「…いま頃は、もうイギリスかな?…ああ、まだ飛行機の中か…」
晴れ渡る病院の前の空を見上げ、わたしは呟く。
「確か…日本から何十時間?十何時間?だっけ?」
音楽と、バンドと、あと虹夏の事以外にリソースを割く事を拒否するわたしの頭は、そんな曖昧な答えを導き出す。
しかし…あんな豆腐メンタルなぼっちが、良くイギリス行きなんか決断したもんだ。
わたしだったら、一月…一週間………3日虹夏と離れてたらおかしくなってしまうだろう。
「…そっか………」
だからか。
だから、あの時郁代の発言に背中を押されたのか。
多分、ぼっち一人きりだったら…まあ、最近かなり追い込まれてたんだろうけど…それでも、ぼっちだけだったらそんなにすぐ答えを出せなかっただろう。
それこそ数ヶ月はうだうだ考えてたろ。
けど、郁代が一緒なら咄嗟に口に出てしまう位すぐさま決断してみせた。
「…何だかんだ、結局良いコンビだよ」
周囲に誰も居ないのに、クツクツと忍んだ笑いを零す。
「…なに含み笑いしてんだよ」
「うおぅっ!」
後ろに御茶の水の大まお…店長が立っていた。
「…店長、人が悪いよ」
「お前が気付かないんが悪ぃんじゃねえか」
店長、そのあくどい呆れ顔辞めてくれ。虹夏と血が繋がってると思わせてくれ。シモキタの大天使と。
店長は呆れ顔をしながら、わたしに紙袋を差し出す。
「ほいよ」
「…店長。気持ちは嬉しいけど、その好意は受け取れない…!いて!、いだだだ!」
チョークスリーパーを決められる。何という過激な好意だ!流石虹夏の姉だ!
「あほか!これは虹夏の着替えだ!」
「な、何かのプレイを御所望で?」
流れるように拳王スペシャルを決めてくる。店長!それは外でやっちゃいけない技だ!…中でもダメだけど!
二人共芝生だらけになる。
「ハア…ハア…。お前は一回あの世で更生してこないと駄目だな!」
「店長。ナントカは死んでも治らないって」
「…お前………それ自分で言うか?」
何故か呆れ顔の店長は、溜息をひとつ、紙袋について説明してくれた。
「お前が虹夏に渡してくれ」
何故自分で渡さないんだろう。このまま病院に入ってエレベーターに乗ればすぐなのに。
「自分で渡さないんですか?」
「私はすぐに戻らなくちゃならないんだ。あと、もし虹夏がグズグズ言ってたら、「ぼっちちゃんだってあんなカワイ…か弱いのに、死ぬ気で決断してイギリス行き決めたんだぞ!」…なんて余計な事言っちまいそうだからな」
「…ああ、そういう」
そうなのだ。ぼっちからは
「わ、わたし達がイギリスに修行行くのは、少なくとも虹夏ちゃんが退院するまで黙っておいてくれますか?。虹夏ちゃんを焦らせたく無いんです。ゆ、ゆっくり治して欲しいんです」
と言われていた。
「退院するまで、な、何とか誤魔化して下さい。お願いします、リョウさん」
…ぼっちよ。およそあと1ヶ月、どうやって誤魔化せと?
