あの『QUARTET』との後から、自分も鏡田さんもお互い距離を掴み切れていないというのが現状だった。
ただ、そう思っている間にも時間は進む。
今日はついに『人でなしの恋』の舞台の日になっていた。
観客も入っているが、今回の舞台は当初の予定通り動画サイトで生放送という形で配信されている。
自分もその出来を見るべく、観客席で一人舞台を見ようと思っていた……のだが。
「いやー、ついに始まるね、『人でなしの恋』。ぶっちゃけ舞台が、成功するかは鏡田ちゃん次第ってとこなんだけど、プロデューサーちゃんから見て調子はどうよ?」
何故か、隣の席に監督がいた。
なんで、こんなところに監督がいるんだろうか。
どうして、彼が観客席の方に座っているのか、理由を考えてみるが、それらしい理由は一切思いつかなかった。
「……問題ありませんよ。鏡田京香は、たとえ調子が悪かったとしても最高のパフォーマンスを見せてくれますから」
「ふーん、それってどの現場でもそうなのかな」
監督は、こちら疑う姿勢を隠そうともしない。
「……すくなくとも、今日は最高のパフォーマンスを見せてくれるはずです」
「まあ、それならそれでこっちとしては良いんだけど」
監督は興味なさげに、そう呟いた。
それと殆ど、同時に舞台の開演を知らせるが如く、会場の明かりは消え、舞台の幕が上がった。
まず、目に入るのはその簡素なセットだ。
一脚の椅子、それしか見当たらない。
他にあるものといえば、その椅子の後方にある垂れ幕ぐらいのものだ。
その椅子には足を組んで座りながら、煙管を吸う着物を身に纏った一人の女性がそこにいた。鏡田さんだ。
彼女は、どこか厭世的な雰囲気を漂わせながら、ただ煙管を吸い白い息を吐く。
言葉にすれば、それだけだ。
たった、それだけの動作だけで、観客は彼女から目を離すことが出来なくなる。
「門野、ご存知でいらっしゃいましょう。十年以上前になくなった先の夫なのでございます」
観客の方を見ることもなく、ただ呟く。
事実、それは観客の自分達に向けられた言葉などではなく、神様にでも向けられた贖罪の言葉なのだから。
「こんなに月日がたちますと、門野と口に出して言ってみましても、いっこう他人様のようで、あの出来事にしましても、なんだか、こう夢ではなかったかしら、なんて思うわれるほどでございます」
ただ徒然と彼女が、門野の家に嫁ぐまで、そして嫁いでからまだ門野の浮気を疑う前の半年間の話を、時おり煙管を吸いながら語る。
お見合い結婚であったこと。
門野が良い男であったこと。
半年間は本当に幸福であったこと。
門野が自分を愛するための努力をしていたこと。
「変だなと気づいたのは、ご婚礼からちょうど半年たった時分でございました」
彼女がそう口にした瞬間、舞台の明かりが消える。
そして、次に明かりが点灯した時には、まだ若々しいころの京香、それに門野の姿があった。
それに伴って、舞台が日本家屋風のセットに変わる。
鏡田さんの違いといえば、ただ煙管を持っているかどうかぐらいのはずなのに、明らかにそこにいる京子は先ほどまで、神に懺悔していた人物とは別人であった。
門野と京子の日常だ。
門野の方もきっと悪い役者ではないのだろう、悪くはないがただそれだけだ。
鏡田さんの迫力には叶わない。
……そんなことを思った時だった。
ある事実に気づいた。
煙管を吸うだなんて演出は、自分が貰った台本には無かったはずだ。それに以前の稽古では煙管を使う演出はしていなかったはずだ。
当然実際に吸っているわけではなく、そのように見える小道具だろう。それでも、未成年のアイドルである彼女が喫煙しているような描写は鏡田さんにとって悪影響にしかなりえない。
急遽、この演出を取り入れたのか?
