金沢八景にある一軒家。そのリビング。
後藤美智代は壁に掛けてある「ソレ」に対して丁寧に手を動かしていた。
周囲は立ち昇る蒸気とスチームの音。
丁寧に、丁寧に手を動かし、スチームアイロンを当てる。
「全く…。縛り付けてあると綺麗にするのも骨が折れるわね〜」
ひとりのジャージと郁代の制服。
それを、まず埃を払い、その後アイロンを当てていた。
「ん。綺麗になったわ〜。これで帰って来た時に着られるわね!」
ひとりはもうジャージなんて寝る時と動画配信の時位しか着なかった(ひとり曰く「配信の時格好が変わってると、だ、誰だか気付かれないし!そもそも普通の格好してたら「調子に乗ってるで賞」で垢BANされる!」との事)。郁代に至っては、高校を卒業したのは数年前。今着たら、只のコスプレだ。美智代もその辺は分かっている。…偶にひとりの高校時代の制服を着て「謎の活動」をしている美智代に言えた義理では無いが。
でもそれと「親の愛情」とは別の所にある。着なくても綺麗にする。それが親というもの。
「そう言えばひとりちゃん、向こうでどんな格好してるのかしら?」
日本に居た頃は、買って来てあげた可愛い服は悉く拒否された。…似合うのになぁ。
自分で服をチョイスするように(喜多ちゃんセレクトだけど)なってからは、ジーンズばかりでスカートはまず履かなかった。
喜多ちゃんも苦心してたっけ。
「ひとりちゃんが可愛い格好してくれないんです!」って。
結局持っていった服も、ジーンズ2本と上はシャツばかり。まるで男の子みたいなカッコ。
唯一可愛いのが、喜多ちゃんセレクトの赤いモコモコなジャケット。でももう暑くなり出すから、それも着ていまい。
気になる…気になるけど…頑なに連絡くれないから確かめようも無い。
「喜多ちゃん。…宜しく頼むわね………」
届かぬ願いを遥かな空に託す美智代であった。
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東京にある、とあるマンション。その一室。
「郁代の車、もう車検じゃないの!」
届いた封筒を開け、その内容を久留代が確認した所郁代が親戚から譲り受けたピンクの軽自動車が今月車検を迎えるとの事。開封するのが遅れた為、もう数日後に迫っている。
「…もう!」
そのまま車検を切らしてしまおうかとも思ったが、そこは親。要らぬ面倒を見てしまうものである。
「ねえあなた!郁代の車、車検に持っていって!」
亭主を探してリビングまで来る。…何か呑気にテレビのお笑いを見てゲラゲラ笑っていた。別に悪い事をしていた訳では無いが、何かイラッと来た。
「あははは!………え?郁代の車、車検?」
「そう!持って行って!私じゃ何処に行けば分からないから!」
「ふぅん。…あ、そうだ!それじゃついでにドライブ行こうよ!ほら、この間見てたドラマの撮影スポットの所!」
それは良いのだが、その後車を(何処かは知らないが)車検に渡したらどうやって帰って来るのだろう。
それを伝えると、「そうしたら電車で帰って来れば良いよ!」と呑気な答え。…やっぱり郁代は貴方の子ね。
「…いいけど」
「じゃあ行こう!」
そそくさと準備を始めた。こういう行動力もあの子に通じるわ。
二人準備をして、車の所まで降りてくる。亭主がリモコンキーで解錠すると、助手席に乗り込む為にドアを開け………暫く固まった。
「…なにこれ………」
助手席のシートに掛けてある、いや「乗せて」ある見覚えのあるピンクジャージ上下。ご丁寧に人が乗る様な格好で置いてある。まるで「誰かさん以外は乗せない!」と郁代に言われているように。
わが娘ながら、薄ら寒い感情が湧く。
大丈夫か?ウチの娘
郁代に後で何か言われない様に、丁寧に畳んでわざわざ部屋まで持っていく。ジャージに傷や汚れなんか付けようものなら娘に何を云われるか分からない。あの子は絶対そういうチェックをする。絶対。