まあ、なるようにしかなるまい。
「わかりました。渡しておきます」
「ああ、頼んだ。…まあちょっと来い」
店長は、裏手にある喫煙スペースまでわたしを連れてゆく。
店長はメンソールのスリム。わたしはアメスピのライト。
「まあなんだ。ぼっちちゃん、どう思う?」
細く煙を吐き、何処か思案顔の店長。
「…どう、とは?」
「何か掴めると思うか?」
そうだね。でもそれは…
「本人次第、じゃないかな?」
「ま、そうなんだけどさ…」
実際ぼっちのギターテクは(普段はともかく)ゾーンに入った時は凄まじい。天才、と自分を何とか持ち上げているわたしと違って、アレは本物の"ギフテッド"だ。
しかもギターを始めたきっかけが「陰キャでも輝けるから」だと。
前、打ち上げでぼっちと飲んだ時、酔った勢いでポソリとこぼしていた。
しかし、あの時のぼっち面白かったな。まさか梅酒ふた口であそこまでベロベロに酔う奴、初めて見た。
「まあ、ぼっちは大丈夫ですよ」
「随分簡単に言うじゃないか」
「簡単ですよ。なんたって "後藤ひとり" ですから」
ドヤ顔で言ってやる。
店長は目を丸く見開いた後、途端に破顔する。
「ぶっ、わはははは!。そうだな!なんたって "後藤ひとり" だもんな!」
「そうです。わたしが見込んだギタリストですよ」
ふうと息を吐いた店長は、短くなった煙草を灰皿で揉み消し喫煙スペースから離れてゆく。数歩歩いてからふい、と振り向き
「お前のセンスだけは信用してるよ」
ポケットから取り出した小さなケースをほい、とわたしに投げ渡した。
ミントのタブレット。
「じゃな」
そのまま店長は去っていった。
「…わたしも持ってますよ」
同じミントのタブレットを内ポケットから取り出す。でも、わざわざ店長から貰ったタブレットをふた粒口に放り込む。
「虹夏が匂いイヤがるからね」
更にポケットから取り出した携帯サイズの消臭スプレーで、身体に4吹き。
ここまでやりながらも煙草を辞めないのは、何となくの惰性と、こんなひと時の為。
「なんか…良い日だな」
ガンズの「ノッキング•オン•ヘブンズドア」を鼻歌で歌いながら虹夏の病室に向かった。
なぜ鼻歌かって?
英語わからないから。
ーーーーーーーーーー
3F302号病室。
リョウは紙袋を手からダラリとぶら下げながら、扉の前で突っ立っていた。
より正確に言うと、顔は若干青褪め、更には額から冷や汗がダラダラ。足は生まれたての子鹿の様にプルプルと。
何故にそんな状態なのか。
それは、病室から漏れ聞こえる声が原因で。
「…あっ…はふぅ………気持ち、良い………」
ピクリ、とリョウの眉間に皺が寄る。
ななななな、何をやって…いやいやそんなまさか虹夏が一人でそもそも大層な怪我人だしそんな激しい動きがというかそんな姿見たこと無いしいやでも入院のストレスでもしかしたらいや待て待てやっぱりあの虹夏が一人で…ま、まさか誰かがこの病室に居て虹夏といや待て虹夏はわたしにゾッコンの筈まあ言われて無いけどとにかく!ココを開けば全て解明じっちゃんの名に掛けて!いやでもホントに誰か居たら怖いいや怖いと言うかホントにそんなコトになってたらわたしもう立ち直れない………
もう、泣きそうだ。
「…あ、そこ…良い………」
瞬間、眼の前が真っ赤になり、思考は停止。おもむろにドアの把手をガツリと掴む。そして、その把手に架かっているタグに気づかないまま、テニスの全力スイングよろしく横にスライド。
ダンパー付きの扉が、ガツリと鈍い音を立てる。
「に、にじかぁぁ!!!………ぁぁ、あ?」
病室の中は、カーテンが閉められて照明の人工的な明かりが降り注いでいた。
その中、ベッドの上で身体を起こした虹夏は、上半身をはだけ、悩ましげな格好で窓際の方を向いている。
その背中側に、やはり人が居た!上下白の清潔そうな格好をした…女性看護師が。
手にはタオル。多分蒸しタオルであろう。
とても気持ち良さそうだ。しかしどうした事だろう。何故か虹夏はプルプルと震えているように見える。顔だけこちらを向け、その表情も何故だか赤く染まっている。
熱があって、寒いのだろうか。それなら、扉を開けて外気に晒してしまったのは可哀想ではある。
「………気持ち良い?」
取り敢えず聞いてみた。虹夏の顔が、更に赤く染まってゆく。
「………あ」
「…あ?」
