おかしな夢を見た。
笑えるくらい、幸せな夢だった。
私は、そこでアイドルを捨てていた。
スーツを着込み、ネクタイを締める。自分の体はどう見ても女性のものじゃないのに、妙に落ち着いた。馴染んでいた。自分の事務所で誰かを待っていると、程なくして扉が開いた。
誰かなんて、とっくの昔にわかっていた。
「おはようございます、━━さん」
「おはよう、プロデューサー」
胸が引き裂かれそうだった。
あれは男の私だ。私の望んだ、一生有り得ない光景。
でも、何らかの拍子で私の意識は急速に覚醒していく。足に出来たタコをにじったような、短くも鋭い痛み。
水面に映る景色のような夢は、波紋に打たれて立ち消えた。
ガバッと布団を退け、起きたとも言い難い微妙な体勢で静止する。
目を覚ましたら、そこは見知った部屋だ。
あれが悪夢だったかは分からないが、珍しく夢の内容を覚えていた。背中には、べっとりと寝汗でシャツがひっついている。そこまで不快感はないが、風邪をひいてはたまらない。今日は、大事な日。
胸に詰まった黒い気を吐き出すつもりで、大きくため息をつく。落ち着くためでもあった。
大一番を迎えて、緊張しているのかもしれない。脆弱だからね、私。ガラスのハートだから。強そうな雰囲気、ふいんきを纏ってるだけだから。へへ。
ちょっと元気が出たので、立ち上がって洗面所に向かった。
嘘の読み方ネタほんと好き。一人でしょうもない漫才やってる時間が一番楽だ。
良くない良くない、ニヤついてると弟から辛辣な一言を貰うので、このくらいにして。
背中を拭いて下着を着替える。洗面台で顔を洗う、気分は快晴。
ヘアゴムで髪を後ろに送っているので、輝くおでこがこんにちはしている。
今日もかわいいね〜! 無敵の笑顔〜! 荒らすメディアはしないよ〜!
キメ顔、可愛い顔、顔芸といろんな状況への対応力を上げる。鏡を見るのは日課だ。
コンタクトをつけた。外行きの髪留めを取って、いつもの髪型を作れば準備OK。
風呂に入る時に髪留めを外して置くせいで、無くすことが多々ある。このものぐさしぐさ、やめた方がいいのは間違いない。
親父とお母さんに挨拶して、飯を食べる。ニュースを見ながらバランスよく食べれば、すぐに食べ終わった。
もう少しすれば朝ドラが始まるといったところで、出発時刻となる。
特に後ろ髪を引かれることなく、家族に別れを告げ自転車に跨る。
「いってきまーす!」
「いってらっしゃい。気をつけてねー」
今日はかなり早く出る。バスを使う必要もない。
スポーツバッグがカゴの中に収まっていた。
初星学園「初」、最終試験の設営で意識されることとは何か。
最高の場所を用意して、アイドルの最大のパフォーマンスを引き出すことだ。アイドルの卵を温め、育て、できる中で最大のステージと
輝いてみせる方法も、誰一人として同じものはなかった。
見え方が違うのなら、魅せ方も違う。
始まって私の番が来るまでが、一瞬にも永遠にも感じられた。
「きっと大丈夫……よろしくお願いします!」
舞台袖での不安そうな表情は、ステージに上がった瞬間に越えていた。
燃え上がる情熱があった。決して諦めない意志があった。
羽化し、飛んだ。
「──────あのね。」
圧巻の歌唱、踊りだった。
実力に裏打ちされた自信が、彼女の動きに、全てに出ていた。
普段の態度とはまるで違う、けれど少しだけ同じ歌だった。
「行きます……」
「ふぅ……よろしくお願い、します! 」
「細川しずくです! よろしくお願いします! 」
色んな人が出ていって。自分の研鑽を披露していた。どんな努力があったかは想像するしかなかった。けど、苦労なんて全く見えない。見せないように、輝いていた。
私もまた、それに続かなければならなかった。
熱い。寒い。苦しい。怖い。怖い。怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!
