「うん!とても良い!良いわよ!」
メアに満面の笑みと共に褒められる。レヴィもウンウンと笑顔で頷いてくれる。
今はメアの家(凄く素敵なアパルトメント。ミュージシャン向けの物件みたい。落ち着いた風情のある外観に、そこで暮らしている二人がとてもマッチして…ああ、とにかく素敵!)で、歌のレッスンを受けている。この後は、今度はレヴィからギターのレッスン。
ギターと歌を合わせるのって、造詣を深くすればする程…理解が進む程、難しく感じてくる。
そのマッチングに悩んでいる私にメアが言ってくれた。
「イクヨ。例えばね?…呼吸を忘れる人って、居ると思う?」
「…忘れちゃえば、死んじゃうと思う」
メアはイタズラっ子の笑みを浮かべ、「でしょ?」とひと言。
「つまりね?私…私とイクヨは…私達にとっての「歌」はそう言うものなの。そう言うものにしちゃうの。歌を歌うのは、呼吸をする事と同じ。まぁ、歌みたいに呼吸を情感込めてする人は余り居ないけれどね。でも、恋人と触れ合っている時は、思わず呼吸も弾んだりするけどね」
メアはその綺麗な人差し指をピンと立て、レヴィに視線を送りながら答える。レヴィに笑いかけた顔がもう、少女のソレ。…綺麗な表情。
「「歌」って…「言葉」って…何時の間にか身に付けていたものなの。呼吸と同じように。貴女が貴女のママからこの世に産まれてきたときに「オギャー」って可愛い声で泣いたと思うけど、それはもう「歌」なの。「私は此処に居るよ。聞いて?」って歌ってたの」
とても素敵な考え。…そっか、私は産まれた時から「歌って」たのか。
「だからね?貴女は「歌」と共に産まれて来たの。自然とこなせるの。呼吸と同じ様に。ギターを弾く時に呼吸をずっと止めてる人なんて居ないでしょ?」
「アタシは本気でリフ演る時息止めてる事あるけど」
「レヴィ?」
メアが咎めるようにレヴィをジロリと睨む。その視線に首を竦めるレヴィ。
「レヴィは特殊。イクヨ。この人ね、寝てる時呼吸を止めてウーウー唸ってる時があるのよ?心配になって起こそうとするといきなり私の腕を掴んで「コード」を押さえ出すの!右手は懸命にピックを持った形でブンブン振り回して!」
あははは!と大笑いするメア。対するレヴィの顔は真っ赤。
「それでね?流石に揺り起こすと「…良いリフだったのに何で起こしたの」って文句言うの!」
耐え切れないといった感じで、メアがお腹を抱えて笑い出す。
レヴィはもうどうして良いか分からない感じで、頭を抱えて蹲る。
何て楽しくて、素敵な二人なんだろう。悪いけど私も笑っちゃう。でも…そうね
「そういう意味では、ひとりちゃんも同じですね」
「え?ヒトリもなのか?」
レヴィが身を乗り出して来る。
「ええ、ついこの間も…」
最近の私の習慣。ひとりちゃんの背中を抱き締めるように眠る事。
寝入って暫く経った頃。
「う…うぁ………」
ひとりちゃんが呻き出し、そして「その感覚」で私も目を覚ました。
「…ひとりちゃん?どうしたの?」
ひとりちゃんは私の腕を抱え、その左手はコードを押さえ、右手は私の指を弦に見立てて掻き鳴らしている。
「ひとりちゃん?ひとりちゃん?」
「…うう………ケニーさん、トッドさん………もう少しでリフが完成するから…腕毛を顔に擦り付けないで………」
「…って、寝ながら懸命にリフを作り上げてるの!」
それを聞いて、ふたり共唖然とした後…まるで爆発するように笑い出した。
「あ、あはははははは!!!。ヒ、ヒトリ!やっぱりアンタは最高だ!」
「ウフ、アハハハ!。もう!ヒトリったら!………でも、ケニーとトッドには後でオシオキして上げないと!」
ケニーさんとトッドさんに、要らぬ嫌疑を掛けてしまった。でも、その後がひとりちゃんの凄いトコ。
「でね?続きがあるんだけど…」
その翌朝。私は先に起きて朝食を作っていた。
「郁代ちゃん。出来ました」
目覚めてキッチンまでトコトコ歩いて来たひとりちゃん。
何が出来たのか分からず、それを聞こうとしたら…おもむろにギターを取り出して、いきなりリフを弾き始めた。
それはもう、凄まじい程の激しい、かつメロディアスな…涙が出る程の素晴らしいリフ。
思わず手を止めて聴き入ってしまう。
「凄い!………でも、そのリフ…どうして作ったの?」
そう問われたひとりちゃん。ギターを弾く手を止め、暫く物思いに耽る。
「………あれ?………どうしてだっけ?………」
ポカンとした表情の後、私の左手を見て徐々に顔が青くなるひとりちゃん。
「え!…い、郁代ちゃん! その!…その左手!どうしたんですか!?」
私の左手の指には、消えない程の擦り傷が無数に付いていた。
