真面目回
残されたホームルームの時間は短い。
俺達は茶柱先生に腕相撲の後始末を丸投げし、萎えた高円寺と体調不良を訴えた櫛田を除くメンバーでグラウンドへ向かった。
腕相撲と違い、こちらは地道な作業だ。
短距離の記録を取り、続けて倒れるまでトラックを周回させて走力、持久力、体力を確認する。疲労に伴うフォームの乱れや回復の程度まで隈なくチェックしたデータを資料へと落とし込んでいく。
その日の夜、俺は作戦会議と銘打ってクラスメイトを自室に招いた。
顔触れは、特別試験対策チームではお馴染みの堀北、松下、みーちゃん。
それに水泳部期待のホープである小野寺と、意外な走力を見せた前園、賑やかしの佐藤を加えた6人だ。
「作戦会議の前に、まずはこれに目を通してくれ。門外不出の機密資料だ。取り扱いにはくれぐれも注意してほしい」
「うん、分かった。頭に入れたら丸めて飲み込むね」
のっけから英才教育を受けたスパイみたいな冗談をぶち込んでくる佐藤だが、彼女の実力では簡単に相手組織に捕まるだろう。
拷問に耐えられず散々喚いた後、快楽堕ちしている姿が容易に想像できてしまう。Mの素質において彼女の右に出る者はいない。
…と、ここまでどんぶり1杯すらもおかわり出来なさそうな想像を膨らませたところで、おちゃらけた佐藤の発言に思考を毒されていることに気付く。
真面目な会議に彼女を呼ぶべきではなかったと、早くも後悔しそうだった。
しかし、ここから先は重い話題になるのも避けられない。
その時には彼女の底抜けに明るい性格が、この場には必要なのだ。…たぶん。
「1ページ目は、今日の腕相撲と走力測定の結果を織り込んだ能力早見表だ。これを基に出走順と、残りの推薦競技の参加者を決めた」
1ページ目
S 綾小路 高円寺
A 小野寺 堀北 櫛田 松下 前園
B 王 長谷部 市橋 矢田 西村 石倉
C 佐藤 篠原 軽井沢 東 園田 川渕
D 佐倉 森 井の頭
「なんか、ソシャゲのキャラランクみたいで嫌なんだけど」
「能力早見表っていうか、まんまtier表じゃん。左右差ありって書いてるし」
「皆さんに説明しないのはどうしてかと思っていましたが……こういうことですか」
若干引き気味の前園と佐藤に続き、みーちゃんの冷ややかなジト目まで飛んでくるが想定内。それに対するカウンターは用意してある。
「散々な言われようだが、成績表みたいなものだろう。それに、イケメンランキングよりは遥かにマシだと思うが?」
みーちゃんと堀北だけがぽかんとする中、他の4人がうぐっと言葉に詰まった。
ルッキズムに正面から喧嘩を売るようなランキングを作っていた自覚はあるらしい。
「でも、私は綾小路君に入れたし、セーフ的な?」
「……だったら、諦めてこの能力早見表も受け入れるんだな」
松下の苦し紛れの反論に若干の嬉しさを覚えつつ丸め込んでいると、前園が思い出したように声を上げて不満そうに紙を指した。
「それよりさ、綾小路君。櫛田さんって今日、何もしてないよね?なんでAにいるの?私が下なの気に食わないんだけど」
「櫛田の実力は折り紙付きでいうまでも無いだろう。器用で何をやらせても人並み以上の結果を残せる」
「でもでも、足の速さは私の方が速いかもしんないじゃん。体育の授業でも—」
「櫛田の実力は授業云々で測れるものじゃない。彼女が周りにとことん合わせるような性格なのは知っているだろう。今回、彼女が参加しないことに異議を唱えなかったのは参加したとしても意味のないことだと分かっていたからだ」
櫛田に対して棘がある前園に思わず食い気味に説得するような真似をしてしまったがこれは無理筋だ。
二学期が始まって僅か2日ではあるが、彼女が取り繕ったような関係を断ち切ったのは語るまでもなく彼女達が一番感じている。
前園や篠原のように、可愛い櫛田と友達であることを一種のステータスだと思っていたらしい人間にとっては、特に。
「前園さん。今は暫定としてでいいんじゃないかな。練習が始まれば上下ははっきりするよ」
「私もそう思います。それに味方である櫛田さんが運動が出来るという事にマイナスな側面はありませんから」
松下とみーちゃんの助太刀により前園は溜飲を下げて不承不承と言った様子で引き下がる。
彼女の面倒な性格は今に始まったことじゃない。
心底面倒だと感じているが、彼女の運動能力は我がクラスでは高水準で切り捨てる事は考えるべきじゃない。
今は彼女のその性格さえも逆手にとって利用するくらいの柔軟さが求められる。
