「さむい」
席に座ったまま、手のひらを開いたり閉じたりする。
待ちに待った中間試験。
勝ち負けが生まれる最初の場所。
緊張で足も腕もガクガクだ。もう春先だと言うのに。
冬を感じるには早すぎるしちょっと遅い。
バスの出口を一歩降り、二歩目でジャンプ。
「おりゃ!!」
地面にドンと着地する。
ぷしゅうと音を立て、バスの扉が閉じ切った。これで帰る道はなくなった。
思い切り地面を踏んだせいで、足が痛い。
けど、良い眠気覚ましだ。昨日はほぼ眠れていない。
緊張を打ち払うようにその場で足踏みし、軽くジョギングし始める。
制服のままでも大した問題にはならないだろう。今日の私は、勝負服を持っているんだから。
走るたび、バッコバッコとスポーツバッグが揺れる。走りづらいので手で押さえた。
1位になれなくてもいい、2位でも3位だってかまわん……なので合格させてください! 本当に!!
「はぁー……! こわいな、恐ろしい」
「…………ぁ……ぃー……!」
「ん? …………何かないと気が済まないの、君ら」
そうなんでしょうね。毎日何かしらでドタバタやってるし。
青色、赤色が立て続けに私を追い越していく。
どちらの顔にも汗が浮かんでいる。ただし、息遣いの余裕さがまるで違った。
「おはよう、冬利! 準備運動かしら? いい心がけね! 本番は私についてこられるよう頑張りなさい! ほら、手毬! 急がないと置いていくわよ!」
「はぁっ……はぁっ!! さっきまで、私の後ろをうろうろしてた、でしょっ! 私がちょっと休んだからって調子乗らないで!! ぜぇっ……待ァて~~~~~~~ッ!!!」
「殺気!?」
小ボケを拾う者はいない。……しょぼん。
それはいいとして、すごいわー。
明らかに短距離型なのに咲季嬢についていくてまりんも。
それを付かず離れず、されど息切れず並走する咲季……ちゃんも。
追うつもりはなかった。最初は。
だって今日は、大切な日だから。浪費できる体力はない。
一発目がいちばん上手く行くんだ。
パフォーマンスするのなら、観客の前でなければ。
でも、違った。
月村手毬がこちらを振り向く。
全力で走りながら、しかと私を睨んでいた。
「付いてこないの? まだまだだね!」
ピキ。
……言われなくとも、知ってるし。
言われなくとも、追いついて、追い越して……私が一番になってやる。
前言撤回です。
「…………はーっはっはっは! 負けるか!!! 待てェーーーーー!!!!!」
恥も弱気もそれっぽい言い訳も捨てて、一歩目を、強く踏み込んだ。
もう、他の何も見えない。見えるのは、明け方に輝く2つ星。
それだけだ。
「えっ……な、なんか追いかけてきてるんだけど! なんで! 咲季!?」
いつも通りの発破をかけただけなのに、普段とはまるで違う反応に困惑する。
助けを求めるように咲季に尋ねると、呆れたような声色が聞こえてきた。
「あなたが煽ったんだから当然でしょ? あの子。私や佑芽に負けないくらい負けず嫌いなのよ?」
そ、そんな!
一回もそんなところ見たことないのに! 中等部の時でさえ!
そう思った私の心を見透かしたように、咲季が答える。
「あなたのファンだから、バレないよう抑えてたんでしょ。一人だけ態度が全然違ったもの。我慢していた所に煽られて、フラストレーションが爆発したんじゃない?」
「は? 私はあいつの友達じゃないし……爆発するも何も、そんな煽ったこと……」
「てーまりん♪」
「ひぃーーーっ!!!?」
血の気が引くのを感じながら、必死に足を動かす。
咲季はあちゃー、と言った顔で並走してくる。なんなの。余裕すぎる! ずるい!!
後ろからは、ゆ……幽霊みたいな、うめき声が聞こえてくる。
「逃がすか……今日という今日は、許さない、ぜぇーっ……オラァァァァァ!!」
「いやあああああ! 助けてみすずぅ!! りんはぁ!!! ことねーっっっ!!!」
「ちょっと、なんでわたしを外すのよ!」
結局、教室に着く頃には冬利を放して、後ろを振り返っても誰もいなくて。
教室と廊下からは奇異の視線が向けられる。
前を見ると咲季がいい汗かいたわ、と言うように額の汗を拭っていた。
私と咲季だと分かった瞬間、何かに納得したような顔で元々の状態に戻った。
なんか嫌だ。ウザい。
全然治らない息遣いを治しつつ、咲季に噛みつく。
本人にではない。咲季の体力が異常なのなんていつものことだ。プロデューサーの自慢合戦くらいいつものことだ。
「おかしいでしょっ……」
「あら、わたしの体力は会った頃からこんなものよ?」
「そっちじゃないし!」
言っておくけど、そっちもおかしいとは思ってるから!!