かちり、と頭の中で、スイッチが押された。奥歯が鳴っただけかもしれなかった。これで良い。
一歩踏み出し、階段を一つ飛ばして登場する。
マイクをスタンドから勢いよく取り去った。
「行きます。びびって聞き逃さないように、お願いしますよ」
吸う吐く時間は一瞬で、もたつく気分ごと呼気を降ろす。足のリズムは
この試験の名を冠する曲で、真っ向から、真っ当に、真っ正面からぶつかる。
私の目は、観衆にいるだろう誰かを探し続けた。
演技を終えれば、どのアイドルにも拍手が降り注いだ。
良かったものには賞賛の拍手。悪かったものにも、同情というより称える気持ちが乗った拍手が送られていた。
裏に戻る直前まで探したものの、橙色の瞳はここになかった。
僅かな落胆があったが、すぐにうやむやにした。
私の後は、誰だったか。中間結果は私より上しか覚えてないから、記憶が曖昧だ。
ふらつきながら、戻っていた。
ぱちぱちぱち、とささやかすぎる拍手を聞くまで。
「凄かった、ね」
「……ぇっ?」
いた。橙色の瞳がこちらを見ていた。流れるクリームの滝が、カラメルの池に続いている。普段の髪留めはなくなり、三つ編みが衣装に映えた。病的な白面には、凝視してようやく分かる程度に色がついている。目と同じだ、なんて取りとめのない感想を思った。
アイドルの篠澤広が、そこにいた。
冬利はそれに狼狽えて、何も返事できなかった。
返事がなかったことに少し寂しそうにした後、篠澤広は壇上に上がっていった。
「あなたの望みを、叶えにきた。待たせてごめん、ね」
「──────────ぁ、ぅ」
冬利の喉が震えた。言葉にならない息だけが、弱々しく漏れる。
いつものように、茶化すみたいな返答は……舞台に立つその時まで、何も出てこなかった。二の腕を掴み、ぶるぶると震える左腕を抑えて篠澤を見ていた。
審査後の子が舞台から降りながら、篠澤広を怪訝な表情で見つめる。思い出した。あの人で今日の審査は終わり。篠澤の枠はない。
それでも篠澤は舞台に立った。それが当たり前だというように。審査員たちもさっきのアイドルと同じ顔をしていたが、そうしているところに誰かからの電話が挟まれる。まるで、全てを仕組んだ怪物がいるかのようだった。
審査員らは何かを察し、もう一度椅子に座りなおした。
アナウンスが流れ、もう一人アイドルが審査されることが伝えられる。普段ならあり得ない演出にざわめきが広がる。口々の憶測が、風に乗って冬利の耳に届いた。
人は減ったが、舞台に上がった篠澤を見て足を止めた者も多い。
こんな暴挙に出る人間は、一体どんなやつなのか、視線には好奇・嫉妬など様々な感情が入り混じる。
共通するのは、期待だろう。
ここ、今回の「初」の最終試験において。
最も注目を集めたのは、間違いなく彼女だった。
だが、場は観客のざわつきで騒然としている。このままで演技に移っても……篠澤の声量では、かき消されてしまう。
圧倒的アウェーの中で、篠澤広は滑らかな動作でマイクを持ち──────、
きぃぃぃぃぃぃいいいん!!!