車まで戻り、乗り込む。ダッシュボードの上に[はいぱぁひとりごう]とピンクのPOPが踊っているのは見なかった事にする。と、
「郁代はホントに後藤さんが好きだねぇ」なんて運転席の方からあははと笑い声。
私にはそれ以上の感情を感じるのだけど。
元モノ書き志望の勘が訴える。
向こうの国は「ソウイウ」国だ。もし二人してタトゥーなんか入れてきた日には、卒倒してしまうかもしれない。
一抹の不安を感じながらピンクの車(ハイパーひとり号)は静々と出発した。
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今日は暑いなあ。まだ夏本番手前なのに。
周りの人達の香水の匂いが強くなってくる。
欧米人は、体臭を紛らわす為に香水を使うと聞いた事がある。
それに比べると、如何に日本人の「無臭」な事か。
「ひとりちゃーん、行こー!」
一階から声を掛けられ降りて行く。そして郁代ちゃんと顔を合わせる。ああ郁代ちゃん良い匂い。落ち着く香り…なんて思ってると、一言。
「…ひとりちゃん…」
わたしを見て、瞳のハイライトが消える。…久々に見たなあ、その目。じゃなくて!
「な、なんでしょう、か?」
その目をされる原因が判らず、疑問を返す。また知らないところで何かやったのかわたし!え、でも声を掛けられた時のテンションは普通だったし!その後!?わたしを見てから!?
パートナーに見られた瞬間から不快にさせる女、後藤ひとり。…泣きそう。
「ひとりちゃん?気に入ってるのはわかるけど、それは無いんじゃない?」
え?なにが?顔!?わたしも自分の顔は別に気に入って無いし!
身体!?身体も余分な山が2つ付いてるだけで気に入って無い…いや寧ろ邪魔!でも取ろうとしても取れないし!
「…暑いでしょ?ソレ」
トレンチコートの襟を摘む郁代ちゃん。あ、そう言う事か…
「…脱いできなさい!」
「あ、はいっ!」
ダッシュで部屋に取って帰り、トレンチコートをハンガーに掛けてからダッシュで一階に戻る。
「ぜぇ…はぁ…置いて…来ました」
え?…まだ目が冷たい!何故!?
「なんで…コートの下、ブラジャーだけなの!?ヘンタイ!」
だって暑かったから…へへ。じゃあ最初からコート着るなって事ですねそうですよね。
散々怒られた後、また部屋にシャツを取りに行くのでした。
☆
今日は郁代ちゃんと夏用の服を買いに行く。こっちに来た時は晩秋くらいだったので夏用は敢えて持たなかった。
何時まで居るか、居られるか判らなかったので。
あと四ヶ月もすれば一年かぁ。長いような短いような。
…色々あったなあ。何か、凄い人達とばかり縁が出来た。
こっちに来てから出来過ぎな事ばかり。幸運ばかり拾えて(まあ湖には飛び込んたけど)、後が怖いくらい。
メアリさんとレベッカさんのレッスンは、いまだに続いている。郁代ちゃんの歌もギターも素晴らしい成果が出て来た。歌手としても独り立ち出来る位には。
でも本人はあくまで「私はギタボよ!」って言っている。ギターを掻き鳴らし、歌を歌うのが本分だと。「バンドの声」なんだと。
わたしもたまにレッスンに付いて行く。そうすると出迎えた二人がとても歓待してくれる。
レベッカさんなんか「ヒトリ、ギター弾こう!ギター!」って誘われて、レベッカさんと二人で気が済むまで弦を掻き鳴らす。メアリさんと郁代ちゃんの冷たい視線を受けながら。
このアパルトメントはミュージシャン御用達らしく、大きな音でも誰も気にしない。それどころか、気が付くと他の部屋の人がいつの間にか演奏に加わっている。
ボーカル二人も、呆れながら歌声を合わせて来て。即興の、とても楽しいライブコンサート。
帰る頃にはレベッカさんに必ず抱き締められて。きょ、巨乳が!………郁代ちゃん、目が怖いです。
対抗とばかり、郁代ちゃんはメアリさんと抱き合ってる。…郁代ちゃん。こちらをチラリと見るけど、メアリさん程の人だと嫉妬も湧きません…