言いはしない。全力で言い合うには体力が足りない。
幽霊から逃げ切れたのは、運が良かった。この前見た映画では幽霊はどこまでもついてくるって言ってて、家でもちょくちょく後ろを振り返らないと怖くてしょうがなかったし。
「ふぅ……あいつ、あんな感じだったんだ」
「手毬、二組まで絡みに行く割に本当に知らなかったのね。ま、まだ一年だもの。これからよ」
「は? 別に仲良くなりたいとか思ってないし。それに怖……ごほん!! ……戦う相手なんだから、警戒すべきだよね」
やれやれと言った様子の咲季。何? どつくよ?
HRが終わってすぐにプロデューサーに会いに行ったけど、ライブ直前に体力を使うなって怒られた。
冬利と、元はと言えば咲季が私のことを煽ってきたのがわるいのに……。
体力を使ったせいで本調子じゃないけど、おかげで体は完全にほぐれてる。まぁ、良い眠気覚ましになったかな。
衣装に着替えながら、あいつらのパフォーマンスに思いを馳せる。どんなものだろうか。
なんにせよ……利用するにはちょっとピーキーすぎるね。トレーニング器具にはできそうもない。
クール系の私とは違った、パッションで戦うタイプ。思っていたよりも強敵かもしれない。クールな印象があったけど、猫を被ってたらしい。役者目指したら?
……私のファンらしいし、もう少し伝え方を捻らないとだね。
「指を咥えて待ってなよ。私が下してあげるから」
体力はない。昔から、長距離走が苦手だった。
ただ、一回休めばまた走れた。最初は上限が少ないからすぐに回復しただけだと思っていた。
今もなお、体力はない。でも、歌と踊りができるようになった。体力の戻る速度は、上限が上がっても同じ。急速に回復するものだった。
オーディション、中間試験が終わり、走っている。肺が痛い。
集合場所はいつもの場所だった。
「試験、終わったね。どうだった?」
「はぁ、はっ……どうもこうも無いね。理由は、君が一番わかってるだろ? 篠ちゃん」
不規則に揺れる体を、頼りない両腕で支えている。手すりに体重を預けている。
場の空気にあわない不敵な笑みを浮かべて、篠澤広が言葉を発する。
「ふふ……今日はもう、一歩も動けない。おんぶ、してくれる?」
「…………なんだこいつ」
悪態をついても、自分で聞いて覇気がない。
わしゃわしゃしてやろうかな。
彼女をおぶり、レッスン室から出る。前回のような闖入者はいない。
こつ、こつと一人分の足音だけが廊下に響き、やがて消える。
中庭に出ると、ちょうどそこはいつだかのファイルが落ちてきたところだった。
「あのファイル、まだ冬利の家? 機会があったら見に行きたい」
「いやいや、私の部屋汚いからダメ。うちまで歩ける体力もまだでしょ?」
「バスを使う。厳しくなったらプロデューサーに助けてもらう」
「召使いみたいな扱いされてんのプロデューサー」
「かわいそう」
「ほんとにね」
程なくして学園の端までたどり着く。登校する道がある方と違って、こちらには鬱蒼と茂る森の前に、小さな塀があるだけだった。ベンチだけが、心細そうにぽつんと置かれていた。
篠澤を降ろし、二人でベンチに座る。
「なんで、って思ってる。違う?」
「分かってるなぁ。質問の答えまで教えてくれても良いんだぜ?」
「私は棄権した。今回の中間試験」
こちらが足踏みしている間に、彼女はそんな時間は無駄だというように結論を述べる。
今回の件は、彼女が「初」の中間試験を棄権したことについて。
それも、試験の直前に。
結論から話す、ってのは大切だ。
何もない中空を睨み、特大のため息をつきながら顔を下げる。
「はぁあ~~~……そうだね。当たり前だわ。まだ、歌に踊りに体が追いつかない」
私が理由を述べれば、隣から微笑んだ雰囲気が感じられた。
ここで分からないフリを続ければ、失笑を買うだろう。
彼女にそうする気が無くても、私にとって他人と話すことは気忙しい。期待を裏切るのが怖いから。
「ふふ。やっぱり、冬利は分かってた。とぼけたらだめだ、よ」
「信じたくないんだよ」
「中間試験に出る予定で……いたじゃん。なんで間に合わないとわかってた試験に、エントリーしてたの?」
それがどんなに無謀なことか。
篠澤広なら、分かる。
始めたてのアイドル活動で、左右どころか上下もわからない状態でも。
何故そんな真似をしたのか。
私には、分からない。
篠澤の方を見れば、相変わらず何を考えているのか底の知れない笑顔だ。
なんてことないように、告げられる。
「ノリ」
「…………。 は?」
「ノリ。それ以外の理由は……その方がままならないね、って」
天を仰いだ。
地を見た。
隣を向いた。
責めるような視線にも、篠澤広は動じない。
「……ノリはノリでも、悪ノリだぞ」
「ふふ……そう、かもね。でも、本気のあなたを倒せるくらい強くなるべきだって、プロデューサーと話し合った」
要は、あれだ。
私を……出来るだけ強くして。それを目標にして、勝つ。
私が未来の篠澤広に対してやっていることと、同じ。
……そう思ったとして、ほぼ初対面の他人の行動を操作してくる? できるか?
