―――ある日、ぼくの彼女は最終兵器になった。
振り返ると、さっきまで後ろにいたはずのちせの姿が見えなくなっていた。
彼女の背は低いため、人混みに紛れてしまったらしいこの状況で目視で探すのは困難だ。
引っ込み思案なちせでは人をかき分けて進んでくることも出来ないだろう。
こちらまで届く声を上げるのも同じ理由で以下同文である。
すると、人波の中で何か白っぽいものが揺れているのが見えた。
よく見るとちせのお気に入りのハンカチだ。白地に刺繍が入っているもののため、まるで大勢に取り囲まれて降参のサインを送っているようだ。
それを目印に申し訳程度に済まなそうな顔をしつつ、皆が進む流れに逆らって進む。
たどり着いた先には白旗を振る敗残兵ちせがいた。
この街ではめったに出くわすとことのないレベルの人口密度で酔ったのか、視点が定まらずいつも以上にフワフワしている。
「アホ」
「ごっ、ごめんねシュウちゃん」
通行の邪魔なため、彼女の手を取ってとりあえず歩き出す。
気恥ずかしかったためろくに顔を見ることも喋ることもできずに黙々と歩く。
結局次に言葉を発したのは人混みを抜け、もうはぐれることはないだろうと繋いだ手を離してからだった。
「気をつけろよ。おめーなら人ごみにそのまま運ばれて知らねー場所に行ってもおかしくないし」
「えへへ、ごめんね」
「いっそのこと迷子紐でも付けたほうがいいんじゃないか?」
「それじゃあたしシュウちゃんのペットみたいだね……」
「バッ!バカ!冗談だべさ!ていうか一応周りに人いるんだぞ!」
ほんの冗談のつもりの発言だったが、予想外のピンク色な思考の反撃が来て思わず辺りを見渡す。とっさにあたりを見回すが、聞いた人間はいないようだった。
「やっぱまだ人酔いが収まってねーんじゃないか?ちょっと待ってろよ」
ちせを近くのベンチに座らせ、飲み物を買いに出る。
せっかくだからと商店街のおじさんが店先で氷水に浸して売っていた、自販機よりちょっと高い缶ジュースを2つ買い、彼女の元へ戻る。
「ほら。これでも飲んで一息付けろよ」
「あ、ありがと」
自分もベンチに座ってジュースを飲む。しばらくお互いに何も言わないままジュースを飲みつつ、周りの風景をなんとなしに眺めていた。
「なあ、ちせ」
「なに?シュウちゃん」
「今日、楽しめてるか?」
「うん。あのとき一緒に行こうって言ってくれてよかった」
彼女は内心と表情が直結しているタチだ。
こんなデートと呼べるかも怪しい外出に心から喜んでいてくれることに嬉しさを感じるとともに、彼氏として不甲斐なさも感じる。
「本当は映画とか行きたかったんだけどなー。ベタっちゃベタだけどいかにもデートって感じだべ?」
「でもこの街に映画館ないしね……」
「そうなんだよなー。知ってるか?昔はこの街は映画館の街って呼ばれてたらしいぜ」
「そうなの?」
「ああ。全盛期は2ケタの映画館があったんだって」
「へぇー。なんかハイカラな街って感じがするね」
「まあ、今はごらんの通りのイナカだけどな……」
カップルらしいことがしたくて、ひっそりとやっているような小さな映画館でもないかと探したこともあったのだが、結果わかったのはこの街の映画産業のかつての繁栄だけだった。最後の単独映画館は数年前に閉館している。
「行きたかったら札幌に行くしかないんだね。ごめんなさい」
「なに謝ってんだよ。映画館がなくなったのは別におめーのせいじゃねーべ」
「ううん。札幌のこと。滅茶苦茶にしちゃってごめんなさい」
「それこそ何言ってんだよ。あれはどっかの国の爆撃機が―――」
そこまで言って口をつぐんでしまう。
その爆撃機を墜としたのは
ちせは声を落として謝罪を続ける。
「あたしがもっとうまくやってたらまだ札幌に映画を観に行けたかもしれないし―――」
「アホ!そんなこと言うなや!」
彼女の懺悔の言葉をかき消すように叫ぶ。声を張ったため周りが何事かと視線を向けてくるのを感じた。
