「うぅ………寒いぃ………」
私の隣でひとりちゃんが思わず、と言った感じで呟く。
「でも、東京と気温的には余り変わらないみたいよ」
事前にスマホで得たにわか知識を披露する。
イギリスの、他の地域はそうでも無いらしいけどロンドンは緯度の割に極端に寒くないらしい。
そう、緯度。
イギリスの、ロンドンでさえ北海道よりも緯度が高いらしい。
雨も日本よりは少ないとか。それでも【霧のロンドン】と言われる位、霧(霧雨?)はそれなりに多いみたい。
現に午前中の現在、周りには結構な霧が発生して周りの見通しがちょっと悪い。
「へ…へへ………寒い…霧………わたしの陰の気を育てるのに適切…。これこそわたしが住むべき地…。暗黒…闇………ダークマターを吸収して、わたしの中のモンスターが弾けてしまう………わたしこそがダークサイドの王…略してダーク王!………それでは聴いてください。「ダーク王のテーマwithロンドン」………あ〜わたしのダークマター満ちる時〜ダークな股が〜♪…」
「ストーップ!ひとりちゃんストーップ!」
流れるようにギターを取り出して弾き始めたのを、即座に止める。毎回思うけど、こんなに流れるようにギター取り出せるのに普段の動きは覚束ないのは何故なんだろう。
ギターだから?まあ、ひとりちゃんだもんね…。
「相変わらずぼっちちゃんおもしれ〜な〜!」
ゲラゲラと笑いながら廣井さんが近づいてくる。その後ろから、岩下さんとイライザさんもやって来た。
「お疲れさま。遠かったろ?」と岩下志麻さん。相変わらずの王子様ムーブ。
「お疲れサマー、Welcome to UnitedKingdom!」と、こちらは清水イライザさん。流石イギリス人。英語の発音が完璧。
「あ、お疲れ様です!この度は色々お世話になります!」
「お、お世話になります!」
「んーん!友達の手助け出来るのはウレシイネ!」
私とひとりちゃんがお礼を言うと、イライザさんはさも「それは当たり前!」とでも言うように満面の笑みで答えてくれる。
これも結局、ひとりちゃんが繋いだ縁だ。ひとりちゃんが廣井さんと繋がり、シクハックのメンバーと繋がり、星歌店長の援助を得て、私も此処に立てている。
…ひとりちゃん、やっぱり凄いなぁ。自らを「い、陰キャで、何をやってもダメダメなわたしです」なんて普段言ってるけど、こういう時にひとりちゃんのギターの腕の賜物、ひとりちゃんの人としての魅力…そんなものをヒシヒシと感じて、そして凡人の私はどんどん遅れを取ったように感じてしまう。
ひとりちゃんに付いて行って良いのか、付いて行ける資格があるのか………そんな沈んだ思考が顔を出してしまう。
…いえ!喜多郁代!こんな所まで来て何を悩んでるの!?その資格を得る為に此処に立ってるんだ!この、ロンドンの地に!
あれだけ凄いひとりちゃんが、まだ何かが足らないと震える身体に鞭を打って此処まで来てるんだ!私が臆してどうする!何かを得るんだ!今はまだ漠然としている、何かを!