ギタリストの彼は、たまにライブハウスに顔を出す。
あのセッションの日の後で知ったけど、あの時の一曲目「Stairway to Heaven(天国への階段)」はトッドさんの妹さんへ手向けた追悼の曲らしい。亡くなってからのライブの一曲目は必ず演ってくれるとトッドさんが言っていた。
たからなのかな。あれだけ情感の籠もったプレイだったのは。
まさしく「プレイ(祈り)」だ。
歌詞を直訳すると、余り良い意味には聞こえない。それどころか何かを皮肉っているような内容。
詞を書いたロバート・プラントもはっきりとは意味を言及してないようで。
でも、だからこそギタリストの彼の、とてもヒネくれた「哀悼」なんだと思う。
だってあんなに奥さんを愛する「彼」が、書かれた詞の通りの意味で歌う筈無い。あんな泣くような、天に届くようなプレイをする筈無い。
実際トッドさんも涙を流していた。それが、全て。
そのギタリストの彼から、わたしの顔を見る度に勧誘を受ける。
「ヒトリ。お前が闇雲に「ビッグになりたい」なんて思ってない事は解っている。お前はお前のバンドと共に、信念を貫きたいんだろう。でもな、そんなお前だから、俺は一緒にプレイしたいと思っているんだ。これは恋だ。いや、それ以上だ!」
…もし郁代ちゃんが聞いたら、ブチ切れると思います。流石に言えません。
何回も誘われ、何回も断って…ようやく諦めてくれました…ホントかなぁ。
「わかったよヒトリ。じゃあ、お前のバンドと一緒に演るのは良いんだな。日本に帰って決心出来たらケニーに連絡入れてくれ。そうだな…取り敢えずこの近く…O2アリーナ辺りで一緒に演ろう。待ってるぞ」
おーつーありーな?………って!あのロンドンのO2アリーナ!?収容何人だっけ!?えーと…20000人!?
「マディソンスクエアガーデンとかラスベガスのアリーナでも良いけどな」
あばばばば!!!スケールが!スケールが違い過ぎる!
辿り着く前に屍になる!
「つまりだ。お前はそれ位は埋められる。あとはお前のバンドメンバー次第だがな」
えらい約束(まだしてないけど!)をさせられました。これリョウさんに伝えたら、ニヤリとしながら膝がガクブルになると思う。
そもそも、郁代ちゃんといいわたしといい、凄い人と繋がり過ぎ!何なのこの運!今まで陰に隠れてたわたしへの、神様の嫌がらせなの!?もうこれ「ギフト」じゃないよ!嫌がらせだよ!
ずっと、頭を抱えるわたしでした。
ーーーーーーーーーー
手頃な価格の服屋に入る。
ひとりちゃん、放って置くと持ってる服だけ着回して終わっちゃうからなあ。
店内を見て回る。何と無く…ちょっとくすんだ色の服が多いのかな?
以前何処かで聞いた話。その国によって、同じ色でも見え方が違うらしい。
その国の気候風土で育って、その土地の人が色を見ると…例えば「黄色」でも、その目を通すと「ビビッド」だったり「シック」だったりするらしい。カラーコード的に同じ色、でも。
国によって色の見え方が違うなら、「音の聞こえ方」だって、多分違うんだろう。
凄くドライに聴こえたり、又は穏やかに聴こえたり…
様々な聞こえ方をする人々を相手に、ツアーをまわるって凄く大変そう。…あ、逆か
こっちの出力は同じで、聴いてる方の心に委ねるのかな。
多分、聞き手の心は国どころか個人で千差万別。
例えば歌詞に「痛い」と入れれば、人によって足か、手か、頭か…心か…聞く人の経験、感情に委ねられる。
それはとても怖い事。誤解されるのを承知で、委ねないとならない。
でも、それでも良いのか。ひとりちゃんが以前書いた「いったい何が正解なんだ」っていう歌詞。
悩んで、見つけて、進んで…また悩んで。それの繰り返し。
ひとりちゃん。作詞してる時、何考えてるの?貴女は全部意味を見付けてるの?それとも…幾らか私に委ねてるの?