「…もう、貴女がやったのよ!?って」
ふたり共、今度は涙を流して笑っている。
「あはは!、あははははは!苦しい、苦しいよ!あはははは!!!」
「もーヒトリさいっこー!でも、ヒトリは…もしかしたら、ギターを抱えて産まれてきたのかもね?」
メアの言葉にレヴィが強く首肯する。
「ああ、間違い無いよ!ヒトリはギターの申し子だ!神に愛されたギタリストだよ!」
私も一緒に笑った後、不意に表情に影を落として呟く。
「でも…そんなひとりちゃんだからこそ…私は着いて行けるのかな…って。支えて行けるのかな…って」
その呟きを受け、二人が今度は穏やかな表情を見せる。
「イクヨ。バッキングの役目って、考えた事…ある?」
「レヴィ…」
そう言えば、バッキングの「役目」って…考えた事無かった。
レヴィは続ける。
「バッキングはね?リードギターとリズム隊を繋ぐ役目なんだ」
「繋ぐ…役目?」
「アタシはそう思ってる。ともすれば永遠に孤独に走り抜けて行ってしまうリードギターを「他のメンバーも居るよ?だから安心して?頼って?」って繋ぎ止めておく、役割」
その言葉を聞いて、ぶわりと私の中に風が吹く。目の前がいきなり明るくなる。まるで霧が晴れて眼前に果てしない青空が広がったような。
「…日本に居る時、バッキングに個性は要らない…って言われた事があって…でも」
「そう、それが「バッキングの個性」じゃないかな」
私の言葉を継いで、レヴィが笑顔でそう言ってくれる。
「たから突出しなくて良いんだよ。突出しちゃバランスが乱れるのさ。バッキングは、「バンドにプラスされる1音」だけじゃないんだよ」
そっか…それで、良いんだ。
メアが私の肩を抱き寄せる。
「イクヨ。貴女はヒトリとバンドメンバーなんでしょ?そしてヒトリはリードギター。それなら、そのバンドのバッキングは貴女にしか出来ないわ。唯一のパートナーの、貴女しか」
私の身体の中で、何かモヤモヤして形作られなかったナニかが急速に像を結んでゆく。私の役目•役割が今、はっきりと存在を現す。
ひとりちゃんの詞を声に乗せるだけじゃなく。
バンドに音を一つ加えるだけじゃなく。
「バンドの詞はヒトリが書いてるんでしょ?その詞を「呼吸をする様に」貴女の身体が出力するの。ヒトリの想いを…貴女の熱で、吐息で表現するの。そしてヒトリの音が皆の手を離れて飛んで行きそうな時、イクヨが繋ぎ止めてあげるの。ほら、貴女にしか出来ない!」
今、明確に自分の向かう先に光が見えた!
眩しい光。途轍も無い輝き。でも嫌じゃ無い!寧ろ求めて止まない、光。
まるで憑き物が落ちたよう。呪縛から解放されたかのよう。あぁ…こんなシンプルな答えで良かったんだ。常にひとりちゃんを意識出来れば、それで良かったんだ。
今まで「支えられる様になる」なんて、その言葉の意味すら考えず子供の我が儘のように繰り返していた。
判ってしまえばとても単純。でも単純な分、難しい。「より広く」じゃなくて「より深く」考える必要がある。
「ありがとうメア!ありがとうレヴィ!やっと私のやる事が解った!…でも、凄く難しい事も…解った」
「うん。そうね。今は「平均台を全力疾走」しなくちゃならないような難しさがあるかも。でもね?「その道」を拡げてあげる為に私達が居るの。幾ら走っても、躓いても、転げ落ちないような道を、私とレヴィで拡げてあげる」
「そうだよイクヨ!その為に、アタシ達を散々使え!」
メアとレヴィの気持ちに、瞳が潤んでくる。
「…何で…そこまで良くしてくれるの?」
自分でも分かる位の涙声。声が震える。まともに二人の顔を見れない。
「そんなの簡単。私達の妹だから。…それだけの理由じゃ、ダメ?」
メアがふわりと抱き締めながら答えでくれる。そのすぐ横で、レヴィも一緒に抱き締めてくれる。
「イクヨ。貴女はとても良い子で、それでアタシ達の妹だ。文句を言う奴はまたスキットルを頭にブチ当ててやる!」
一人っ子に生まれた私の、掛け替えの無いお姉さん達。
こんなに抱え切れない幸せを貰い、いつ返せるかも分からない。でも、いつか返したい。ひとりちゃんと、一緒に。
「あり…がとう…ありが…とう!今は何も返せるものがないけど…いつか、きっと!」
もう涙で前が…二人の顔が見れない。
「うふふ。いいのに。…それじゃあ、後で一つだけ返して貰おうかな」
「うん!うん!なんでも!」
やっと二人の顔に焦点を合わせられた。メアは、得意の「イタズラっ子」の顔でニヤリ。
「将来、O2アリーナで貴女達が演る時、ゲストで呼んで?」
え、おーつーありーな?………って!O2アリーナ!?収容人数20000人の!?あのロンドンの、O2アリーナ!?