「…あほたれぇぇぇ!!!!!」
☆
「まっっったく!なにしてんのあんたは!?「今入らないで」ってタグ下がってたでしょうが!」
清拭を終え、病衣を着直した虹夏はプリプリと怒っていた。
…何故わたしは怒られているのだろう。解せぬ。
「何って、お腹空いたからなんか食べさせて貰おうかと」
取り敢えず定番ネタを振ってみた。
「怪我人にたかるな!」
最もな答えが返ってきた。
眉間に刻まれた皺を解し、虹夏は再び問うてくる。
「で? 何そんな焦ってたのさ」
苦笑しながらも、その表情は穏やかだ。
しかし、そんな事で全てをゲロってしまうわたしでは無い。そもそも恥ずかしい。
「いやだから、虹夏が元気かな、と」
「もー良いからそーいうのは!ちゃんと!しっかり!偽り無く話せ!」
声を荒げた後、途端に慈しむような表情を顔に乗せる。
「何か、心配事があったんでしょ? 判るよ。リョウのそれは」
それ、というのは多分、いつもの"はぐらかし"の事であろう。
気付かれてしまえば、もう素直に話す以外の選択肢が無かった。
「だって…何か部屋の中で「気持ち良い」とか言ってるから…誰かと何かを…ゴニョゴニョ…」
目を見開いた虹夏は頬を赤く染め、直後特大の溜息を垂れ流す。
「っはぁぁぁぁぁ〜。 あのさ、リョウ。あたしがそ、そんな事してると思う?病室で、しかもリ、リョゥ以外の…あいて、と」
語尾がどんどん小さくなってゆく。…そっか。そうなのか。
「…何してんの…?」
「いや…だから「そういう」事を」
ベッドに潜り込もうとしたわたしを、虹夏は無の表情で問い詰める。
「………っ! 怪我人を抱こうとするなぁぁぁ!」
無事な右足でゲシゲシとベッドから蹴り落とす。元気じゃん。
「っはぁはぁ…お前はゼロかヒャクしかないのか!ぼっちちゃんか!」
ぼっちよ…今君はエラい言われようをされているぞ。まるでわたしと同類…いや、わたしがぼっちと同類…?いや待て…どっちでも嬉しくないな。フロムTOKYOトゥLONDON。
「…そういやさ、ぼっちちゃん…ぼっちちゃんと喜多ちゃん、ここんとこ顔見せないけど…なんかあった?ああいやいや、別にお見舞い来て欲しいとかじゃなくて、元気かなぁとかバンドやれなくて申し訳無いなぁとか…」
照れ隠しなのか、段々早口になっていく。
そう、そうなのだ。
ぼっちと郁代は、それこそ入院当初は毎日のように虹夏の顔を見に来ていた。看護師達から「奇行をする陰キャとキラキラ女子の名物コンビ」といった感じで。
それが、本格的にイギリス行きが決まってから「に、虹夏ちゃんの顔を暫く見れなくなるのは辛いので、だ、段々と距離を置いて慣れてゆこうかと。それに、徐々にフェードアウトしていった方が何処行ったかと検索されないと思ったので」と言う事だったが…ぼっち、虹夏のぼっちへの愛はそんなモンじゃ無さそうだぞ。
「や〜あたしもさ〜ヒトの事言ってる場合じゃ無いんだけどさ〜でもさ〜あんだけ顔見てた子が徐々に間隔が空いてくるとなんかあったのかなぁとか身体壊してないかなぁとかちゃんとご飯食べてるかなぁとか…」
ママか。
ママなのか。
「バブゥ」
…すっごい顔で睨まれた。
「…でさ、ぼっちちゃん達、何処か行ったの?」
疑問形の割に、確定したような聞き方で虹夏が問うてくる。
「あ、あのさ…あのあれだ。うん。そう。ぼっちはギターを刈りに山へ、郁代はギターを洗いに川へ…」
「おい山田」
「あーそうだ思い出した!ぼっちはヨヨコと対決する為に巌流島へ!郁代はそれの実況と配信の為に一緒に!いやーこれは世紀の対決だなぁ!配信は超バズり視聴は一億ビュー突破!結果的に結束バンドも大バズり!わたし達は高級タワマン高層階に住みブランデーグラスを揺すりながら地上を睥睨…」
「リョウ」
真剣な顔を向けられ、与太話を続けられなくなる。虹夏の顔をまともに見られなくて、ふい、と顔を逸らす。
「リョウ」
もう一度名前を呼ばれたら、もう駄目だった。
「…ぼっちは、イギリスへ旅立った。郁代も一緒」
それを聞いた時の虹夏の顔は、それから暫く忘れる事が出来なかった。
悲しいような、悔しいような、嬉しいような…そんな綯い交ぜの表情。
「そ…そっか…そっかぁ…」
心なしか声が震えている。
「あたし、見捨て「違う!」…え?」
違う!それだけは違う!むしろその逆で!