静寂。
持ったマイクを、そのまま落とした。
ハウリングで超高音が爆発し、それ以外の音の波が全て消え失せる。
篠澤広はゆらりとマイクを取り直し、口元に近づける。
「ふふ、落としちゃった。わざとじゃないよ。ごめん、ね?」
計算づくなのか、偶然なのかすらわからなかった。今の彼女なら、人の命すら思うがままにしてしまいそうだった。
いっそそうであればいいのに。
彼女の動きは緩慢で、派手なことは何もしなかった。目を離すものは居なかった。さっきよりも更に濃く、多い視線を一身に浴びていた。
操られるように、かくんかくんと不可解な動作が連鎖する。
「め、く、る」
いびつに、不規則に。彼女はここに生まれた。
「見つめる」
篠澤広を見つめた。篠澤広に見つめ返された。
ここにいる観客全てが、同じ感覚を共有した瞬間だった。
「そっと唱える」
「触、れ、る」
「くずれる」
1秒に満たず間が開く。
ステップを違えた。それすらも予定していたように、次の動きに続いていく。
「ゆらいでく」「なにかひらめく」「意識は巡る」「不思議は眠る」
「それがメクルメ」
篠澤広のステージが終わるまで、動くことはできなかった。観客も同じような状態だろう。
それからいち早く立ち直った私は、会場を足早に去った。学園の外、人の目が少ない方へ向かう。街と反対には、うっそうと茂った森があった。
立ち直った……ははは。笑えるね。どの口が立ち直った、なんて言うのか。
頭がいたい。ちょうどあのファイルに当たられた所だ。頭は状態が悪化しても、体は笑えるくらいなんの問題もなかった。
フラフラと気分悪そうに歩けるなら、誰かから心配されることもあった。そう思いながら、調子のいい足を前に動かした。
健常そのものといった足取りだった。
健康さ、体の頑丈さだけは昔から取り柄だった。
……咲季嬢にもバレないよう取り繕えるくらいには頑丈。これだけは、昔から恨めしい。憎い。
心の中で、健康なら良いじゃないかと、誰かが言う。こともなげに言う。いい。あなたに理解して欲しいなんて思ってない。耳障りだからどいてください。
なんて、言えないのだけど。
そんな強気でいられるのなら、私はもっと━━━━。
とっ、と私の背に軽い衝撃が当たった。
「結果すら見ずに勝負を捨てるなんて、冬利らしくない、ね。……悔しかった?」
「………………」
黙ってその場を離れようとした。
するとそれは支えを失い、倒れる。いつぞやの約束が、頭を掠めた。
丁度いい。倒れた彼女に手を差し伸べられるならば、このぼろぼろべちゃべちゃのきもちも落ち着くことだろう。
最後の力なのか知らないが、篠澤広は手をこちらに伸ばしていた。
その手は落ちていき、冬利のスカートに触れた。
ずばっ。
パンツ丸見えにされた。
「……わああアあアアアアアーーーーー!!?!?」
「………………きゅう」
ばか。バカ。馬鹿。フール。アホ。パボ。
ばかばかばかばかばかばあかばあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああか、ばか。
最悪の事態は避けられた。
人に見られたり、パンツよりも内側が露わになった訳じゃない。
立ち止まったのはほとんど森の中で、丁度良く遮蔽にできる木が多かった。
履こうとしたが、篠ちゃんは意識を失って尚スカートを離そうとしない。ふざけんな。パンイチで外を出歩けるか。くそっ、マジで離そうとしねぇ。
死ぬほど憤慨しつつ、尊厳を破壊されつつ、冬利は諦めて裾を握られたままスカートを履きなおした。
…………ムードとかさ、雰囲気がさ、あったんだよ。さっきまでは絶対に。
條ちゃんが、眉間に皺を寄せる。目を覚ますようだ。相変わらず手は離してくれない。
パチパチと目を瞬かせる。
「……冬利。少しは落ち着いた?」
「落ち着いてねーが。釈明してほしくてうずうずしてたわ」
「……わたし今、膝枕されてる?」
「まぁあなたが見てる景色から逆算すればそうなるよね」
