昼下がり。待ち合わせのロビーへ着くと、ソファからパステルピンクの髪を靡かせて立ち上がった一之瀬がこちらへ駆け寄ってくる。
馥郁たる柑橘系の香水が鼻腔を擽り、毛先まで艶のある髪が目を惹く。身嗜みに余念のない彼女が俺に会うためにお洒落してきてくれたと思うのは些か自意識過剰が過ぎるだろうか。
それとも、自分がそうであるから故に一之瀬もそうあって欲しいと押し付けてるだけのエゴなのか。
そんな右も左も分からないような気持ちだが、一つ確かな事は目の前の魅力的な女性は俺の彼女であり、俺はそんな彼女に対して言葉をかけるべきだという事だった。
「…勉強不足を感じるよ。一之瀬を褒める言葉が『可愛い』以外出てこない自分に」
ゴメンネ。(語彙力)ヨワクッテ。と落ち込んだ某イノシシのように言うと、一之瀬は嬉しそうに微笑んで
「んーん、十分だよ。すごく嬉しい」
「本当か?笑顔と愛嬌と勢いで食レポを乗り切るお天気キャスターの誰でも出来るコメントみたいになってない?」
「逆に食レポみたいに具体的に褒められても困っちゃうかな…。それに何を言われてるかよりも誰に言われてるかの方が大事だから」
…そうか。そうだよな。危なかった。張り切りすぎて『可愛いの宝石箱や〜』とか『アスタキサンチンの抗酸化作用で視界が浄化されていくよぉ‼︎』とか柄にもない事言ってしまうところだったぜ……。
「難しいな。一之瀬にもっと喜んでもらいたい。気持ちはシンプルなんだけどな」
「……その言葉が、そう考えてくれてることが一番嬉しいよ。ありがとう。…綾小路君」
一之瀬は本当に喜んでくれてるのか、顔を赤らめ俯きがちにぽしょぽしょと言う。そんな彼女の様子に既視感を覚えて、その正体にもすぐに思い至った。
…佐倉だ。照れて防御力が紙切れになった一之瀬の反応は佐倉に酷似していた。
ピンク色の長髪といい、二次関数のグラフの如く図に描いたような豊満な胸といい、漫画やラノベならキャラが被っていると言う理由で編集者に消されそうなほど似ている容姿がそう思わせるのかもしれない。
無論、似ているだけで本質的に違うのは百も承知。それぞれにそれぞれの良さがあり、一之瀬の場合、その一つは積極性だろう。
「それにしても、なんで制服で集合にしたの?水着はプールに行くんだろうなって分かるけど…」
「言っておくが、制服デートがしたかったみたいな青春コンプレックスを引き摺って、いい歳して男遊びを繰り返してる星之宮先生の空虚な願望とかではないからな」
「……綾小路君、先生にも容赦ないね。ついでとばかりに痛烈にディスられた先生が可哀想」
「星之宮先生に情けをかけるなんて優しいな一之瀬は。正直言って、茶柱先生と星之宮先生のアラサー独身コンビに対しては敬意どころか個人的な私怨すらあるんだ。だから、違う世界線にでも飛ばされない限りそんな風には思えないだろうな」
恋人の距離感で並んで歩きながら、時間の浪費にしかならないような雑談に花を咲かせる。
俺が続けて先生達に向ける恨み辛みを垂れ流していると、手の甲にコツンと小突かれたような感触があった。
隣をチラリと窺うも、彼女は変わらず相槌を打ち聞き耳を立てている。
しかし、忽ち話を再開したかと思えば、先ほどの続きのように、コツンコツンと手の甲を押し当ててくる。偶然触れてしまったわけではないと、ことさらに主張するかのように。
そのアピールが何なのか気付かないほど、愚鈍でもなければ男が腐っているわけでもない。
俺は飛び回る蚊のように落ち着きのない彼女の手を捉えて離さないように強く握った。
「にゃは。綾小路君の手、あったかいね」
「心が冷たい分、体は熱い仕様なんだ」
「なんかロボットみたいなこと言ってる…。SF映画なら恋愛を経て感情を知り、段々と自我が芽生え、最後には人間が予め組んでいた最終防衛プログラムが発動しちゃって暴走するやつだ」
「…その時は是非、命を捨てる覚悟で立ち向かってくれ。抱きしめてくれれば助かるかもしれない」
手を繋いだだけでペースを乱されそうになる自分が何だか恥ずかして、そう適当に嘯いて誤魔化す。だが、一之瀬の想像力は豊かでただの冗談だとは受け取らなかったらしい。
「うん。…そうだね。…きっとそうする。綾小路君…、言い忘れたけど」
「大好きだよ?」
かっこよくてと詭弁のように後付けされた言葉も無意味だ。
彼女の真っ赤になった顔がその好きという言葉に十全の意味を持たせてしまう。
…ほんと、あっついなぁ。今日。熱中症アラート出てんじゃないの?