「虹夏…良い?聞いて?」
「…ぅん」
取り敢えず虹夏を落ち着かせ、ぼっちの真意を説明する。
「ぼっちはね、結束バンドが何よりも大事。まず、それだけは分かって」
「うん…そうだね。そうだよね」
まだ顔を上げない虹夏。ぼっちはね、そんじょそこらのギタリストじゃ無いんだよ。何しろ…虹夏と、そしてわたしの「ギターヒーロー」なんだよ。
「虹夏…最近、ぼっちが悩んでたの知ってるよね」
「…あの書き込みされたコメントのせいだよね」
なら解るでしょ?わたし達のギターヒーローが、どうするか。どんな選択をするか。
ふと虹夏が顔を上げる。自分の中で答えが導き出されたかのように
「え?…じゃあその為に?自分をより高める為に?」
「そ。ぼっちが…"あの"ぼっちがその決断をしたんだよ」
常にネガティブ思考。人と関わりたい癖に怖くて人と関われない。自ら何処かに行く…ましてや外国なんて以ての外。そんなぼっちが…
「行ったんだよ。震える足を殴りつけて。俯く顔を前に向けて」
何故そんな彼女にとって無謀とも言える選択をしたのか
「全ては虹夏の…結束バンドの為だよ」
それを聞いた時の虹夏は、感情が抜け落ちてしまったような。そんな顔をしながらも次から次へと瞳から雫が垂れてゆく。
「う、うぅぅ…うえぇぇぇん…」
とうとう本格的に泣き出してしまった。
右手で顔を覆い、ほろほろと涙を流す虹夏に問い掛ける。
「ね。それが見限った人間のやる事?」
「…わ、わかってるよぅ!うぇぇぇん!」
まるで赤ちゃんのような泣き方だね。でもそれが虹夏の純粋さを表してるようで。
そのまま暫く泣き崩れる虹夏に寄り添っていた。
「すん、すん…あ“、あ“の“さリ“ョ“ウ“」
「ぷふ…ヘンな声」
「う、うっさい!………ゔんっ!」
一つ咳払いをしたと思ったら
「あのさ、スティックとペダル、持ってきて」
なんて事を言い出した。
「え…まだ無茶じゃない?」
当然の意見だと思う。何しろ左腕と左足、まだゴツいギプスが嵌ったままなんだから。
「や、そりゃあまだまだちゃんと叩く事は出来ないよ?でもね…こんな状態でも、出来る事は…ある!」
やけに自信ありげだな。何をやろうと言うのか。
「ほら…あたし、まだまだリズムがちょっと狂う事がたまにあるじゃん?」
「まあ、それも味の範疇だとは思ってるけど…」
「ありがと。でもね、あたしという「港」がきっちり整備されてないと、皆…ぼっちちゃんが自由に出港できないよ。彼女は最高の性能を持ったパワーボートなんだ。そんなぼっちちゃんが自由に泳ぎ回れて、受け止められるようにするのが、あたしの仕事」
そっか、虹夏も覚悟を決めたんだね。
「だからね?右手右足は動く。だから、スティックとペダルで完璧なリズム感…グルーブ感を身に付けてやる!何よりじっとしてられないよ!」
入院中に出来る事なんて、たかが知れてるだろう。でも、だからこそ"それだけ"に打ち込める。
「…わかったよ。はい」
「え?持ってきてくれたの!?」
「…いや、着替え。下着とか入ってる」
店長から受け取った紙袋を渡す。
「や、やまだあぁぁぁ!」
今日イチの声が出た。おまけに"掟破りの逆水平"も出た。
右手一本でわたしを沈ませるとは…この女、出来る!
