それを言ったのはどこの金持ちだ?
-MOROHA-
さっき全く心が躍らないと断言した手前、おくびにも出せないが俺の気分は確実に高揚していた。
特別棟の屋上。吹き抜ける風は心地がいいし、校内全体を一望できる眺めも悪くない。
ここは図書室に並ぶ安らぎの空間だと直感がそう言っている。椎名に話したい事が増えたのは思わぬ収穫だ。
スケールはだいぶ慎ましいが、某大佐のような若干の支配感を胸に景色を見ていると校内をランニングしている平田が目に入った。
平田がサッカー部に所属しているのは有名な話だ。一緒に走っているの顔ぶれにも見覚えがある。同学年の生徒だろう。
活気よく先頭を走る姿を見るに、クラスだけでなく部活動でも彼は牽引する立場についているのかもしれない。
「お前も一度くらいは部活動を経験してみた方がいいんじゃないか?」
「…まるで俺に経験がないような言い方ですね」
「違わないだろう?」
入学する過程で、経歴の大枠は学校側に提出している。
担任である茶柱先生は、少なくとも俺の出生が一般家庭と異なるものである事は知っているようだ。
「事実がどうであるかは関係ありません。デリカシーの問題ですよ」
経験が浅いという事は恥じるべき事だ。それをストレートにぶつけてくるのは如何なものか。
経験人数を聞かれた童貞が見栄を張って『2,3人かな〜』なんて誤魔化す気持ちが分かった気がする。
…我ながら2,3人って表現するあたり、童貞への解像度が高いな。
もし、俺がそう言う場面に出会したら1人と答えて一途アピールしよう。
「確かに、家庭の事情や個人的問題に首を突っ込むのは褒められた事じゃないな。世間的にはの話だが」
俺が多分に含めた意図は伝わっていないようで、別角度の回答が飛んできた。それも、不穏な一言が添えられて。
この学校では世間的には好ましくない事でも黙認されると噛み砕くのは拡大解釈だろうか。存外そうでもない気がする。
「灯台下暗しですね。法治国家直属とも言える教育機関が無法地帯であるなんて誰も思わない」
徹底した情報統制に閉鎖的な空間。分析すればするほど、ここは教育という名の下に好き勝手できる環境だ。
芸能界に裏があるように、政府にも当然裏がある。影に何が隠されているか分かったものじゃない。
「無法地帯というのは誇張表現だな。法があれば罰も存在するさ」
「この学校のルールが唯一無二の法ですか?」
俺の質問に茶柱先生は口角を軽く吊り上げただけで肯定も否定もしなかった。教師という立場を考えればそれも当然だろうか。
法を語るのであれば、最低限事の正邪曲直を平等に裁く為のものでなければならないと個人的には思うのだが…。
まるで世話が焼ける子供の相手をしているように小さく息をついた彼女を見るに、この学校のルールはそうでもないらしい。
「仕方のない事かもしれないが学校に対しての理解が浅いと言わざるを得ないな。ならば、一つ質問しよう。校内で生徒同士における暴力沙汰が発生した。当事者の結末はどうなると思う?」
「普通に考えれば暴行罪や傷害罪に該当する事案です。未成年という事を踏まえれば、法的手続きの後に更生施設に送致されるのがオチ…というわけでは無さそうですね」
無表情を崩さず話を聞いていた茶柱先生から、解答が的外れだと察した俺は発言を途中で撤回した。
無表情がすぎるのだ。まるで、俺に解答のヒントを与えないように必死に感情に蓋をしたような、そんな顔だった。
だが、間違いである事が察せても正解はさっぱり分からない。正直お手上げだ。
至極真っ当に考えるという方法では彼女が想定しうる答えに辿り着きそうにない。
「見当も付かないのは認識が間違ってるからだ。学校はビジネスであって慈善活動じゃない」
「…まさか評判や世間体を気にして、刑事を介入させないという事ですか」
手を引くように導かれた答えは腐っているとしか表現できない現実だった。
つまりは、法的措置ではなく教師の裁量によって、事態を収束させるケースがほとんどだという事。通告義務なんてお飾りもいいとこだ。
「このケースでは謹慎か停学。程度の違いはあれどそれ以上の懲戒処分はまずあり得ない。どうだ?ためになっただろう?」
「知ってて損はしないですね。ありがとうございます」
「ふ、逞しくて何よりだ」
暴力に物を言わす予定はないが、有益な情報である事は間違いない。
鼻を鳴らして笑った茶柱先生はゴソゴソと上着から煙草を取り出して火をつけた。
「久しく教鞭を執ってみたがやはり性に合わないな。1本吸わせてくれ」
無口でクール。余計な事は何一つ言わず事務的に職務を果たす仕事人。