◆
更衣室で着替え、プールへと向かう。さながら、飼い主を待つ忠犬のようにプールサイドから女子更衣室の出口を見ていると水着姿の一之瀬が恥ずかしそうに出てきた。
…うん。言葉じゃなくて涙が出そうだった。必須脂肪酸の輝きで視神経が喜んでるよぉ!!って感じだ。…これはもういいか。
「おまたせ。綾小路君。…ここ、ニルヴァーナのジャケ写の場所みたいだよね」
「中々ニッチなネタだな。伝わる人の方が少ないぞ、それ」
「あはは。そうだよね、ごめん。緊張紛らすために変なこと口走っちゃった。……どうかな?私の水着」
そう上目遣いで問いかけてくる彼女に対して俺は自身の勉強不足を今一度呪った。
「…俺は悔しいよ。水着が似合ってるか不安な一之瀬に対して向けるこの感情を『エロい』以外で言語化出来ない自分が」
お為ごかしの賛辞を並べて丸く収める事が唯一の正解なのは分かっている。
それでも、俺は一之瀬に対して自分の気持ちを誤魔化さないと決めている。そういう約束だからだ。
「悪い。ストレートに性欲をぶつけられても困るよな」
「…他の人ならそうだけど、綾小路君相手なら別だよ」
頬を赤らめた一之瀬は言葉を切って、じっと俺を見つめた後、ゆっくりと手を伸ばしてくる。
「私もおんなじ気持ちだから」
ぺたんと腹筋を不用意に触れられる。さらには続けてつんつんと啄木鳥のように小刻みに突き始める。
そんな彼女の天然っぽい行動に対して、力一杯抱き寄せる衝動をなんとか我慢できたのは長男だからではない。…ラッシュガード様様である。
「これ買ったんだね。綾小路君」
「ああ。不必要に肌を晒して日焼けをしたくないし、それに注目の的になるのも面倒だからな」
1学期のプールの授業で、俺の体が悪目立ちする事は実証済み。堀北にいい体してるわねとセクハラされて言い訳が立たなかった事は記憶に新しい。
だが、俺が体を鍛えているのはフィジーク選手のようによくも知らない人間に見せびらかし囃し立ててもらう為ではないのだ。
「それに韓国では男はラッシュガードの着用が普通だ。公共施設なら上半身裸の男は入り口の警備員に止められるくらいだぞ」
「そういう話は聞いたことあるかも…。日本はそういう意味では遅れてるのかな」
「まあ、価値観のアップデートだけで言えば確実に遅れてるだろうな」
国を動かす国会議員や官僚の平均年齢は約60歳、さらにそれらを支持する利権者もシニア層に大きく偏っている。
若い世代の価値観が軽視されるのも理の当然と思えた。
女性の裸体をゴールデンのTVを飾るエンタメの小道具としか認識してなかった世代にSDGsやら多様性やらをいくら説いたって馬耳東風もいいとこなのである。
…うん。とりあえず18歳になったら選挙行こう。皆も行くんだぞ。間違っても天才を育成する施設を作るとか言い出しそうな野心丸出しの政治家には投票しないように。
「だけど、一之瀬がどうしても見たいって言うなら、脱ぐのも吝かじゃないけどな。今なら二人きりで衆目を集めることもない」
一之瀬と来たこの場所はプールはプールでも期間限定で開放されている方ではなく、授業で使う方のプール。
灯台下暗しで誰も来ないであろうこの場所をさらに保険をかけて、わざわざコネとカネを使って貸し切ってある。
「なんかずるいなぁ…。綾小路君ばっかり攻めてる。これじゃあ、ずっと俺のターンだよ」
「俺が言うのもなんだが一之瀬も結構俗物っぽいというか庶民的だよな」
「にゃは、そりゃそうだよ。私、アイドルでもタレントでもなくてれっきとした一庶民だよ?綾小路君と結婚したら、きっと相手は一般女性の方ですって報道されると思う」
「……いや、それでいうと俺も一般市民なんだが?」
一之瀬は自分の冗談がウケた事が嬉しかったのか、俺のそんな反応に一頻り笑った後、ふぅと深呼吸して落ち着いた声音を取り繕って言う。
「…うん。でも、今日はお預けにしとこうかな。そういうのは大事な時に取っておきたいし」
「俺の考えとは真逆だな。人生に大事じゃない時はないと俺は思う。こんな学校じゃ、いつまでいられるかも分かったものじゃない。もしも、明日俺がいなくなってもその選択は後悔しないか?」
