綾小路は恋がしたい   作:Кудрявка

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#45 友情はリボ払い。愛情は残クレ。

 

 

呼び鈴の音が聞こえ意識が徐々に覚醒する。

身を起こし瞼を擦り、ようやく自分の置かれた状況を思い出した。

 

どうやらドラクエのマダンテの如く全てを解放した俺はいつの間にか気絶してしまっていたらしい。

 

これが巷で噂のドカ食い気絶というやつか……。違うか、違うな。ひよりを食べ物に例えるなんて不敬罪で極刑だ。

 

俺はベットを抜け出し、ひよりに肌かけ布団をかけて、服を着て玄関へと向かう。

 

午前6時。夏休みを満喫中の健全な高校生ならまだ寝ている時間に来るなんて非常識な輩は無視しても良かったが、非常識な人間はどこまでも自分本位だ。

 

追いチャイムされてひよりの睡眠を妨害される事はもっと嫌だった。彼女には少しでも体力を回復してもらいたいのだ。無論、邪な理由である。

 

「ひより、あんた大丈夫………、は?…なんであんたがここにいんのよ」

「政治家の側にボディガードがいるように、ひよりがいるところには俺がいる。それが例え火の中だろうと水の中だろうと澪のスカートの中だろうとな」

「朝からキモイし意味分かんないんだけど」

「キモイに朝も夜も関係ないんじゃないか?」

「まあ、それは確かにね。あんたは通常運転でキモいし」

 

どうやら墓穴を掘ったみたいだ。綺麗に一本取られた。

 

それに俺は澪に対してはどう思われてもいいと考えている節があり、つい余計な口を滑らしてしまう。

 

「それより、どういうこと?あんた、一之瀬と付き合い始めたんじゃなかったわけ?」

「…澪には説明しておく方が無難か。とりあえず入ってくれ」

 

壁に耳あり障子に目あり。誰が何処にいるかも分からない外でする話ではないため、俺は伊吹を部屋に招き入れることにした。

 

……が、結論から言えばこの安直な行動が失敗だった。

 

「……………」

 

床に散乱した衣服と乱れたベットシーツ。

 

局部は布団で隠れてはいるものの透き通るような白い肩と多幸感溢れる寝顔を晒して気持ちよさそうに眠ってるひより。

 

察しの悪い澪でも、流石にこの場で夜通し何が行われていたかは想像に容易いだろう。

 

「…………き、訊かないから。男女が付き合ってれば、そういう事があるっての知ってるし……」

 

普段気の利かない澪が気まずそうに言う。

有る事無い事を想像してしまったのか、頬には朱色が差し、目は盛大に泳いでいた。

 

…まずいな。泳いだ末にゴミ箱なんかに漂流してしまったら気まずいとかの次元じゃない。そこには将来億以上の値が付けられ、ドナー登録されてもおかしくない愛の残骸が埋まっているのだ。

 

「そうだな。まあ、もしも気になるなら詳細はひよりに聞いてくれ」

「き、訊かないって言ってんでしょ。馬鹿じゃないの?」

「澪、素直になった方がいいんじゃないか?俺達の年で興味があるのは自然な事だ。後からひよりに訊いて、それが俺の耳に入る方が恥ずかしいんじゃないか?ムッツリスケベがバレた時のダメージは計り知れないぞ?」

 

俺と醜く言い争った後に、こっそりひよりに感想を訊いたなんて事実が明るみになれば、俺は一生にかけて澪をムッツリスケベと煽る自信がある。彼女を煽るのは楽しいのだ。

 

だが、これは戦況を大きく傾かせた悪手だった。

意識を逸らさせようと煽った結果、澪に変な舵を切らせてしまったのだ。

 

「……あんた、そういうの他人に知られるの嫌じゃないわけ?」

「澪は俺にとってもひよりにとっても他人じゃないだろう?ある程度の情報が漏れる事は覚悟してる」

「……あっそ。……じゃあ、訊くけど……、気持ち良かったわけ?」

「……いや、なんで俺なんだよ。そういうのはひよりに聞けって言ってんだろ……」

「私の中じゃ、あんたもひよりも同じ友達で、どっちに訊くのも事実としては変わんないし。てか、今更恥ずかしがっても遅いけど〜?」

 