☆
…ま、そんなこんなでスターリーに行き、スティック一本とペダル一個を外して店長から隠れるように店を後にする。
開店後、ライブをやるどっかのドラマーが「なんでペダル一個ねぇの!?」とか言っても知ったこっちゃ無い。
お前が目を離すのが悪い。知らんけど。
生きてる内に目でも抜かれてしまえ。
虹夏の病室まで戻ってくると、丁度右足が来る辺りにペダルを固定。ベッドのパイプ部分にテープでグルグル巻きにする。
こんな事やっちゃいけないのかな?まぁ良いや。何しろわたし、医療従事者(が身内に居る)だし。
そして恭しくスティックを虹夏に捧げる。そう、まるでティアラを王女に捧げるように。
何か思う所あるような表情を浮かべた虹夏は、わたしのノリに付き合わずガッシとスティックを握り締める。
そして感触を確かめるように、指先でクルクル。
その時、入院してから何かが抜けていたような表情だった虹夏のその顔に、ドシリと芯が入ったような面持ちで。
ふう、と溜め息をひとつ。そのままスネアを打ち鳴らそうと…して、スティックが空中で止まる。
「…あはは」
自分でも、何かスイッチが入ってしまったのがわかったのだろう。思わず…といった感じに照れ笑いひとつ。
そわそわと視線を巡らせる。何かを探しているような。
「はいこれ」
丁度A4の雑誌位のサイズの、厚めのゴムシート
「これをこう」
そのゴムシートを手近な雑誌の上に乗せる。
「おお!…いいじゃん!」
お気に召したようで。
軽くそれを叩き、ペダルを踏み込んでみる。
「っ!………ふぅ」
まだちょっと響くようだ。しかしここ暫く見られなかった表情。
何か…落としてしまったナニかを、見つけたような。そんな表情で。
わたしに向かって宣う。
「ん…ありがと。もう良いよ?」
「…え?」
「もうこれで充分。後はやるだけ。だから、お見舞いは退院するまで良いよ?」
「…え、え?」
「リョウだって何か考えてるんでしょ?わかるよ。長い付き合いだからね」
まだ誰にも語っていなかった事を、探り当てられた気分だ。
「だってさ?リョウだって現状をヨシとしてないんでしょ? だから、あたしにかまけてなくても大丈夫だから!」
…やはり、虹夏には敵わないな。
「うん。考えてる事はある。それを踏み出す勇気はぼっちと…虹夏に貰った」
「…うん!がんばれ!」
その後、特に言葉は交わさず部屋を出た。
もう特には伝える事は無い。あとは自分がやるだけ。
部屋を出る時、虹夏は早速スマホからクリック音を出してスティックのリズムと合わせていた。
よし、やるか
その足で、新宿行きの電車に乗った。
ーーーーーーーーーー
新宿FOLT
スターリーとは比べるべくも無いデカい箱。
あの人は今居るたろうか
勇んで扉を開ける。スターリーとは違う、独特の空気感。
「あら?」
ふ、と顔を上げた店長の銀次郎さん。強面だけど、滅法優しい人。
「ご無沙汰しています。結束バンドの山田リョウです」
「も〜知ってるわよ〜!それどころか、ウチの廣井が何か迷惑掛けちゃってごめんね!?」
「いえ、ぼっち…後藤にとっても良い機会でしたから」
二人して頭を下げ合う。
「…それで、今日はどうしたの?」
銀次郎は頬に指を当て、見当がつかないといった表情を浮かべる。
胸がドキドキしている。体が熱い。ここで「それ」を言うのは、自分のアイデンティティを崩壊させる恐れすらある。
…でも
でも!