だって離してくれないし。先んじて言っておくと、膝枕をチョイスした理由はない。
強いて言えば驚いた顔が見れたら儲けものだったが、そう上手く行くことはないね。
なんかじんわりと黄昏れ始めたんですけど、現在真っ昼間の午後ですよ。あと相変わらず手離さないし。
「そうだ。あの曲初めて聞いたけど、オリジナルだよね。光景じゃないんだ」
「そう。ふふ、確信があるのはいいこと。あの場にあう選曲……げほっ」
「大丈夫そぉ!?」
割と強めの咳を確認し、冬利は慌てる。
「……さっき寝て、かなり良くなった。だいじょうぶ。走ってきたから、息が、切れて、て……ふー…………」
「大丈夫ったって、いや…………いやぁ」
かなり怪しい、という心配を飲み下す。
それをさせたのはこちら側だ。であれば、向こうが大丈夫だと言っている以上は追及すべきじゃない。
走ってこちらまで追いついたという彼女の成長が友人として嬉しくもあり、同時に負けた原因はそれしかあり得ないことに複雑になる。
篠澤広はどんな手段を使っていようとも、この「初」で私に勝利した。高辻冬利は愚かにただ走って、篠澤広に敗北した。
それに、手段を選ばないことなどどうでもいい。
負けは負けだ。それだけが、私にとって重要だった。
さっきまでの物事を振り返っていれば、自然と気分にもさっきまでのどろどろが戻ってくる。
篠ちゃんに顔を近づけた。この距離まで近づいたのは、初めてだった。人生で誰とも、ここまで自分から触れそうな距離まで近づくことは無かったから。
ぐちゃぐちゃの感情は、今もなお光と炎に焼き尽くされている。先程までと同じだなんて言えないくらい、変質してはいるけれど。
そんなことになっていると思わせないように、思わないように私は呟く。
「肺の痛みは治まった? ……私の望みって、なに?」
「ふふ、あわてんぼう。心配したあとの次がそれ、そんなに知りたい、の?」
「分からない。でも分からないの、嫌いだから」
「そう。わたしとは逆」
冬利の髪留めは既に取られている。赤く垂れさがった髪が、カーテンのように地面に降りた。
橙色を見つめて、そこに映った
「知って欲しかったんだよ、ね」
「…………………………ぐ」
科学者に、脳味噌をかき混ぜられるような感覚だった。
篠澤広を目の前で目視したのに、頭の上で観察されている。正解に限りなく近い解を、言われてしまった。冷や汗が垂れる。
この先は聞いてはいけなかった。確信があった。
だとしても止める力も持てないと、心のどこかにいる冷静な私が言う。
自分自身に見限られている気分だった。
「ズルをした、叱ってほしい、でも自分で言うのは怖い、悪人になるのが嫌で言い出せない、強い人間に負けたい、自分じゃない生き物に期待したい、自分を理解してほしい、愛してほしい」
「え、あの」
「壊してほしい、ぐちゃぐちゃになりたい、終わらせてほしい、狂いたい、狂わせてほしい」
「や」
「他人を傷つけるのが嫌。精神的に閉塞感があると恐怖を感じる。団体行動はできるけど、凄くストレスが溜まる。電話が出来ない。迷惑を掛けられることは嬉しいのに、他人に迷惑を掛けられない。とても臆病で、怖いものがたくさんある。でも、その怖いものの中には抗うことに快感が伴うのがある、ね。他人を騙す演技が得意。嘘が自然。優しいのも、面倒くさがりの嘘も。他人を
広は、裾から手を離していた。
代わりに、包むように両手を冬利の顔に添えていた。
私は咄嗟に顔を上げ、篠澤の肩を掴んで起き上がらせる。
あの体勢のままでいたら、私が危険だった。どうなってたか、わからない。
立ち上がらせたことを後悔した。けど、立たせなければ膝から落ちて、篠澤は怪我をしただろう。彼女が言った通りの、他人に迷惑を掛けられない甘ちゃんだった。
己の心の内や自覚したくない癖まで言語化されて、冷静さを保てている訳もなかった。
とにかく、今は逃げるしかない。