これはひとりちゃんに聞けば解決する訳じゃ無いと思う。だって結局、彼女の言葉を聞いた「私の脳」の判断になっちゃうから。「私」は「貴女」じゃ無いから。
だから、それだから私は私の方法で貴女に「潜る」。
貴女に「入り込む」。貴女を壊さないように貴女の中を「掬い取る」
たかが歌、たかが音楽…って誰かは言うかもね。
でも、その「たかが音楽」に命を削る思いで掛けている「後藤ひとり」という人間が居る。
それなら私もその「たかが」に命くらい掛けてやる。
「後藤ひとり」に掛けてやる。
ひとりちゃんに、私の命くらい、かけてやる。
音楽は、人が産まれてから死ぬまで付いてくるもの。
何処かで必ず耳にするもの。
お腹の中に居る時、お母さんの心音は赤ちゃんにとっての「唯一」の音楽。お母さんの話す響きは「安らぎ」の音楽。
人が死ぬ時、火葬なら自分の肉が、骨が燃えてゆく音、土葬なら微生物が自分を喰んでゆく音は自分にとって「終末」の音楽。お経やレクイエムは終わった自分が「赦される」音楽。
ひとは音楽に囲まれている。音楽からは逃れられない。
音楽と共に、生きている。
「…ちゃん、い、郁代ちゃん………どうしたの?」
私は、ひとりちゃんの身体に服を当てがいながらその首筋に鼻を寄せ、スンスンと匂いを嗅ぎ続けていました。ほぼ無意識。
「………癖」
「…一言で終わられた………」
☆
服を買い終え、今はストリートミュージシャンの溜まり場のような通りを歩いています。
こちらでは「バスキング」って言うみたい。そして演者は「バスカー」。
あちらこちらから様々な音が響いて来る。とても賑やかで、楽しい空間。
それらを眺めつつ歩いていると
「よおヒトリ!」
いきなりひとりちゃんが呼び止められた。
「あ、え?…」
挙動不審になるひとりちゃん。まだこういうの、慣れて無いのね。
「ヒトリ!ここだよ!」
声のする方に顔を向けると、ひとりちゃんが「ああ!」と安堵の声を出す。
そこに居たのはライブハウスのスタッフの人。まだ20代くらいかな。私も面識がある。
「アルさん!こんにちは!」
「やあイクヨ!ショッピングかい?」
彼はアルフレッド。通称アルさん。ウェーブの掛かった茶色のセミロングの髪を後ろで束ねている。
「アルさん。こ、こんにちは!」
ひとりちゃんも挨拶を交わす。
「ヒトリ。そのシャツ、リバティープリントの可愛いシャツだね。イクヨのもチンツ柄のシャツ、とても似合ってるよ」
「ありがと!アルさん」
やっぱり欧米の人は女性を褒めるのが上手。
「ア、アルさんは、いつもここで?」
「ああ、この間やっとライセンスを貰ってね。早速連日ここで演ってるのさ。しかし、ヒトリ。英語が上手になってきたね!」
「ス、スタッフの皆が教えてくれるお陰です」
ロンドンのストリートでパフォーマンスをするのには、ライセンスを取得しないといけないみたい。つまり、無闇矢鱈にはできないんだ。
「まあちょっと聴いてくれよ!ギターヒーローに俺のギター聴かせるのは恥ずかしいんだけどさ」
そう言いながら、ギターを奏で始める。彼のギターはレスポール。ひとりちゃんが最初に弾いていたのと同じ形。「250ポンドで弟の友達からせしめたんだ!」と語っていた。
彼のプレイはまだまだ上手とは言い難い。でも、音が弾んでいる。音が「楽しい!」と言っている。弾いてる本人も、とても楽しそう。