そんな悲壮とも言える決意をした私に、その顔を見ていたらしい廣井さんがミニボトルのウイスキーをグビリとやってから私に囁く。
「喜多ちゃん。まぁ、気負うなってのも無理があるだろうけど、それでもね? 君は大丈夫だよ」
諭すように、導くように、穏やかな面持ちで廣井さんは語る。
「な…何か根拠でもあるんですか!?」
思い詰めていたからか、思ったよりも強い口調になってしまった。
廣井さんは表情を真剣なものに戻して伝えてくれる。
「それはね、君がこれ以上無い位頑張って来たからだよ。そりゃあね?頑張ったからって必ず報われるとは限らない。でもね?頑張ったヤツには機会が与えられるんだ。その機会を…チャンスをモノに出来るかどうかは自分次第だけど…でも、機会を得られるのは「頑張った自分」が居るからなんだ。その「自分」だけは認めてやりなよ」
にかり!と音が出るような笑顔で、グビリとミニボトルをひと口。
その言葉に、目の前の霧が少し晴れたような気がした。
褒めそやすでも無し。さんざ落とすでも無し。人に気を使い過ぎず、あくまでナチュラルなその言葉。
胸が空くような気持ち。その胸の空いた空間に、何でも詰め込んでやろうという、貪欲な気持ち。
「有り難うございます!…何だかお腹、空いてきました!」
照れ隠しに、ちょっと曲がった言い方で伝える。
「あっははは!そのちょーし!」
廣井さんも解ってくれたのだろう。破顔して答えてくれる。
「よーっし、じゃあおねーさんが奢ってやろう!丁度其処にメシ屋があるから行こ!」
目に付いたレストランに廣井さんが飛び込む。それに続くように皆入って行くが、イライザさんだけは
「…ここは………」
と気が乗らない様子。入ってしまったものは仕様がない、と後に続いた。
その時に微かな違和感を感じたが、初めての外国、初めてのイギリスで浮足立っていた私は余り気を止めなかった。
そして、定番の「フィッシュアンドチップス」を頬張る時、イギリスはご飯に関して何と言われていたか思い出した。
そして、イライザさんが気乗りしない理由も判った。
その本人(と岩下さん)は、パイアンドマッシュを食べていた。
曰く「この店は、コレ以外食べちゃダメ」だそうだ。
昔と比べてイギリスの食事情は変化したそうだが…知っているなら教えて欲しかったな…
早速イギリスの洗礼を受けた。
「奢ってやる」と言った廣井さんは、お金が無く岩下さんに借りていた。
さっきは格好良い事言ってたのに…
今はカッコ悪かった。
ーーーーーーーーーー
ロンドンでの生活が始まった。
廣井さんと岩下さんは、イライザさんの実家の空き部屋に住む事になった。
私とひとりちゃんは、同じ敷地内の空いた一軒家(元々は亡くなったお祖父さんが一人で住んでいたらしい)をお借りして住む事になった。
なんと家賃タダ!。流石に申し訳無いので幾らかお支払いしようとしたが、イライザさんのお母さん曰く「どうせ空いてたから!誰か住んでくれた方が家が傷まないしね。家賃代わりに、掃除をしっかりしてくれれば良いわ!」との事。
有り難くて涙が出そうだ。人の好意を極端な位苦手としているひとりちゃんも、すんなりと受け入れたようだ。
私もひとりちゃんも、好意を無碍にして自分の意地を通しはしなかった。
何しろ、そんな意地を張る様な余裕など無いし、受けた恩は後で何倍にもして返そうと思っていた。
兎に角、何にでも縋ろうと思った。例えみっともなくても、だ。
それくらい、なり振り構わなかった。
ご飯は、イライザさんのお母さんとパンやマフィン、スコーンを焼いた。
それをトーストしたり、サンドウィッチにしたり。
イライザさんのお母さんから、ジャムやチャットニー(チャツネみたい)を頂いて、それを挟んだり。
こちらに来る時、ひとりちゃんは貯めていた配信報酬やバイト代を全て吐き出す勢いで。
私も貯めていたお金の他、両親から少なくない額のお金を借りていた。
お母さんからはこちらに来る前、一晩かけて小言を言われたっけ。
「郁代、あなた人生を何だと思ってるの!?安定した生活が唯一だとは言わないけれど、それでも博打が過ぎるわよ!」と。
私の中には、もう、「コレ」しか無かった。
「ひとりちゃんに何とか喰らいつく」と言う思いしか。