「おお、良いねえ!あそこなら客も充分だ!」
な、何言ってるのレヴィ!?20000人よ!?ニマンニン!
私が目を白黒させていると、メアは得意げな顔で宣う。
「まあスタジアム程じゃ無いけれど、充分ね」
二人共何言ってるの!?スタジアムだったら数万人よ!?たしか日本でも…6〜7万人位入ったかしら…ああもう単位が分からなくなる!感覚が狂う!
「待ってるわ!」「待ってるよ!」
…絶句
魂の抜けかけた私に、メアが真剣な顔で一言。
「最低限、そこまでは行きなさい」
…ああ、貴女はやはり優しいだけじゃ無い。自分の中にも、他人の中にも厳しさを要求する。
本当に、最高の先生!
「…分かった。そこまでは絶対辿り着く!そして、メアとレヴィに前座をやって貰うわ!」
メアとレヴィがポカンとした顔で見合わせる。そして二人して盛大に噴き出す。
「あっははははは! 今日は、最高に楽しい日だわ!」
「あははははは!!あの「世界の歌」を掴まえて「前座」って!あはははは!よく言った!」
大風呂敷を広げ過ぎたかしら…でも、その位じゃないとこの人達に近付けない!
一通り笑った後、二人の姉は力強く言った。
「イクヨ!Belt it out!(全力で歌いな!)」
「…うん!」
ーーーーーーーーーー
「今日は…何か不思議な日だなぁ」
同日。
毛蟹…ケニーさんのライブハウス。
店内全部が何故か異様な雰囲気を纏っている。
そこへ丁度ケニーさんが歩いて来た。上着は、わたしと交換した赤いモコモコジャケット。…何か可愛い。
「ケ、ケニーさん、今日何かお店の雰囲気おかしくないですか?」
「ああ、ヒトリ。気付いたかい?今日はね、ちょっと変わった出演者が来るんだよ。そいつはちょっとばかり変わり者でね。ギタリストなんだけど…そうだ、ヒトリ。今日は仕事はいいからそのギタリスト見ておいで。きっと勉強になると思うよ」
…仕事をサボれる口実を貰ってしまった…ロンドンに来てからのわたしは、勤勉を絵に書いたような(当社比)人間だったからなぁ。たまには良いか。…普段役に立っているかどうかは置いておいて。
そんな事をツラツラ考えていると、その出演者らしきバンドがケニーさんに挨拶に来た。今日はワンマンらしい。
見た所、アマチュアバンドみたいな…でも、ギターの人だけ雰囲気が…違う。何か…凄みを感じる。なんだろ、あの人。他のメンバーと「イロ」が違う感じ…
そのギターの人がケニーさんに話し掛ける。…何処かで見たような………
「よおケニー。また演らせて貰うよ」
ケニーさんとがっしり握手する。
「君は、僕に迷惑を掛けにきているだけだろ?君が来るといつも満員の会場がエライことになるからねぇ。正直、もう来ないで欲しいところさ」
「いいじゃないか!満員の観客!いいねぇ!」
「…君の「満員」は、数万人だろ…」
「スタジアムなんかだと、なんか一人でやってる気がしてね。観客が遠いのさ。まるで「騒いでる壁」を相手にしてるみたいでね。だからリフを弾いたとき、「熱」が入らないんだ。だからここで演るのは、年に一度位のお楽しみさ」
何か…エライ事を話してるような。この頃やっと「英語の言葉」が朧げながら分かるようにはなってきた。早口だったり長文だったりすると、一気にパニックになっちゃうけど。
「ところで、随分可愛いジャケット着てるじゃないか。トレードマークのトレンチコートはどうした?」
ケニーさんの着てるジャケットを摘んで、何かからかうような仕草。多分「ケニーさんにしては可愛過ぎる」とか言ってるんじゃないかなぁ。…ホントに交換して良かったのかなぁ…
「良いジャケットだろ?ギターヒーローと交換したんだ。ああそうだ、ヒトリ!カム・オン!」
何か呼ばれた!わたしなにかヘマしちゃったのかな!?でもまだ何もしてない筈なんだけど!に、逃げた方が良いかな!でもお世話になってるケニーさんに呼ばれてるんだ!い、行かなきゃ!怖い!外人さん怖い!何故か皆同じ顔に見えるけど!何故か皆毛蟹だけど!ああ早く行かなきゃ!