ひとりちゃんが「グラムロック?」って呟いてる。
ギターケースにお金を入れようとすると、「ヒトリ達からは金取れないよ!」と断られた。
「でも…」
アルさんはちょっと困った表情を浮かべた後、「そうだ!」と一言。
「ヒトリ。ちょっと弾いてみてくれないか?それがチップの代わりだ」
ひとりちゃんは困った顔を浮かべつつ、それでも何処か嬉しそうな表情。尻尾が生えてたら、忙しなくパタパタ振ってそう。今日は自分のギター持ってないけど、隙あらばギター弾きたいのは相変わらず。まったく、もう。
「え、でも良いんですか?勝手に弾いちゃ………」
「今は監視員が居ないから大丈夫だよ!是非周りの奴に「ギターヒーロー」のプレイを叩きつけてやってくれ!」
…なんかすっかりここの地でも「ギターヒーロー」の名前、広まっちゃったなぁ。まぁ、ほぼ私のせいなんだけど。皆に動画の布教をしまくっちゃったから…
じゃあって感じで、ひとりちゃんがアルさんのギターを借り受ける。ストラップを肩に掛け、ギターをひと撫で。まるで懐かしむように。
それからおもむろに右腕を振り上げ、一気にダウンストローク!
その瞬間
雷鳴が轟く!
鳴り響く!
打ち付ける!
身体に、響き渡る!
ひとりちゃんは余りに嬉しいのか、後の事なんかまるで考えないような、激しいプレイ!
私も夢中で聴いていたけど、ふと気が付いて周りを見回すと凄い数の観客!観光客どころか周りで演奏していた人達も自分の手を止め聴き入っている。
ひとりちゃん中心に輪が出来る。物凄い、輪。人の数。
本人は汗を振り撒いて、周りの事なんか一切気にせずプレイを続ける。
ここが爆心地だ!グラウンド・ゼロだ!
最後は手遊びのようなアルペジオ。余韻を残し、演奏が終了………瞬間
ドォンと!
爆発したような歓声。ホントに何か爆発したかと思った!
歓声が渦を巻く!旋風が起こる!ひとりちゃんが溶ける!いや溶けちゃダメ!
直後
「君達は、ライセンス持ってるのか?」
人を掻き分け、監視員?の人が聞いてくる。マズい!
どうしようか悩んでいると、周りに居た演奏家達が監視員さんに話し掛ける。
「おいアンタ!今の演奏を聴いて何も思わなかったのか!?」
「そうだよ!聞こえて無いのか!?アンタの頭の中には、ずっとビッグベンでも鳴ってるんだろ!」
「いやしかし………」
監視員が戸惑っていると、周りの演奏家達から「早く行け!」とウインク。
お礼を言いつつ私はひとりちゃんをアルさんのギターケースの中に、アルさんはギターと機材を引っ掴んでその場を退散。取り敢えずアルさんの後を付いて行った。
☆
「ここまで来れば大丈夫だろう」
アルさんと路地裏で人心地つく。その間にひとりちゃんを成形。暫く後、やっとひとりちゃんが復活する。
「ア、アルさん…ごめんなさい!」
ひとりちゃん、渾身の土下座。額が石畳にめり込みそう。
「…それは何かに祈ってるのかい?…まぁいい、ヒトリ。謝る事じゃないよ。寧ろ、最高のショーを見せて貰った!やっぱり素晴らしいパフォーマンスだよ!ヒトリ。君はやっぱりギターヒーローだね!」
もう、アルさんの目がハートマークにでもなってそう。…ひとりちゃん、次々に誰かを惚れさせるのは余り感心しないわ。自重して!