「……上手いなぁ、ほんと。……いいの?私からブレーキを外して」
「危ないと思ったら俺がブレーキになる。もし、アクセルを踏むのが怖いのなら一緒に踏んでやる。恋人ってのはきっとそういう関係だと思う」
俺はお腹に乗せられたままだった一之瀬の手を掴んで彼女を引き寄せる。
そして、もう片方の手で一之瀬のお腹に優しく触れた。
「ひゃっ!?あ、綾小路君!?な、な、な、な、なにをする気…?」
「何って、一之瀬がしてきた事をそのまま返してるだけだが?」
「…ひあっ!で、でも、私、そんなえっちな手つきしてない……っもん」
「まさか無自覚だったとは恐ろしいな。それにいただけない。彼氏の俺相手だったからいいものの、ただの友達相手にもそうやってスキンシップを取れば、相手は確実に勘違いする」
彼女にやられたように鳩尾あたりをつんつんと突き、そのまま腹筋に向かって真下につつつと、指を滑らせる。
形のいいお臍に触れるか触れないところでじっくりと焦らすように散々指を弄ばせた後、デコピンの要領で優しく弾くと一之瀬がへなへなとへたり込んだ。
…うーん。もしかすると、一之瀬の初心で可愛い反応に興が乗ってやり過ぎてしまったかもしれない。
「はぁ…はぁ…。ず、ずるいよ…。綾小路君は服越しだけど、私は素肌なん……っだよ?」
「可愛い子には旅をさせろ。悪い子には罰を与えろだな。これに懲りたら、俺以外にはスキンシップを控えめにしてくれると助かる」
「…………にゃは。もしかして、嫉妬だったりする?」
「なんで嬉しそうなんだよ。俺にそんな権利はないのは分かってるだろ。よく知らない相手に嫉妬なんてしないよ。(実力行使はするかもしれないが)」
最後にボソッと付け加えた言葉は何とか喉の奥で殺した。
一之瀬相手にはブラックジョークがすぎるからだ。
うん、とりあえず白波千尋は可愛いから、ちょっと旅に出かけよっか〜?みたいな軽いノリで退学させる未来が本当にやってくるかもしれないし…。
「恋多き綾小路君の事を多くの皆はそう思うかもしれないけど、私は嫉妬してくれた方が嬉しい。その……愛されてる感じするし…」
「そういうことなら遠慮なく言うが、この場所を選んだのは二人きりになりたかったって理由だけじゃなくて、一之瀬の水着姿を他の誰にも見せたくなかったからだよ」
「にゃはは……。そこまで考えたんだ……」
「逆に一之瀬は考えてなさすぎなんだ。自分の魅力を少しは自覚してくれ」
無自覚な可愛さを振り撒くほど危険な事はない。
勘違いが加速して、彼女をストーキングするような輩が出てきたっておかしくないのだ。
そう忠告したつもりだったが、彼女は褒められたと思ったらしい。照れたように頬をかく彼女を見て、可愛いと思うと同時に諦念を覚えた。
この純粋さも彼女の魅力の一つで、結局は俺が守っていくしかないのだ。
「……ねぇ、綾小路君。魅力って何?」
「エロくて可愛いって事だよ。わざわざ言わせないでくれ」
「…うん。ごめんね。分かってたのに聞いちゃった」
「いいよ。そういうところもエロくて可愛い」
「うわ〜。何でもかんでも興奮するなんて、私の彼氏はヘンタイだ〜!」
口ではそう言いつつ、無邪気に笑う一之瀬を静かに眺めていると、座り込んだ彼女がんっと両手を伸ばしてくる。
俺がその可愛いリクエストに応えるように手を伸ばすと、ぎゅっと掴まれてそのまま彼女はプールへと倒れ込んだ。
二人揃ってばしゃんと水飛沫を立てて着水する。ぷはーっと顔を出した俺達はお互いの濡れた姿を見て笑い合った。
「……一緒にどこまでも堕ちてこうね。綾小路君」
「うわー。俺の彼女はへんたいだー」
「にゃはは。全然感情こもってないよ?」
「まあな。だって一之瀬となら地獄だって天国へ早変わりだろ?恐れるものは何もない。むしろ本望だ」
自分の感覚が倒錯していく事を感じながら真顔で言うと、一之瀬も真剣な表情で頷く。
そのまま水を掻き分けて近付いてきた一之瀬が抱きついてきた。