能力が伴っているかは定かではないが、それが茶柱先生への印象だ。
普段より多く喋った彼女からは疲弊が見て取れた。絶望的に教師向いてないのでは。
「別に構いませんが、一つ訊かせてください。屋上をチョイスしたのはそのためですか?」
俺の鋭い指摘に眉を顰めた茶柱先生を見るに、ここは喫煙者のチルスポットと見て間違いなさそうだ。
だとすると、連れて来られた屋上にシンプルな魅力を感じ椎名に布教しようとしていた俺が馬鹿みたいだ。
「大人になれば、上司の戯言も仕事の責任も生徒の生意気も、どれ一つとして煙に巻くことが許されない。こいつくらいだよ。私を許してくれるのは」
生徒の生意気という部分を強調する辺り、教師相手に平然とした態度の俺の物言いには文句がありそうだ。
茶柱先生は携帯するタイプの灰皿にトントンと灰を落とした。春にはそぐわない、えも言われぬ哀愁が漂っていた。
この様子だと、元カレの影響で煙草を始めたとかそういう甘いエピソードは出て来ないだろう。
仕事のストレスで雁字搦めの毎日に癒しを求めた結果が煙草なんだろう。
「何だか物悲しいですね」
「大人になるとはそういうことだと」
喫煙者との関わりを持たない半生だった。独特の香りとゆっくりと空に昇っていく煙には新鮮さすらあった。
煙草に憧れや偏見もないが、有害性への理解はある。俺が百害あって一利なしの煙草を口にする事は生涯訪れないだろう。
…ハイになる奴の方には少し興味があるんだけどな。
「ふぅ……。綾小路、あくまで静観を貫くつもりか?」
最後の煙を吐き出したタイミングで茶柱先生は俺を真正面から捉えて本題を切り出してきた。
彼女相手に誤魔化しても意味がないだろう。ここで惚けて誤魔化すのは時間を無為に消費する行為だ。
「いいんですか?特定の個人に対して干渉する事は問題だと思いますけど」
「特定?可笑し話だな。私が―」
「担任である茶柱先生は各個人が保有しているpptを自由に閲覧できるんでしょう?クラス内の異分子を割り出して洗う事は容易なはずです。逆に監視カメラの映像一つでクラス内40人もの私生活を丸裸にするのは不可能に近い」
情報力を示す為だったんだろうが、それは仇となった。俺の事情を暴きすぎてしまったのだ。
それが背景を気取られる原因になるとは知らずに。
「想像以上だな。確かに私はお前を特定し呼び出した。ただ、それだけだ。何一つ問題はない」
「それは事情を聞き出す事はあってもそこに一切干渉するつもりはないと受け取ってもよろしいですね?」
「…教師相手に担保を確保してくるとはな。いいだろう。約束しよう」
茶柱先生は俺の意図を汲んだ上で頷いた。この様子では本当に干渉するつもりはないようだ。ならば一安心だ。
俺は今の生活が気に入っている。まだ友人は少ないが、誰にも縛られず悠々自適に過ごせる自由を日々噛み締めている。
「有備無患ですよ。pptもその一つに過ぎません。この先、pptを得られる機会が無くなるかもしれませんからね」
「…この時期に私が警戒している生徒の特徴を教えてやろう。それはpptの保有額が多い人間と他クラスの生徒と密接に関わっている人間だ」
俺が執拗にマークされるわけだ。周囲を見てもクラス内から友達関係を構築するケースが殆どの中、1番仲がいいと呼べる友人が他クラスの椎名な俺は稀有な存在だろう。
友達が多い櫛田も今はクラスメイトを中心に絆を深めている。
「Cクラス内には箝口令が敷かれていたようですが、椎名は隠し事が下手ですからね。この学校が個人での戦いではなくクラス単位での戦いである事にはすぐ気付きましたよ」
立場上言葉を濁す必要がある茶柱先生を代弁して、俺は核心へと切り込んだ。彼女は動揺一つなくただ、そうかと相槌をうった。
あれは1週間以上前のことだろうか。椎名にCクラスはどんな様子なのかを聞いたことがあった。
クラスにまだ馴染めていないという彼女はCクラスの事情を明け透けに語ってくれた。だが、日を重ねるごとにその話題について彼女は警戒心を抱き始めた。本質を避けて喋っている事がひしひしと伝わってきたのだ。
本について語っている彼女があまりにも素だからだろう。変化は一目瞭然だった。
「そこまで気付いていて、静観している理由は何だ?」
「トリアージしただけですよ。今は友人との時間の方が俺にとっては貴重ですから」
もし仮にだ。この事実を周知させるとして、どれほど労力が必要だろうか。
俺はクラス内に影響を与えるほどの訴求力も行動力も不足している。
椎名との時間と身を削ってまで、動く価値が全くないのだ。
