放つ。

 

「暴行罪、傷害罪、強要罪、侮辱罪。俺はお前らの罪を全て白日の下に晒し、必ず罪を償わせる。お前達が軽率に行った行為は決して許されるものではない」

 

真鍋達の表情が硬直して一変した。

頭の悪い彼女達も自分の危機には敏感だ。俺に命を握られている感覚は耐え難く、形振り構ってられない状況である事を本能的に察知したはずだ。

 

殺さなければ、殺されると。

 

獣のような雄叫びを上げて、般若顔負けの形相で4人達が襲いかかってきた刹那、

 

「はぁ〜い。ストップ、ストップ〜」

 

この場に似つかわしくない緩い声が割って入ってきた。

 

その声の張本人である星之宮先生はおっとと〜なんて言いながら、千鳥足で階段を降りてくる。

 

思わぬ第三者の登場に動きを静止させていた4人だが、すぐに自分の立場を思い出し、必死に弁明しようと口を一斉に開き始める。だがそれも星之宮が一蹴する。

 

「はいはい。うるさい、うるさ〜い。しゃらーっぷっ!!そういう面倒な話はパス。ほら、私って愚痴を聞いてもらう専門でしょ?」

 

横暴で自己中心的な性格をそのまま表したような一言で可愛く締め括った彼女は続いて、だからそういうめんどいのはあっちと後ろを指差す。

 

そこには頭を抱える茶柱先生と坂上先生がいた。

 

「で、私の可愛い患者さんはどこかな〜。綾小路きゅん」

「…見て分かりませんか?彼女ですよ」

「へぇ〜。って事は綾小路君は軽井沢さんのこと可愛いって思ってるんだぁ?」

「まあ、そこは否定するつもりはありません」

「……はぁ!?ちょっと、あ、あんたなにいってんのよ……。…い、いまの私が可愛いわけ…」

「俺はそうは思わない。今の軽井沢の方が、前よりずっといい」

 

そう強く断言した俺に軽井沢は目を瞬かせる。

俺はそんな彼女に傷が悪化するからもう喋るなと釘を刺しておいた。

 

「おっ〜?男磨いたねぇ〜。もしかして、彼女でも出来たかな〜?」

「そういうプライベートな質問に応えるつもりはありません」

「わぁお、ガードが固い。いや、かったぁ〜い♡。…まあ、でも仮に彼女がいるなら、所構わず可愛いを撒き散らすような最低な真似はしないよね〜。だから、それは実質答えを言ってるようなものなのだ〜」

 

…なるほど。危なかった。的外れではあったがそういうトラップもあるのか。心得ておこう。

 

彼女が固いという単語をわざわざねっとりと言い直した事には当然のように触れずに、俺は話を本題に戻す。

 

「酔っ払ってたのは知ってますが、ちゃんと仕事は出来るんですよね?」

「あはは、大丈夫だって〜。軽く一杯やってただけだし。仮に手元が狂っても、″胸″くらいしか揉まないから〜」

 

星之宮先生はくいっとお猪口を呷るようなポーズをした後、下卑た笑みを浮かべて、手をわきわきと動かした。

 

…気のせいだろうか。一部の単語がお前の事を言ってるんだぞと言わんばかりに強調されたのは。

 

これ以上、酔っ払っている彼女と会話を続ける事は危険だと判断した俺は早々に軽井沢を預けることに決めた。

 

「心配ですが信用して軽井沢を任せます。俺達は別にやる事がありますので」

「はいは〜い。かしこまり〜。じゃあ、恵ちゃん。特別に私の部屋連れてってあげる〜。ほんとはイケてるメンズ以外は入れたくないんだけどねぇ?…え?そこで何をするかって?ヤダな〜。イケてるメンズとイケない遊びするんだよ。イ・ク・ま・で。キャーッ!私、うますぎ〜!?今の絶対うまいこと言ったでしょ〜」

 

(……セクハラは同性間でも成立するってあの老害酔っ払い乳女に誰か教育してやった方がいい気がする)

 

彼女は下ネタのショットガンを乱射するようなマシンガントークで軽井沢を困らせながら、この場を去っていった。

あれが、さっき言ってたおしゃべり専門の性質なのか、はたまた彼女なりのメンタルケアの一環なのかは分からない。

 