「お母さん。お母さんから見れば、とても愚かな道に見えるでしょうね。でも、私にすればコレしか無いの!大学は、絶対に卒業します。その間の休学を認めて下さい。私があの子の隣に居る権利を、認めて下さい!」
もう泣きそうで、でも、泣く訳にいかなかった。
それでもお母さんは何も言わなかった。自分が、自分の夢を弄ばれた事を引き摺っているのかもしれない。夢は絶対に叶うとは限らない、と言いたいのかもしれない。
でも、私も折れる訳にはいかなかった。折れたく無かった。
青臭い理屈かもしれないけど、命を…掛けても良かった。
「わかった…お母さん。お世話になりました」
「ちょ、ちょっと!何処行くのよ!?」
自分の部屋に帰り手早く荷物を纏めると、家を出た。
行き先なんて、一つしか無い。
約2時間掛けて其処に辿り着くと、その家のリーダーたるその人に土下座をした。
「お願いします!我儘だと重々承知しています!ご迷惑もお掛けします!それでも…それでも!ひとりちゃんと夢を叶えたいんです!出発まで家に置いて下さい!」
その人、後藤美智代さんは穏やかな顔で言ってくれた。
「頭を上げて?喜多ちゃん。ウチは全然構わないわよ。それどころが大歓迎!」
ああ…やっぱり、この人は凄い。海の様な懐を持つ人だ。
感極まって、つい抱き締めてしまった。
「ありがとう…ござ…います!」
この人の前でなら、泣いても良いと思った。
そんな私をふわりと抱き締めて、耳元で囁いてくる。
「ひとりちゃんをそこまで想ってくれるのがとても嬉しいの。…実はね?、貴女のお母さん、久留代さんとさっき電話で話してたのよ?」
「…え?…お母さん、と?」
美智代さんは、擽ったくなるような声色で
「…ほとぼりが冷めたら、帰って来なさい、って」
思わずポカンとしてしまう。
「え?…どう、いう?」
美智代さんは慈母のよう(よう、じゃ無い!この人は本当の慈母だ!)に笑みを湛え、伝えてくれた。
「もう一度、ちゃんとお話しましょうって。それで、貴女の夢をちゃんと教えて?って」
もう…もう私の感情も一杯一杯で。
「お…おがあざん…!う…うぅあぁぁ!」
子供のように泣きじゃくってしまった。
この「二人の母」にはどうやっても敵わない。
ウチの連絡先は、どうやらひとりちゃんに聞いたらしい。そして私が「ひとりちゃんのトコに家出する!」と本人に連絡を入れた後、美智代さんに知らせてすぐ連絡してくれたらしい。
そのひとりちゃんは、私達が抱き合ってるすぐ横で…何故かムクレていた。…何で?
☆
そんな騒動がありながら、何とかロンドンに辿り着いた。
恩を返さなくてはならない人が、どんどん増えて行く。
それは、そのまま私の覚悟となった。
ーーーーーーーーーー
イギリスでのビザ無し滞在は6か月。
でも、「ミュージシャン」としてイギリスに呼ばれ、ビザを取得出来ればその限りでは無い。
その体制は、いち早くロンドンに戻ったイライザさんが整えてくれた。
本来なら資格や条件、長い審査が必要らしいけど、かなりスムーズに進んだ。イライザさんの実家の尽力があったらしい。
…あの人の実家って、どれだけ力を持ってるんだろ?
さておき、シクハックのメンバーとひとりちゃん、私喜多郁代は問題無くロンドンで活動できるようになった。
そしてシクハックはもとより私達も、「ミュージシャン」として渡ったからには活動実績を残さないとならない。
と言う訳で、今は某ライブハウスの楽屋。
「あ…あぅぅ………周りが皆外国の人………ハッ!、これは夢に違いない!今のわたしはアフリカの泥沼の中!そして頭の上には今にも襲いかからんとするライオンが涎を垂らして…!?」
「ひとりちゃーん!?イギリスより遠い場所に行っちゃってるよー?戻っておいでー?」
ペチペチと頬を叩くと、目の焦点がやっと合う。
「あ…あれ?喜多ちゃん?…どうして此処に?」
「…ひとりちゃんの頭の中では、「此処」は何処なの?」
苦笑しながら答えると、ひとりちゃんは視線を落としながら訥々と話し出す。
「…解ってはいるんです。まだ現実逃避の癖が抜けないっていうのは。でも、怖いんです!皆が協力してくれて、サポートしてくれて…此処に、立って…いるのに………わたしなんかにこれだけ手を差し伸べてくれて…」
流石にカチンと来た!