ノソノソと二人に近付く。ゆっくり近付けば漫画のようにいきなり場面転換しないかな、とありえない妄想をしながら。
でも、着いてしまった…どうしよう…もうこうなったら…
よし!先手必勝!
「あー、あー、あいむふぁいんせんきゅー!しーゆーしーゆー!」
真顔で目詰められた。ああ…視線が痛い!
…後藤ひとり21歳。先手でも必ず負ける女。
「…面白いヤツだな」
「そうだろ?彼女はヒトリ•ゴトウ。そのうち世界の何処ででも名前を聞く事になるギタリストさ」
「ほほう!大きく出たな!」
「本当さ。そしてヒトリ。彼は…」
「そうだケニー!ヒトリをゲストで貸してくれないか!?」
え?何か…マズい話になってきてない?単語くらいしか聴き取れないけど、わたしをゲストとか言ってない?何のゲスト?モノボケ?信玄が良いかな行司が良いかな…ああ多分どっちも伝わらない!
「ヒトリ、どうだい?」
ケニーさんに訊ねられる。え、どうって?そのギタリストさんも弦を弾くマネをしている。あ、はい。もう間違えようが無いですね。
ケニーさんはわたしに顔を寄せて耳打ちする。
「彼のギターを間近で見ると、得る物があると思うよ」
………チャンスの前髪………
「はい、演らせて下さい!」
ボリュームマックスの声で承諾する。
「おおう!元気だなあ!それじゃ、3曲終わったら入ってくれ。そこから2曲ばかりギターオンリーだから。
その2曲が終わったら、後はノリで着いてきてくれ。メンバーは皆友達のアマチュアばかりだから、気兼ね無くやってくれ。頼むよ、ギターヒーロー」
ケニーさんが説明してくれた頃にはもう居なくなっていた。嵐みたいな人だなぁ。
☆
メンバーが登壇する。ギタリストさんはストラトかぁ。格好良いなぁ。お客さんは超満員。…やっぱりこの人…凄い人なんじゃ…ホントに、何処かで見たような…
「あー、観に来てくれてありがとう。こんなアマチュアバンドにしては、過ぎた観客だな」
観客から声が掛かる。
「アンタみたいなアマチュアが居るかよ!」
それに軽く返す。
「まあそう言うなよ。まだバンド名も決まって無いようなアマチュアさ」
さあいくぞ!と演奏が始まる。確かにバンドとしてはアマチュアの音…だけど…
何だ、何だ何だ何だ!このギターの音は!
最初の一曲は、レッド・ツェッペリンの「天国への階段」から始まった。
美しいアルペジオから、王道かつ定番のリフ…なんだけど…鳴らしている音!音が!
頭を殴られ、身体を撃ち抜かれ、それをミキサーにかけられて…その後、作り変えられて行く…自分の身体が「彼の音を受け止める」為の身体に!
揺蕩う!彷徨う!導かれる!身体全部が「耳」になる!「心」になる!
彼の音を受け止めないと!彼のプレイを拾わないと!彼の全てを、逃さないように!
…一曲聞いただけで、ヘトヘトになった。ヨロヨロになった。滅多打ちに…されてしまった。まだこの後何曲も続くというのに。
少しでも落ち着く為に、ケイティさんのサングラスを掛け………え?え!?
な、無い!トートバッグの中に…入ってない!なんで!?
今朝確かに入れた………あ!
郁代ちゃんとお揃いのトートバッグ。並べて置いていた…
慌てて電話を掴む。涙で画面が見辛い。早く…早く!後、2曲!
なんとか繋がった!
『もしもし?ひとりちゃん、どうしたの?』
ああ…落ち着く声…じゃなく!
「ぎ…ぎだぢゃん………サングラス…が………バッグにぃ…」
『すぐ行く。ライブハウスよね』
プツリと通話が切れる。
もうわたしには、出来る事が無い。
ヨロヨロと壁に背を付け、ずり落ちる。
あとはもう、待つしか無い。
ーーーーーーーーーー
今日はひとりちゃん、ご飯どうするのかしら。
ちょっと遅くなる日は、ケニーさんやトッドさん達とご飯を食べてくる時がある。
今日は帰りに、いつものパン屋さんでソーセージロールとクランペット買ってきたんだけど…ひとりちゃんが食べて来るなら明日の朝ご飯にしようかな。
トートバッグからパンを取り出す。その際、バッグの中がちょっと雑然としていたから、何となく整理を始める…と。
「あれ?…これ」
出て来たのはひとりちゃんのサングラス。ケイティさんの形見。何でこれがここに?…ああ、ひとりちゃん、間違えて入れちゃったわね。もう。
でも、今日は確か…サポートのお仕事は無いって言ってた筈。そうそうイレギュラーも無いだろうし…でも…何か…嫌な予感。
その予感が当たらない事を願いつつ、もう行動に移っていた。
ウチからライブハウスまでは、徒歩約10分。
トートバッグだけを担ぎ、早足でライブハウスに向かう。
お願い。この予感が当たらないで!