願わくば、後者であって欲しかった。でないと、教師として尊敬できるところが本当になくなってしまうから。

 

「残る問題はお前達だな。まずは事情聴取をしない事には始まらないだろう。真鍋、薮、山下、諸藤。お前達の話は私が聞く。虚偽の発言は罪を重くするだけだと心得ておけ」

「綾小路君。櫛田さん。君達も同じ事です。見た事を全て正直に話してください」

 

俺が提案した通り、茶柱先生は真鍋達、坂上先生が俺達の事情聴取を担当してくれるようだ。

彼等が星之宮先生の到着より少し遅れたのも、その打ち合わせをしていたからだろう。

 

俺は茶柱先生に大人しく着いていくしかない真鍋達に聞こえるように声を張り、坂上先生に対して真摯に答えた。

 

「はい。俺達は元より、ここで起きた事全てを学校側の判断に委ねるつもりで連絡しました。こんな時間にも関わらずフラットな対応していただいている事、感謝しています」

 

その後、それぞれ別室で事情聴取が始まったが、俺達の方は時間にして5分に満たず終わった。

 

 

 

 

酸鼻な暴力事件があった翌日。

 

当事者達への処罰は二日後の船上試験終了後まで保留となった。

学校側が正式な声明を出すまでの暫定的な処置としては、真鍋達4人は別室での学習が義務付けられ、軽井沢は星之宮先生の元で療養する事が決定された。

 

すぐに正式な判断が下らなかったのは、事務処理に時間を要するような重い処罰が待っている前触れだ。

 

俺は茶柱先生に知っている情報を根回し、彼女達が少しでも事実と違う事を言えば見破られる状況を作っていた。

真鍋達がそれに対抗する手段を持っていたとは思えない。

 

彼女達はもう詰んでいるのだ。例え退学を免れたとしても、それは早く焼き殺されるか長くじっくり炙られて殺されるかの違いしかない。

 

「…そうは思わないか?伊吹」

「知らないし。真鍋達とか心底どうでももいい!!そんなことより、朝から目の前でイチャイチャすんな!こっちの身にもなれ!!!」

「こっちの身とは具体的に何を意味するんだ?恋人がいない私がパートナーがいる幸せを見せつけられると孤独と劣等感に押しつぶされそうになる身のことか?すまないが、それなら俺には理解できそうもないな。……オレ、イマ、シアワセ、ダカラ」

「……コロス。……ゼッタイコロス」

「暴力で訴えかけたらどうなるか、今教えたつもりだったんだがな」

 

俺が発言している途中にプルプルとショート目前の機械みたいに震え出した伊吹をカタコトで煽ると、考えなしに飛びかかってきた。

 

俺は隣にいたひよりに危害が及ばないように立ち上がり、すぐにその伊吹の蹴りをいなす。そして体が流れ、彼女が背を向けた瞬間に両手を掴み拘束した。

 

「くっ……!!…ガリ勉の癖になんでこんなに強いのよ‼︎」

「喧嘩の強さと学力に因果関係はない」

「……うるさい!!!はなせっ!!!」

「甘えてるのか?自分で逃れようと頑張ってみたらどうだ?」

 

俺は昨日、真鍋達に対して、暴力的な手段による解決を選ばなかった。

その反動だろうか。暴力一点張りの伊吹相手を単純な膂力の差だけで分からせるのは気分が良かった。

 

うがぁーっと踏ん張るように力を入れる伊吹の必死の抵抗を抑え込み、悦に浸っていると、ひよりが真面目な表情で立ち上がり近づいて来た。

 

「こら。清隆君」

 

頭をコツンと軽く小突かれた感触に、全身の筋肉の緊張がほぐれていく。

あまりに怒り慣れて無さすぎる怒り方に可愛いと言う感情の方が先に来てしまった。

 

だけど、その後に続いた言葉は到底看過できるものじゃなかった。

 

「伊吹さんが怒るのも当然です。そんな意地悪なことばかり言う人は私、知りませんっ」

「伊吹、俺が全面的に悪かった。この通りだ。どうか許してほしい」

「……本気で謝ってるって分かる分、全く釈然としないんだけど?」

 

