注意して下さい。
「……新しい仕事が入りました」
「最近はお仕事が多くて嬉しいですね。去年までの自分が聴いたら驚きですよ。来年のお前はプロデューサーもついて、レッスンする暇もない程仕事をしてるんだぞ! って言っても絶対に信じない自信があります!」
「そこは自信を持たないでください」
「いえ、これはただの事実ですから!」
鏡田さんは胸を張って、語る。
普段の彼女であれば、こういった自分を下げる類の事をこんな風に、明るく口にしない。
それでもこんなことを口にしたのは、こちらの様子を見ていい仕事を取れていない事を察したからなんだろう。
「また、演劇の仕事です。あの『赤い部屋』の監督の舞台です」
「……あー、なるほど。そういう感じですねー」
分かりやすく彼女は落胆する。
通常、舞台での仕事はファン数を稼ぐというに相性が悪い。
見てくれる人は当初の予定だってテレビなんかよりも、非常にごく少数に収まる。その中で鏡田さんのファンになってくれる人がどれほどいるか分からない、もっといえば演劇を見ている人がアイドルとしての鏡田京香を好きになってくれるかと言えば話は別だ。
その舞台で跳ねて口コミやネットニュースなどで社会的な大ヒット作品にもなれば話は別だが、そんな夢語りが存在していないことは前回の公演でよくわかっていた。
さらに、悪い所をあげるのであれば、前回の公演分で直接劇場に来てくれるようなコアな人間で、鏡田さんのファンになってくれるような人間は大方ファンになってくれたと考えていい。
今回の公演で新たに劇場に来てファンになってくれる人もいるにはいるだろうが、『N.I.A』で好成績を残す。そのことだけで考えるのであれば、誤差の範囲と割り切れるレベルだ。
もっと悪いことを言うのであれば、舞台が始まるまでの稽古の時間で取られる拘束時間も非常に長い。
以前と同じ稽古の時間であれば、舞台の開演は、目標としている、公開オーディション『QUARTET』が終わった後になるだろう。
今の彼女のファン数の推移では『QUARTET』に出場することすら叶わないというのにだ。
「プロデューサーさんがわざわざこの仕事を引き受けたってことは、もちろん考えがあるんですよね?」
「はい、まずはこちらをご覧ください」
手に持っていたタブレットを鏡田さんに見せる。
「これは、動画投稿サイトですか?」
そう、現代社会において切っても切り離せない存在である、動画投稿サイト。
そこに以前の『赤い部屋』の演目が投稿されていた。
「監督が全編をアップしてくれたんです。これで、誰でも無料で以前の『赤い部屋』を見ることが出来る」
これが監督が提案してくれた協力の一つ目だった。
「大丈夫なんですかそれ? その、直接見に来てくれたお客さんからの反発とか、最初から動画サイトに投稿するなんて言ってませんでしたよね?」
「劇団側の事情は分かりませんが、向こうから持ち掛けてきたことなので大丈夫なんでしょう。そして、次からの舞台は全てこのサイトで行われます」
「それならこっちが心配しなくても良いですね。というか、これ『鏡田京香の百面相チャンネル』って、名前的に劇団の番組じゃないですよね?」
「はい、鏡田さんの番組です」
「この名前ってもしかして『怪人二十面相』とかけてるんですか。確か『赤い部屋』を書いたのと同じ人でしたよね」
「いえ、そのまま名前の通り『百面相役者』の方だと思います。こちらも、著者は同じく江戸川乱歩ですが」
動画をこちらのチャンネルで投稿する代わりとして、チャンネル名は向こうの監督に決められることになった。
よっぽど変な名前が来なければ、採用するつもりだったため、そのまま彼の提案を受け入れることにした。
「その『百面相役者』ってどんな話なんです?」
「人に寄って解釈が分かれますが、簡単にいうなら『赤い部屋』と同じような話ですかね」
「ふーん、そうなんですね」
そう答えると、鏡田さんは興味を無くしたようだ。
どうやら、彼女は『赤い部屋』は余りお気に召していなかったらしい。話のオチが、実は全部作り話だったというものに否定的な感情を持つのは、自分としても理解出来る。
「……あれ、ちょっと待ってください。色々他に訊きたい事あって、飛ばしてましたがさっき次からの舞台はって言いました?」
「ええ、そうです」
「何個か舞台をやるって事ですか?」
「半分正解ですが、半分不正解です」
「半分正解?」
「以前のような舞台のような大きな場で演じるのは一回だけですが、それ以前に朗読劇という形で何度か配信を行う予定です」
「えっと、何となく理解したんですけど、その朗読劇ってのはなんなんです? 読み聞かせみたいなものですかね」
「そうですね。読み聞かせに効果音などの音響的な要素を加えたものだと考えてもらえば、イメージしやすいかと」