可能なものかよ。
ダークホースっていうか、単純に怪物。
化け物と呼んでこれに効くわけないね。感謝されるだろうね。バケモンが。
ここの二人にはどれだけ過剰な評価を受けているのか、ハッタリしかないのに。
嘘をついて、大言を壮語するだけ。
その期待は大変に結構なのだけど、かろやかに応じられるほど器がデカくない。
私はそんな大役を任せられる人間じゃない。少なくとも、今のままでは。
「私に賭けて、そっちの想像を越えられなかったら……どうするの。見捨てるならそれで良いから、嘘偽りなく言って」
「? ……予想を超える、って話なら、冬利は今回のパフォーマンスだけでわたしの予想を上回ってる、よ」
「……今回は、なんだよ。まぐれ……運が絡んでる部分だってある────」
「謙遜するの? 勝った相手に」
……へ、やっべ。
言い訳しそうになる口を無理やり閉じる。
過ぎたるは及ばざるよりなお悪し、だ。
謙遜のし過ぎは舐めていると取られかねない。
分かってたはずなんだけどな。気を抜くといつもこう。
「……今のは良くなかったか。でも、勝ったのは私だから。私がどんなに卑屈でも、知られなければ偉そうな王様にも見えるじゃん?」
一呼吸くらいの時間だけ目を瞑り、篠澤広がこちらを見る。
吸い込んできそうな瞳に真っ向から目線を合わせる。
どう感じているんだろうね。わっかんないわー。
「……裸の王様も堂々としていれば、格好良くうつる、ね。ハッタリも、知られなければ実力」
「誰が全裸だって、ちゃんと着てるわ。……目がいい人は例外だけど」
「隠さない方が目を引く、よ。自然なことだと思う」
「えっちな話してます?」
「心構えのこと」
「さいですか」
篠澤は、おもむろに深く息を吸い込む。
何をするの? と、わくわくが止まらないままに次の言葉を待った。
俗っぽい話をしてる時だけは、確実に嘘をついてないと言える。
つまりそれ以外は全く定かじゃない、ということ。
冬利は、えっち。
それも……かなり。
深く息を吸って、一息に言える言葉を貯める。
冬利は、ときどきノイズがかかってるような読みづらい表情の時がある。今がそう。
人が急に深呼吸をし始めたら、ふつうなら困惑する。そういう経験がある。
でも、わたしが準備するのを黙って待ってくれる。やさしい。
もう一度、冬利の方を見た。二度目は目は合わなかった。
「わたしは、自分がはだかになって、それを知ってなお堂々とするのは難しい。はずかしい。プロデューサーには、見せられるけど……あなたは、違う。弱いところを、全部見せている。その上で判断してもらおうとしてる」
見知らない、名も知らない、顔も覚えてない相手に自分の表現を見られるのは……少し恥ずかしい。
わたしは感情が伝わりにくいらしくて、仮に緊張しても伝わらないのはありがたいと思ってた。
でも、あなたのは違った。
わたしが初めてみた、アイドルのパフォーマンス……一目見て、それを越えるような凄いことをしているとは思わなかった。
でも……目を離せなかった。がむしゃらで、不安定で、怖いくらいに……生の、感情だった。
見離したら、意識しなくなった瞬間に消えそうだった。
それが……とても嫌だった。
「あなたは、アイドルに向いてる」
わたしは、客観的な事実を言っただけ。
アイドルに向いていると思ったから、褒めるつもりで言ったし……それ以上の意図は何も無い。
でも、彼女は泣きそうな顔だった。
笑ってた。
「……なにさ。ほんとに……篠ちゃんの中での私はどんな人なの? そうまで……凄い人か。わかんないぜ」
「強がり。強がって、迷って……誰かに裁いてほしい人。勝ちたいのに、負けたがってる。わたしも不思議だ、よ」
知れば知るほど、色んな顔がある。プロデューサーや、佑芽や、千奈は……わたしが、こう見えているのかな。ちらっと考えた。
わたしの印象に引っかかる所があるのか、難しい顔をして下を向いてる。
わたしは、素直な感想を伝えているつもりだ。何かあるとすれば、冬利がその印象を飲み込めてない。そういうもんだい。
一旦自分の中でひと段落したのか、呆れたような声色が上を向いたそれから降ってくる。
「神童さま、さ。目が良いってのは分かってたけど……良すぎだよね。洞察の鬼」
この学園に来て初めての呼び方に、思考のタイムラグが発生する。
それを知ってる人は、多くはないはずだけど。
「…………人聞きが悪い、ね。神童って呼び方は、喧伝した覚えはない、よ」
「はっはっは! サプライズは常に一つ仕込んでおくものですからね。お楽しみいただけてます?」
「うん。とても」
確かに驚かされた。
けれどそれ以上に、驚かせたことを無邪気に喜ぶ冬利の笑みが可愛らしかった。
アイドルの雛だけはある、ね。人を虜にする何かが誰を見ても1つある。
……どこかで会ったこと、ある?
