悪食クソ女の暴食日記   作:リィン教官対ゴミカス蛆虫宮沢鬼龍

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街着いたらこうなるだろうなと思ったらこうなった

「街に行ったらまあこうなるよなと思ったけど……現実は拙者の想像力の遥か斜め上を光速でぶっちぎっていきやがりましたな

 

 拙者は虚ろな目で、目の前に積み上げられた『白い塔』を見上げていた。  否、それは芸術的なオブジェなどではない。  ほんの数分前まで、湯気を立てる極上の料理が盛られていた皿の残骸である。  その高さは既に拙者の座高を超え、向かいの席に座っているはずの“彼女”の姿すら隠してしまっている。

 

 ガツッ、ボリボリボリボリ、ゴックン。  バキッ、メシャア、ゴクリ。

 

 皿の塔の向こうから、絶え間なく聞こえる破砕音と嚥下音。  それはまるで、製粉所の石臼がフル稼働しているかのような、あるいは採石場で岩石破砕機が唸りを上げているかのような、生物が出していい音を超えた響きだった。

 

「んん~っ! んふぅ! あぁ、美味しい……! 美味しいわぁ……!」

 

 塔の隙間から、恍惚とした声が漏れる。  クロエ氏だ。  彼女は今、この『黄金の猪亭』の在庫を根こそぎ胃袋に収める勢いで、暴食の限りを尽くしていた。

 

 事の起こりは、ほんの三十分前に遡る。

 

 門をくぐってからこの店にたどり着くまでの数百メートル。それは拙者にとって、全裸フルマラソンに匹敵する苦行であった。  なにせ隣を歩く怪物が、一歩進むごとに「お腹が空いた」と呪詛のように呟き続けるのだ。

 

「ねえ、非常食。まだ? まだなの? 私の胃袋、もう自分を消化し始めそうなんだけど」

 

「あと少し! あと少しでござるから! 頼むから通りすがりの馬車の馬を見て『馬刺しとハンバーグどっちがいいかしら』みたいな目で品定めするのはやめてくだされ!」

 

「あ、あの子供、まるまるとしてて……うふ」

 

「ステイ!! 人間はダメ! 絶対ダメ! 倫理的にも衛生的にも社会的にもアウト!」

 

「ちぇっ。……じゃあ、非常食のその腕、一本だけいい? 再生する魔法とか持ってないの?」

 

「持ってないしあげない! 拙者の腕は食用じゃない!」

 

 あの門番に店を教えられた瞬間から、クロエ氏の「食」への執着は狂気じみた領域へと達していた。

 

「ねえ非常食、レストランまだ? ねえまだ? 私、もう待てない。ねえ、私の胃袋が暴動を起こしそうなの。具体的に言うと、隣を歩いてる美味しそうな盗賊のおじさんを今すぐ解体してカルパッチョにしたいくらい」

 

「ヒィッ! 待って! 今向かってるから! 殺気漏れてる! 涎も漏れてる!」

 

 道中、彼女はずっと拙者の腕を掴み(握力が強すぎて腕が鬱血していた)、呪詛のように「ごはん、ごはん、お肉、料理」と繰り返していたのだ。 

 

 無理もない。ここに来るまでの数週間、彼女の食事といえば、襲ってきたモンスターの生肉か、拙者が適当に焼いただけの味気ない肉塊だけだった。 

 

「焼けば食える」「生でも食える」と彼女は言っていたが、それはあくまで「栄養摂取」としての行為。 

 

 彼女にとっての「食事」とは、娯楽であり、快楽であり、生きる意味そのもの。 まともな調味料で味付けされ、火を通された「文明の味」に飢えきっていたのだ。 

 

 そんな攻防──というより一方的な捕食圧への抵抗──を繰り返し、ようやくたどり着いたこの店で、彼女のタガは完全に外れた。

 

 

 

 そして店に入った瞬間、彼女は爆発した。

 

「いらっしゃいませ! ご注文は……」

 

「ここから、ここまで。全部」 

 

 メニューの端から端までを指差すクロエ氏。 店員は、ポカンと口を開けて固まった。

 

「え、あ、あの……お連れ様もこれからいらっしゃるので? パーティー用の大皿料理も含まれておりますが……」

 