この朗読劇、舞台などとは違ってセットや衣装などを必要としない分、手軽に行うことが出来る。
ただその代わりセットなどがないため、視覚効果に頼らずその世界に聴衆を引き込む必要がある。こういった部分は演者の技量が試されるところでもある。
舞台と求められている力は似ているものの、全く同じというわけでもないのがこの朗読劇の難しい所にはなってくる。
「大丈夫なんですか、それ。私に向いてなさそうですけど」
「……どうですかね、少なくとも以前の公演を見ている限りでは大丈夫だと思いますが」
以前の『赤い部屋』の公演。
鏡田さんの語りの部分は見事だった、語りのパート以外が蛇足だと思ってしまう程に。
あの舞台を見た自分からすれば、むしろ舞台よりもこういった朗読劇の方が向いているのではないかと思ってしまう程に。
「しばらくはその朗読劇の為のレッスンが入ることになります。そしてその後に大きな演劇の舞台に立ってもらう予定ですので、そちらのレッスン。更にこちらの番組での配信も行うことになります」
「随分とハードスケジュールですね」
「ええ。ですが鏡田さんなら出来ると思っています、どうですか?」
「自信はないです。ないですけど、分かりました。やるしかないですもんね」
正直に言えば無茶なスケジュールであるという自覚はある。
ただ現状を変える為には、これぐらいしかない。
「ありがとうございます。朗読劇に関しては、向こうに既に脚本があるものということで、全て江戸川乱歩原作の物になっています。原作名をあげると、この番組名にもなっている『百面相役者』などですね。こちらに脚本を用意してあるので、原作と一緒に読んでおいてください」
「……あの監督さん、本当に乱歩が好きなんですね」
若干引き気味な様子で、鏡田さんは言う。
国民的探偵アニメのおかげで江戸川乱歩の名前自体は広く知られているが、それを愛読しているような高校生なんて多くはないだろ。だからこそ、彼女がこういった反応を示すのは、理解出来る。
「ってことは、演劇の方も?」
「察しが良いですね、こちらが原作になっています」
鏡田さんに、次の演劇の原作を手渡す。
原作の名前は『人でなしの恋』。当然ながら作者は江戸川乱歩である。
「ふむ、ちょっと読んでみてもいいですか?」
「ええ、もちろんです」
彼女は椅子に座り、本のページを開く。
以前と違い、ゆっくりながらページがめくられているのを見る限り、ちゃんと目を通しているらしい。
『人でなしの恋』話の内容としては、門野という男とその男にお見合いという形で嫁いだ嫁である京子という二人の人物との話である。
その嫁の名前が鏡田さんの名前である、京香と一文字違いであることに監督側からの意図的なものを感じずにはいられないが、それがこの原作が選ばれた理由ではない……はずだ。
『人でないの恋』は、こうまとめるとファンに怒られてしまうかもしれないが、要するに愛憎劇だ。
お見合い結婚をしたがゆえ、自身の本当の恋愛感情を隠すことにした門野が、京子の事を好きになろうと努力するが、それに失敗してしまう。そして、門野の本当の恋愛感情が京子にバレてしまった結果、彼は本当に愛していたものを殺されてしまう。
愛するものを失った門野は失意のまま自殺し、京子は自分が犯してしまったあやまちを後悔するという話になる。
名前が似ているということもあるが、京子の役自体は鏡田さんにピッタリな役だと思う。
別に愛している人を殺すような人というわけではない、自分が言いたいの鏡田さんの執着心だ。
鏡田さんの執着心は異常だ。それが人ではなく、アイドルという職業に向いているだけで、それを手に入れられない嫉妬心などは理解出来るはずだ。
彼女がアイドルに向けている気持ちを、門野に向けていると解釈すれば役作りにさほど苦労はしないだろう。
「話は理解しました。それで一応訊いておきたいんですが、演じるのは京子ですよね?」
そんなことを考えている間に、いつの間にか全てのページを読み終わっていたらしく、鏡田さんが尋ねてくる。
「はい、その通りです」
「うーん、やっぱりそうですよね」
ただ彼女はその返答に頭を抱えるような仕草を見せた。
「難しそうですか?」
「難しいですね。『赤い部屋』の方はまだ理解出来ましたけど、こっちはぶっちゃけよくわからないんですよね」
迷う余地はないというように、そう言い切った。
「けど、プロデューサーさんは出来ると思ったんですよね?」
こちらの目を真っすぐと見ながら、鏡田さんはこちらに尋ねる。
「はい、もちろんです。鏡田さんであれば京子の役を演じ切ることが出来ると信じています」
「なら、信じます。私はちゃんと演じ切れるって、プロデューサーの事は信頼するって決めているので!」
鏡田さんは、はにかむような笑顔を浮かべながら信頼の言葉を口にする。
その信頼が、今はただただ重かった。