あたしはボクの事を才能のある人物だと思ったことは無い。
もしもボクに才能が有るのなら、こんなふうに二年間燻ることなんてなかったと思う。
最初の頃はまだ焦っていなかった。
中学からの内部組の子達に負けていても、自分と同じように高校受験して入ってきた外部生に負けていても、自分はまだこれからだと思っていたし、レッスンをすればするほど、自分はアイドルとしての一歩ずつ進んでいるのを実感できたから。
他の生徒達とは確かに差があるけど、そんな子達にも入学してからの努力の量だけは負けていないという自負があった。
だから、そうして地道に力を付けていって、一年後に笑うのは自分だと思っていた。
ただ、そんな自信は入学してから半年後に砕け散った。
彼女達との差が縮まらないこと、いや、彼女達との差が開いていってしまっていることに気づいてしまったからだ。
差は広がっているというのに、自分の歩みの一歩一歩の距離は縮んでいっていく。
そして歩幅はどんどん小さくなっていき、最終的にはどれだけ努力しても前に進むことはなくなっていた。
それが一年目の事だ。
二年目はただ必死だった。前を向かずにただひたすら走り続けた。
授業が終わるとすぐにレッスン室に向かい、使える時間の限界までそこでレッスンをする。
それでも時間が足りないから、その後に走り込みをする。そうして疲れ切って部屋に戻って、死んだように眠る。
そんなことをしている間も後ろから何人もの生徒に抜かされたが、それでもただただ走り続けた。
それを三百六十五回繰り返していると、いつの間にか二年目は終わっていた。
ふと、周りを見てみる。
きっと、あの子達の背中ぐらいは見えているものだと信じて。
だけど、見えているのは一人だけ。
――真隣にいた一年前の自分だけだった。
もう、どうすればいいのか分からなかった。
惰性のようにレッスンを続けながらも、先の見えない道でただ一人迷っていた。
そこに差し込んだ光、それがプロデューサーさんだった。
彼の言っていることは理解出来ないことが多かった。
それでも彼の言う通りにレッスンをしていた、すると今まで見えなかった、先に行ったはずのアイドル達の背中が見えてきたのだ。
彼こそ、ボクの救世主で、運命の人だって思った。
このまま彼と一緒ならどこにでも行ける。
そう思っていたんだ、彼が私に一切期待していないという事に気づくまでは。
彼は白草月花と『FINAL』で戦うことを望まなかった。
それは、万が一にでも彼女に勝てる事なんて無いと思ったからだろう。
それはボクだって彼女相手に勝てるとは思っていない。けれども、トップアイドルに善戦できたということであれば、話題性としてはバッチリだ。そのうえで、『N.I.A』という場にトップアイドルを引き下ろしてきたという功績は使い方によってはよいプロモーションになることぐらいは、自分でも理解出来ている。
それでも、断ったということは、彼女と接戦になる可能性すら無いと判断したということだろう。
きっとプロデューサーが、私の事をプロデュースしてくれている、理由は同情だとかそういったものなのだろう。
私は三年生で、一年もすれば初星学園を卒業することになる。その一年ぐらいは、プロデュースしてやろうと、そんな風に思っただけなはずだ。
決して私に秘めている隠された才能を見抜いたからだとか、私のパフォーマンスに惹かれたからではない。
ふと『人でなしの恋』のある一節を思い出す。
疑いというものの癖として、一度そうしたきざしが現われますと、ちょうど夕立雲がひろがる時のような、恐ろしい早さでもって、相手の一挙一動、どんな些細な点までも、それが私の心一ぱいに、深い深い疑惑の雲となって、群がり立つのでございます。
私が初めて一番星になれるかもと言った時、なにかいうわけでもなく話題を変えようとしたこと。
初星学園に通う、アイドルとプロデューサーなら当然意識するはずの、一番星についての話題が不自然な程に彼から出なかったこと。
白草さんと口げんかになって私が言い負かした時、プロデューサーもスカッとしたんじゃないかと聞いた時一瞬間が空いたこと。
『IDOL Big UP!』の時は、合格できると信じてくれていたのに、『QUARTET』では勝って欲しいと願望を口にしたこと。
私をスカウトしてくれた時、理由を詳しく述べずただプロデュースしたいと言われたこと。
そのどれもが、プロデューサーがアイドルとしての自分に惹かれていない事を意味しているように思えて仕方なかった。
プロデューサーは鏡田京香というアイドルの事を愛そうとしたに違いない。
プロデューサーである以上、鏡田京香の強みを売りに出さなければいけない。
その際に必要になるのは、プロデューサー自身がそのアイドルの強みを理解し、アイドル自身に惹かれていることだろう。
だから、鏡田京香というアイドルを愛そうとした。
ただ『人でなしの恋』の門野のように、元から愛していないものを愛することが出来なかった。それが真実なのだ。
そのことに気づいてしまえば、何と今までの自分が滑稽なことだろうか。
何がプロデューサーさんは運命の相手だ。
ただ同情だけでプロデュースされているだけなのに片腹痛い。
何がプロデューサーさんがいるんだから、夢が叶うに決まってるだ。
そのプロデューサー自身もボクの夢は叶わないと思っているというのに。
ああ、馬鹿馬鹿しい。
ただ一人で二人三脚で走っていた気持ちになって、のぼせあがっていただけだななんて。
ボクは思う、きっと『人でなしの恋』の京子は幸福であったと。
誰も悪くはないのだ。門野だって、人形愛者として生きていきながら、普通であろうと心がけようとして、京子を愛そうとした。そのことは責められることではないだろう。京子よりも人形を愛していたことを隠していたことも同様だ。
だから、きっとプロデューサーさんだって責められる道理はない。彼等のしていることは褒められることはあっても、悪いことをしているわけではないのだから。
だからこそ、ボクは余計惨めに感じてしまうのだ。
京子にはボクと似たような感情を持った際に、人形という拳を振り下ろす場所があった。
原作では十年前の出来事、つまり門野が愛していた人形を意図的に壊したことを後悔している描写がある。
それでも、今こうして振り下ろす場所もないままで居続けるよりはましだと、今のボクは思わずにはいられなかった。