「実は、最高のベーシストを紹介して頂きたいんです。銀次郎さんの考えうる限りの、最高を」
「…ちなみに、星歌ちゃんに頼むのは駄目なの?」
真意が判りかねるといった表情を浮かべる銀次郎さん。
わたしもそれは考えた。でも、そうしちゃならない理由がある。
「星歌店長に、と考えたんですが…身内に縋って、身内で纏まって…それが成長と呼べるのかどうか。あと単純に銀次郎さんの方が顔が広そうか、と」
その発言を聞いた瞬間、銀次郎さんの瞳から滂沱の涙が流れ出す。
「えらい!えらいわよ山田ちゃん!おねえさんは嬉しい!嬉しいわ!」
リョウの手をがっしと掴むと、ぶんぶんと振り回す。
ぎ、銀次郎さん…腕が…腕が抜けそうです
☆
場が落ち着くと、銀次郎さんはコーヒーを淹れてくれた。
「あえて聞くんだけど…廣井じゃ駄目なのね? まぁ居ないんだけどさ」
「はい。わたしは "廣井きくり" を超えたい。だから、超える相手に教わる訳にはいかないんです」
その発言を聞いて、銀次郎は目を細める。
「…そう、廣井を超えたいの…でもあの「魂をベースに、音楽に売った」女を超えるのは困難よ」
「…やっぱりそうですか…」
だからね、と銀次郎は続ける。
「自分まで、命まで売ったベーシストを紹介してあげる」
「…え?」
「ただし、そいつに魅入られないように、ね」
銀次郎はウインクをひとつ。そんなにヤバい人なのだろうか。
すぐさま銀次郎はスマホを取り出し、何処かへ電話を掛ける。
「…あ、もしもし?わたし、そう吉田銀次郎。アンタ今暇でしょ?今からここに来なさいよ!え、都合?何言ってるのよ!バンドもあんたのエゴでクビ!奥さんにも逃げられたアンタに都合なんてある訳無いじゃない!とっとと来なさい!ご飯奢ってあげるから!はよ来いこのデブ!はい、すぐ!」
ブチリと電話を切る。…やっぱりこのヒト怖い…
「こほん…近くに住んでるからすぐ来るわよ」
「はぁ…ありがとう、ございます…?」
程なくしてそのデブ…そのベーシストが現れる。背中に抱えたギグバッグは、所々擦り切れている。もう長い間使っているようだ。
「で? 俺に何をしろって?」
やおらそのベーシストは話し出す。もう幾分涼しくなるのに、上は半袖のカッターシャツ一枚。それでも汗を搔いている。
「ああいらっしゃい。まどろっこしいのは嫌いだったわよね。実はこの子にベースを教えて「嫌だ」欲しい…んたけど…」
銀次郎が言い終わる前から拒否される。取り付く島もない感じ。
「何でよ!どうせ何もやる事ないんでしょ!?」
「めんどくせえ」
銀次郎店長は歯噛みするが、そのオッサンは何処吹く風。
そう、オッサンなのだ。年の頃なら四十前後か。全体的にだらしの無い風体。
「話くらい聞きなさいよ!この子はねぇ、自分達の結束バンドを…」
「ああはいはいもう聞いた。もう良いだろ?じゃあまたな………?今なんつった?」
「だ!か!ら! 結束バンドのベース担当…」
「お!あれか!あのギターのねーちゃんの!?全身ピンクで戦隊モノかっての!………けどな、あれはホンモノだ」
リョウの背中がヒヤリとする。まただ。またぼっちだ。わたしじゃない。わたしじゃ、ない。
「そ、そのピンクの子のメンバーよ。ベーシスト」
「山田…リョウです」
おっさんに頭を下げる。自分の冷静じゃない部分が目の前のこのベーシストに拒否反応を起こしている。でも、そんな気持ちなんか犬にでも喰わせろ!わたしは…わたしは!結束バンドの唯一のベーシストだ!絶対自分を引き上げてやる!ぼっちを…従えてやる!手の内で踊らせてやる!そして…ぼっちと、皆と、最高の高みまで登り詰めて高笑いしてやる!