思わぬ反撃にこちらが隙を見せてしまったが故に、澪が得意満面といった様子でニヤっといやらしく口の端を釣り上げる。

 

完全に攻守が反転した。見事な逆転劇である。

こいつは画面端を背負ったウメハラかよ。さっきまでバーンアウト寸前の虫の息だった癖に。

 

「……まぁ、思ってたよりフツーだったかな?」

「うわっ。それ、考えられうる限りで一番キモイ感想じゃない?」

「……じゃあ何だよ。気持ち良かったって明け透けに語れば良かったのか?」

「それもキモいけど、まあそっちの方がいくらかマシでしょ。キモいけど」

 

要はキモイって前提は変わらないわけだ。正解のない魔の質問すぎる。

 

…それにしてもさっきは澪に何を思われてもいいと感じたばかりなのに、今更何を取り繕おうとしてるんだ俺は。

 

もしかしたら友達だなんて真正面から言われて、内心舞い上がっていたのかもしれない。友達少ないからなぁ、俺。

 

「まあ、正直反省してる。さっきの発言だと、未経験の澪にはマウント取ってるようにしか聞こえないもんな」

「……は?」

「知識はあるけど経験はなく、興味はあるけど相手はいない。彼氏いない歴=年齢のまま生を全うしそうな澪には文字通り縁もゆかりもない話だったよな。ごめんな?」

 

澪のこめかみからピキピキと音が聞こえてきそうだった。

そのまま俺と澪の友情に亀裂が入ってもおかしくないレベルの挑発だったが、恐らくそんな大それた問題にはならない。

 

こいつも俺と一緒で友達が少ないのだ。換えが効かないくらいに。

 

うがーっと考えなしに突進してきた澪の出足を挫くように、足元を払い、バランスを崩す。

 

俺はそのまま澪の両手を取り、床に組み伏せる。精神的にだけではなく物理的にも馬乗りになったと言っていい。

 

「なによ!彼氏彼女がいるのがそんなに偉いわけっ!?あっ!てか、一之瀬の話は何だったのよ?嘘だったわけ?」

「忙しい奴だな。いきなり思い出したように話を戻すなよ」

「どうなのよっ!」

 

激昂した澪が声を張り上げる。距離が近いこともあり、キンキンとした声が耳に響く。

 

手足の自由が奪われれば、声量で攻撃してくるなんてウボォーギンかよ。こいつは。

 

「澪。少し落ち着け。じゃないと話にならない」

「……どうなのよ」

 

…素直だが素直じゃないな。トーンは下げたが、俺を責めるような獰猛な眼差しは変わっていない。

 

その目線は不服だったが、澪はひよりを心配して朝早くからここに来たのだから当然と言えば当然か。

 

「一之瀬とは昨日から付き合ってる。当然ひよりも承知の上だ」

「さいってーじゃん。ひよりの気持ちをいいように利用したんだ」

「失礼だな。純愛だよ」

「…………私、そいつ嫌いなんだよね。困った時は都合良く一途アピールしてリカちゃんを利用する癖に、最初から最後まで同級生にベタ惚れじゃん」

 

穿った見方……という訳でもないな。彼にはそういう節がある。一途アピールしている人間ほど浮気性というのはよくある話だ。

 

「別に名言を引用して誤魔化してる訳じゃない。俺はひよりが好きだし、大切に思う気持ちは何一つ揺らいでない。ただ、その上で一之瀬と付き合っているだけだ」

「……マジ理解できないんだけど。後半部分が特に」

「それは澪が最初から理解を拒んでいるからだ。そして俺がそれを押し通してまで理解してもらおうと思ってないというのもある。ひよりに理解されていれば、他は何もいらない」

 

俺の行動を不純だと切り捨てるのは簡単だ。

だが、実態を知ってなお不純だと切り捨てる事は難しい。

 

ひよりが信じている俺の気持ちを勝手に一刀両断する事を澪はできないからだ。ひよりが悲しむことが目に見えているから。

 

結局、澪は俺と一緒で、ひよりに惚れ込んでいる。言うならば被害者の会だ。

 

いやはや、ひよりの人誑しっぷりには畏敬の念を覚えるよ。

 

