「……失礼します」
何故だか妙に元気なさげな様子で、鏡田さんは教室の中に入ってきた。
この教室は自分の活動拠点として学校側から使うことを許されている教室で、言ってしまえば事務所にあたる場所になる。
鏡田さんとジャージ姿以外で出会うのは初めてだが、彼女は学校指定の制服を特に着崩すようなこともなく、そのまま来ているらしい。
「もしかして体調が優れないんですか?」
「いえ、そう言うわけじゃないんですけど」
どうしてか、彼女は言い淀む。
「その、なんというか、レッスン室に行かずに別のところに行くのが久しぶりでなんというか落ち着かないんですよね」
そういって、困ったように笑う。
……流石レッスン室の亡霊だ、レッスン室にいることが日常になっているとは。
「……プロデュ―サーさん、今失礼なこと考えてませんでした?」
「いえ、妖精は流石だなと感心していた所です」
「……なら、良いですけど」
こちらの方をジト―っと睨みつける。
うん、もう二度と彼女の前で亡霊だなんて考えない事にしよう。
「さて、昨日言っていた話をしたいんですけど、良いですか?」
これ以上深入りされないよう、話題を変える。
「自主練の話しですよね、結局何を練習すればいいんですか」
「これです」
そういって、一枚の紙を彼女に手渡す。
「……これ、本気で言ってます?」
その紙を見て、不機嫌な事を隠そうともせずに彼女は言う。
「はい。それが一番、鏡田京香というアイドルにとっては良いと判断しました」
「わかりました、百歩譲ってプロデューサーのいう事が一番正しいとしてです、どうして舞台のオーディションなんですか」
そう、今回彼女の為に持ってきたのは全て、舞台関係のオーディションだ。
流石にテレビ関係の大きな仕事こそないものの、小さな舞台関係の仕事はこの初星学園にも少しは流れてくるのだ。
彼女の場合、観客が直接見えないテレビ関係よりも、規模が小さくても舞台などの直接観客がいる方が都合がいい。
「私役者になりたいわけではないんですけど、演技の練習をしろってことですか?」
「ええ、役者志望ではないのは分かっています。そのうえで、鏡田さんにはオーディションに向けての練習をしてもらいたいんです」
アイドルとしてドラマや映画に出る人たちもいるが、鏡田さんが憧れているアイドル像というのがそういった方面でない事ぐらいは理解している。
「なら、どうして?」
「鏡田さんに必要な事だからです。鏡田さんの歌とダンスには観客に感情を伝える力が弱い。だからこそ、観客に感情を伝えることが主題の舞台に立ってもらおうかと」
「それはただ私の練習不足で……いえ、本当に舞台での練習をすれば、それでアイドルになれるんですか?」
納得は出来ない。そういった感情が口ぶりだけでなく、表情からもありありと理解出来た。
先程述べた建前ではなく本当の理屈を説明することは出来る、ただそれを説明したところできっと彼女は理解しない、いや、正しくは理解しようとしないだろう。
正直に言えば、気乗りはしない。ただ、今取れる手段がそれしかない事も又確かだった。
……はあ、仕方ない。
大きくため息をついてから、最後の手段を口にする。
「自分はそう考えてます。それにあなたは演技、得意ですよね?」
鏡田さんが息を呑んだのがこの距離からでも聴こえてくる。
出来損ないの機械のようにぎこちない動きで、こちらを振り返る。
その顔にはいつもの人当たりの良い笑みは浮かんでおらず、何の表情も浮かんでいない。
能面のような表情で、ただただこちらを彼女は見てくる。
実時間にして数秒、体感では無限にも思えるような時間が過ぎる。
「……むむ、もしかしたら、私の知らない才能ってやつかもしれませんね。流石は、プロデューサーさん。人のまだ見ぬ才能を見抜くのがお上手です」
そう言って、何時もの人当たりの良い笑みを張り付けた。
これ以上は踏み込ませないという意思表示だろう。
「オーディションを受ける話、納得していただけましたか?」
「はい、もちろんです!」
何処か投げやりな返事をされる。
まあ、鏡田さんの場合下手に反論されるよりは、これぐらい投げやりになっていた方が都合がいい。
「では、オーディションに向けて一つだけ条件を付けます」
「条件ですか?」
「はい。演技に関しては一切勉強せず、この原作だけを読み込んでからオーディションに向かってください。トレーナーや他の人に見せなければ、どれだけ演技練習をしても構いません」
「わかりました、そういう事なら!」
こちらの指示に疑問を抱えているはずだが、彼女は一切尋ねる事もなく承諾し、ひったくるように本を取る。
指示に納得しているというわけではなく、どうでもいいからとりあえず指示に従っているだけなのだろう。
これがもしも歌やダンスのオーディションであれば、それこそ蛇のようなしつこさでレッスンさせろと口にしたいたに違いない。
今だって口笛を吹きながら、本を読んでいるふりをしているが何分経っても1ページもめくられていない。
大方、どうせ落ちるから大丈夫だろうとか、そんなことを考えているんだろうな、きっと。
とはいえ鏡田さんなら、オーディション本番で手を抜くという事はしないだろう。それならここで変に口を出すのはそれこそ藪をつついて蛇を出すような行為に違いない。