「いいえ? 私と、そこの非常食だけよ」

 

「えっ……? し、しかし、この量は大人十人でも食べきれないかと……」

 

「聞こえなかったのかしら? 『全部』よ。とりあえずすぐ出るものから持ってきて。大丈夫よ。足りなかったらまた頼むから。あと、お代わりは最初の注文を食べ終わる前に持ってくること。……あぁ、いい匂い。厨房の奥から漂う油と香辛料の匂いで、私、もう理性が飛びそう…………早くしてね? 私、気が短いほうなの。お腹が空いてると、特にね」

 

 

 

 クロエ氏の瞳孔は完全に開ききっていた。 焦点が合っているようで合っていない。その視線は店員を通り越し、厨房の奥にある肉塊へと注がれている。 拙者は慌てて店員の肩を掴んだ。「頼む! 金は払う! あるだけ払うから! 彼女の言う通りにしてくれ! さもないとテメエが『前菜』になりかねないんだよぉぉぉ!!」 

 

 本能的な恐怖を感じ取った店員殿は、「ひぃっ、た、ただいまぁ!」と裏返った声を上げて厨房へ逃げ帰っていった。賢明な判断である。

 

 もしあと数秒遅れていたら、店員自身が『本日のオススメ』としてテーブルに載せられていた可能性すらある。そうして始まったのが、この地獄の宴である。

 

 ドンッ! まずテーブルに置かれたのは、この店の名物である『黄金猪の丸焼き』。大人数人で囲むような巨大な豚の丸焼きだ。 湯気を立てる飴色の皮、溢れ出る肉汁。

 

「わ……わああああああっ! いただき・ますっ!!」 

 

 クロエ氏はナイフもフォークも使わなかった。 手掴みで熱々の肉塊に食らいつく。 ガブッ! ブチブチブチッ! 本来ならナイフで切り分けるべき分厚い肉を、彼女の顎は豆腐のように容易く噛みちぎる。

 

「んん~っ! この皮のパリパリ感! 中から溢れる脂の甘み! そして何より、この特製ソースの複雑な味わい! 塩じゃないわ、ハーブよ! スパイスよ! これが料理……これが文明の味なのねぇ……っ!」 

 

 彼女は恍惚の表情で、涙と涎と肉汁で顔をぐしゃぐしゃにしながら、猛烈な勢いで豚を飲み込んでいく。 バキッ、グシャッ。 太い背骨も、肋骨も、彼女の奥歯にかかればクラッカーのように粉砕される。 カルシウムも骨髄も、彼女にとっては等しく「栄養(カロリー)」なのだ。

 

【黄金猪の丸焼き(特大)完食!】 

 

 ものの数分、いや、2分も経っていないかもしれない。 巨大な豚は、骨の欠片一つ残さず彼女の胃袋へと消え失せた。皿の上には、一滴のソースすら残っていない。舐め取られたように(実際舐め取ったのだが)真っ白だ。

 

「は、速い……」 

 

 

 

 

 

 

 周囲の客がドン引きしながら呟く。 

 

 だが、クロエ氏の空腹は、底なし沼だ。食べた端から消化され、吸収され、彼女の肉体の一部へと変換されていく。 

 

「足りない……全然足りないわ。ねえ、次! 次はまだなの!? お腹が空いて死んじゃう! ?」

 

「待て待て待て! 落ち着いてクロエ氏! ほら、あっちから次のが来るから!」 

 

 拙者は冷や汗を拭いながら、懐の金貨袋の重さを確認した。 ……重い。 入国前の賄賂と、今の注文だけなら大した事は無い。 だが……

 

「あ、きた……♪ 鳥のコンフィ、五羽盛り合わせね……うふ、うふふふ」 

 

 クロエ氏の前で繰り広げられているのは、もはや食事というよりは、消滅現象と呼ぶべき光景だった。

 

「んっ! んっ! うふっ、あはっ、美味しい! これ、ハーブの香りが骨の髄まで染み込んでるわ!」 

 

 クロエ氏は、運ばれてきた『鳥のコンフィ・五羽盛り』に手を伸ばした。 通常、ナイフで身をほぐし、上品にいただくべき料理だ。

 