早足がいつの間にか駆け足になる。
もう、ひとりちゃん!今日何も無かったら足、揉んで貰うからね!
道程の中程、電話に着信。ああ、当たっちゃった!
一旦止まって電話を取る。
一応内容を確認してみる。
「もしもし?ひとりちゃん、どうしたの?」
一拍置いて
『ぎ…ぎだぢゃん………」
もうその時には駆け出していた。
「すぐ行く。ライブハウスよね」
一応確認。返事が無いのを返事として通話を切る。
ひとりちゃんは未だに、咄嗟の時や切羽詰まった時「喜多ちゃん」って呼んでしまう。
今がその切羽詰まった時。
ロンドンには「ハイパーひとり号」は無いけれど、車より速く届けてあげる!
ーーーーーーーーーー
3曲目が始まる。
相変わらず凄まじい存在感の、音。
何より、技術的に拙い他のメンバーを、置いてきぼりにしない。
もうそれは、技術では無い。
じゃあ何なんだろう。仲の良さ?合わせの上手さ?性格?
どれもわたしには足りない。でも、そんな事じゃ無い気も…
ああもうわからない!大事なサングラス忘れちゃうし!郁代ちゃんに迷惑ばかり掛けてるし!未だに自信が持てないミジンコ野郎だし!
もうこの際、自らトコトン「落ちて」みる。「死んで」みる。
そして
『生まれたんなら、生きるしか無いの!いま死んでしまった後の数十年の「いのち」を前借りして、それを力に進むしか無いの!』
郁代ちゃんが教えてくれた、いつかの言葉。
うん。そうだね。生きるしかないね。進むしか、無いね。
ありがとう。あいしてる。
心の中の溜まった澱を掬い取って、自分で空間を空けてみる。
その空いた空間に、「彼の音」を仕舞ってみる。
…うん。…ああ。そうか、そうだよね。うんうん。でもさ…え?「でも」は無し?うん、ごめんね。あ、そっか。そうくるのか。わかった。なんか、わかったよ。
その「音」と会話してみる。不思議と会話、出来てる気がする。何を言っているのか、何が言いたいのか…理解出来る…気がする。
いつの間にか笑顔を浮かべていたみたい。気が付くと、横に郁代ちゃんが座ってた。汗だくで。笑顔で。
「もう、大丈夫そうね」
わたしの大好きな笑顔で、そう言ってくれる。でもね、郁代ちゃん。たった今、全てが揃ったよ。
「ありがとう。郁代ちゃん…あいしてる」
郁代ちゃんは眼を見開いた後、満面の笑顔。
「うん!知ってる!…さあ、行ってきて。私のヒーロー」
ケイティさんのサングラスをわたしに掛けてくれる。
近付いたその笑顔に、口づけひとつ。
「…行ってきます」
☆
「さあ、これからはスペシャルゲストを呼ぶぞ。このハウスに来てるヤツは知ってるだろ?何しろスーパーヒーローだ!そいつの音は、世界を救うらしいぞ?それじゃ、来いよ!ヒトリ•ゴトウ!」
わたしの名前に気付いた人達から、津波の様な歓声が上がる。ギタリストさんも「おいおい!俺より歓声多いじゃねえか!」と愚痴っている。
彼の横に並ぶ。英語の拙いわたしに配慮してか、彼がゆっくりと喋り掛けてくれる。
「さっき弾いてた時、何か…お前と会話してたような気がするよ」
「わたしも、話し掛けられていた、気が、します」
二人してニヤリと笑う。
さあ行こう。
まだ、貴方に敵う腕じゃない。でも、この場ではそんな事はいいんですよね。
さっき聴いてて解りました。
ーーーこの場を、全力で楽しめ!ーーー
それがお前のやる事だ!
1、2、3、4…
行くぞ!
ーーーーーーーーーー
「なぁ〜ヒトリぃ〜〜〜、行こうぜぇ〜〜〜!」
はい私、絶賛絡まれ中です。
しょっちゅう絡まれる女、後藤ひとり、二十一歳。
先程やっと、彼の名前を聞きました。
心臓が止まるかと思いました。
彼の名を出せば、ギター好きなら必ず知っている名前です。
2週間程前に、アリーナのワールドツアーを終えたらしいです。
平均観客動員数、約35000人。
なに、サンマンゴセンニンって。
平均でだよ!?