「わ、わたしなんかまだまだで…」
俯きながら答えるひとりちゃん。
ほら、そんな事言うからアルさん目が点になってる。
「ヒトリ。君が「まだまだ」なんて言ってたら、神だって「私はまだまだ」って言うよ!君のプレイは最高にホットで、最高にセクシーだよ!」
抜け切らない熱を抱えるように、アルさんが熱く語る。
「…ありがとう、ごさいます…」
はにかみながらも納得していない表情。ホントに褒められ慣れてないんだから。
「…そうだヒトリ、イクヨ。ちょっと変わった所に行かないか?お礼に一杯奢るよ」
ーーーーーーーーーー
連れて来られたのは路地裏の一角。こじんまりした建物の前。…パブ…かな?
看板には「The28Club」と書いてある。
28…クラブ?…あ!
「ア、アルさん!コレ…この名前って、「The27Club」をもじってます?」
「ザ•トゥエンティーセブン•クラブ?」
郁代ちゃんが聞いてくる。普通は解らないよね。
「良く解ったなヒトリ。そう。まさしく「The27Club」のパクりだ。」
The27Club(27クラブ)ーー27歳で亡くなってしまった偉大なアーティストたちを纏めて呼ぶ名称。
ジミ•ヘンドリックス
ブライアン•ジョーンズ
ジャニス•ジョプリン
ジム•モリスン
カート•コバーン
マーク・ボラン…は違ったか
最近だとエイミー・ワインハウス
…………………
「つまり、27歳で死ねなかった…偉大に成れなかった連中の…掃き溜めさ」
ちなみにアルさんはマーク・ボランが好きらしい。
偉大なくせに30近く「まで」生きたから…だそうだ。
だから…レスポール。
店内に入る。何処と無く退廃的な雰囲気。小綺麗なんだけど、薄汚れているような。
カウンター内のマスターに注文する。
マスターは自分の歳を「ダブル27」と言っていた。つまり54歳。
皆「27」から足したり引いたりした年齢を言う。
30歳なら27プラス3
44歳なら27プラス17
28歳を超えないとここの入会資格が無いらしい。
26歳でも「あと1年あるだろ」となる。
ちなみにアルさんは29…27プラス2歳。マーク・ボランが死んだ年。
さっきから郁代ちゃんが一言も喋って無い。呆気に取られてるような、ここに居ちゃいけないような、足元の覚束無さを感じてるんだろうか。
「ヒトリ、紹介するよ。…夢破れたギタリストだ」
紹介された人は、伸び放題の髪と、顔が半分埋まってるような髭だらけの顔の人。
軽く挨拶を交わし、彼のギターを聴かせて貰う。どうやらブルースギタリストみたい。
……………
え!?凄い!
揺蕩うような音の波に、裏打ちされた確かな技術。うそ!この人これでプロじゃ無いの!?
確実に、以前聞いたことのあるブルースギターよりも巧い!
一通り弾き終わると、ふぅとひと息。わたしに話し掛けてくる。
「どうだ?俺は下手かい?」
「全然!…ていうか上手過ぎます!ほ、本当にプロじゃ無いんですか!?」
彼は苦笑いで答える。
「ああ…プロに成り損ねの死に掛けさ」
彼曰く
自分には運が無かった。レーベルと契約寸前まで行ったけど、「売り」が無かった。売る為の「ストーリー」が、無かった。
実力があるだけじゃ売れない、厳しい世界。運だけでは続けられない、厳しい…世界。常に付加価値を求められる、過酷な、世界。
売れるのが全てじゃ無い。と言う人も居るけれど。
それは売れなかった人の戯言。
売れた人の妄言。
周りに惑わされず自分を貫くって、言葉で吐くよりもよっぽど過酷だ。
売れるのが悪なのか
売れないのは善なのか
運はどうやって積み重ねるのか
技術は運を凌駕出来ないのか
「ひとりちゃん、そろそろお暇しましょう」
郁代ちゃんに言われて、やっと我に返る。相当深くまで考え込んでいたみたい。
店を出る時、アルさんが声を掛けてくれる。
「ヒトリ。悩みを解決して上げようとして、余計悩ませたようで済まなかったね。でも、アリーナに立つ…スタジアムでプレイする…そんなヒトリを見てみたいのは、本音なんだ。そして何十年も君臨して、Rock and Roll Hall of Fame(ロックの殿堂)に名を連ねてくれ!」
とても冗談と思えない表情で伝えられた。
ーーーーーーーーーー
帰路に着きながら考える。
運…て?