 だがクソ女は、熱々の腿肉を一本掴むと、そのまま頭から齧り付いた。 ガリッ、バキッ、グシャアッ。 小気味よい音。まるでセロリでも齧っているかのような軽快さで、鳥の骨が粉砕されていく。彼女の強靭な顎と歯牙は、硬い骨を瞬時に咀嚼可能なサイズへとすり潰し、肉と共に喉の奥へと送り込んでいくのだ。

 

【鳥のコンフィ(五羽)完食!】 

 

 一般男性でも一羽で満腹になる量を、彼女はほんの数十秒で平らげた。 

 

 皿の上には、飾り付けのパセリすら残っていない。「次っ! 次の牛リブステーキ特大サイズ五人前、まだなの!? 私の胃袋が悲鳴を上げてるのが聞こえないの!?」 

 

 彼女がテーブルをバンッと叩くと、厨房の方から悲鳴のような「イエス・マム!」という声が聞こえ、ウェイターたちが血相を変えて走ってくる。 

 

 彼らの目は恐怖に染まっていた。無理もない。 厨房では、シェフたちが戦場のような形相でフライパンを振るっているはずだ。焼いても焼いても、盛り付けても盛り付けても、ホールに出た瞬間に虚空へと消え去るのだから。 

 

 ドンッ! ドンッ! ドンッ! 次々と運ばれてくる料理の数々。 『特大リブステーキ』、『大鍋いっぱいの海鮮パスタ』、『羊の香草焼きブロック』。 

 

 どれもこれもが、パーティーサイズの分量だ。「いただき・ますっ!」 クロエ氏は両手でステーキを掴み、顔を左右に振るって肉を引き裂く。その姿は、獲物に食らいつく野生動物そのものだが、浮かべている表情は満面の笑みだ。 口の周りをソースと脂でベタベタにし、服に赤い汁が飛んでもお構いなし。 彼女にとって「汚れる」ことなど些末な問題なのだ。重要なのは、いかに効率よく、いかに大量に、この美味なるカロリーを摂取するか。

 

【特大リブステーキ(15枚)完食!】【大鍋海鮮パスタ(計14kg)完食!】【羊の香草焼き(計13kg)完食!】 メッセージログが、まるで弾幕のように視界の隅に流れていく。 

 

 拙者は、自分の財布の中身が同じ速度で減っていく幻覚を見た。いや、幻覚ではない。現実だ。

 

 食事が進むにつれ彼女の肌艶が、入店時よりも明らかに良くなっている。髪の毛一本一本にまで力が満ち、瞳の輝きが増している。  

 

 だが、それと反比例するように、周囲の客たちの視線は冷え切っていた。 最初は「すげえ食いっぷりだな」と笑っていた荒くれ者たちも、今は青ざめた顔で沈黙している。 

 

 生物としての「格」の違い。捕食者としての圧倒的なオーラ。 自分たちも「餌」になり得るのではないかという根源的な恐怖が、この場の空気を支配していた。 

 

 

 

 彼女は決して「満腹」にはならない。ただ「食べるものがなくなった」時が、食事の終わりなのだ。

 

「店員さん! デザート! ホールケーキあるだけ持ってきて! あと口直しに猪の丸焼きもう一回! ……んんっ……! この『大トカゲの香草焼き』、絶品ね! 野生のトカゲを生で踊り食いした時は、皮がゴムみたいで内臓が泥臭くて最悪だったけど……火を通すとこんなに香ばしくて、身がホロホロになるなんて! 文明万歳! 料理人万歳!」 

 

 クロエ氏は両手に一本ずつ、大人の腕ほどもあるトカゲの足を掴み、交互に齧り付いている。 ガリッ、ボリッ、グシャア! 硬い鱗ごと焼かれたトカゲの足が、彼女の可憐な唇に吸い込まれるたびに、なっちゃいかん音がなる。

 

【大トカゲの香草焼き(4人前) 完食!】

 

「はぁ……はぁ……幸せ……。私、今、生きてるって感じるわ。胃袋に温かいものが満ちていく……でも、落ちた先から溶けてなくなっちゃうの。不思議ねぇ、うふふ」 

 

