クロエたち4人との生活は、私にとって幸せな日々だったと言っていい。
トラブルが皆無だったわけじゃない。喧嘩をしたとか、ツキノがヤマタを大泣きさせたとか、いつの間にか“先生当番表”なる私のお世話係をする役回りが決まってたりと、まぁ色々なことがあった。
だが、それでも“仲良く暮らしてほしい”という私の意を汲んでくれたのか、今まで致命的なアクシデントになるようなこともなくみんな仲良くやってくれていた。
クロエは相変わらず体育会系だし、イセは自分で本を書き始めるくらい頭がいいし、ヤマタは積極的に皆をまとめてくれてるし、ツキノはのびのびと自由に過ごしている。
その光景は小規模ながら……私が理想とした“モン娘の楽園”というものを実現しているように思えた。
願わくば、この平和が永遠に続けばいい……なんて、思った矢先。
「ん?」
私の視界の隅に、奇妙なものが映った。
視界といっても、私の目は人間のように目の前だけを映すのではなくこの“天海全体”を常に見渡せるようになっている。監視カメラが眼球の中に内蔵されているようなイメージだ。
これは天界の空を浮遊する“空ノ目”を私がいくつも飛ばし、それを中継した映像が私に流れ込んできているためにそうなっている。
プライバシーというものがあるため、常にモン娘4人を監視するような真似はしていないが彼女たちに何か異常が起きたらすぐに対処できる体制は整えている。
そんな空ノ目が捉えた緑色に発光する謎の異物。
一瞬見えたそれは、見間違いでなければ“人”の姿をしているように見えた。
「自動人形……?」
天界の様々な雑務をこなすために私が作った“自動人形”は、人に似せた形に作り込んである。だが自動人形はあんな風に発光したりはしないはずだ。
緑色。私はあの不気味な蛍光色に強い既視感を覚えていた。
「確かめよう」
ここしばらく平和な日々を過ごして緩みきっていた危機感を再燃させ、私は立ち上がった。
◆
「……この辺りのはず」
異物を捉えた空ノ目が周回していたのは、学校の裏庭にあったものだった。
学校には日常的に立ち寄っていた。だというのに、あんなのがいることに今まで気づかなかったなんてのがあり得るだろうか。
やはり、見間違いだったのか……。
後ろを振り向く。
「──」
「……まさか」
そこに、いつの間にか立っていた。
“緑色の人影”が。
「本当にいるなんてね」
それはゆらゆらとゆらめいて、意思があるようには感じられなかった。体は黒い影で覆われ、隙間から光を発している。貌もまた暗い影に覆われて見ることはできないが、その影の向こうから、しっかりとこちらに向けられた“視線”を感じた。
「君は一体、何者なのかな」
当然ながら、私はこんな存在を生み出した覚えはないし、許した覚えもない。
「そんな怖い姿で学校に立つのはやめてほしいね。生徒が不安がる」
「──」
影は答えない。ゆらゆら、ゆらゆらと。私の言葉を受け流すように不明瞭な動きを続けるだけだ。
いつか、私は疑っていた。
今はもうすでにこの天界を去った最初の女神。“ティンダー”を唆した……何者かがいるのではないかと。
結局、あれからどんなに手を尽くしてもそんな存在は見つからず、ただ時間は過ぎて、私はあの時の懸念を思い過ごしと消化して今まで生きてきた。
「お前が、“そう”なの?」
だが、やはりいた。
この天界に……私でさえ知らなかった“誰か”はいたのだ。
「お前が……ティンダーを殺したの?」
「──」
「答えなよ」
冷たく、冷たく……鋭い敵意が。今までに感じたことのない、静かな怒りがふつふつと湧き上がってくる。
もしかしたらこれが“殺意”というものなのか。
「答えないなら……」
「──」
「っ!」
何も反応を見せない影に、一歩を踏み出そうとした瞬間。
影が突然、激しい反応を見せた。波のように凪いでいた表面を荒れ狂う滝のように激しくざわつかせ、姿勢を低くする。
私はその様子を見て、咄嗟に“創造魔法”を発動した。
レンガ床の一部が変形し、私の前に壁として張り出す。さらにその性質は一瞬で変化し、石の壁は太陽を受けて輝く“鉄”の盾と化した。
──ガァンッ!!