抗議したいところではあるが残念ながら今は公演中だ、監督がいくら隣にいるからとはいえ抗議の声を出すわけにもいかない。
その代わりとばかりに、怨嗟の意味を込めて睨みつけておくが、監督はステージの方を興味深そうに見ているだけでその視線に気づくような様子はなかった。
そうこうしている間に、舞台は中盤へと流れ込む。
門野の浮気を疑った京子が、その浮気の現場を抑えるべく蔵の二階へと向かうシーンだ。
舞台上にいるのは鏡田さん一人だ。
「このような逢う瀬をつづけていては、あたし、あなたの奥様にすみませんわね」
京子が二階へと登り、聞き耳を立てていると、そんな声が聞こえてくる。
その声は女の声だった、それは門野の浮気の疑いが真実であった事を意味している。
「私もそれを思わぬではないが。いつも言って聞かせる通り、私はもう出来るだけのことをして、あの京子を愛しようと努めたのだけれど、悲しい事には、それがやっぱり駄目なのだ」
次に聞こえたのは門野の声だ。
その声を聞き、京子は舞台から顔を逸らし項垂れる。
こちらに表情は見えない、だというのに、どうしてここまで目を引くのだろうか。
彼女の深い悲しみ、あるいは恨み、といった感情が嫌という程に伝わって来てしまう。
その場から動けないでいると、中から物音がするのに気づいて、京子は急いで外に出て、物陰に隠れた。
物陰に隠れたまま少し待つと、蔵の中から門野が出てきた。
そして、そのまま蔵の扉を締めたかと思うと、そのまま自分の寝床へと戻っていってしまった。
京子がどれだけ蔵の扉を見ていても、扉から誰かが出てくる気配はない。
この蔵に他の出口がないことは、ここよりも前の場面で一度、二階の蔵の様子を見に行った時に観客も京子も知っている。
時間が経つにつれて、京子の感情が悲しみから恐怖へと変わっていく。
ただの一言さえ発さないのに、そのことが嫌という程にこちらに伝わってしまう。
「……これが鏡田京香か」
その言葉が、自分の口から漏れ出した言葉だと最初は気付かなかった。
分かっていた、いや、分かっているつもりでいた。
だが、これはあんまりだ。
あの『赤い部屋』の時よりも、数段上手くなっている。
彼女は天才だ、天才だなんて表現すら陳腐に思えてしまうほどには。
この才能の少しでも、アイドルとしての才能に分けられていれば幸福だっただろうに。
やはり、あのとき鏡田さんをスカウトしたのは失敗だったのかもしれない。
そうすれば、少なくとも彼女はこの残酷な現実を知らないで済むことが出来たというのに。
「……そろそろ、クライマックスだよ」
監督の声で、我に返る。
「すいません、考え事をしてました」
小声で、そう返事をすると、監督は軽く頷くことで答えた。
確かに言われた通り、舞台はクライマックスを迎えていた。
あれから何度か蔵に行っても、逢瀬を交わしている女の正体が分からず、あの人同じよう蔵の外に出てくる女の姿も無かった。
そのため、門野の浮気相手は蔵の中で隠れているのだろうと考え、門野がいない時間帯に蔵に忍び込んだシーンだ。
隠れている場所は長持の中、つまりは衣服などを入れるふたのある長方形な箱に浮気相手がいるのだろうと決めつけた、京子は長持を一つまた一つと開けていく。
しかしその中には衣類や、文庫本などが入っているばかりで、浮気相手が入っているということはない。
最後に開いた長持ちの中にも雛人形が入っているだけで、浮気相手を見つけることが出来なかったのだ。
少しの間、懐かしそうにその雛人形を見つめたかと思うと、京子は長持の中にもう一つ箱が入っていることに気づく。
その箱に入っていたのは、九十センチばかりの京人形であった。
それを見つけて、持ち上げた彼女はその人形の精巧さに見惚れているようであった。
だが、それもほんの少しの間。
ハッと、何かに気づいたかと思うと、会場の空気が凍り付いた。
ただ、京子がその人形を睨みつけただけだ。
激しい怒りと厭悪の情を持って。
たったそれだけの動作で、これから起こるであろう惨劇を観客に予感させたのだ。
そして、その予感は的中する。
彼女はその怒りのまま、人形を引きちぎり、顔を叩き潰した。
「こんなものさえなければ!」
怒りのまま、ただその人形を乱雑に破壊していく、その顔は何処か楽しそうでもあった。
ようやく正体を見つけてやったという高揚感、あるいは邪魔者が居なくなったことでこれから門野との生活が昔のようなものに戻ると信じているからなのかもしれない。
何処か勝ち誇ったような表情を浮かべながら、人形が完全に壊れたことを一瞥すると彼女は蔵の外へと向かうのだった。
その日の夜、門野が蔵の中に入っていくのを京子は外から見ていた。
人形が壊れたことで、門野が何かしら反応を示してくれると思っていたからだ。
ただ、彼女の想像とは反して、いくら待っても蔵の中から門野が出てくるわけでもないし、怒ったような怒鳴り声が聞こえてくるわけでもない。
流石にこれは何か可笑しいのではないかと、京子が中に入っていくとそこには人形と重なり合う様にして死んでいる、門野の死体があったのだ。
その状況から見て、自殺であることはすぐに分かった。
そのことに気づいた時、京子は膝から崩れ落ちる。
ただ、茫然と目の前の光景が信じられないというような様子だ。
崩れ落ち動けない彼女を後ろに、舞台の幕は閉じていく。
「こんなはずじゃあ」
そんな京子の呟きと共に、舞台の幕は閉じ切ってしまった。
ああ……やっぱり恐ろしい。
自分は江戸川乱歩が好きなわけでもない、教養の一つとしてとりあえず読んでおくかで有名な作品を読んでいるぐらいのものだ。今回の『人でなしの恋』なんてのは鏡田さんが演じることが決まってから原作を読んだぐらいだし、余り刺さる作品というわけでもなかった。
舞台だって、殆ど見にいかない。映画やドラマを見る事はあるが、それは他のアイドルがこういった場でどういった風にプロモーションを行っているかの研究であって、好きで見ているわけではない。
それでも、きっと自分は何度もこの舞台の動画を見るのだろう。
何度も今感じたもの同じ感覚を味わいたいという、一心で。
周りから万雷の拍手の音が聞こえてくる。だというのに自分は、その音の一員になれずにいた。
今はただ何もせず、この感情に浸っていたい。
そんな気分だったから。