「前園。二人はそう言っているが俺はクラス内で対抗意識を燃やす事が悪い事だとは思わない。それは向上心や熱意の表れで、むしろ心強いと思ってるくらいだよ」
口を閉ざしかけていた前園がこちらを向いたところで、俺は破顔して言う。
「それに櫛田の劇的な変化に思うところがあるのも、彼女の能力に疑問を呈す事も立派な意見の一つだ。今日は体育祭の重要戦力として呼んだが、そういう風に疑問や腑に落ちない点を口に出してくれるのは助かるよ。皆が黙って頷くだけじゃ、俺が何か見落としていても気付けないからな。この後も何かあれば遠慮なく聞いてくれ」
前園が俺の説得に頷いたところで俺は再度お礼を言い、対してみーちゃんと松下にはアイコンタクトで謝っておく。
彼女達の擁護をひっくり返して前園を肯定したことを彼女達は気付いているだろうから。
松下は仕方ないんだからと言ったような表情を返し、みーちゃんはそんな俺に優しく頷いた後、ペラリと資料をめくり明るい声で話題を変えてくれた。
…うん。みーちゃんが頼もしくて好きになりそう。てか、既に半分くらい好きになっている。
「綾小路君。2ページ目なんですけど、高円寺君が二人三脚以外の推薦競技に起用されているのは私の見間違いですか?」
みーちゃんが小さな手で出場表を持ち上げて示し、全員が一度手元の資料に目を落とした後、俺の方を向く。
「高円寺の協力なしでこの体育祭を勝つ事は不可能だからな。そこは既に話をつけてある。練習には一切の参加はせず本番のみの出場だから留意しといてくれ」
「よくも平然と言ってくれるものね。……あなた、何をしたの?」
「何もしていないよ」
嘘つきと言わんばかりに睨んでくる堀北だが、本当に彼女達に″言える事″は何もしていないのだ。
彼が気まぐれに協力する気になった。そう納得してもらう他ない。
「…答える気はないという事ね」
「少なくとも俺はな。気になるなら高円寺本人に直接聞いてみればいい。案外答えてくれるかもしれないぞ」
「……やめておくわ。それで彼の機嫌を損ねてしまえば本末転倒だもの。世の中には知らない方がいい事もあると思ってひとまずは納得するわ」
彼が気まぐれ一つで試験を放棄するような人間である事はDクラスの常識。堀北の挙げたリスクに皆が納得したように頷いた。
高円寺の厄介な性格もこういう面では役に立つ。
「だったら、こっちの疑問には答えてくれるからしら。どうして、全ての個人競技で貴方と私が第一走なのかしら」
「あ、私もそれは気になった。第一走って流れを掴むために速い人が置かれがちだから、それを避けて他のクラスが遅い人をぶつけてきた場合損だと思うんだけど」
「当然の疑問だな。だが、それについては考えてある」
俺は一度言葉を切って視線を集めてから、作戦を口にした。
「俺と堀北のこの順番は先に他クラスに公開して、相手の実力者を釣り出す餌にする」
堀北は一瞬考え、嫌そうに眉を寄せて言う。
「疑問が解消されたわ。今朝、伊吹さんが突っかかってきたのはそういうことね」
澪は相変わらずの単細胞っぷりだな。昨日今日でもう堀北に接触していたらしい。
堀北が何のことだか分からずに困惑する姿が目に浮かんだ。
「伊吹さんと堀北さんに因縁があるのは分かりましたが、綾小路君は餌になるでしょうか?綾小路君の運動神経の良さを知っている人なら誰でも避けるレベルだと思いますけど」
「……あっ。分かった。柴田君だ」
みーちゃんの疑問に対して、俺から説明するのは憚れるなと思案していたところに松下が声を上げる。前園や佐藤も合点がいったように頷き合っていた。
「みーちゃん。柴田君は一之瀬さんが好きなんだよ。彼氏の綾小路君が相手って分かれば出てくるね。これは絶対!」
「……つまり、綾小路君は彼の好意を利用するって事ですか?それは……どうなんでしょう」
「みーちゃんの言い分も分かるが、ここは退くつもりはないよ。一之瀬を好きになっていいのは俺だけなんだ。彼には今回を機にきっぱりと諦めてもらう腹積もりだ」
言っている事は、恋人のいる人間に依然として好意を持っているのは良くないという話なんだが、俺がそんな世間一般の普通の恋愛観を語るのはお門違いにも程があった。
それでも、俺の恋事情を知らない人からすればただの惚気にしか聞こえないだろう。
みーちゃんは渋々と納得して、前園や佐藤は囃し立てるように声を上げていた。堀北だけはいじけたような複雑な表情を浮かべていたが。
「そして、ここからがこの作戦の要。この情報を流す役は佐藤に頼みたい」