「そうだね。私も恐れるものは何もないよ」
「……俺の方は前言撤回だな。一之瀬の猪突猛進っぷりがちょっと怖い」
そう言いながらも、水の感触と区別がつかないほど柔らかい彼女を抱き返し、頭を撫でる。
愛玩動物のように気持ちよさそうに目を細める彼女に
「だが、それも結局は知的好奇心を掻き立てる一つのスパイスでしかないけどな」
「うわ〜。私の彼氏はやっぱりヘンタイだ〜」
髪が張り付いた顔で天真爛漫に笑う彼女に釣られるように俺の頬も緩む。
都会のネズミも田舎のネズミもすき家のネズミも汚くて嫌いだけど、濡れ鼠となった一之瀬だけは可愛くて好きだ。
◆
波打ち際ではしゃぐ恋人たちのように水を掛け合うことも、泳ぎの速さを競い合うこともない。
俺たちはただ、水の中で互いの身体を静かに抱き寄せ、その温もりを確かめるように触れ合いながら、近況を報告し合った。
時が流れ、最終下校時間が過ぎ、プールの照明が落ちる。
外はすっかり暗くなって、ガラスから覗く橙色の街灯がスポットライトを当てるように俺達を照らしていた。
俺の狙い通り、さながらナイトプールのような雰囲気となったこの場所に一之瀬が表情に歓喜を滲ませた。
甘い雰囲気が漂いガードが緩んだのか、一之瀬は悩みを打ち明けるかのようにおずおずと言う。
「……ねぇ。綾小路君。生徒会が内部崩壊しつつあるのを知ってる?」
「堀北政権と南雲政権だな。橘先輩が抜けてパワーバランスが崩れ始めたんだろう」
「うん。もっと言えば二つは保守派と改革派みたいな感じでさ、南雲先輩が畳み掛けようと勢力を広げてるらしいの」
保守派と改革派か。相容れない思想だな。
それは水と油を一つの器に注ぐようなもので、原理的に混じり合うことはあり得ない。右翼と左翼と同じで、異なる思想を一つの箱に詰め込めばいずれその内側から破綻を来し、最後には箱そのものを壊すことになる。
「らしいと言う割にやけに詳しいな」
「…うん。実は私、南雲先輩に生徒会に誘われたの。堀北先輩は認めてくれなかったけど、南雲先輩は違った。才能あるって言ってくれた」
「南雲もお目が高いな。一之瀬の才能を見出すとは中々の審美眼だ」
「じゃあ—」
不安を打ち明けるような一之瀬が俺の返事に表情を明るくしたところで彼女の言葉を遮るように言う。
「だがその反面、一之瀬は男を見る目がない。まあ、その筆頭の俺が言うのもなんだが、南雲も碌な男じゃない事は確かだ。良くない噂を聞かない日はない。…交換条件を出されたんじゃないのか?」
なんで分かるの?と言いたげな表情で頷いた彼女に説明できる事は何もない。同じ種類の人間の考えは手に取るように分かるだけだ。
「わざわざ俺に相談したんだ。俺の許可が貰えるまで返事は保留にしてたんだろ?」
「…うん。私にとって大事な事は綾小路君にも関わって欲しいから……」
「そうやって関わらせてくれる事、すごく嬉しいよ」
えらいなと偉そうに言いながら彼女の後ろ髪を撫でる。彼女はそれを嬉しそうに受け入れて顔を綻ばせた。
彼女は支配される事を望み、俺は支配する事を望んでいる。
そんな危ない関係が構築されつつあるのを感じながらも、その結末に手心を加えるような真似はしない。
流れと彼女に身を任せて、どこへ行き着くのか楽しみにしている自分がいた。
「一之瀬。生徒会はいずれ解体される。いや、解体する」
驚愕にぽかんとした一之瀬だが、驚くのはまだ早い。
俺は彼女に語を継ぐ暇すら与えず二の矢を放つ。
「橘先輩を生徒会から除籍させたのは俺なんだ」
生徒会。実力至上主義の校訓を表すような顔的存在。
俺達の学年から生徒会に在籍している生徒がいない事実を知ってからずっと、俺はその既得権益の破壊を目論んでいた。
その記念すべき一手目が橘先輩の退会なのだ。
「俺はいずれ対立組織を立ち上げる。改革派保守派に並ぶ第三勢力だと考えてもらっていい。一之瀬には生徒会に入らずその一員になって欲しい」
「……訊いてもいいかな。綾小路君の目的」