幸い、こっちも立って逃げる準備は万全だ。
一歩踏み出し。ころんでいた。
「えぶっ」
足がしびれた。
あぁ、馬鹿だ。馬鹿は私だ。
いや篠澤もばかだが、とにかく私は馬鹿だ。なんで膝枕なんてしたんだ。
もういっそ、全部仕組まれてればいい。それなら、受け入れるだけでいいのに。祈るような気持ちで、篠澤広の到着を待った。
ただ生まれたての動物みたく震える事しかできない。篠澤を妨害する壁は何もなく、さくさくと草を踏む音が耳朶を打った。
顔を見たくない。なさけない私を見て、幻滅か引くか興味を失っているはずだから。それが、私の望んだ罰であると分かっているから。
また伸びてきた手を拒むことは、もうできなかった。
無言で、立つように促される。目隠しされていても、立つくらいなら難しくはなかった。
手を外される。ゆっくりと目を開けた。
「わたしはあなたから、目を離さない。冬利も、ちゃんとわたしを見て」
「……ずっと、見てたし。それでも勝てない自分が、どうしようもなく嫌なんだよ。分かる?」
「ふふ……それは分からないかも、ね。それなら、
心が反応する前に、体が動いていた。
彼女の肩を掴み、背後の木に、じりと押し付けた。もう一つの手は、衣装の首元、クロスした紐を引っ張ろうとしていた。まるでゲームや漫画のチンピラみたいだ。
手加減。私がそんなものをしたと? 真剣勝負で、負けられない戦いで。
いや、
実行した以上、こんな風に感情を揺さぶられる資格はない。
落ち着け。落ち着かなければならないのだ。
それなのに。
「そう。冬利は望んだ」
肩に押し付けられた私の腕を、篠澤の指が愛おしそうに撫ぜた。
首元の腕にも、同じように彼女の手が添えられる。避けられない。
ゆるりと私の腕に込もった力が抜かれていき、篠澤の腕に踊らされるだけの作り物になる。彼女の思い通りにさせてはならないと叫ぶ理性だけが、私の正気を繋ぎ止めていた。
手は私を、確固たる意思で導いた。
降ろすのではなく、両腕で首に触れるように。
細い細い首を軋ませるように、私の掌は篠澤広の首に重ねられた。
「首を絞めたい、って言ってた。わたしで試していい、よ」
予防注射を打つとか、そんな気軽さで彼女は首を差し出した。
彼女の両手が未だ、私の腕から離れない。私の腕は私の意思に従わず、徐々に、這いずるかたつむりみたいな遅さで首への力を強めた。
………………ち、違う。
こんが、私の望みだった訳じゃない。あの時言ったのはただの強がり。本気じゃない。ちがう。見栄を張りたかっただけだ。そのせいで、篠澤広に害を及ぼすなどあり得ない。
なけなしの理性が狂乱する。叫び、涎を撒き散らして狂気から逃げていた。
「い、いや……こんな、ちがう……止まってよ……ひろ……さん……」
「ふふっ、ふふふふ……冬利、すごく可愛い、ね。やっと私の名前を呼んだ。でも、呼び捨てでいい。じゃないとだめ」
最初から、折れそうなくらい細い感触が指に伝わっていた。いやいやと駄々をこねて震えても、腕は真綿のようにゆっくりと篠澤広の首を潰していく。
それに合わせて、彼女の苦悶も隠せないほど強くなる。ひゅっ、ひゅーという異音が、篠澤の呼吸のたびに鳴った。
篠澤広は、ずっと笑っていた。
今日、舞台の前で会った時から現在まで。
ひどく美しく、残酷なまでに艶めかしく、退廃に溺れ、苦痛と恐怖と恍惚が混ざり溶けていた。
「死んじゃう……ひ、ひろ……」
「死んでもいい、よ」
「た、たすけっ、たすけて……」
「助けは来ない、よ。冬利は゛っ、これくらいしなきゃ、後悔しない。ひゅっ……ふふふ、ゔ…」
え、本当に殺すの?
現実味の無いはずだった行為に、死が手を伸ばしてくる。
無理だ。
私を殺してくれ。誰か。もしくは助けて。
脳の大部分が働かなくなって、逆に動き出した部分があるのを感じる。
殺人を唆す声。
本当に殺すなら、ここは都合がいい。森なら人の目につかず、上手く隠せば死体だって見つからない。
本当に?
