アグネスタキオン「この世には不思議なことなど何一つないのだよ―――」   作:桜霧島

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プロローグ②

 

 

「シャーロキアン(くぅん)、ちょっとこの薬を飲んでみてくれないかい?」

「飲むとどうなる薬なのよ」

「なに、体が丈夫になる薬さ。副作用で胸部の先が虹色に光ってしまうかもしれないがね」

「No thank you, mom. ―――ってか、まさかそれ飲んだの?!」

 

 アグネスタキオンと私の距離は、物理的には精々3メートル程度。心理的には―――よくわからない。クラスメイトで友達の友達――『友達』と云うとカフェに怒られそうだが――というのは、果たして友達と呼んで良いものか、あるいは唯のクラスメイトで落ち着けておくべきか。

 

 ……少なくとも乳首が光っているウマ娘が居たら、赤の他人を装うべきだろう。

 

 

 しかし私と彼女との関係について一言で表すならば、それは容易だ。云うならば、実験者と被験体(モルモット)だ。

 

 タキオンは理科準備室であった部屋を自身の研究室にしており、学園の授業に来ることは滅多に無かった。そのため、もともと私との関係は希薄であったのだ。クラスメイトとは云え、彼女の紅い瞳に私の姿が映ったことは無かっただろう。

 

 クラスでも、何なら学園全体でも浮いている存在の皐月賞ウマ娘様が私のような木っ端ウマ娘の顔と名前を認識しているのは、フランスへ旅立っていってしまった「カフェの友人」と云うレッテルのおかげだと思う。

 

 私も最初にこの部屋にやってきたのは、本当にただの気まぐれであり、ある意味ではやけくその極致でもあった。

 

 今日、私がこの部屋へやってきたのは、そのカフェからの言付けのためだ。曰く「私と【お友だち】が日本に居ない間、アグネスタキオンに私のスペースが侵食される可能性がある。時折あの部屋へ行って監視しておいて欲しい」とのこと。

 もちろん、と私は二つ返事で了承した。そしてそれはすぐに後悔となって表れた。

 

 面倒くさいのだ、この女。

 

「どうして薬を飲んでくれないのかね、モルモット君」

 

 当たり前だろう、と返すと、「臆病者」とか「だから君は勝てないんだ」とか嫌なことを云いやがるし、兎に角べらべらと意味の分からないことをしゃべり倒す。

 

 あるいは私が自分で部屋を片付けるように云うと、「少しはみ出ているだけじゃないか。カフェが帰ってくる頃までには片づけておくよ。なに、そんなに急ぐのなら君がやればいい」などと(うそぶ)くばかりでちっとも片付けようとしない。

 思っていたよりもおしゃべりで、面倒くさく、それでいてどことなく目が離せない、そんなウマ娘であった。

 よくもまぁカフェは性格も嗜好も違う彼女と同じ部屋に居られたものだと感心する。

 それに、文句を云ってもこの偏屈ウマ娘が動かないのはわかりきっている。

 

 

 私はカフェとの約束を守るために、カフェの居住域にかかっている、或いはかかりかけている荷物を30分程度かけて一通り片付けると、いつもカフェが座っているソファーに身を投げ出した。

 カフェの私物である絵画に描かれた少女からギロリと睨まれている気がするが、気がするだけだと自分に云い聞かせながら背もたれに身をゆだねる。

 

「おお、綺麗に片付いたねぇ。お礼に紅茶でも飲むかい? もっとも、君のカップは無いからビーカーで飲むことになるが」

「カフェのを貸してもらうから、そっちに入れてよ」

「おお、そうだったそうだった。彼女のマグカップがあったねぇ」

 

 そう云いながらタキオンはガスコンロに火をともし、大きめのケトルに入れた水を沸かし始めた。

 

「氷とかないの? 暑くない?」

「そこの冷凍庫に無ければないね」

 

 あまり期待しないで冷凍庫の扉を開くと、案の定、氷は無く、冷凍庫には保冷剤しか入っていなかった。

 

「実験で使うこともあるでしょ。氷ぐらい作っておきなよ」

「じゃあ君が作っておいてくれたまえ。冷ましたいならその保冷剤を当てておけばいいだろう」

「……まぁ、紅茶なら暖かいのでもいいけどさ」

 

 彼女はティーポットへざらざらと無造作に茶葉を放り込むと、沸き上がった湯をこれまた無造作に注ぎ込んだ。その様子を見て「メジロ家とか良家のお嬢様が見たら怒り出すだろうな」と思ったが、そう云えばコイツも良家のお嬢様だったかと思い直した。どんな家庭でどんな過程を踏めばこのような奇想天外ウマ娘が誕生するのだろうか。