その中に東京ドーム入ってるんだよ!?
確か…ゴマンニンくらい入るよ!?
この世界的なバンド低迷期に、だよ!?
その彼に、ツアーのお誘い受けてます。
ゲストとして、合間の2〜3曲で良いから!とか言われてます。
でも、ずっと帯同です。
無理です。死んでしまいます。
郁代ちゃんの目が怖いです。
マジギレ5分前です。
勢い余って、パブの壁に穴を開けそうです。…中指で。
「その話は、私を通してください」
青筋浮かべた笑顔って、妙に迫力あります。
「ン?何だ?イクヨがヒトリのスケジュール、管理してるのか?」
「まあまあ、落ち着けよ」
ケガニー…ケニーさんが宥めてくれます。でも彼は引き下がってくれません。
「だから…今腕を磨いてる最中だってんだろ?…そもそも、ヒトリに腕磨く必要ねぇじゃねーか!」
グラスに注いだストレートのシングルモルトがぐいぐい消えていきます。わたしはもう駄目です。放送席お返しします。それでは皆さん、サヨウナラー。
「ひとりちゃーーーん!」
久々に綿毛になったのを郁代ちゃんが掻き集めて、創造してくれました。完成途中、ちょいちょい郁代ちゃんが口に何か入れてたのは何でしょう?
「でよ?ヒトリ。おまえの技術は既に申し分ないよ。後は…ココだ!」
自分の胸を指で指す。それって…胸毛?いや違うな
「ケ、ケニーさんにも同じ事、言われました」
彼がケニーさんをちらりと見る。
「…うん。ヒトリは自分の中にあるもの…自分が既に獲得してるものを、出し切れてないような気がしてね。昔の君と同じように」
チビチビとウイスキーを舐めながら語ってくれるケニーさん。
「そうか…俺もな、若い頃は結構荒れててな。「何で誰も俺の事を解ってくれないんだ!」ってな。でも、それは「解ってくれない」って待ってても駄目なんだってふと気が付いた。「解ってくれない」じゃ無く、「解らせてやる!」って思ったのがギターを始めた切っ掛けみたいなモンさ」
グラスを煽り、遠くを見詰めるような…昔の自分を顧みるような…懐かしむような…そんな表情。
「ヒトリ。覚悟って…何か分かるか?」
唐突に彼に、そんな事を聞かれた。郁代ちゃんに訳して貰いながらなので、反応が遅れつつも答えてみる。
「…メンバー皆で上に登ってやろうって。その為には何でもしてやろうって。そんな気持ち…です?」
彼の意図が判らなかったので、つい疑問形になってしまう。
「…そうか。それは凄く「前向き」な覚悟だな。…でも俺は、もっと「後ろ向き」な覚悟から始まったんだ」
郁代ちゃんが訳してくれた彼の「ストーリー」
彼は余り恵まれない家庭で育った。
彼の父親は彼がまだ小さい頃は真面目に働く人だったらしい。
でも、ある日…仲間に騙されギャンブルに手を出し…それからは父親は「落ちて行く」一方で。
お決まりのアル中。暴力。特に彼と、小さな弟に対する暴力は酷かった。
彼が12歳の時、母親はそれに耐え兼ねて6歳の弟を連れて居なくなった。
彼は「自分は母親にさえ愛されていない」と思った。なにしろ、自分を捨てて居なくなってしまったのだから。
それからの生活は、更に地獄になった。
毎朝•毎晩のように続く父親の暴力。
「親父なんて死んでしまえ!」と思った。家を出たかった。でも、その年で自活なんて出来る筈も無く。
父親は最低限の生活だけは提供してくれた。ほんとに、最低限。
いつも飢えていた。身体が。心が。常に荒れていた。
そんな時、ガールフレンドが出来た。嬉しかった。心の拠り所だった。
しかし、彼女の父親は「そんなロクデナシと付き合うな!」と無理やり引き離された。
彼女は、遠い学校の寮に放り込まれた。
また、1人になった。
「こんな事になるのは全部親父のせいだ!」
父親を殺してやろうと思った。この手で。…でも、それは叶わず。
ある日の夜、家に帰ると父親がくたびれたソファーの上で血を吐いて動かなくなっていた。
何しろ、医者に掛かる金さえ無い。相当内蔵を悪くしていたんだろう。
まだ幾らか息はあった。でも、彼はそのまま放って自室のベッドに潜り込んだ。
謎の高揚感があった。朝になれば、全てが終わる。…全てが。
そして朝になり…冷たくなった父親を見下ろし…彼は悟った。
ああ…これで全てが無くなった。本当に、孤独になったのだ、と。
彼は冷たく動かない父親の前で泣きじゃくった。全ての水分を尽くして、自分も死んでしまえ、と。
でも、そんな事で死んでしまえる訳も無く。
生きるしか無かった。生き抜くしか、無かった。
それからはヤバい事も散々やった。犯罪スレスレどころか、犯罪に手を染めるまで。
ある日警察に捕まって。
更生施設の中で、年上の男にギターを教えて貰った。
身体に電流が走った。これだ!これしか無い!と。
自分の後ろ向きな人生を表現出来るのは、これしか無い!コレでこの泥沼から抜け出してやる!