認められなかったのを、「運が無かった」で済ませちゃうの?
それでいいの?
それで…納得出来るの!?
わたしの左肩の「翼」が疼く。
「お前は飛べるのか?」と悪魔の囁き。
飛び立とうとした瞬間に、地獄へ真っ逆さま…なんて。
そのまま郁代ちゃんを引き摺って。
勝手にわたしだけ落ちてけば良いのに。
思えば、日本じゃ誰も「運」なんて言ってなかった。
言ってたかもしれないけど、印象には残って無い。
多分、皆が思ってる事なんじゃないかな。運、て。
売れれば実力
売れなきゃ運の悪さ
運任せ風任せ
あーアナタは運が無いのでダメでーす!
あーアナタは実力が無いので余計ダメでぇーす!
自分は運がバリ5で充電ヒャクパなので、何やっても上手く行きまーす!
自分の気持ちを転嫁出来る魔法の言葉が、「運」
考えても答えが出ない…どころか、考える程遠ざかって行くんじゃねぇの!?運。
ああもうやーめた。考えるのやーめた!アッカンベー!
…なんて、やめられる訳無いよ!
そんなクソみたいな思考のループに嵌まっていると
いつぞやのように頬をガッシと掴まれる。
虚ろな瞳を前に向ける、と。
「!………う、うむ……ん!」
唇を奪われた。
思いっ切り吸い付かれる。最早キスじゃなく、吸引。
鼻呼吸3回分ほどの空気を、全て奪われる。酸欠で頭がぼんやりする。
…………………
……………
………
スポン!と音がするように唇が放れてゆく。
その離れてゆく顔は、わたしが世界一大事な…唯一の大切な…顔。
「ひとりちゃん、戻ってきた?」
「………はい」
ニコリ、と太陽のような笑顔で
「とても考えるのは、良い事。でもね、「自分に潜り過ぎる」のは…ダメ。私を置いていかないで」
わたしを常に照らしてくれるその笑顔で。
「ね。貴女が孤独に飛んで行きそうなら、私が何回でも引き戻す。連れ帰る。そして一緒に「飛んで」行こ!」
貴女は、そう言ってくれる。
「二人一緒じゃなきゃ、飛べないんでしょ?」
わたしの右手をきゅうと掴み、指を絡ませ、ああ…これで準備完了だ。
「さ、「翔ぶ」わよ!」
そのまま二人で駆け出す。
夕暮れの朱の中、飛んで行く。
二人並んで。同じ足並みで。
結局、「運」なんて自分でチャージ出来る筈も無く。
「ストーリー」なんて自分で喧伝するものじゃ無く。
でも…「運」を手繰り寄せる努力なら、出来るかも。
ーーチャンスの神様は、前髪しかねーんだわーー
廣井お姉さん。チャンスを掴むのは、チャンスを手繰り寄せるのは…自分なんですね。
夕暮れの中、進んで行く。
朱の中へと、朱の先へと飛び出してゆく。
光の中へ、手を繋いで。
今を
明日も
もっと
きっと
何処までも!
ーーーーーーーーーー
翌日
「…ひとりちゃん?」
「ど、どうしました?郁代ちゃん」
「なんでまたトレンチコート着てるの!?でどうしてまた下はブラジャーだけなの!?このヘンタイ!!!」
…そろそろ愛想尽かされる気がしてきた。