 

 私はマグカップに注がれた紅茶らしき温かい飲み物をタキオンから受け取った。

 

「ありがと」

「なぁに、礼には及ばない、なにせ君への報酬なのだからねぇ。砂糖は使うかい?」

「いや、大丈夫」

 

 どばどばと飽和量まで角砂糖をカップにつぎ込むタキオンを尻目に黒猫をあしらったカフェのカップに口をつけると、渋みが舌に襲い掛かってきた。まずい。

 変に気を張らず角砂糖を2つ3つほどもらっておくべきだったかと思ったが、何となく悔しいので、眉間にしわを寄せつつも喉を潤すことにした。

 

 彼女は彼女のチェアで、私はカフェのソファーでカップに口をつける。会話をする必要も本当は無いのだが、私はつい魔が差してタキオンに話しかけてしまった。

 

「―――カフェ、勝てるかな」

「さぁ、どうだろうねぇ? 事実としては、今まで凱旋門賞で勝利した日本のウマ娘はいない。あまりにも違いすぎる環境、そして各国で最も強いと云われるウマ娘が集まるレース。不利なことは間違いないだろうさ」

「カフェは札幌レース場で阿寒湖特別を勝っているから洋芝も問題ない。スタミナも大丈夫。勝負にはなると思うけど……フランスのレース場ってどうなんだろうね」

「さぁ?」

「気にならないの?」

「気にしても仕方がない。いずれにせよ、私も君も傍観者だ。だからこそ私としては、データが取れればそれで良いのだよ。現地ほど精密なデータが取れるわけではないが、まぁ、テレビでも問題ないだろう」

「そうやって割り切ることが出来るの、良いと思うよ」

「私は私の目的のために凱旋門賞を見る。彼女は彼女の目的のために凱旋門賞を走る。君の目的はわからないが、それほど気になるのなら、君自身がフランスへ行ってみることだね」

 

 

 ―――君は私と違って走ることが出来るのだ。自分の脚で行けば良かろうよ。

 

 

 そう云うタキオンの表情は、私には読み取ることが出来なかった。ただ事実を述べただけのようにも見えたし、幾ばくかの寂寥感を含んでいるようにも見えた。

 

 最近では外で彼女の姿を見ることも多くなってきたとクラスの誰かが云っていた気もするが、彼女の足首に巻かれた痛々しい包帯を見る限り、もしその気になっても実践に復帰するのは相応の時間が必要なのだろう。

 

 何となく罪悪感をおぼえてしまった私は、いくらか中身の減った渋い紅茶に口をつけつつ、話題を変えることにした。

 

「タキオンはさ、アレ、見えるの?」

「アレとは何の話だい?」

「カフェの、その、【お友だち】ってやつ」

「あぁ、カフェの【イマジナリーフレンド】かい? 【イマジナリー】なのだから見えるわけがないだろう。そこらの小学生でもわかるよ、そんなことは」

「いないからいいけどさ、そんな云い方をしたらカフェは怒るでしょう」

「何をそんなむきになっているのかね」

「むきになんて―――なってないけど。じゃあタキオンはカフェと居るときに、何かに叩かれたり、あるいは部屋の物を動かされたり、そう云うことは無いんだ?」

「それはあるよ」

「あるんじゃん」

「いやいや、君は【見えるのか】と訊いたんだ。だから私は【見えない】と答えた。そう云う体験をしたことがあるのかないのかと訊かれたら、【ある】と答えただろうねぇ」

 

 はぐらかすような云い方をするタキオンに少し苛立った私が「でも」と反論しかけると、タキオンはそれを止めて再び語りだした。

 

「そもそも、見えるものが全てであるなどと云うことは、それこそ非科学的なのだよ。光だってその大本となる粒は見えないだろう? ウイルスや細菌だって、目に見えないからと云って存在しないわけではない」

「顕微鏡とかそう云うのがあれば見えるじゃん」

「そう、見えないものは、見るための専用の道具が必要なのだよ。顕微鏡しかり、望遠鏡しかり」

「じゃあカフェの【お友だち】も専用の道具があれば見えるって云うの?」

「その通り」

「そんなもの……あるわけないじゃん」

 

 呆れたように云う私に向かって、彼女は真顔で「あるよ」と返答する。

薄く目を開けたタキオンが私を見る。まるで心の奥底まで覗き込まれているようだ。だから私はこのクラスメイトが苦手なのだ。

 

「それは『今は無いけど将来はわからない』ってやつ?」

「いいや、今でもある。―――カフェ君の目と脳髄だよ」

「……それって道具って云っていいの?」

「では云い方を変えよう。カフェ君の金水晶の瞳には私たちには見えないものが確かに映っており、彼女の脳髄はそれを『有る』ものだと認識できるということだ」

 