「え、私?…そういう大事な役、任せちゃっていいの?」
「ああ、勿論だ。佐藤の口から漏れたなら、相手も作戦だとは絶対疑わないだろうからな」
「いや、ひどい!私が口軽い前提じゃん!」
「ああ、佐藤のその面には絶大な信用を置いている」
「マジで酷い!!!私、そろそろ本当に拗ねるからね!?」
佐藤が実際に口が軽いかどうかは関係ない。相手がどう思ってるかが重要なんだ。と、何のフォローにもならない詭弁で佐藤を言いくるめてスパイに認定する。
このポンコツなスパイが龍園みたいな悪い男に捕まらない事を祈るばかりだ。
「じゃあ続いては試算表になる。だが、その前に3ページ目に記載した体育祭の配点だけを再確認してくれ」
3ページ目
個人競技
1位15点 2位12点 3位10点 4位8点 5位7点 6位6点 7位5点 8位4点
推薦競技
1位50点 2位30点 3位15点 4位10点 5位8点 6位6点 7位4点 8位2点 9位以降0点
※3学年合同1200リレーは3倍
団体競技 勝った組に500点
「うげぇ、数字がいっぱいだぁ。目が回りそう」
「……私も。活字と数字はアレルギーなんだよね」
数字も活字の一つなんだけどなと正論の一つでもぶつける気になったが、勉強嫌いの前園と佐藤に付き合ってる暇はないと思い直す。
ここはまだ証明の導入段階。ここで根を上げるような奴はこの先の戦いにはついて来れない。
「堀北。1位を狙うなんて豪語してたくらいだ。当然、俺達がどれだけの成績を収めればいいのか試算は済んでいるんだろう?一つ目の個人競技、男子100m走では俺と高円寺が別レースを走り残り8レースは棄権になる見込みだ。この際に俺たちが背負っている男子の人数差を具体的な数字にすると、どの程度の損失なるか。女子がどれだけの成績を収めれば挽回出来るのか答えてみろ」
体育祭の詳細が明かされてからまだ1日と少し。
俺が急いで準備を進めてきたのはリーダーとしての能力を周囲に示す狙いもあるが、もう一つは堀北の行動力と思考力を鍛える為。
彼女は既に個人で好成績をあげればいいと考えているようなプレイヤーの域は抜け出せてはいるが、全体の問題点をいち早く見つけ出し、それに対して解決策を見出す能力は依然として不足している。
資料の空白にペンを走らせ計算する堀北を見て、「うわぁ、綾小路君、先生みたい」とか茶化してきた佐藤を廊下に立たせた後、俺は堀北の計算を待つ事なく隣に座っていたみーちゃんの背中を叩いて合図する。
「3クラスアベレージ約156.67点の機会損失です。男子の配点総額が590点。綾小路君と高円寺君がそれぞれ1位で、私達は30点です。残り560点を3クラスで割ると、平均は約186.67点。そこから30点を引けば、その差になります」
「では、その差を挽回する為には?」
「…………無理です。仮に私達女子全員が1.2位を独占したとして挽回できません」
無力さを伴ったみーちゃんの声に堀北がペンを置き、他の皆も事の深刻さに言葉を失う。先程までの楽観的な空気は綺麗さっぱり消え去った。
俺達が100m走で理論上稼げる最高スコア男子30点女子270点の合計300点に対して、他クラスの現実的なアベレージスコアが320点。
しかも、この形式の競技は100m走だけじゃない。
ハードル走、障害物競争、200m走の3競技も同じだけのハンデを、二人三脚に至ってはそれ以上のハンデを背負う事になっている。
「厳しい戦いになる事は理解できたと思う。その上で次のページの試算表を確認してくれ。全員1位なんて実現不可能なものではなく現実的なスコアで計算している」
佐藤を蚊帳の外に、他全員が次のページを開き試算表を確認する。
そこに記載されているのは、他クラスが互いに得点を奪い合い、俺達も実力相応の結果を残した場合に待っている現実だ。
個人競技5種目を終えた段階で他3クラス平均値に対して450点のビハインド。
さらに、その後の推薦競技で仮に全勝を収める事ができても、他クラスの最終的な平均値に130点ほど届かない。
最近話題の130点の壁とは、もしかしたらこのことかもしれない。…違うか。
「私達、もしかして勝てないの?」
「負け戦だろうな。このまま何もしなければ、確実に」
松下が悲観的な感想をぼやいたところで、俺はニヤリと笑い、含みを持たせて言う。
俺は廊下に立たせていた佐藤を部屋に呼び込み、全員に向かい、
「勝ちが決まってる出来レースなんてつまらないだろう?この資料はあくまで前提で、この作戦会議の本題はこの負け戦を覆す為のものだ」