「う、ぐ……!」
そうして生み出した鉄壁についた手に伝わってくる衝撃。それは鉄壁の向こう側から強い衝撃が加わったことを意味していた。
「やっぱり、敵……!?」
私が生み出した鉄壁に、影が突っ込んできたのだ。
硬度なんて持っていなかったように見える不定形な体だったが、まさかこれほど強い力があるとは。
──ガンッ、ガンッ、ガァンッ!!
「まずい……!」
影の攻撃は一度で終わらなかった。何度も何度も、壁に向かって執拗なまでの衝撃が加えられた。
だが、影の狙いがただの鉄壁に体を打ち付けることであるはずがない。その狙いはきっと、壁の向こうにいる私に他ならないだろう。
「……私を、殺したいの?」
この敵意が、私を害するために向けられているのなら。あの影が……私にとって、明確な“敵”であるならば。
「安心したよ」
私は呟き、唱えた。
「『隆起』、『成形』、『圧迫』」
「──!!」
壁の向こうで、大きな揺れと衝撃と共に声にならない影の悲鳴が聞こえた。
同時に壁を叩く衝撃の間隔が止むのを確認した私は、壁をバラバラと崩壊させた。
「これで容赦なく、お前を殺せる」
影を貫いていたのは、地面から飛び出す真っ黒な無数の槍だった。
同じ黒でも、それは影のような無機質な黒じゃない。黒曜のような輝きを宿した、私の殺意を反映させた黒い穂先だ。
「──」
「まだ死んでないのか」
まさか、この世界で戦うことになるなんて思わなかった。この”天界“は曲がりなりにも、私の理想を詰め込んだ平和な世界だったのだから。
「この平和な世界に、お前みたいな異物はいらない」
だからこそ、この世界を汚して、そして私の女神を殺したこいつに対する殺意は今もまた溢れてきて止まらない。
こんなに誰かを恨んだのは生まれて初めてかもしれない。
──ザシュッ、ザシュッ。
「──」
とっくに人間ではなくなっていた私の精神性を、かろうじて人間の形に留めていた軛がどんどん外れていく音がする。
「知ったことか」
もうこんな意味不明な奴に、私の大切なものが奪われてたまるか。
「お前に意思というものがあるなら、生まれてきたことを後悔しながら死なせてあげる」
あぁ、この感覚はなんだろう。
4つある私の腕……その右上腕に、三叉の“槍”を握る。
その柄は私の確かな悪意を反映したかのように、禍々しく螺旋を描いていた。
私は今……間違いなく悦んでいた。
ずっと喉の奥に、小骨のように刺さって抜けなかった疑念。それは時間が経つごとに消えていくどころか、むしろ痛みを増していくばかりだった。
ティンダーは死んだ。なのに私はこんなにいい子たちに囲まれていていいのか。ティンダーが死んだ本当の理由を探すのすら諦めて、その歴史を風化させて私は生きていくしかないのか。
その小骨を掴んで引き抜き、傷を癒すことは簡単だった。だけどそれは彼女の死をなかったことにするのと同じなんじゃないか。私はずっと、この痛みを抱えていかなきゃいけないんじゃないか。
「本当に、良かったよ」
そんな風にずっと考えていたから……私は今、本当に嬉しい。
「ありがとう。私の前に現れてくれて」
こいつを殺せば、彼女に報いることができる。
「死ね」
私は大きく槍を振りかぶり……そして、影の頭に突き刺した。
「──」
影は相変わらず悲鳴も上げなかったが、槍を突き刺した瞬間、僅かに体を硬直させて──。
……空気に溶けるようにして、消えた。
「……はぁ」
そうして、地面から伸びる槍と、戦いの足跡以外何もなくなったその場所で。
私は……そこにいる誰かに“終わったよ”と告げるように、天を見上げた。
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