『運命の出会い』そんな風に呼ばれる出会いがある。
人という生き物は、生きている中で様々なものと出会い、大なり小なり変わっていく生き物だ。
その中でも特に、その後の人生観を大きく変えてしまうような出会いの事を運命の出会い、なんて呼ぶらしい。
その出会いは恋人や家族のような近しい人物であったり、アイドルやスポーツ選手のようなテレビの奥にいる遠い人物かもしれない。
あるいは絵画のような芸術作品かもしれないし、自然の景色のような人ではないかもしれない。
もっといってしまえば歌のように形の無いものかもしれない。
もちろん運命の出会いは、必ずしもその人にとって幸福を運んでくるとは限らない。
自分がどれだけ頑張っても超えられない人物と出会い夢を諦めた、親しい人物が事件に巻き込まれその復讐をするため生きるようになった。
こういったものだって、運命の出会いには変わりない。
大きくその後の人生観を変えてしまう事には違いないのだから。
――ならば、鏡田京香との出会いは間違いなく、お互いにとって運命の出会いだった。
その日、自分自身の失態に気づいたのは、明日提出のレポート課題を取り組もうとした時だった。
どうやら、レポートを書くのに必要な資料を学校に忘れていたらしい。こういう時に限って悪条件というのは重なるもので、そのレポートを提出する講義は明日の一コマ目だった。
今からその資料を取りに行くべきか、それともいつもより早めに学校に行って、その時間を利用してレポートを書き上げるべきか。その二つを天秤にかけた結果、自分は学校に忘れ物を取りに行くことにした。
日も完全に落ち、ほとんどの生徒が帰宅した今、初星学園に何時もの活気はない。
ただ静けさと夜の学校特有の雰囲気を纏っているだけだ。
普段、幽霊だなんだの怪奇現象は信じていない自分ではあるが、それでも余り長居はしたくないな、なんて思っていた時だった。
一つの教室にまだ明かりが灯っていることに気づく。
まだ先生が働いているのかとも思ったが、職員室があるのは別の建物だ。確かあの教室の位置にあるのはレッスン室だっただろうか。
最後に使った生徒がレッスン室の明かりを消し忘れているのか、それともまだ残っている生徒が居るのかもしれない。
そんなことを考えながら、明かりの元へと歩みを進める。
レッスン室に向かいながら、『レッスン室の亡霊』についての噂を思い出す。
亡霊だなんて、まるで怪奇現象のような名前が付けられているがその実態はなんてことはない。ただの練習熱心な三年生のアイドル科の生徒の話だ。
気づけばいつの間にかレッスン室にいて、何時までもレッスン室にいる彼女の様子を見て、付けられた名前が『レッスン室の亡霊』というわけだ。
自分も何度か、他のアイドルの様子を見るためにレッスン室に向かったことがあるが、その場で何度か彼女の姿を見たことがある。出会えなかった時というのも、目当てのアイドルと亡霊が別のレッスン室にいたというだけだ。
個人的にはアイドル科の生徒に対して、亡霊だなんて可愛げもない名前を付けるセンスについて思うところがないわけでもないが、その名前が学園中の噂になっていることも又確かであった。
目的のレッスン室に入ってみると、そこにいたのは長くカラスの濡れた羽のような黒髪を二つ結びして、ジャージ姿の女子生徒がそこにいた。
間違いない、レッスン室の亡霊本人だ。
「すいません。そろそろ帰りますね」
扉の開く音が聞こえたのだろう。
彼女はこちらに振り返ることもなく、ダンスレッスンを続けながらそう宣言する。
「あれ、先生じゃなかったんですね」
鏡越しにこちらの姿を確認したのか、彼女は驚いたようにそう呟き、ようやくレッスンを辞めて振り返る。
その顔にはニコニコと人当たりの良い笑みが張り付いていた。
「どうして先生だと思ったんですか?」
「あー、それはですね」