施設を出てからはただガムシャラに「ソレ」を追求した。
歳を誤魔化してライブハウスで働き始めた。
ケニーさんのライブハウスだった。
ケニーさんはその頃、まだスタッフの1人で。
荒れた彼のギターを評価しながらも、「気持ち」を教えて貰った。
それからは只ひたすらに。ひたむきに。
「…彼女さんは…どう…したんですか?」
聞いてから、しまった!と思った。穏やかな話になる筈が無い!わたし、いつも余計な事聞いちゃう!
でも彼はとても穏やかな顔で。
「ああ。彼女はアメリカの寄宿学校に入れられててな。成人してから彼女に逢いにいったんだ。そこの地元で働き始めてて。その時、俺も幾らかは稼げるようにはなってたんだ。そんで顔合わせて…まあその後はお決まりの結果さ」
呟くように彼が言う。その表情からは感情が伺えない。
上手く…行かなかったのか………
落ち込むわたしをフォローするように、ケニーさんが説明してくれる。
「今は、アメリカで2人、上手くやってるよ。子供も居る」
…なんだぁぁ!…良かったぁぁぁ!
「な?お決まりの結果だろ?」
彼が「イタズラが成功」したようにニヤリと笑う。
ああもう!騙された!
彼は話を続ける。
「彼女にはガンをわたしてある。もし俺が道を踏み外したら、すぐに撃ってくれって。そうしたら何て言ったと思う?「わかった。貴方を撃ち殺して、私も死ぬわ。子供達は大丈夫。だって、強い子達だもの」だってよ!」
彼は大笑いして伝える。本当に、今を大切に生きているような。
…覚悟って、こういう事なのか…
「だからな?俺の覚悟は常に「後ろ向き」なんだ。自分の選択肢を全部潰して、「その道」にしか進めないようにする。「ああすれば」とか「こうしてたら」とか一切考えない。…何しろ、後ろにも横にも道は無いんだからな!そして死ぬ時、彼女と二人して「天国のドアをノック」するのさ。「開けてくれ!」って。「俺は悪い事はしたが、酷い事はしてない筈だ」って」
涙が出そうだ。感動の涙とか、そんな安っぽい感情じゃなく。
「だからヒトリ。お前は自分の中に「絶対の軸」を持て。後ろ向きな性格じゃ、それも難しいだろう。…だがな、それで良い。すぐに倒れそうな「軸」で良いんだ。その「軸」さえ壊れなければ。そうすればお前の周りの仲間が支え、起こしてくれる」
郁代ちゃんを見る。潤んた瞳で「うん!」と言ってくれる。
ああ…わたしは、ほんとうにしあわせものだ。
「だからヒトリ!俺と一緒にツアー回ろうぜ!お前に惚れたんだ!お前は唯一無二だ!お前が欲しい!I Want You!」
その言葉を聞いて、今まで静かに聞いていた郁代ちゃんから、何か…真っ赤な炎が昇っているような…顔、顔が怖いですよ!
最後の言葉を郁代ちゃんは訳してくれない。な、何か「アイウォンチュー」って聞こえたような。え?誰の事?わたし?え…えへへ!世界的なギタリストを虜にするわたし後藤ひとり21歳。…あ、郁代ちゃんから立ち昇る炎がまるで…地獄の業火のようだ!アーキレイダナー!