あぁ、もう、いいや。
知らない。私がどうなるかも、また後で考えよう。
望み。首絞めするコトが私の望み。違う。じゃあ、プロデューサーになって広ちゃんをサポートするのが望み。違う。あの夢は幻想だ。要領を得ない焦りが現れただけ。
いまだ。いまそのものが、私の望み。
くるしめたい。きもちよくなってほしい。
冬利は気狂いのように身体をわななかせた。
苦しみあえぐ表情を、脳髄に焼き付ける。
二体の操り人形が互いの願いを叶えるために動く。
合理性だけを保った動きは、歯車仕掛けのソレだった。
その願いが欲で、それまでの夢の何倍もねばついていても……止める人間はどこにもいない。
ぎりり、と更に締まる強さが上がる。
色素の薄い首の皮膚が、閉じる指に合わせて縮む。冬利の理性崩壊が、それを加速させる。
篠澤広の顔が青くなり、赤くなり、そして━━━━。
ぱきっ。がさっ。
何か、枝のようなものが折れた音がした。
焦ったように、草むらで動く気配がした。
異常な状況は、小さな音で解かれた。
飛びのくように、冬利は広の首から手を離す。広はほとんど浮いていたが、後ろの木が支えになり、そこにゆっくりと座り込んだ。
その仕草が蠱惑的だったことから、意識を逸らす。
「誰。出てこなければ捕まる前に、お前らを始末します」
私は助けてもらったのだ。見えない相手でも、殺人を止めて貰った以上は恩人に違いない。
だというのに、恩人に出てくる言葉にはさっきまでの殺意がそのまま向いている。甲斐性のない女だ。
まあ、見ているだけで止めようとしない相手じゃロクなことない。目撃者は、いらない。
一人が逃げようとして、もう一人がそれを掴んで止めているようだった。
諦めたのか、出てくる気配がした。
「……奇遇ですね。高辻さん、篠澤さん」
「ちょ、離してよ! 私は関わりたくなんて…!」
「……プロデューサーちゃんに、てまりん?」
そこにいたのは。
広の
ギリギリ意識を保っている様子の篠澤が、笑みの種類を変える。
「賭けはわたしの勝ちだ、ね。ふふ……気持ちよかったな」
「変態みたいなことを言わないでください。賭けだって、ほとんど成立してなかったですよね」
「でも、あなたは賭けた。分の悪い賭けの方に」
「そうですね。あの時の俺はおかしかった。……同時に、惜しくもありましたが」
さっきまで殺されかけていたとは思えないくらい、篠澤は滑らかに言葉を紡ぐ。話すうちに意識をはっきりとさせていくようだった。淡々と返す広Pも広Pで異常だった。
実際、首絞めなんてやったら即死だと思っていた。
けれどそのしぶとさは私の想像を優に超えた。
私にはとても耐えられない境地にいる。命を失わないためのしぶとさは、体の弱さを反転したみたいに強いのかもしれない。
手毬は顔を赤らめて、何を言えばいいのか迷っているようだった。
「えっと……その」
「てまりん。」
「ひっ! な、なに!?」
「ありがとう」
私は頭を深々と下げた。手毬は、状況を理解できないといった様子で目を回している。
「あのままだったら、私は…………化け物になってた。止めてくれてありがとう」
「私はっ、別に何もしてない」
「だとしてもだよ。折れた音がした時はビビったけど、おかげで我に帰れた。感謝は同じことでも何回も言うべき。私はそう思ってる。本当に、本当にありがとう」
本人にはそのつもりがないので、感謝を受け取って良いものか悩むようだ。
あれ、と手毬が何かに気づく。
「なんで枝を踏んだのが私ってことになってるの?」
「え? 違うの?」
「違わないけどっ!」
その話を聞いていた篠澤広主従も話に加わる。
「だって、わたしのプロデューサーはこんなところでへましない」
「当然です。が、月村さんの悪い方面への信頼も確実に大きいと思います」
「「それはそう」」
「け、けんか売ってるのッ!?」
主従にズバッと言い切られ、月村手毬は逆ギレするしかない。その場に生暖かい空気が流れた。異常な雰囲気は、消えてなくなっていた。
冬利は安堵のため息をつく。色々な感情が渦巻いていたのに、残っているのはそれだけだった。
恨めしい視線を広に向ける。
恨み言を言えば、間髪入れずに返答された。
「……有無を言わさずだったじゃん、ひでーですね。らしくないんじゃない、篠ちゃん」
「わたしの名前は篠じゃないよ。さっき呼べたんだから、それで固定。広以外は返事しない、よ」
「……ふーん。じゃあらしくないのは合ってたんだね、さっきの篠澤広は」
「……むぅ。冬利はひねくれてる」
「こっちの話も聞こうね、そう言いたいなら。……仕方ないですな。広ちゃんは」
天才仕草の一つに、こちらの話を聞かないという研究結果がある。経験則だ。
意識的にやってるんで、広さんはタチ悪い部類ですね。
やっと折れたこちらに対し、満足そうにしている篠澤広。このやろう。ほっぺたをむにつく。くすぐりも効かないし、マッサージは……今やると大惨事になりそうだからこれぐらいしかやることがない。
「うぁー」
くっ……。……笑かさないでもらっていいですか?