「別に大それた目的もなければ、叶えたい野望もないよ。愉快犯だと考えても遜色ない。ただ、真の実力至上主義を実現する上で権力というものが不純物であると思っているだけだ」
年齢と税金で私腹を肥やすだけの政治家、コネクションで成り上がっただけの随行者、実力と呼ばれるものを何一つとして持たない人間が地位を誇張し権力を振り翳す。
俺には今の生徒会がその縮図のように思える。
政治の真似事をしてるだけの薄ら寒い集団という考えは以前から変わっていない。
「一度まっさらにしたいんだ。感覚としてはそうだな。ゲームのデータを初期状態に戻して1からやり直すようなもの。他人のデータを引き継ぐより、自分で積み上げる方がワクワクするだろ?動機はそれだけだ」
一般的な感覚を持ち出してマイルドに纏めて伝えるも、一之瀬の驚愕の表情は揺るがなかった。顔の前でいやいやと手を振り苦い作り笑いを浮かべる。
「綾小路君。全然狂気が誤魔化せてないよ?まず、ゲーム感覚でこの学校を過ごしてる事が共感できないから」
「……例えるならワンパンマンのネオヒーローズみたいな理念と立ち位置だ」
「漫画でも一緒だよ…。それにその例えでいくと綾小路君はサイタマだから。無敵の主人公が自我を持つと物語が破綻するから」
「……例えるなら—」
「もう例えはいいよ。私の答えは最初から決まってる」
一之瀬は悪戯っぽく、それでいて不敵に笑う。
勇敢か無謀か。一心不乱に前へ前へと突き進もうとするような彼女の目にドキリとする。
「地獄の果てまで付き纏うって約束だしね」
「付き纏っちゃうのか…。自分を生霊扱いするってどうなんだ」
「気持ち的には付いて行くって感じだけど、振り解かれようが、突き放されようがしがみつくって覚悟は揺るぎないから、そっちの方が的確かなって」
「…一之瀬の言葉を借りるなら、すごく愛されてる感じがするな」
「綾小路君も、おんなじくらい私のことも愛してくれていいよ?」
にゃはっと茶目っ毛のある笑みを浮かべて挑発してくる一之瀬に俺は今出せる最大限の嘘ではない答えを返しておく。
「なら一つだけ釘を刺しておく。俺に話していない事は他の誰にも話すな。これは約束だ」
「……それって独占欲?」
「そうだ。愛されてる感じがするだろ?」
「うにゃ〜。複雑な気持ちだにゃー。愛されてる感じはするけど、心から愛されてない事が分かっちゃうから。………うっかり喋っちゃうかも」
「喋っちゃうのか。……難しいな。乙女心は」
「違うよ。綾小路が見落としてるだけでもっと簡単なことだよ」
一之瀬がそんな風に諭して、腰に回されていた手を俺の首に手を回し直す。
そのままぐいっと顔を近付けてきて、小悪魔のように囁いた。
「口止めしたいなら口止め料を払えばいいんだよ」
「お安い御用だな」
「…そういう意味じゃないのは分かってるけど、それは私とのキスが安いって言われてるようで複雑かも」
やっぱり乙女心は難しい。
そう思いながら、俺は彼女と暗闇のプールの中で溶けるようなキスをした。
◆
一之瀬を送り届けて、自分の部屋へと命からがら戻る。
何故か一之瀬の部屋で待機していた鼻息の荒い白波とそれを面白がっている網倉に根掘り葉掘り聞かれそうになったところを、一之瀬を犠牲に何とか逃げ出してきたとこだったのだ。
白波の目が逃走中のハンターみたいに獰猛で怖かった。旅に行かせるには可愛げが足りないかもしれない。
部屋に戻った後は、シャワーを浴びベットに背中を預けてスマホを触っていると日付は変わりあっさりと夏休みは終わりを告げた。
相変わらず櫛田からの返信はない。
既読のつかないメッセージを何度も送り続けている自分が女々しくて惨めに思えてくる。
…きっと教育が悪いのだ。社会必須スキルのコミュニケーションを学んでこなかったからこそ、夏休みの課題を残して登校日を迎えるような不良生徒に育ってしまった。
だが、いくら嘆いても時間は待ってくれない。
進み続ける時間に気持ちの帳尻を合わせて、何とかやり過ごすしかないのだ。
感想、ここ好きありがとう。
これにて夏休み編完結です
次は本編じゃなくて1学期総括まとめ的なやつ出すかも