「私のひとりちゃんを口説かないで下さい!!!」
そのヘルボイスは、流石ボーカル。広いパブの隅々まで木霊しました。
ーーーーーーーーーー
打ち上げが終了した後。郁代ちゃんと手を繋いで、帰路に着きます。
口説かれた後も色々な話をした。特に彼は作詞もやっているので、その事についても。
「いいかヒトリ。詞ってのはただ思った事でいいんだ。難しい言い回しなんか要らない。それを聴いてるヤツに突き刺すのは、曲でありボーカルなんだ。一人で全部こなすヤツなら良い。でも歌うのはイクヨだろ?ならイクヨはヒトリの心に深く潜り込め。全部を掬い取れ。ヒトリと融合して、自分の存在が判らなくなるくらい。それで初めてヒトリと分離して、イクヨの声、イクヨの心で出力するんだ」
最後に両腕のタトゥーを見せてくれた。
片腕づつ刻まれた、翼のタトゥー。
「彼女にも同じタトゥーが入ってる。それぞれのニックネームを入れてな。これで俺達は空を飛ぶ。最後には天国まで、な。ま、地獄かもしれんが」
はにかんだような笑顔が印象的だった。「こんなところも、後ろ向きな覚悟さ」と言いながら。
☆
「郁代ちゃん」
思わず呼び止める。
彼女は「なあに?」と言いながら若草色の瞳を向けてくれる。
「わたしは…わたしは、ずっと後ろ向きでした。前を向く勇気が無かった。そして、後ろを振り返る勇気も、無かった」
「………」
郁代ちゃんは、黙ってわたしの話を聞いてくれる。目だけは逸らさずに。
「だからね…取り敢えず、今迄のわたしを認めてあげよう…理解してあげよう、と思います。まずは、そこからです。…今更ですけどね」
「うん、良いと思う」
最愛の人が、微笑みをくれる。この世の何よりも美しい、その微笑み。
「今日、メアにね?言われたの。「ヒトリの想いを…貴女の熱で、吐息で表現するの。そしてヒトリの音が皆の手を離れて飛んで行きそうな時、イクヨが繋ぎ止めてあげて」って。その時、私の役割がやっと…解ったの。私の役目は、ただ主張するだけじゃ無かったの。やっぱりひとりちゃん、貴女と…貴女に寄り添うの。それが「バンド」なの。私は、ただ「歌い手」じゃないの。ただ「サイドギター」じゃないの」
郁代ちゃん。貴女はやっと道が見えたんだね。わたしも…
「わたしにも、道は…見えるかな…」
それを聞いて郁代ちゃん、ちょっと怒った顔。怒った顔もかわい…じゃなくて!なんで怒ってるの!?
「ひとりちゃん!?日本に居た時から私散々言ってたよね!?貴女は輝いてるって!…つまりね?道はあったの、そこに。輝く道が。皆には見えてたの。唯一人、ひとりちゃんだけが見えて…見てなかったの。俯いたまま。たから、前でも後ろでも良い。顔を上げれば…見えるの」
そっか。皆、見えて…見ててくれたのか。ごめんね…いや、ありがとう。皆、ありがとう。皆、あいしてる。
「…郁代ちゃん。あの、その…お願いが…あるんだけど…あいや、聞かなかった事にして!うん!ご、ごめんなさ…!」
がしりと両のホッペを掴まれる。無理矢理目を合わされる。
「そこまで言ったんなら、言ーいーなーさーい!…大丈夫よ!貴女になら、噛まれても噛み切られても良いわ!…口と両腕は残して置いて欲しいけど」
…郁代ちゃん。貴女は優し過ぎる。
「…あの…ですね…。入れませんか?………トゥ」
「え?なに?」
ええい!言ってしまえ!
「タトゥー、一緒に入れませんか!」
言ってしまってから、即座に後悔する。だって、そんなモノを入れてしまえば…少なくとも日本では「はみ出しモノ」の烙印を自ら押してしまう事になる。わたしだけならともかく、郁代ちゃんまで「逃れられない道」に引き摺り込む事になる。顔を固定されてるので、目線だけがどんどん下を向く。余り下を向けないので、「シモキタの壁」を何となく眺める。と。
「あはっ!」
まるで破裂するような笑い声が聞こえ、ついまた目線を合わせてしまう。そこには…満面の笑顔の、郁代ちゃん。
「私と同じ事、思ってた!」
あ…え…?
「…同じ?………」
「そ!私もね?さっきのパブでの話を聞いて、思ってたの!」
得意気な顔をわたしに向け、説明してくれる。
「まぁ、彼の真似みたいになるけどね?でも、私もそんな覚悟よ!…貴女と生きて、貴女と死ぬ…覚悟」
身体に傷を入れ、その傷を背負って一生生きていく、覚悟。
…貴女はやっぱり、凄いや。
後藤ひとり、一世一代の決意!
「郁代ちゃん。…わたしと生きて、わたしと死んで下さい!これからも…宜しくお願いします」
「何か、プロポーズの言葉みたいね。でもそうか。それは結婚指輪みたいなものね。一生切り離せない」
涙ぐむわたしに軽い調子でそんな事を言ってくれる。やっぱり貴女を…君を、離せない。離したく無い。
☆
数日後。
トッドさんに紹介して貰ったタトゥーショップで入れて貰った。…いざ入れるまで怖くて散々ゴネたのは内緒。
わたしは左の肩甲骨の辺りに片翼のタトゥー。その下に「H to I」と。
郁代ちゃんは右の肩甲骨の辺りに片翼のタトゥー。その下に「I to H」と。
これで、二人で合わせて飛んで行く。どこまでも。
これが、わたしの…わたし達の「後ろ向き」な、覚悟。
2人の後ろ向きな覚悟。