「……あんた、女なら誰でもいいわけ?」

「そうだな。俺を理解してくれて好いてくれる女の子であれば極論誰でもいいのかもしれない。例えば、澪が相手でも」

「……冗談でしょ。私が直情型で暴力的で、何より先に手とか足とか出るタイプなの知ってるでしょ。そんな彼氏もいたことない私を女として見るとかあり得ないでしょ」

「さっきのは冗談だ。根に持つなよ。それに、逆に俺相手には文字通りその手も足も出ないことは身を持って知っているだろう?それが通用しなくなった時、澪はただの優しくて可愛い女の子にしか見えないよ。自分を卑下しすぎだ」

「……馬鹿言わないで。だとしても、こっちから願い下げよ」

「そうか。残念だ。澪が新しい相手ならひよりも喜んでくれそうなものだったんだがな」

「………バカップルすぎて、付き合い切れない」

 

付き合ってくれようとしていたことが、何より優しい証拠なんだけどな。

 

やっぱり、澪は根は良いやつという言葉が誰より似合うと思う。

 

「てか、そろそろ離してよ。もう事情は分かったから帰りたいんだけど?」

「どうするかな。何だか本格的に離したくないし帰したくない気分になってきた」

「…あんた、調子に乗りすぎ」

「はは。澪の上に乗ってるだけにってか?お後がよろしいようで」

「……ひよりはなんでこんな奴のこと好きになったのよ。どこがいいわけ?」

「まあ、性格以外の全てじゃないか?」

 

俺は悉く育ての親には恵まれない。そういう星の元に生まれたのだろう。

櫛田に美意識を仕込まれたせいで、自己肯定感も櫛田並みに育ってしまっている。

 

まあ、ひよりならそれすらも包み込んで愛してくれるだろう。

そうやって甘やかされると近い将来に承認欲求のモンスターになってしまいそうだが、もしもそうなっても愛してくれるだろう。自愛と慈愛が交差する時、物語は始まる——!

 

「澪だって、別に俺のことは嫌いじゃないんだろう?」

「只今絶賛、嫌いになりそうなとこだけど?」

「なら現状は好きか嫌いで言えば好き寄りなわけだ」

「……現在進行形で嫌いになった。どいてくんない?」

「嫌いになられてしまったのなら、尚更どく理由がなくなったな。無敵の人になりそうだ」

「何このクソゲー!どの選択肢選んでも先に進まないじゃない!!」

 

澪の悲痛の叫びに思わず吹き出しそうになる。こいつのたまに出るこういう反応が面白くて癖になりそうだった。

 

「……澪さん?清隆君…?」

 

俺と澪が騒いでいたこともあり、ひよりが意識朦朧のまま体をゆっくりと起こす。

 

はらりと掛け布団が落ちて、生まれたままの姿をしている自分に遅れて気付いたひよりはきゃっと声をあげて顔を赤らめた。

 

「……澪さんのえっち……。あんまり見ないでください」

「何で私なのよ!?普通、こいつの方でしょ!?」

「清隆君にはその……、今更と言いますか、遅きに失すると言いますか…、すったもんだのあった後でと言いますか…」

「あー!!聞きたくない聞きたくない!!!もうほんとやだ!このバカップルッッ!!!爆発しろ!!」

 

澪の無邪気な子供が喚くような反応に、俺は今日も平和な一日になりそうだなと思った。パシフィズム万歳。

 

「てか、あんたはいつまで私の上にいんのよ!!!」

 

ひよりのあられもない姿に目も心も奪われて、茫然としていた俺の睾丸に怒り心頭の澪の拳が炸裂した。

 

……。

 

使い物にならなくなったらどうしてくれるんだ!戦争じゃぁ!!ゴラァ!!!

 

 

◆

 

 

澪と血で血を洗うような醜い激闘を繰り広げた末、辛くも勝利した俺はというと……

 

澪とひよりにごく一般的な朝食を振る舞っていた。

 

俺と澪の喧嘩をもうじゃれあいとしか認識していないひよりは特に仲裁することもなく、テキパキと着替えを済ませて一言、お腹が空きましたと言ったのだから仕方ない。

 

俺にとっては澪との諍いよりもひよりが空腹であることの方が一大事なのだ。なんて言ったって、彼女には少しでも体力を回復—以下同文。

 

瑞々しいトマトの酸味、程よい塩加減で味付けしたハムの旨味、粗挽きした黒胡椒で味付けしたスクランブルエッグ、それぞれをこんがり焼いたバンズで優しくサンドする。

 