 彼女の頬は紅潮し、恍惚とした表情で皿に残ったソースを舐め取っている。その姿だけを見れば、初めて高級料理店に連れてきてもらった田舎娘のように愛らしい。 だが、その足元には既に百数十枚の大皿が空になり、周囲の客は恐怖に顔を引きつらせて席を立ってしまっていた。店員たちは、もはや給仕というより、猛獣への餌やり係のような決死の形相で皿を運んでいる。

 

「お、お客様……あの、厨房の食材が、そろそろ……」「あ?」 クロエ氏が、ソースでベトベトになった顔を上げ、冷ややかな視線を店員に向けた。

 

「い、いえっ! すぐに! 市場へ走らせます! 今あるもので、とりあえず『イノシシステーキ・ギガント盛り』をお持ちしますのでっ!」

 

「うふ、ありがとう。あなた、気が利くわね。もし料理が途切れたら、あなたのその鍛え抜かれたふくらはぎの肉質を確かめなきゃいけないところだったわ」 

 

 店員が悲鳴を上げずに泡を吹いて倒れなかったのを褒めてやりたい。 

 

 

 

「うふ……うふふふふ! 幸せ……私、今とっても幸せよ、非常食! あーむっ! んぐっ、はむっ、ごっっっっっくん」 

 

【大鹿のロースト(6人前)完食!】 

 

「ああ、美味しい……! このベリーの酸味が、獣臭さを消して旨味を引き立てているのね……! 生で齧った時のあの鉄錆みたいな味とは大違い! 調理最高! 火最高! 料理人って偉大だわ!」 

 

 彼女は感動に打ち震えながら、空になった大皿の底に残ったソースを、行儀悪くも舌でペロリと舐め取った。 

 

「店員さん! おかわり! 次はメニューの右ページの魚料理、上から下まで全部持ってきて! あとパン! パンもカゴいっぱいじゃなくて、樽ごと持ってきて頂戴!」 

 

 クロエ氏の声が店内に響く。 店員たちは半泣きで厨房とホールを往復していた。 シェフに至っては、最初は「俺の料理がそんなに気に入ったのか!」と喜んでいたが、今は「頼む、もう勘弁してくれ、食材が尽きる!」という悲鳴に変わっている。

 

 

【巨大淡水魚のムニエル 完食!】

【巨大淡水魚のムニエル 完食!】

【巨大淡水魚のムニエル 完食!】

【キノコのアヒージョ 完食!】 

【キノコのアヒージョ 完食!】 

【キノコのアヒージョ 完食!】 

【キノコのアヒージョ 完食!】 

【キノコのアヒージョ 完食!】 

【キノコのアヒージョ 完食!】 

【キノコのアヒージョ 完食!】 

【キノコのアヒージョ 完食!】 

【コカトリスの親子丼 完食!】 

【コカトリスの親子丼 完食!】 

【コカトリスの親子丼 完食!】 

【コカトリスの親子丼 完食!】 

【コカトリスの親子丼 完食!】 

【コカトリスの親子丼 完食!】 

【コカトリスの親子丼 完食!】 

【コカトリスの親子丼 完食!】 

 

 次々と表示される完食のログ。 積み上がる皿。 響き渡る咀嚼音と、クロエ氏の「うふふ」「美味しいわぁ」「ごちそうさま、次!」という狂ったような歓喜の声。 彼女は本当に、皿に残ったソース一滴、魚の小骨一本すら残さず、全てを平らげていく。 その姿は、ある種の清々しさすら感じさせるほどの『暴食』の化身だった。 

 拙者はと言えば、テーブルの端で縮こまりながら、手元の羊皮紙に書いて必死で計算をしていた。

 

「……金貨、いや、白金貨……? 待て待て、これ桁が一つ違くないか? いや合ってる……合ってしまっている……!」 

 

 拙者の計算能力(盗賊なので金の計算は早い)が弾き出した結論は、『破産』の二文字だった。 路銀が足りない。いや、正確には、今ここで止めてギリギリ足りるかどうかだ。これ以上注文されたら、拙者はこの店で一生皿洗いをさせられるか、最悪の場合、支払いの代わりとしてクロエ氏に「食材」として提供されるかもしれない。

 

拙者は、震える手で財布の中身を確認した。 ……金貨が、あと数枚。 これはまずい。非常にまずい。 この店の料理は確かに美味いが、値段もそれなりにする。

 