「体調が悪いからそんなこと言うんだ。ほれ、オレの分も飲め」
そう言って飲みかけの缶ジュースをちせに押し付ける。周りはカップルの痴話喧嘩とでも思ったのかこちらへの注目がなくなっていくのを感じる。
見るとちせは手に缶を持ったままモジモジして、何かつぶやいている。
「これ……間接キス……」
「いいから飲め。水分補給は大事なんだ」
彼女が頬を少し染めつつ缶ジュースを飲むのを見て、気をそらせたかと内心ホッとする。
同時に、彼女ならこういった行動をすればそれに気を取られるだろうととっさに考えて実行し、うまくやった自分の計算高さに自己嫌悪を覚える。
彼女の負の思考を止めるためとはいえ、ちせのその純情な部分を利用したのだ。
だが、長距離走が人より少し得意なだけの高校生が、戦場で兵器として人を殺している彼女の罪の意識を真正面から受け止めたうえで解消してやれるだろうか。せめて彼氏らしいことをしてやって気を紛らわせてやるのが精いっぱいではないだろうか。
何度か考えたことはある。映画で見た慈悲深く弁舌巧みな聖職者のように、彼女のやってきたことを真正面から受け止めてやったうえで彼女の気持ちを楽にしてやることができたらどれだけよいだろうか。
だが、ぼくに本当にそのすべてを受け止めてやれる自信はない。そうなった場合、僕だけではなく彼女も傷つけることになるのだ。
いくらこんな不甲斐ない男の事は気にするなといったところで、彼女は自分の言ったことで人を傷つけたことに心を痛めるだろう。
彼女が缶を空にしたのを見計らって声をかける。
「いつかこの街にもイオンシネマあたりが映画館立ててくれるかもしれんし、希望をもっていこうぜ」
「……うん。そうだね」
「そーいえばイベントの時間までどんくらいだ?」
「えーと、まだ結構あるね」
このデートプランになったのは紆余曲折があった。
この街のボウリング場はまだギリギリ営業していたが、この街に残存している数少ない若者が楽しめる娯楽とあって休日はごった返している。そのような場所にボウリングが特別好きでもなく運動オンチな彼女を連れて行くのは忍びなかった。
かといってこの徐々に日常生活への締め付けが見えてくるようになった情勢下で、外でできるカップルっぽいことなど限られる。
家の押し入れにあったフリスビーやバドミントン、サッカーボールなどを引っ張り出すか考えたが、却下した。
こちらは腐っても元陸上部である。ちせと自分との運動能力の差を見せつけて落ち込ませてしまう結果になりそうだった。
特にブーメランを彼女に持たせるのは恐ろしかった。
そこでこの街の通りで行われるバザーの情報を聞いた。
実際にこの街に戦火が広がったりはしていないため、僕たち自身に戦時下という実感は薄い。しかし、テレビや新聞などの外の情報が極端に入り辛くなったり、遠出がしづらくなったりと影響は感じていた。
自分や学友の親から何となく察せる情報としては、物資も徐々に制限が出てきているらしい。まあ、この地で米や牛乳に困ることはないだろうが。
この情勢下で各家庭のいらないものを必要としている人の元へ売却することで助け合おうとバザーが計画されたそうだ。
ほかにも、ジャンルフリーの音楽発表会や子供向けの絵本の読み聞かせ会などイベントが企画されていた。
息抜きになるかとちせにこのバザーについてそれとなく聞いてみたのだが、彼女の友人がバンドのメンバーとして音楽発表会に出演するので応援に行くとのことだった。
それならばと、2人でデートとしていくことになった。
バザー兼イベント会場到着後に、まず音楽発表会の会場を確認しておこうと人混みを進んでいたところ先ほどのようになった。
まあ、発表会の場所は確認できたし、ちせの人酔いも覚めたようだからぼちぼち動き出そうかと考える。
せめて彼氏として恋人らしいことをしてやらねばと思いながら。