「じゃあ、帰る!?それでも良いわよ!?あなたはやっぱり金沢八景の、あの押し入れの中が似合うわよ!…でもね!、私は…帰らない!何かを掴むまで、絶対、ぜったい!帰らない!一人でもやる!」
私は敢えて挑戦的な視線をひとりちゃんに向ける。…あなたは本当は、そんなに弱い人間じゃない!
「うぅ…きたちゃん………酷い…酷いです………」
ひとりちゃんはもう泣きそうで。でも、私に縋ってこないのは少し成長したのかな?
私はひとりちゃんの両肩を掴み、額が触れる程の距離でその空色の瞳に向けて言ってやる。あなたはね?…
「ひとりちゃん、あなたの思いは、想いはそんなモノなの?違うでしょ?あなたの実力は…才能は、ギターの腕前とかそんなことより、周りの皆を笑顔に…素敵な世界に連れて行ってあげられる事なのよ?あなたを見た皆は、「凄い!」って!「輝いてる!」って!「震える程の感動」を与えられるのが、あなたの才能! 良い?ひとりちゃん。あなたはそんな誰でも欲して、そして誰もが得る事を叶わないそんな才能を持ってる!」
ひとりちゃんの瞳から、一筋の涙が零れる。そして虚ろなその瞳が焦点を結ぶ。私の瞳に。蒼い炎が見える。そう、その目よ!私が焦がれて、手が届きそうに無くて…それでも欲してやまない憧れのあなたの、その瞳!
「きたちゃん…ありがとう。わたしも思い出しました。どうしてここまで来て、ここに立っているのか。今まで全部ダメダメで、そんな自分を変えたくて。それでリョウさんの、虹夏ちゃんの気持ちを背負って。喜多ちゃんと一緒に…2人で世界を変えてやろうって。それを。思い出しました!」
そのひとりちゃんの瞳に射抜かれて、私の頬がぶわりと熱くなる。
ああ…あなたは、やっぱりカッコイイ!私の憧れ。わたしの、あなた。
感極まって、思わずといった感じでその桜色の唇にふ、と口付ける。直後自分が何をやったか気が付き、背中を向ける。
「さ!いくわよ!」
もう誰の顔も見れない。多分私、今顔が真っ赤だから。
「喜多ちゃ〜ん!あちぃなぁ~」
廣井さんが背後で茶化しているが聞かない!聞こえない!
視界の端に、志摩さんとイライザさんの生暖かい笑顔が見える。後生です。今、何も言わないで下さい。
これからステージに上がる。最初の一歩という事で、シクハックの皆と。スペシャルセッションみたいな感じ。
勿論、観客の人達は私達の事を誰一人知らない。
この2週間、私達がお借りしている家で皆して合わせの練習してきた。
曲は、ここロンドンでも有名な地元のバンド曲2曲と、シクハックのオリジナルをアレンジした曲。そして結束バンドのアレンジ曲。
アレンジと編曲は廣井さんが担当してくれた。あの人、やはり何気に凄い。ひとりちゃんと私のパートを組み込んで、5人体制。私達の曲をリョウ先輩と連絡取りながら、完璧に仕上げてきた。ボーカルは私とイライザさんのツインボーカル。
さあ行こう!何も知らないオーディエンスに、ぶちかましてやろう!
いよいよロンドンでの活動開始です。
…ロンドンの状況等、ニワカ知識でお送りしているので、違和感があっても御容赦下さい。