「ど…どうか…お願いします!」
「なんかすげえ悔しそうじゃねぇの。ギターはホンモノ。で、ベースはニセモノだって気付いた顔だが」
全力で歯を食いしばる。全部の歯が砕けそうだ。
「今はニセモノだって構わない。ただ、そのホンモノのギタリストが更に自分自身を越えようとしてるのに、指を咥えて見てるだけなんて…そんなの、死んだ方が良い!」
ギリッとオッサンを睨みつける。ベースのネックでオッサンの喉を突き破る姿を想像しながら。
「おおこわ」
相変わらず飄々とした態度を崩さず、でも口角を上げる。
少しは興味を持って貰えたらしい。
「そもそもオッサン、わたしはまだあんたの腕を確認してない」
誰が見ても強がりだって判る態度。でも目の前のベーシストに飲まれない為に、ハッタリだって何だって使ってやる!
「…ふん、面白ぇ。ノッてやるよ。銀ちゃん、ちょっとアンプかりるぜ」
ギグバッグから取り出したベースは、腕や手が当たる部分が擦れて塗装が剥がれてきている。それでも見窄らしく見えないのは、そのビンテージの(とんでもないビンテージだ!)風格か。それとも、このオッサンと過ごした年月か。
シールドを繋ぎチューニングを合わせ始める。その音をただ聴いたたけで、「これはヤバいかもしれない」という勘が働く。
「…いくぞ」
一言発する。次の瞬間
ーーまるで大きなハンマーで頭を、体をズタズタに殴られたような、それでいてそれがとても心地好い。
なんだ、なんなんだ!なんなんだよコレ!
スラップしてるのは判る。運指もわか…え?今の押さえ方何?どうやってんの?
ちょ、ちょっと待って!スラップにしたって全部の指でアップとダウンこなしてるようにしか見えない!
凄まじいテクニックを見せつけた次の瞬間、音がわたしに寄り添って来た。
抱かれるような、囁かれるような。
この音はいけない!惹き込まれる!でも、でも…とても気持ち良い。
思わず涙が流れる。その技術の差に。その世界観の差に。そして、足元にも及ばない情けない自分に。
顔を両手で覆って声を殺して涙を流す。
ぼっち。わたし、随分大層な事言っちゃったね。今この時になって、かなり尻込みしてるよ。
…でも………でもね、ぼっち。
わたしはもう、後退りしない事にしたんだ。
あのぼっちが、死にそうな程の恐怖と闘いながら何かを掴みに行ったように、わたしだってね、闘わないといけないんだ。
「負け犬の先輩」として、少しは格好つけないとね。
「…っとこんなモン………ありゃ、泣いちまったか」
オッサンはプレイを止めて、わたしに向き直る。
「…おい銀ちゃん。コイツ…面白えな」
「でしょ?」
銀次郎さんとオッサンがニヤニヤしながらわたしを見詰める。
「俺のプレイで泣いたのは、お前で二人目だ。お前と…廣井」
は、と顔を上げる。まだ頬は濡れたまま。
「…銀ちゃん。コイツ、中々見込みあるぞ。俺の音を聞いて只「スゴイ!」とか言うヤツは駄目だ。自分が「上に登る」気がねぇ」
「その点、この子は大丈夫よ。メンバー皆して「高みに行く」事しか考えてないから」
しかし…この音…何処かで聴いた気が………これだけの音を出す人が無名な訳無い!どこかで…どこかで………!