「うし、掘り出し物がないか見て回ろうぜ」
「うん。わかった」
そういって恥ずかしさをこらえて彼女の手を取る。
「あ……」
「ほら。今度はさっきみたいにならねーように、はぐれそうなときは手ぇつないでてやるよ」
「う、うん……」
顔を赤くするちせにつられてしまわないように、努めて平静を装いながら彼女の手を引く。
その手は彼女の顔の紅潮に反して冷たく、強めにしっかりと握っても心臓の鼓動を示す脈を感じなかった。
****
バザーのイベントである音楽発表会が終わり、ちせを自分の家まで送り届けたころにはすっかり暗くなっていた。
例年と違い今年は汗ばむくらいの暑さだが、本来であればこの地方でこの時期は肌寒さを感じる季節である。夕焼けが見えたと思ってから暗くなるまではあっという間だった。
「じゃあ、またな」
「うん。また明日学校でね」
別れのあいさつを交わしたのち、自宅への帰路に就く。
発表会に出席した友人のバンドが観客から好評だったこと、バザー内の古本市で興味があった分野の世界史の本が買えたことでちせは上機嫌のようだった。
このご時世僕たちもろくに小遣いなどはないのだが、捨て値で売っていたため買うことができた。
自分も彼女の欲しい品物があり手が届きそうにない場合は、彼氏の甲斐性というものを見せてやりたかったが、彼女におごったジュースが思ったよりサイフの中身に響いていたため助かった。
小さな達成感を嚙み締めつつ歩いていると、急に口をふさがれて林の中に引きずり込まれる。
「Hey! You're Chise's boyfriend!?」
何が何やらわからないまま見ると、2人組の外国人で片方が僕を拘束し、もう片方が拳銃を突き付けていた。
簡潔な英文だったため内容自体は頭に入っていたが、あまりの出来事に何も言えずにいると、相手はいらだったように拳銃を僕の目の前に突き出し、再度同じことを言った。
自分が生命の危機にあることはわかったのでとりあえずうなずいてリアクションをする。
すると拳銃を持ったおそらく尋問役の男は、僕の後ろで拘束している男とアイコンタクトらしきものをした。
そしてこちらに人差し指を唇に当てる「静かに」のジェスチャーをしたのち、拘束はそのままに口を塞ぐ手は外された。
「What is she……Chise!?」
またしても簡単な英文だったため、リアルの英会話経験がろくにない僕でも意味は分かった。
それよりも相手が
以前ちせがあちこちに監視されていると言っていた。
この2人がどこの国のスパイやら特殊潜入工作員だか知らないが、ある程度
彼女のその発言を聞いてから考えたこともあったが、ぼくの価値はせいぜい
何せぼくはちせが最終兵器になったことしか知らないのだ。逆に教えてほしいくらいである。
しかし、それをうまく伝えたところでこの諜報力不足の2人は納得してくれるだろうか。
「
まったく正解が分からないが、拳銃を持つ男がいかにも焦っていますといった形相でこちらを見つめているので、何とか言葉を絞り出す。
「I don't know……don't know」
中1でも言えそうな英文ではあるが、これしか言えなかった。
それを聞いた男の表情は、何とも言えないものだった。返答に対して怒っているふうではない。
どこか納得したような、それを認めたくないような葛藤や苦悩、焦燥が見える表情だった。
「Oh nein……was sollen wir dann tun……」
「Hey, reiß dich zusammen」
母国語なのか英語とは明らかに違う言語で何かつぶやき、それに応えて僕の後ろの男が呼びかけている。
するといきなり銃を持ったほうの男が僕の肩をつかんだ。
「Hey du, du hast wirklich keine Ahnung!?」
「Unser Land ist nicht mehr! Sollen wir einfach so enden?」