世界はそれをサンドイッチと呼ぶんだぜーとツッコミたくなるような無駄な注釈の多さだが、それだけ素材と調理方法には凝っているのだ。

 

美味しいですとベタ褒めしてくれるひよりの言葉にでへらでへらとしていると、散々虐めたせいで臍を曲げていた割に、ちゃっかりと御相伴に預かっている澪からも『ムカつくけど料理だけは上手い』とお褒めの言葉を頂いた。

 

もしも恋愛で彼女を攻略するなら、心よりも胃袋を掴む方が手っ取り早そうだと思う。それほど分かりやすく頰を緩ませていた。

 

澪に「ひよりと二人で話したいことあるから」と部屋を追い出され、行く当てを失った俺は珍しくケヤキモールへと出向くことに。丁度確認したいこともあったからだ。

 

俺は一度部屋に戻り、身支度を整える。

 

まずは服選び。入学以前はスティーブ・ジョブズのように毎日同じ服を着て、些細な意思決定すら削ぎ落とす効率厨のような生き方をしてきた反動か、今はお洒落をすることに意味を見出している。

 

そもそも、彼のように脳のリソースを全振りしなければ達成できないプロジェクトを日々抱えて生きているわけじゃない。

 

そんな高校生にとっては毎日同じ服を着ているというのは異性から見て大きな減点ポイントなのだ。

 

インナーには着回し力抜群の白のレイヤードタンクトップ。

夏にぴったりの透け感のある黒のシアーシャツを合わせて、パンツにもシンプルな黒のカーゴパンツをチョイスした。

 

結局は無難なところに収まったが、夏のオシャレで肝心なのは服装より髪型である。

 

俺は髪をダッカールで分けてアイロンを入れていく。当然、髪にはヘアオイルをつけて熱ダメージから守ることも忘れない。

いつもはリバースをいれて毛流れを揃えているが、今回は癖を取る程度にして、グリースで形を作っていく。

 

最後にシースルーに前髪をこぼすと鏡の前には韓国風のセンターパート✖️コンマバングの俺が出来上がっていた。

 

入学当初の自分と比較すればかなりの大変身ぶりだが、これは別にアニメの製作会社が変わって画風が変わったとか、イラストレーターの腕が上達して顔が変わったとかそういう話ではない。

 

スキンケアにヘアケア、食事や運動に睡眠に至るまで、日々の生活のあらゆる場面に美容を結びつけて生きた努力の結晶といっていい。櫛田の素材だけはいいという話は嘘ではなかったのだ。

 

…うん。ビジュいいじゃんって感じだ。俺の身支度シーンが長すぎて、綾小路くん!おしゃれになりたい!みたいなオリジナルアニメが作れるまである。

 

(……襟足もだいぶ伸びてきたな。このままメンズウルフを名乗れるくらいまで髪を伸ばすのは女子的にありなのだろうか?今度櫛田に—)

 

と、そこまで考えたところで俺は彼女と喧嘩別れをしていたことを思い出す。

 

そして素直に驚いた。放っておいても向こうから言い寄ってくると考えていたのに、早く仲直りしたいと逸る気持ちが抑えられない自分が存在していることに。

 

(……櫛田に偉そうに俺のことを好きなんだろなんて言ったが、逆も然りか)

 

複数の女子に好意を寄せられて俺が戸惑っているのは、何もひよりの存在が大きいだけが理由じゃない。

 

堀北に櫛田に佐倉に橘先輩。その誰もが心のどこかで依存してしまうほどに魅力的なのだ。彼女達の事を考えない日がないくらいに。

 

俺はそんなモヤモヤとした気持ちを振り払い、部屋を出た。

 

目指すはケヤキモールの一角に陣取る家電量販店。そこに彼はいた。

 

「いらっしゃいませ〜。新型iPhone入荷しました〜。あ、お客様、お目が高い。興味がおありならこちらの展示機の方を一度触ってみませんか〜?びっくりされると思いますよ〜」

「新型って言うけど前のモデルとあんま変わんねぇじゃねぇの?俺は騙されねぇぜ」

「素晴らしい着眼点です。ですが、iPhoneは日々進化を遂げております。要は使い手の理解度の違いなんです。まずはディスプレイですが最新技術のナノテクスチャーが採用されており、画面の映りの鮮明さが別格でございます。映像は無論、写真集のような静止画を見る上でも体験としてのレベルが違います。それはもうモザイク処理や水着がそこに存在しなかったように思えるほど。…もうgrokにメンションしてお願いする必要はないんです」