伊吹をすんなりと解放して、深く頭を下げながら、こいつ釈然なんて単語知ってたんだなと密かに思う。口に出さなかった分だけ成長だろう。

 

「もし、ビンタの1発で気が済むなら、それくらいは受け入れるつもりだ」

「…言ったわね?」

「ああ。手加減は一切無用だ」

「そんなのするわけないっつーの」

 

俺は顔を上げて、伊吹の攻撃を受け入れる体勢を整えた。

そんな俺の姿を伊吹はニヤリとしたり顔で笑って、

 

「…潰れろッッ!!!!」

 

ビンタとは思えない掛け声で放たれた攻撃は本当にビンタではなかった。

狙いは俺の下半身。男性の急所とも言えるその場所に問答無用の蹴りが飛来してくる。

 

咄嗟に手で彼女の足を掴んだのは、雄としての防衛本能だっただろう。本当にギリギリだった。蹴りの風圧で初めてタマヒュンを経験してしまったくらいだ。

 

「もうっ!!!不意打ちも通用しないとかどうなってんの!?」

「明らかに予備動作が蹴りだったからな。てか、普通に男として殺す気か」

「…ふんっ。あんたなんか女になればいいのよ。そしたらどんなに椎名とくっついてても何も思わなくなるし」

「暴論だ。去勢すれば確かに機能は停止するかもしれないが性別は変わらない。だから、俺がひよりに女性的な魅力を感じる事もきっと止められない。さらにもう一歩踏み込んだ仮定を話すなら、もしも俺が女性として生を受けたとしても、椎名に惹かれる事は止められなかっただろう」

 

これはもう、染色体の組み合わせ如きで覆せるようなやわな感情ではないのだ。

 

「……なんか疲れた。何言っても無駄って思うと、どっと疲れた。もういい。私が出てく。同室だった諸藤もいなくなったし、これで完全に二人きり。これもあんたの狙い通り?」

「そんな意図はない」

 

俺は正直に答えるが、伊吹は怪しむような恨みがましい目で睨み、最後にはあっそと言って出口へと歩き出した。

 

「ま、ま、待って下さい。伊吹さん」

 

だが、その伊吹の歩みは服の裾をちょこんと掴んだひよりによって止められる。

 

そんなひよりをじーっと見ていると自然が目が合った。

見る間見る間に、加熱中のオーブンのように顔を赤くしていったひよりは、最後にはらしくもなく挙動不審に目を泳がす始末だった。

 

「…何よ。椎名としても悪くない話でしょ?昨日、私に散々惚気てきたんだから」

「ち、違うんです……っ。その……い、今、二人きりにされると……困ります。……すごく、困ります……」

「…椎名、分かってるでしょ。私のこと。はっきり言ってくれないと、何言いたいかわかんないだけど?」

「い、言えないんです……。そんなの言えるわけ、ないじゃないですか。わ、分かってください。察してください。……分からないなら、伊吹さんは…お馬鹿さんです。……あんぽんたんです」

 

伊吹にとって、ひよりに正面切って詰られるのは初めてだったんだろう。

面食らった顔で目を逸らした。その逸らした先には伊吹にとって嫌な偶然か、俺がいた。

 

……ふふ、どうだ?彼女の罵倒は骨身に染みるだろう?

不治の病は完治する反面、健康状態の人間は逆に死に追いやってしまう。そんな二面性を持つ必殺技だ。きっと。

 

「…はぁ。分かったから…。ここにいればいいんでしょ、いれば」

「はいっ、私にとって伊吹さんはいてくれるだけで百人力です」

「…私が百人力ならこっちのバケモンはどうなるのよ」

 

ひよりに頼られて満更でも無さそうに鼻を鳴らした伊吹は俺に恨み節を吐いてきた。

 

「……き、清隆君は100人いても足りないくらいです」

「ばっかじゃないの。こんなんが100人いたらホラーだっての。もし、暴れ出したら国家レベルの武力がないと制圧出来ないでしょ。国家転覆よ、国家転覆」

「…どうして、俺が暴れる前提で考えられてるのが不服でならないが、その場合の最初の犠牲者には恐らく伊吹だろうな。真っ先に単独で突っ込んで犬死にするのが目に見える」

「は?何?喧嘩売ってんの?」

「絶賛バーゲンセール中だ。今なら一つ10万pptで売ってやる。お買い得だろ?」

「は?高いんだけど?ぼったくり?」

「今のところ競合がいないからプレミアがついてるんだ」

 