肩をゆすりながら何やら必死の形相で問いかけてくる。かろうじて拳銃は手に持っているが、銃口はあらぬ方向を向いていて脅しの道具としての役割を果たしていない。
「Hey, weißt du wirklich nichts? Du hättest
もはや尋問というよりは、懇願のようだった。何を言っているかはわからないが、聞き取れた
ついに肩をつかんでいた男は地面に突っ伏してうめくだけになってしまった。
彼の国や軍隊を
ぼくを拘束している男も、最初は相方を落ち着かせようとしていたが今は何も言わない。
と、巨大なニワトリのような物体が上から降ってきた。
それはぼくの前方で地面に突っ伏していた男の顎を思い切り蹴り抜き、一撃で昏倒させた。
ぼくの後ろで拘束していた男は、ぼくを放して立ち上がろうとしたが、襲撃者が銃のようなものでひも付きの針のようなものを飛ばし、命中後何やら体を硬直させてうめいているところを締め落とされた。
よく見るとそれは黒衣の男だった。
ニワトリと思ってしまったのはその頭部のトサカのようなモヒカンのせいだった。
モヒカンの男は器用な手つきで気絶させた2人の腕を探り、注射器で何かを注入していた。血管を探るさまは、赤十字社センターで200mL献血をした時に見た看護師さんのように手馴れていた。
彼は注射器をしまうと、口元を覆っていたスカーフを外す。そこで彼が日本人らしいことに気付いた。
なぜか月明かりが木々の合間を縫って少しだけ差し込んでくるようなこの場所でもサングラスを外していない。
「やあ、大丈夫?」
「は、はい……」
モヒカンの男はそのファンキーな髪形と先ほどの戦い慣れした動きからは想像がつかないほど軽い口調の日本語で話しかけてきた。
急展開についていけず、下手に目の前の彼を刺激するのも怖かったのでとりあえず返答する。
「いや~、君への監視ってぶっちゃけおまけレベルなんだけど、あんなに殺気出して監視してるヤツがいたらなんか起きると思っちゃうよねぇ」
「はあ……」
彼はこちらの様子を確認すると、無力化した2人のそばにしゃがみこんで体をあさり始めた。
「でもこれで若への手土産が増えたよ。君もケガもなさそうでよかった。おっかない彼女もいるしね」
彼はこちらの事情もある程度把握しているらしい。
「あ、あの……」
「ん?なんだい?」
「助けてくれてありがとうございます」
彼にこちらへの害意はなさそうだったのでとりあえず礼を言う。
「いいのいいの。いちおう同じ日本人だしね」
モヒカンの彼はその間も手を止めずに、体を探って見つけた何かしらを懐にしまい込んでいる。
「君は帰っていいよ。親御さんも心配するだろうしね。こいつらはぼくに任せてくれていいから。あ、わかってると思うけど他言無用でヨロシク」
この2人組をどうするのか気になったが、さすがに答えてはくれないだろうと思い疑問を飲み込む。
「じゃあ、失礼します。あの……あなたは何者なんですか?」
藪蛇になるかとも思ったが、つい疑問が抑えきれず出てしまった。
「ん?あ~……外国のきな臭い動きを感じて、君を裏から警護していたこの国のシークレットサービスみたいなもん……ということにしておいて」
明らかにそう言っているだけの答えが返ってきた。建前であることを隠す気すら感じられない。
「わ、分かりました……」
だが、ここでそれを指摘しても双方にとって良いことは何もないだろう。向こうがこちらが納得していないことも察しているうえで、とりあえずの了承の返事をした。
「ぼくも含めてこんなむさい男たちに関わってもいいことないよ。彼女さんを大事にね」
僕はそんな言葉を背にして帰宅した。
その夜、頭の中は様々な考えでいっぱいだったが、疲れていたためかいつの間にか眠ってしまった。
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