笑いのツボが浅いので、変顔だけでもうけっこう面白い。笑ったら負けなので我慢する。あんなことがあった後に笑えるほど図太くはない。……というか、そうなりたくない。ほっぺたはさすがに、極端に贅肉の薄い彼女でも柔らかい。
「やめとく?」
「別にいい、よ」
「ならええか」
「ぬー」
お調子ムーブ。
普段から人目を問わずちょっかいかけるので、てまりんやらプロデューサーからは何も言われない。何も言われないが、懐疑的な目はある。
「……いつも思うけど、あなたの担当アイドルがそこで狙われてるよ。助け出さなくていいの?」
「眼福なのでいいですよ」
「は?」
「間違えました。彼女の実力は俺も知っています。アイドルとプロデューサーを両立できないと彼女が一番分かっています。別のところも……心配はしていません」
「別のところって何。はぐらかされるのは嫌い、です。……疑ったりしないの?」
「彼女はヘタレですから」
「……ふーん」
ああ、私の名誉はいずこへ。元からない? うるさいよー。
彼方に消える名誉を見送りながら、学園への帰路に着く。
そもそも森といっても深く入っていない。そんなことしたら遭難する。学園が見える距離でこんなことをしていたために、この二人に見つかったわけだ。
全員で歩く。広さんが歩けないのでPが背負っている。背負った後もちょっかいする。
鬱陶しいとかの文言を一言も言わず、広さんはされるがままだ。
ついでに広Pくんにもちょっかいかけるが、仏頂面で何を考えてるかイマイチわからん。おもろくないのですぐに広に戻る。こんな機会はまたとないのだから、今のうちに堪能せねば。
そんな私を見て、手毬がため息をつく。
「普通にバカだったね。考えすぎか」
「なんだてめー! 我が指の錆にしてやるわ!」
「ちょっ、やめ……ぎゃあー!!」
「指から錆はでませんよ」
「こまけーこと気にしちゃ負けだぞ」
微妙に上から降ってくる腕に、手毬は翻弄されている。嫌そうなのは嫌そうだが、バカ呼ばわりしよるのでやる。
端的で欲しいツッコミをしてくれていた広Pだったが、ふと立ち止まる。
「そういえば、忘れていたことがありました」
おちょくり合いがだんだんと激化していたが、その一言で私が止まってプロデューサーの方を見た。さっきまでは手毬と行動してたのだし、十中八九私か広ちゃんだろう。
「高辻さんに聞きたい事があります。しかし嫌であれば答えなくても構いません」
「そう言われて聞きませんは無いか一旦。聞くんじゃないですかね。ねぇてまりん、ひろー」
「なんで私に聞くの」「ふふ、何が出てくるんだろう」
「らしいんで。なんでも聞いちゃってくださいよ、中等部から付き合ってきたじゃないですか」
「ええまあ、これは俺の質問じゃないです。ある友人からの話だとでも思ってください」
広のプロデューサーがその質問をした人間を友達と形容した時、普段は僅かすら感じられない感情が顔から滲んでいた気がした。それは……微かな痛みを伴う苦悩だった。
「高辻冬利への印象を教えてください」
次話、最終話です。