「お、おい……クロエ氏、そろそろ……その、お腹の方は……そろそろ……そろそろお腹も落ち着いてきたのではないかな!? ほら、腹八分目という言葉もあってだな……」

 

 恐る恐る声をかけると、クロエ氏はピタリと動きを止めた。 そして、ゆっくりとこちらを向く。 その瞳は、深淵のように暗く、底知れぬ飢餓感に満ちていた。

 

「んぐっ、んむ……ぷはぁっ! 何言ってるの非常食? まだ前菜(1/10)が終わったところじゃない」

 

 彼女は羊の大腿骨をバリバリと噛み砕きながら(骨髄が美味いらしい)、キョトンとした顔で言った。

 

「ここで食事を止めるということは、私のこの幸福な時間を奪うということよ。……ねえ、非常食。食事を奪う奴は許さないって、私、言わなかったかしら? それに八分目? あなたにしては、面白い冗談を言うのね」 

 

 クロエ氏は、運ばれてきたイノシシステーキ(厚さ10センチはある肉塊が3枚)にフォークを突き立て、そのまま持ち上げて齧り付きながら笑った。

 

「これっぽっちじゃ胃袋のひだをのばすのがやっとよ。そしてこんなに美味しい食事を途中でやめるなんて、食材への冒涜よ。このイノシシさんも、私の血肉になりたがってるわ。……んぐっ、んむっ、ごっくん」 

 

 凄まじい嚥下音。彼女の細い喉が、蛇のように膨らみ、巨大な肉塊を胃へと送り込んでいく。 彼女は味わっている。確かに味覚はあるのだ。だが、それ以上に「摂取する」という行為への執着が異常すぎる。

 

【イノシシステーキ・ギガント盛り 完食!】

 

【付け合わせの山盛りポテト 完食!】

 

【彩り野菜のグリル(皿ごと舐めてソースまで) 完食!】 

 

 さらに追加される伝票。積み上がる皿。 クロエ氏の体からは、食事によって得たエネルギーが湯気のように立ち上り、肌艶が目に見えて良くなっている。傷一つない肌、満ち溢れる魔力。 彼女は食事をするたびに強くなる。

 

 

 

 カチャリ、と音を立てて、四十三皿目の『イノシシの超極厚ステーキギガント盛り』の皿──がテーブルに戻された。 

 

【イノシシステーキ(特大)完食!】

 

「ふぅ……おかわりまだ?! なくなりそうなんだけど!」 「ひいぃぃっ! も、申し訳ございません! 本日の分は全て……!」

 

「はぁ? ないの? ……じゃあ、あなたが代わりに焼かれる?」 

 

 クロエ氏の声色が、スッと低くなる。 冗談ではない。彼女の目は、店員の太ももあたりの肉付きを真剣に吟味していた。 拙者は反射的に立ち上がり、最後の金貨袋をテーブルに叩きつけた。

 

「ストップ! ストップだクロエ氏! もういい! もう十分だ! これ以上は店の在庫が尽きる! 何より拙者の路銀が尽きる!」「えぇ~……? でも、まだちょっと小腹が……」「小腹どころか生態系を食い尽くす勢いではないか! ほら、行くぞ! これ以上ここにいると、君は『出禁』どころか『討伐対象』になりかねん!」 拙者は駄々をこねる子供をあやすように、しかし必死の形相でクロエ氏を促した。 

 

 彼女は名残惜しそうに、他の客が食べている料理をジロジロと見回したが(客たちが悲鳴を上げて皿を隠した)、やがて諦めたように溜息をついた。

 

「……ちぇっ。まあいいわ。【憤怒の魔将】ぶりに『死ぬ程美味しいご飯』食べられたし今日のところは許してあげる」 

 

 彼女はテーブルに残った最後の一滴のソースまで指で拭って舐め取ると、ニッコリと笑った。

 

「ごちそうさま。うふ、うふふ。……でも、まだ全然足りないのよねぇ」

 

 クロエ氏は満足げに息を吐き、ナプキンで口元を拭った。そのナプキンすら、最後にちろりと舐めて味を惜しんでいるように見えたのは拙者の幻覚だろうか。 いや、幻覚であってくれ。

 

 

 

「あ、あの……お客様……。こ、これ……」

 