厳島の戦い。桶狭間の戦い。今山の戦い。歴史は雄弁に語っている。
時には知略で、時には奇襲で、圧倒的人数差を覆してきた戦いがある事を。
「この体育祭で勝つ為のポイントは大きく3つある。1つ目は言うまでもなく俺達が1つでも上の順位を取る事だ」
俺は指を1つ立てて、試算表は能力早見表に基づいて計算されている事を説明する。
Sランクは1位。Aランクは1位or2位。Bランクは2位〜5位。Cランクは3位〜6位。D→6位〜8位。
これが俺の考えた実現可能な現実的な成績だ。
「小野寺、堀北、松下、櫛田、前園には1位を取りこぼさない様に俺が指導し基礎能力をさらに伸ばす。BとCはマンツーマンを組んで練習して、競技への練度を向上させて、1つでも上の順位を取れる様に努めてもらう」
「Dの三人はどうするの?」
「佐倉、森、井の頭にはこの1ヶ月間勉強に専念させる。ペナルティを受けて退学が最悪の展開だからな」
俺の容赦ない扱いにうわぁと顔を顰めた松下を無視して俺は2本目の指を立てる。
「そして2つ目。Aクラスとの完全協力体制だ。彼らとは出場表を開示し合い、俺達と競わない効率的な配置にしてもらう。Aクラスを持ち上げて、BとCの平均値を下げる狙いだ」
要は1位をAクラスに譲り、2位で着地する為に動くという事だが、もう堀北から文句は出ない。
2位狙い。これがこの体育祭におけるDクラスの最善の結果という事はあの夢に取り憑かれた我が担任ですら理解している事だ。
「そして3つ目はプラスアルファの要素。ここを今から皆で考えたい。俺達の背負うディスアドバンテージを帳消しにできるようなアイデアが必要だ」
俺が何か案がないか?と見渡すと、全員が一斉に思案し始める。そんな中いち早く、佐藤が手を挙げた。
「はい!敵に、…えーと、そうだ、媚薬を盛るってのは?」
「……とんでもないこと言ってるが、もしかして下剤と言い間違えてないか?」
「綾小路君。仮にそうだとしても思いっきり反則だから」
松下に冷静にツッコミに前園が佐藤を小馬鹿するように笑って、堀北は額を押さえる。
みーちゃんは媚薬って何ですか?みたいな顔してて可愛い。うっかり間違えて飲んだ彼女を付きっきりで看病してあげたい。
「ダメかぁ〜。じゃあ、逆にステロイド打つとかは!?ドーピングって反則事項になってないよね?」
「却下だ。港区女子がマンジャロ打つみたいな気軽さで手を出していいことじゃない。それに話を聞いてなかったのか。俺達が全ての競技で1位を取ったとしても勝てないって説明しただろう」
「ええー。じゃあ何ならいいの?」
むーっと頬を膨らませて抗議してくる佐藤があざとすぎて全然可愛くない事に驚きを覚えつつも、俺も文句を言うばかりではなく自分で考えてみるべきだと思い、思考を回す。
…そうだ。佐藤が対戦相手全員に性病をうつして、棄権させるってのはどうだろう?
これなら佐藤に手を出した相手の自己責任という事で片付くし、倫理観と佐藤の感情さえ無視すれば何も問題はない気がした。
「これは特別試験ではなく、位置付けとしては運動能力を測る定期テストみたいなものだったわよね?」
俺とは違い、真面目に考えていた堀北がそう確認してきたので首肯する。
「だったら得点をポイントで買うという事は出来ないかしら?」
「不足分の点数を買おうと思えばそれなりの額になる事は避けられない。最初からそれを頼りにするのは戦略として成立しないだろうな。だが、もし実現可能なら最後の一押しとして十分な効果が期待できる面白い発想だ」
俺は茶柱先生への確認事項として、堀北の案をスマホにメモする。
ついでに佐藤に性病検査を受診してもらう事をメモしよう文字を打ち…消した。
堀北の案と俺の案を並べると、どれだけ自分の案の低俗さが浮き彫りになって恥ずかしかったからだ。
その後もいくつか案が出たものの、勝利を決定づける妙案が出ることはない。
だが、このメンバーで解決策を導き出そうとする事に何よりも意味がある。
願わくば、彼女もここにいて欲しかったが、失ったものばかりを数えても仕方がない。
未練を断ち切り、今の彼女と新しい関係を構築し直すしかないのだ。
「今日はここまでにしようか。まだあわてるような時間じゃない」
俺は仙道を彷彿とさせる口ぶり作戦会議の終了を告げて、解散させる。
明日からは体育祭に向けた本格的な練習が始まる。今夜は早く眠るとしよう。
感想、ここ好きありがとう。
佐藤は雑に扱っていいから好き。(本当にいいのかは知らない)