俺達が口と目線でバチバチに火花を散らし合っていると、すかさずひよりが右手で俺の腕を左手で伊吹の腕を掴んで引き留めてくる。

 

「…もう、どうしてすぐにそうなっちゃうんですか?」

「いや、伊吹が」「綾小路が」

「ほら、こんなにも息ぴったりですのに、それがマイナスに振れてしまうのは凄く勿体無いです。…清隆君、伊吹さんは私の数少ない大切な友人なんです。仲良くしてくれますよね?」

 

俺は同じ轍は踏まない。例え、相手が人間の形をしただけの理解不能な獣であろうと、ひよりが大切にしているなら俺も大切にする。そう胸に誓っている。

 

「伊吹、これからは困ったことがあれば俺に頼ってくれて構わない。大体の事はできる」

「おっけー。なら、今日からあんたは私のサンドバッグね」

「標準装備でフルカウンター機能がついてて、これは設定上オフに出来ないんだが問題ないか?」

「あるに決まってるでしょ。サンドバッグが反撃してくんな。不良品」

「サンドバッグか反撃してくることじゃなくて、俺に反撃されると成す術がないことが問題なんじゃないのか?」

 

は?喧嘩売ってんの?以下略。

再び俺達はひよりの独特な空気感に鎮められた。まるで坂本龍馬のようなの仲介振りだ。夜明けは近いかもしれない。

 

そんな彼女は続けて、名案を思いついたとばかりに手を打って掴んでいた俺達の手を持ち上げる。

 

「そうです。仲直りの証に手を繋ぐというのはどうでしょう?」

「はぁ!?なんでこいつと?」

「なんだ伊吹。ビビってるのか?」

「は?私のどこがビビってるって?あんたの方こそ、金玉縮こませてるんじゃないの?てか、あんた椎名の尻に轢かれすぎでしょ」

「正しくは尻に敷かれるだ。間違いだとしても、ひよりのお尻でそんな物騒な表現をして欲しくないな」

 

物騒とは言ったが、もしも自分の死に方が選べるならひよりの尻に轢かれて死にたいと思う。

…これでは伊吹と同レベル、もしくはそれ以下の発想だ。

 

俺はそんな内心を悟られてはいないか不安になって、ひよりの様子を探り探りに見ると、伊吹の下劣極まりない言葉をもろに被弾していた。顔が真っ赤なのは大怪我をしているからかもしれない。

 

「き、きん……」

 

ひよりに最後まで言わせたくないという強い思いが働いた俺は、伊吹の手を迎えるようにして取る。

 

「伊吹。さっきから思っていたが、ひよりの前で下品な言動は控えてくれないか?」

「……はっ!!小学生じゃあるまいし。こんなんで狼狽える方が悪いでしょ。…痛いんだけど?」

「ひよりに悪いところなんて1つもない。悪いのは経験もない癖に下品な発言を繰り返す伊吹だ」

「はぁ〜?なら、あんたが言う金玉の経験って何よ!!!私は潰したことならあるけど!?」

「……男の敵め。お前はここで成敗したほうが良さそうだ」

「この!!さっきから痛いっつってんのよ!!うぐっ!!だったらこっちも容赦しないから!!」

 

握手は握力比べへと発展し、最終的には何故か指相撲へと発展した。伊吹は何度も負けて俺に力の差を感じているはずだが、諦める様子はなかった。

 

そんな伊吹と年甲斐もなくはしゃいだ横で、さっきの衝撃が尾を引いてまだ頬を上気させていたひよりが嬉しそうに微笑んでいたのをよく覚えている。

 





今回も長めです。
読んでくれてありがとうございます。感想、ここ好き等も励みになります。

実は最後の最後まで軽井沢を脱落させる方向で舵を切ろうとしていたんですが、軽井沢よりも可愛くなくて性格も悪いネームド達がDクラスには控えているので、とりあえず残留にしました。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。