「それは堀北鈴音に中途半端に発破をかけた事と一貫性がないな」
「ああ、それは単純に時系列の問題ですね。堀北に話した時点では俺自身もこの学校がまさかクラス単位の実力主義なんて思ってませんでしたから」
何せ、ホワイトルームでは完全なる個人での実力勝負が当たり前だったのだ。
僅か2週間で染みついた固定概念が抜けるはずもない。
それに俺は堀北に発破をかけた訳じゃない。俺が友人として有益であることを示しただけだ。何せ、友人が少なくて焦ってたからな。
上辺だけを見てる茶柱先生に、俺の心情が分かったもんじゃないだろうが。
「…お前も正真正銘のDクラスだったという事か」
学校の判定基準がとことん俺に合わないという点ではそうかもしれないな。
そういう意味では俺は魔法科高校の司波達也みたいなものかもしれない。シスコンどころか妹もいないけど。
茶柱先生が2本目の煙草に火をつけた事を話が終わったと解釈して俺はその場を後にした。
それにしても、中々のハイペースだ。よし、彼女をスモーカー茶柱と名付けよう。
…また呼び出されそうだ。次は本当に説教という名目で。
◆
俺が通う高育は一応、国立にカテゴライズされる。その国立高校には特徴と呼べる点が2つある。
1つ目は質の高い教育を受けるに値する優秀な生徒が通うということ。
国内トップクラスの入試試験を突破できる学力が必要なことは無論、学力以外の要素が評価される内申点で他のライバルに遅れを取ること事は許されない。
成績優秀・品行方正である事は必須条件とも言えるのだ。
そして2つ目は全国にある国立高校の全ては例外なく大学附属の高等学校であるということだ。
国が直接的に運営している訳ではなく、主に国立大学法人が運営する。
それは実験的で先導的な教育が導入され、教育研究開発機関としての一面を持つ事を意味する。文部科学省のお墨付きの元、英才教育風のスタンスを確立しているのだ。
(…見る影もないな。)
「「「「「はぁぁぁぁっ!?」」」」」
5月1日。教室に響き渡る阿鼻叫喚。
次々に明かされるこの学校の実態について行けていない者も多い。
俺としても予想外な点は1つあった。
馬の鼻先に人参じゃないが、競争を激化させるための何かがあるとは思っていた。
だが、まさかそれがこの学校の特権、即ち『希望する進路に必ず進める権利』だったとは。
いや、これが実態だとして進学率就職率100%は明らかな詐欺だろう…。
せめて、学校のHPに軽井沢のInstagramのストーリーの豆粒みたいな文字の注釈くらいは用意するべきだろう。
…いや、言い逃れも言い訳もするつもりはないということか。
(……どうやら)
(この学校の国立高校とも言える要素は実験的な教育であることとGWが存在しないことくらいらしい)
おかげで密かに計画していた長期休暇の計画も水の泡だ。
ちょっと楽しみにしてたんだけどな、人生初のGW。
◆
Aクラス 940pt
Bクラス 650pt
Cクラス 490pt
Dクラス 0pt
不測の事態に備えて、贅沢や嗜好品を避けて生活していた俺だが、それでも月1万pt弱の出費を避けられなかった。
5月に10万ptが収入がある事を信じて疑わずに散財した生徒にとって、これから先の生活は苦しいものになるだろう。
「…私、今日は山菜定食にしようかな……」
「わ、私も…。カメラ買っちゃったから実はお金が…」
券売機を前に、引き攣った顔を浮かべる松下と佐倉。
松下はついこの間半分以上使ったことを自白してたし、佐倉も直近で大きな買い物をしていた様子だ。
二人とも絶望的ではないとは言え金欠気味なのは間違いない。逆にその二人を心配そうに見つめるみーちゃんには余裕が窺えた。
「みーちゃん。本来訊くべきではないんだろうが、お財布事情を教えてくれないか?」
「ふふっ、畏まってますね。綾小路君。でも、タダで教える訳にはいきませんねぇ〜」
こちらを見透かしたような薄ら笑いを見るに、俺も周りに比べて懐が暖かい仲間である事を見抜いたんだろう。
失礼承知で訊く以上先に明かすのが最低限のマナーか…。
「俺は7万と少しだな」
「ふふ。なら私の勝ちですねっ。8万ptですっ」
みーちゃんはえっへんとでも言いたげに標準よりやや小さめくらいのサイズの胸を張って勝ち誇る。
財布事情を訊くよりも失礼な事を思ってるな、俺。
「見習うべき倹約家だな。物欲があまりないタイプなのか?」
「うーん、物欲が無いと言うよりは大きな買い物する事に慣れていないと言う方が正しいかもしれません」
彼女は無計画に散財する事にしっかりと危機感を覚えて躊躇しているようだ。まともな金銭感覚をお持ちで何よりだ。