 わからないなぁと云いながら私は頭を搔いた。

 

「つまり【お友だち】は彼女の頭の中にしか存在しない、と?」

「そうは云っていない」

「じゃあどういうことよ。あのカフェと居るときの不可思議現象はどう云うことなのよ」

「あのねぇ、私は研究で忙しいのだよ。紅茶も飲み終わったことだし、そろそろ帰ってくれないか」

 

 不味い紅茶で満たされていた私のカップの中はいつの間にか空になっていたが、それよりもこの奇人がカフェの【お友だち】についてどのように認識しているのかが気になってしまった。

 不満顔を作りながら彼女に先を促すと、渋々と云った感じで語りだした。

 

「だからねぇ、シャーロキアン君は【現象】と【お友だち(見えない何か)】を一緒くたにしているから、認識がゆがむのだよ」

「一緒、じゃないの……?」

「君はライスシャワー君を知っているかね」

 

 いきなり出てきた同学年であるレジェンドウマ娘の名前に驚きつつも、私には何の話でつながっているのかさっぱり理解できない。

 

「あの、隣のクラスの? 何でライスシャワーさんが?」

「彼女は、彼女曰く【不幸体質】なのだそうだ。彼女が外を歩けば雨が降るし、信号と云う信号にひっかかってしまうし、鳥のフンは落ちてくるしと、自分が居るだけで周囲に不幸が及んでしまうと云っている」

「あぁ、それは聞いたことがある。そんなわけないのにね」

「それと一緒さ」

「……どう云うこと?」

「彼女は確かに間が悪かったりするのだろう。けれどもだね、それはただの【現象】であって、彼女自身との因果関係は何一つ無いのだよ。それなのに彼女は何かしらの因果関係をそこに見出そうとしてしまう」

「つまり、カフェと話をしているときに妙な風が吹いたり、変な耳鳴りがしたりするのと【お友だち】の話は別だと」

「ふぅン、ようやく君の小さな脳みそが回ってきたようだねぇ。砂糖、足りてないのでは?」

 

 小さくて悪かったわね、という私の抗議を聞き流しながらタキオンの講釈は続く。

 

「カフェ君の()()や【お友だち】の話を知らなければ、おそらく君はそこに因果関係を見出すことは無かっただろう。少なくとも心霊現象だの何だのと騒ぐことは無い」

「そうだね」

「君には、まず最初に信じるに足りうる何かがそこにあって、後付けで現象を足したんだ。極論を云えば、思い込みと云っても良いだろう。なぜなら、他の誰かにとってはただの隙間風であり、気圧の変化なのだからね」

「あれが思い込みですむなら、カフェも苦労しないんだろうけどね」

「いいや、シャーロキアン君、彼女だけじゃない。君も、そして残念ながら私でさえも、()()()()()()()()()()()のだよ」

「どういうこと……?」

「どうもこうも、よくある話さ。『見間違い』という言葉があるだろう」

「あぁ、そう云う―――」

「いやいや、君は多分、また間違った認識をしている」

「はぁ? 見間違いは見間違いでしょう、ただの」

 

 私がそう云うと、タキオンはやれやれ、と云いながら頬杖を突き、微妙に床に届いていない足をプラプラと振った。

 

「見間違いという現象はね、いつでも間違っているのは私たちの方なのさ。見たいものがそこにあるという思い込み、それを見間違いというのだよ。赤信号を青信号と見間違ったって、現実としては赤信号があっただけ」

「だったら、カフェのお友だちっていったい何なの? 私―――カフェもそうだけど、タキオンのいう見間違い、思い込みってことなの?」

 

 胡乱げな表情をして質問する私から興味なさげに視線を外し、タキオンは自身のモニターに向かって座りなおした。一体、何が映し出されているのだろうか。私の位置からはうかがい知ることが出来ない。

 

「―――さぁ、いくつかの仮説はあるが、答えは出さなくてもいいのではないかね」

「どうして?」

「物事には、観測した瞬間に消えてなくなるものだってあるのだよ」

「それは『シュレーディンガーの猫』みたいな?」

「君がそんな高尚な言葉をよくもまぁ知っていたなと感心はするが、そんな学術的な話ではない―――もうお喋りはいいだろう?」

「えっ? ちょっと!」

 

 相変わらずタキオンが何の話をしているのか私にはまったく理解できなかったが、それ以上彼女は口を閉ざし電脳の世界に入り込んでしまったので、私は大人しくカップを片付け、旧理科準備室を後にした。

 

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