「なん……だと!?……でもよ、これ高いんだろ?」

「お客様。それが本日限り、利益度外視の特別価格で提供させていただいており……、こちらでいかがでしょう?」

「…買う!買わせてくれ!」

 

佐倉からは覇気と清潔感と目に光がなく、挙動不審で辿々しく喋る人物と聞いていたのだが、その影はどこにも見当たらない。

 

彼のストーカーじみた凄まじい執念は佐倉本人ではなく目先の金に向けられているのか、どこにでもいるインセンティブ目的で頑張る営業マンと言った感じだ。

 

店員の勢いとセールストーク呑まれ、車検の通っていない口車に乗せられた男子生徒は奥に案内され、契約書類にサインをしていた。……ていうか、あれはよく見たら石崎だな。見なかったことにしよう。

 

俺はスマホを開き、佐倉のファンサイトにアクセスする。

管理運用を任されている俺は応援してくれている会員の情報を閲覧できる。

 

一番高い月額5万円の『もはや家賃?雫と半同棲プラン』の欄にyuki.(35)という痛いユーザー名を見つけた。

 

佐倉のデジカメの保証書の担当者欄に楠田ゆきつと書いていたことからも、恐らくは彼だ。ここからこの名前が消えない内は安泰と思ってもいいだろう。

 

「あ、綾小路君だ。やっほ」

 

用事が済み、この店を後にしようとしたところで後ろから声をかけられた。

 

「久しぶりだな松下。一人なのか?」

「うん。メイドカフェの帰り。あ〜、今日も接客疲れた〜」

「ああ、確かアルバイトをしてるんだったか。精が出るな」

「まあ、正確には金銭は受け取ってないからアルバイトじゃないんだけどね。うちの学校、アルバイト禁止だし」

 

アルバイトという選択肢を考えたこともなかった俺には初耳の話だった。

まあ、アルバイトで多額のプライベートポイントが簡単に入手できてしまえば、成果報酬を目的に部活動を頑張る理由もなくなってしまう。少し考えれば分かることだったな。

 

松下がとんっと軽快な足取りで俺の隣に並び、上目遣いを向けてへへっと笑う。これがメイドカフェで身につけた営業スマイルなら客は全員松下の事を好きになるだろうなと思う。

 

「綾小路君も知らないことあるんだね」

「当たり前だ。俺は勉強が出来るだけで、物知りなわけではないからな」

「…そういうこと、さらっと言えちゃうの格好いいよね」

「俺としてはさらっと格好いいなんて愛想を振り撒ける松下の方が凄いと思うけどな」

「私、時間外労働はしない主義だよ。だから、今のは本心。今日の髪型似合ってると思うよ。私は好きだな」

「…ありがとう。素直に嬉しいよ」

「どういたしましてっ」

 

いつの間にか見た目の話にすり替わっていたが、それでも誉められていることには変わりない。

彼女にとっては社交辞令のつもりなのかもしれないが、俺の男心は大きく揺さぶられた。

 

「金銭が目的じゃないなら、どうしてメイドカフェで働いているんだ?」

 

妙な気恥ずかしさから逃げるように俺が話を振ると、彼女はうーんと思案しているような素振りを見せた後、こともなげに言う。

 

「社会勉強かな。職場なら周りは大人ばっかりだしそういう環境に身を置いてると、成長できるかなって」

「立派だな。要は経験を時間で買っているわけだ」

「あはは、そうまとめられると流石に恥ずかしいね。ごめん。ちょっと格好つけすぎた。実は賄い目当て」

「分かりやすい謙遜だな。捉えようによってはそっちの方が格好つけてるぞ」

「それ、私も言いながら思った」

 

運動ができる人間が何か習ってたのかと訊かれて、ピアノと書道くらいならと答える奴くらい格好つけてる。…うん、それは俺だな。あれ、マジ黒歴史。

 

それに、彼女のルックスと愛嬌なら客寄せパンダにもなり得る。

実際に賄いが出ていたとしても、店側への貢献度を考えれば、高級料亭のコースメニューを振る舞われてようやくトントンである。

 