質問を投げかけると、彼女は困ったように頬を人差し指で掻く。
「えっと、その大体いつもこの時間になると見回りの先生にそろそろ帰れーって言ってくるので、またいつもの見回りだと思ったんです」
「そういうことでしたか」
いつも、か。
「もしかして、プロデューサー科の人だったりします?」
「ええ、そうです」
「へー、そうなんですか」
一瞬、こちらを品定めするような目線を見せるが、すぐに人当たりの良い笑みに戻る。
「もしかして、今って私のスカウトに来てくれてたりします?」
自信なさげに、彼女は自分の人差し指同士をツンツンと当てる。
「いえ、申し訳ありませんが、そういうつもりではなかったです」
「やっぱり、そうですよね。ただのスカウトならもっと早い時間にスカウトにくるでしょうし。でもでも、どうです? 私をプロデュースしてみませんか?」
大げさに落ち込んでいるアピールをした後、彼女はそう言った。
「……一つ訊きたいことがあります」
「なんですか? スリーサイズでもなんでも答えちゃいますよ? って私のスリーサイズは調べたら出てきちゃうんですけど」
「なぜ、あなたはそこまでしてアイドルになりたいと?」
純粋な疑問だった。
彼女の在り方は異様だ、今であれば何処かの誰かが彼女の事を亡霊だと形容した理由を理解できてしまうほどには。
確かにこれほどピッタリな名前もないだろう。
だから訊きたかった、どうしてこうなってしまったのかを。
「……私はアイドルにならないと駄目なんです。アイドルじゃないと、あたしは……」
今にも消えりそうな声で彼女はそう呟く。
「なーんて、ちょっと深刻ぶってみましたけど、そんな大した理由は無いんですよね、実際。ほら、女の子ならきっと一度は憧れると思うんですよ、キラキラと輝くアイドルって。その憧れが捨てきれてないだけです、私夢見がちな少女なので!」
「そうでしたか」
そう返事をしてから、大きく深呼吸をする。
本当に今の自分は冷静なのかと自問自答を繰り返す。
今、自分がやろうとしていることは彼女の為になるのだろうか?
今、自分がやろうとしていることを将来後悔しないだろうか?
今、自分がやろうとしていることに意味はあるのだろうか?
今、自分がやろうとしていることで彼女を不幸にしないだろうか?
それらの問いに対して、自分は一つも答えることの出来なかった。
だけど、いやだからこそ、自分の口はいつの間にか開いていた。
「スカウトをしに来たわけではないと言った後でなんですが、あなたをプロデュースさせてくれませんか?」
「え、いいんですか? 私なんかで」
「……正直に言えば、分かりません。ですが、あなたをプロデュースしたい。そう思ったのだけは確かです」
「なんだか喜んでいいのか、悲しめばいいのか、よく分からないですね」
困ったように、彼女は小首を傾げた。
「けど、そういう事ならお願いしますね。プロデューサーさん、あたしをちゃんとアイドルにしてくださいね」
こうして、自分は鏡田京香と運命の出会いを果たしたのであった。
「……というか、今更ですけど、プロデューサーさん私の事、知ってたんですね」
「ええ、まあ有名ですから」
「あー、それってレッスン室の亡霊、って奴ですよね? あれ、酷いですよね。一応、これでもアイドル科の生徒なんだから、妖精だとか精霊みたいな可愛い感じにして欲しいのに、センスわるーって感じです」
「……そう、ですね」
怒っているんですよとアピールするように、頬を膨らませながら鏡田さんは言う。
この様子を見る限り、どうやら先ほど亡霊が彼女にピッタリだと思ってしまったことは、彼女には知られない方が良さそうだ。
「何か返事に間がありませんでした?」
「いえ、気のせいですよ」
「……プロデュ―サーさんが言うなら、そういう事にしといてあげます。けど、次からは亡霊じゃなくて妖精って呼んでくださいね」
「分かりました」