「いつ?」
「……呼び名についてですよね? マジで超昔のことですし、しょーもないですよ」
「まじで気になるからいい、よ」
「まじで、ですか」
「うん。マジ、だよ」
一つ、冬利が深い息を吐いた。
落胆ではなく、緊張をほぐすためのものだった。わたしはそう思う。
「たぶん……小学生の頃ですかね。篠澤ちゃんを見かけたことがあって。その頃は……日本にいたでしょ? すぐに行っちゃったと思いますけど」
「そう、だね。わたしを見てる人なんていたんだ」
「はは。世間は篠澤広から目を離せませんよ。冗談と思われちゃうかもしれませんけど、数週間だけ見ることが出来た妖精なんじゃないか、って言われてて。その噂を聞いて、バカだなぁと思いながら私は……あなたを探した。実際にあなたを見た人なんて、ごく少数だったとは思いますよ。じゃなきゃもう少し確度のある噂が立つはずだから」
「…………」
「理由なんて知らない。ただ、面白そうだと思って……先生に聞きに行って。分かったのは、篠澤広って名前だけでした。それだけで十分でした。篠澤さんを覚えてれば」
それが、この初星学園という場所で偶然にも出会った。
そういうだけの、沈黙。
……違う。
「違う、よ」
違う。
それだけじゃ、ない。
それっぽい美談にできるような、表面だけなぞった説明。
ただそれだけなら……彼女にするべき期待はない。
わたしの目は、冬利の目を見つめている。
「まだある。ね」
念を押した。
彼女が困ったように笑う。
「なんで分かるんでしょうね」
建前だった。
それを壊すように、冬利は言葉を重ねる。
「ハ、当然か。隠してないんだから」
「大学はそれほどつまらなかったか? ヒロ・シノサワさん」
「うん。できることをして、毎日を過ごしていれば誰かが喜んでいて……残念ながら、意味は見いだせなかった」
「くるしみを迎える日々が楽しい?」
「すごく楽しい。たのしみでもある、ね」
「方位磁針は邪魔だと。壊してしまえと思いますか」
「だから、わたしはここにいる。しくじることも面白い」
「まだ見ぬ何かと」
「交わりたい、ね。また」
冬利は、わたしを知っている。
よーく、よーく知っている。
期待を裏切って、上からわたしに手を差し伸べてくれてる。
たとえそれが薄っぺらい言葉だとしても、
それが人間であり、アイドルの意味だから。
「……………………っ、あーもう! もう品切れ、ネタ切れ! これで手札は全部切り! お楽しみいただけましたかね!? 今度こそ!」
「ふふ……最初から愉しんでる、よ」
「こっちの想定しない遊び方をしてる気がするなァ!」
完膚ないくらいお手上げ、と言った様子で両腕を真上に上げる。
衣装の一部なのだろう、手首の装飾がひらひらと揺れた。
わたしは満足していない。けど……それ自体は悪い事じゃない。むしろ良い。
冬利は、期待させるのが上手い。これが悪い。
煽るのが上手いばっかりじゃ、悪役になる……よ?
あ。
とても大事なことを言い忘れていた。
わたしがかしこまって冬利を見つめると、怪訝そうな顔で視線を返してくる。
「冬利。試験突破、おめでとう。その衣装似合ってる、ね」
「……
「でも、衣装が似合ってるのは事実。……違った?」
「いや。私って可愛いし。それは受け取る」
「けど?」
「篠澤広のいない試験じゃあ勝っても複雑だなァ!」
やっぱり素直が一番だ、ね。
真っ向から戦意を向けられれば、こっちもうれしい。
これから起こる様々な、それはもう苦しくて難しい課題を思い浮かべる。
自然と笑みがこぼれた。
会話の楽しさによるものか、思い浮かべた未来によるものかは分からない。
ふふっ。
「わたしも、あなたも。とてもままならない、ね」
だからずっと、楽しい。