そう言えば、今朝公開された小テストの成績でも上位に名を連ねていたな…。
「一つ提案があるんだが聞いてくれるか?」
景気良く頷いたみーちゃんに、俺達二人で彼女達の分の昼食代を出してやらないかという旨を相談すると顎に手をやり思案し始めた。
数秒の思案を経て、顔を上げたみーちゃんは自信ありげに貧乳か巨乳かと言われれば間違いなく貧乳よりの胸をピンと張り、
「それなら私に名案があります」
そう高らかに言った。一部の界隈ではステータスだとか希少価値だとか揶揄されている胸の下で腕を組んで。
…例え、心中で留めていたとしても、これ以上の無礼は何かの罪に問われそうだ。やめておこう。
「あ〜、私、今日はキングサイズの牛丼に挑戦したい気分かもシレナイナー。でも、一人だと不安ダナー」
猿芝居にも程がある露骨すぎる演技だったが、なりふり構っていられる余裕のない二人はバッと振り返った。
目を合わせて驚いている二人はみーちゃんの思いを汲み取れただろう。なら、後は後押しするだけだ。
「そういうことなら手伝わせてくれ。しかし、キングサイズの牛丼は並盛の6倍の牛肉と2.5倍のご飯。正直、食が細い俺では力不足だ。二人も手伝ってくれないか?」
大食い企画してるフードファイターくらいしか頼まないであろうボリュームだが、それも女子3人と俺でシェアするなら、それは丁度いい量だろう。
「…仕方ないなあ。私も食べてあげる」
「わっ、わたしもっ。が、頑張って手伝うね」
まるでサプライズが成功したかのように喜んだみーちゃんは満面の笑みでありがとうございますとお礼を言った。
自分発案のプランが上手くいった事が嬉しいのは分かるが、立場が完全に逆転してるな…。
4人掛けのテーブル席の真ん中に堂々と鎮座した丼。
中ボスくらいの存在感のキング牛丼を討伐した頃には、二人の顔色も良くなっていた。
「今日はみーちゃんのおかげで何とかなったけど、これから節約は勿論だけどお金の工面もしないといけないね」
「詳しくありませんが、カメラとかでしたらクーリングオフ出来ないのでしょうか?」
「残念ながら店舗での購入ではクーリングオフ対象外だ。それに加えて、返品対応も不良品でない限り受け付けてないだろう。散財した分を簡単に取り返せないように学校側が根回ししてるだろうからな」
「そうですか…」
当てが外れて落ち込むみーちゃんだが、それも仕方ないだろう。
彼女の母国である中国のクーリングオフ制度は結婚にも離婚にも適用できるほどの万能な制度だからだ。
「それに、軽井沢や池達のようにお金を工面出来たとしても根本的な解決にはならない」
「…結局はその場凌ぎだもんね。金欠の私が言ってもあれだけど」
「そういうことだ」
俺達が直面している問題は一時的ではなく慢性的な貧困だ。
俺が所持している9万ptもいずれは底を尽きてしまうだろう。
「…負け犬の遠吠えかもしれないけどさ、学校側もやり方が意地悪だよね。騙し討ちなんてさ」
「…う、うんっ。せ、先生も貯めても得はないって言ってたし…」
「茶柱先生の発言は罠が多いです。今日も遅刻や私語を助長させるような言い方をされてました」
「だよねー」
文句やたらればの類だが、それを溜め込むよりは吐き出した方が思考もスッキリするだろう。俺は共感も同調もしないで、傾聴しているフリを務めておく。
絶望的状況を前に他責思考に逃げたくなる気持ちは分かるが、全ては自己責任だからだ。
忘れてはならないのが、他クラスも同じ条件だったと言う事。それは俺達を除く他クラスは学校側の企みに気付いていた事を意味する。
だが、それを突きつける意味はない。
結局、この状況を打破する為に何をしなければいけないか。それは各々が勝手に気付く事だろう。
「話の途中で悪いがトイレに行ってくる。先に教室に戻ってもらって構わない」
「私達、待ってるよ?」
「気持ちだけもらっておくよ。みーちゃん、ご馳走様」
ヒートアップしていく愚痴大会の隙間を縫って俺は離席した。
そして、自分の方がポイントを持っているから払わせてくれと押し切られたみーちゃんに半額分を送金しておく。
騙し討ちのような形で借りを作るのは本意ではないからな。
…借りで思い出したが、紫の団子頭が特徴の小さい先輩に顎で使われた事があったな。
今が先人の知恵を頼るには絶好の機会かもしれない。
◆
茶柱佐枝 5月20日 牡牛座
ルックス :A
スタイル :S
性格 :B
趣味 煙草
好きなもの 特になし
嫌いなもの 星野宮知恵
将来の夢 自分のクラスをAクラスで卒業させる事