 顔面蒼白の店員が、震える手で伝票を差し出してきた。 その紙の長さたるや、王族への陳情書か、あるいは巻物か。床まで届きそうな長さの伝票には、この店の在庫を根こそぎにした記録が刻まれている。

 

「……あ、あはは。そう、だよな。これくらい行くよな……」 

 

 金額を見た瞬間、拙者の視界が暗転しかけた。 金貨数十枚。 普通の冒険者パーティーが、命がけの依頼を数回こなしてようやく稼げる金額だ。 というか俺の20年近い盗賊稼業の蓄えほぼ全てだ。大体仕送りに当てたとはいえ伝説の大盗賊【絶影】様の稼ぎの全てだ……拙者の懐には、もはや小銭が数個残っているだけ。

 

「……非常食? どうしたの? 顔色が悪いわよ? もしかして……あなたも何か食べたかったの? ダメよ? 意地汚いわね」 

 

 クソ女は悪びれもせず、空っぽの皿の塔を見上げてケラケラと笑う。 

 

「い、いや……なんでもないでごわす。ちょっと、目から汗が……」 

 

 拙者は涙を飲み込み、震える手で非常用の宝石──ルビーの指輪と、なけなしの金貨を全てテーブルに叩きつけた。 

 

 りない。どう計算しても足りない。「あ、あの……皿洗いで……いや、この身でお支払いを……」 

 

 店長の目が冷ややかに光った。 ……その後、どうやって店を出たかは、あまり記憶にない。 ただ、店の外で待っていたクロエ氏が、夕日を浴びながら伸びをしている姿だけが焼き付いている。

 

 周囲の客たちは、もはや畏敬を通り越して恐怖の念を抱いた目でこちらを見ていた。 

 

 ■■■■

 

「……さあ、行きましょうか。お腹も『とりあえず』落ち着いたことだし。次は稼ぎに行かないとね? 非常食のお財布、空っぽになっちゃったんでしょう?」 

 

 図星を指され、拙者は肩を落とす。

 

「分かってるなら……もう少し手加減を……」

 

「あら、手加減したわよ? 本当はこの店の貯蔵庫にある生肉も全部食べたかったけど、調理に時間がかかるって言うから我慢してあげたの。私ってば、なんて理性的で我慢強いのかしら」

 

 自画自賛しながら、クロエ氏はスキップ混じりに店を出て行く。 その背中からは、先ほどまでの飢餓感に満ちた殺気は消えていたが、代わりに「次はどいつを食ってやろうか」という、より具体的で計画的な捕食者のオーラが漂っていた

 

 その背後で、店員たちが「助かった……」とへたり込んでいるのが気配でわかる。 エランテルの夜風が吹く。 

 

 拙者の財布は、空気のように軽くなっていた。 宿代? ない。明日の食費? 当然ない。 あるのは、満たされない空腹を抱えた怪物と、絶望的な未来だけだ。

 

「ねえ、非常食」 

 

 クロエ氏が、夜の街を見下ろしながら、楽しげに言った。「お金、なくなっちゃったわよね?」

 

「……誰のせいだと思っているんでござるか」

 

「ねえ非常食、これからの旅費とお肉代、どうやって稼ぐの? 私、お腹が空くと機嫌が悪くなるのよ?」 

 

 彼女はニタリと笑い、拙者の肩に腕を回した。 その笑顔は、先ほどの食事中の幸福な笑顔とは違う。 獲物を値踏みし、次の『食事』をどう確保するかを計算する、狡猾で邪悪な捕食者の笑顔だった。

 

「非常食なら、いいアイデアがあるわよね? うふ、うふふふ」 「い、いやでもクロエ氏、我々の路銀には限りがありましてな……」

 

「そう。お金がないのね。……ねえ、非常食。人間の腎臓って、市場で売ると意外と高値がつくらしいわよ? 二つあるし、一つくらいなら……ねぇ?」

 

「いいプランも直近では二つありますぞ!! ではまず冒険者ギルドにGO!」

 

 ぐぅうううううううううううううううううううう。 彼女の腹の虫が、同意するように鳴いた。 エランテルの街に、拙者の絶望的な悲鳴がこだました。

 

ぶっちゃけ盗賊のキャラ変は

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