「素直に凄いと思う。同級生が遊び呆けている中、そこまで自分に時間を投資できている人間は僅かだ」

「だったら、綾小路君も一緒に働く?案外人気出るんじゃない?」

「…………冗談だよな?」

「うん。冗談。…え?まさか、本気にした?」

「ハハハ……。ソンナバカナ……」

 

文化祭の悪ノリで男が女装するみたいな話が本当に現実にもあるのかと一瞬でも考えた俺を殴りたい。

 

少し考えれば、メイクを施して胸をパットで盛ってメイド服に身を包んだ俺が、ホールに立って引き攣ったスマイルで接客している絵が、目も当てられない地獄絵図であることは分かったはずなのに。

 

「まあ、そういうのがあるとしても文化祭じゃないかな。ほら、男子が女装して女子が男装して接客するみたいなのは定番だし」

「そっちは本当にあるやつなんだ……」

「綾小路君の中学にはそんな感じの模擬店なかったの?」

「……文化祭自体が無かったな」

「結構、お堅い感じの進学校だったんだね〜」

 

もっと言えば体育祭に修学旅行、極め付きは入学式や卒業式すらもなかった。お堅いとかの次元じゃない。むしろ、遵法精神や倫理観はゆるゆるのガバガバである。

 

まあ、それに関してはこの学校も大差ないけれど。

 

「松下。この後暇なら少し付き合ってくれないか?」

「私はいいけど……、いいの?」

「一之瀬の事を気にしてるなら全くのお門違いだ。クラスメイトと友誼を深める事を禁ずるような束縛は俺達の間にはない。考えてもみてくれ。もしそんな制約を結べば、俺はBクラスの男子全員を抹殺しなきゃいけなくなる」

 

同じクラスに一之瀬のような素敵な女の子がいて、あまつさえ優しく接してきて、好きにならない方が難しい。

 

Bクラスの中には俺に嫉妬の炎を燃やし、暗殺を企てている人物が何人かいるだろう。白波とか白波とか白波とか。

 

「…まあ、それもそっか。……だったらどこ行く?」

「切り替えが早くて助かる。気晴らしにゲーセンにでも行こうか。費用は受け持つ」

「ちっちっ。綾小路君、それは乗れない相談だね。ゲーセンをデートスポットとしか認識してない恋愛脳の思考だよ」

 

彼女の薄い財布を慮っての提案は松下にしたり顔で指を振ってにべもなく断られる。

 

「負けた方が全額払う。これしかないでしょ」

 

負けを知らない戦国武将のような豪胆な笑みを浮かべた彼女に、俺も負けじと鼻を鳴らす。

 

「笑止。我、拳を極めし者なり」

「あ、格ゲーはなしね。綾小路君が豪華客船で佐藤さんを完膚なきまでボコボコにしたって話は聞いてるから」

「……あれは佐藤が弱いのが悪い」

「君が泣くまで殴るのやめないって言いながら狂ったようにコンボハメしてたって聞いたけど?」

「被害者の言い分に偏ってる。そんな事を言った覚えはないし、俺はただ端で詐欺飛びのセットプレイをループさせてただけだ」

「よく分からないけど、綾小路君が大人気ないってことだけは変わらないよね」

 

…勝負事で手加減するのは逆にマナー違反だと思うが、初心者狩りのような真似をしたという事実も変わらない。

 

かと言ってあからさまな接待プレイは佐藤も望んでいないので、実力差がはっきりしたところで互いが楽しめるように俺に縛りをつけるとかそういう措置をするべきだったんだろう。

 

…それにしてもジョナサンジョースターの台詞って元ネタ知らない人間が聞けば、ただのDV彼氏なんだよなぁ。悪いのはDIOなのに。

 

「まあそういうことだから、ここは経験の差があまり出ない音ゲーが公平でしょ」

 

るんるん気分で歩き出した彼女と向かったゲーセンの音ゲーで、俺は大敗を喫した。

 

一度冷静になって考えて欲しい。

 

足元の光るパネルを使って踊るダンス系のリズムゲームで、意気揚々と音に乗る俺が想像できるか?

 

俺にはできない。





感想、ここ好き、ありがとう。これからも不定期更新ですがよしなに!

夏休み編は残り2話で完結予定です。
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