「あ、あの!」
「ん?」
間違ってたらすみません。◯◯◯◯◯◯◯ってバンドでプレイしてませんでした?ライブ映像だと別人ですが、アルバムだと明らかに音が違って…あなたの音なんです!」
そのバンドは今や国民的人気を誇り、出す曲は必ずヒットチャートを駆け上る。しかしコアなファンの間でまことしやかに囁かれている噂で「生とアルバムでベースの音が違う」というものだった。
「…は、あっはっは! お前、耳が良いな!そう、その通り!」
「…でもなんでそんな事を?」
それはね?と銀次郎さんが話を繋ぐ。
「このデブは、人前に出るのが極端に嫌いなの。まるっきり何時ものプレイが出来なくなっちゃうくらいには、ね。なんかまるで、山田ちゃんとこの「後藤ちゃん」みたいね」
そうか。このオッサンも"ギフテッド"なんだ。音を得る代わりに全てを捧げた。捧げさせられた。
「今までの態度、申し訳ありませんでした。改めて師事をお願い出来ますか?」
オッサン…いや、この稀代のベーシストは、照れ臭そうに頬を搔く。
「いきなり改まんなよ。わかったわかった。「仮」な」
「…仮?」
なんで仮?
「いやな?今まで何人か教えてきたけど…大体ひと月も経たずに辞めちまうんだ」
「あんたが厳し過ぎんのよ」
銀次郎さんが補足する。でもね?と
「この子は大丈夫だと思うわよ?あの「後藤ひとり」とメンバーでやっていこうって決意してる位だから」
「そうか…。分かった。じゃあやってやる」
暇だしな、とひと言付け加えて。
「あの…まず、名前を教えて下さいますか?」
「あーあー!良いよ!オッサンで! その方が俺に合ってる!」
そのベーシスト…いや、オッサンは、何故か頬を染めて照れながら、自らの太い指で顔を隠す。
「…本名は••••••••って言うんだけど、自分の名前が嫌いなんだって」
銀次郎さんが愉快そうにわたしに耳打ちする。
「ば、バラすんじゃねぇよ!いいじゃねぇか!何処行っても「ベースのオッサン」で通ってんだから!」
なんか、郁代みてえ。キターンならぬギダーンとか光るかな。アブラっぽそうだし。
「あ、それとな」
「はい?」
「お前今、ベース何本持ってる?」
えーと………何本あったかな?………
「多分…7〜8本は確実に…」
オッサン思わず顰め面
「…随分あんな。そっか、じゃあ…ベストとセカンドベスト2本残して、後は全部売れ」
な、な、なんですと!?
「それは何で!!??」
「おうっ! 随分必死だな!」
「だって…だって………」
オッサンはわたしを諭すように語り掛ける。
「あのな?ベースを変えると音が変わる。音が変わると自分が変わる。自分が変わるとメンバーの音まで変えちまう。終いにはバンドの音が変わっちまって…後は、推して知るべし、だな」
でも…有名バンドのツアーでも、ギターやベースは何本も持ち込むのが常じゃあ…
そう問い掛けると「それは、自分の音が確立されてからだな。まぁ、ビッグバンドの真似だけしてるヤツ見てみろ。お笑いだよ」と言う事だった。
「で、報酬だが…その売るベースの中でベストのヤツ寄越せ。それが報酬だ」
「ぐ…うぐぬぬ………わかり…ました」
オッサンはくるりと出口に体を向ける。
「嫌なら良いよ。じゃな」
そのまま去って行こうとする。
「わ、わかりました!それで、お願いします!」
ぼっちが見せた覚悟に見合うかは分からない。でも、手が届く所にあるチャンスを逃したくない。
「オーケー、契約成立。じゃあ、明日から…この場所この時間でな」
「はい!宜しくお願いします!」
こうして、わたしも覚悟を決めた。
音楽に関してはまるで素人なので、おかしな所があってもご容赦下さい…