「先生?」
私を呼ぶ声に、空を見上げていた視線を地面に戻す。
「あぁ、ごめん。クロエ。考え事してたよ」
そこには、机に向き直って問題集を解いているクロエがいた。
『お姉ちゃんとして、みんなの勉強を見てあげられるようになりたいの!』と意気込む彼女の願いを受けて、私はクロエの臨時家庭教師をしていた。
正直、もう私が“授業”としてみんなに教えられることは少なくなってきている。最初は字と言葉が話せるようになれば万々歳だということで始めた学校だったが、思ったよりも授業に対するみんなの意欲が高いから私も“もう勘弁してください”とは言えない状況だ。
……やっぱり一応私の子供だから日本人の血が流れてるんだろうか。うーむ。
「……ねぇ、先生。なんか最近、先生変じゃない?」
「え?」
と、そんな風に今は遠き故郷に想いを馳せる私に、クロエは疑惑の眼差しを向けてきていた。
「なんか、ボーッとしてるっていうか……考え事してる?みたいな感じ」
「……」
そうクロエに言われ、私は目を瞬かせた。
「……なんでもないよ。ちょっとゲームやり過ぎただけかも」
「あー! いけないんだ。ツキミにはやりすぎーって怒るくせに」
「ははっ、ごめんごめん」
私はけらけらと笑って、努めていつもの笑顔を浮かべるようにする。
クロエにこれ以上心配をかけるわけにはいかない。
「じゃあまたねー! 先生ー!」
「うん、また明日」
それから、クロエが問題集を一段落させた後、私はクロエたちが住んでいる“天岩戸”を後にした。
ここは学舎に程近い学生寮のようなもので、みんなは普段ここで寝泊まりしている。睡眠も食事も必要なくとも、きっと家は必要だ。
「……」
そうして一人になると、私は陽が暮れ始めた天界に身を投じた。
「行こうか」
◆
「──」
闇の中、翠玉に漏れ出る不気味な光が暗い路地を照らしている。
光はまるで幽霊のように揺らめき、見るものを誘うかのように幽い舞踊を魅せるのだ。
光に照らされるのは、帯のような真っ黒の靄を纏った影。影はただただ人型であるだけでなく……その手に、“剣”のような鋭い切先を持つ獲物を携えていた。
影は何かを探すように、ゆらゆらと通りを漂って……。
「『炎上せよ』」
──背後から飛んできた火の玉によって、一瞬にして灰塵と化した。
「……火力はそこそこか」
指先から白い煙を上げながら、私は炎に包まれ消えていく影を見つめた。
「今の“悪魔”、武器を持ってたな。どんどん進化してるってことか」
悪魔。
私はあの影をそう呼ぶことにした。直球なネーミングと思われて結構。彼らをそう呼ぶのは、私にとって彼らが絶対悪だからだ。
最初の悪魔を殺してから、悪魔は毎日のように天界に現れるようになった。悪魔が出現するのは決まって夜のことで、最初は1匹だったのが、一夜に2匹、3匹と現れるようになり、そして遂に戦うのに適した姿を取るようになった。
殺すごとに、強くなって進化している。
そのことに気づいた私は、悪魔をより効率的に殺すために“文字魔法”に改良を加えた。今までは世界に影響を及ぼしてより便利にするために使っていたそれを、“攻撃”としてより実用的にする方向に。
“
それは、文字魔法が及ぼす世界への干渉を言葉に乗せて放つ法外の魔法だ。まぁ、私の使う力は大抵法外なんだけど。その中でもかなり別格と言っていい。
“言葉にしたことを実現する”という単純かつ究極の強さは、単に足が速いとか腕力が強いとかの肉体的な強さとは隔絶した所にある。
「死ね」と言えば相手は死ぬという程単純なものではないが、それに近いことはできる。こちらの身を危険に晒すことなく、最速で敵を屠れるその快速性が気に入っていた。
「元々は文字魔法の応用のつもりだったんだけどね」
舌禍魔法を考え、理論を構築した当初はこんなに物騒な仕上がりになるとは思っていなかった。文字魔法の補助として、よりみんなが生きやすい世界に“天界”を仕上げるために考え出したものだったのだが。
「全部、悪魔が悪い」
だが、それもこれも全て悪魔のせいだ。
「──」
ほら、そうこう言ってる間にまた新しい悪魔が湧いて出た。
今の私は、悪魔を根絶するのにあらゆる手を尽くしている。
「『捻じ切れろ』」
殺す。
「──」
「お前たちのせいで、生徒に心配をかけさせてしまったじゃないか。どうやって落とし前をつけるつもりだ? ん?」
あぁ、また沸いた。
「『四散しろ』」
殺す。
「『潰れろ』」
殺して殺す。
全ては天界のため。可愛くて愛おしいモン娘たちと、これから生まれてくる子供たちのため。
こんな邪悪な存在が、間違っても彼女たちに悪影響を及ぼすことがないように私は殺し続ける。
「……はは」
知らずのうちに、笑みが溢れた。
「あはは」
悪魔を1匹殺す度に、心が充足感で満たされる。
「あははは!」
四つの腕で、剣を、槍を、斧を、炎を握って殺す。
斬る。刺す。叩き潰す。燃やし尽くす。
「あははははっ!!」
理想を叶えた私の世界に蔓延る害虫め。1匹残らず駆除してやる。
そのためなら……私は。
なんだってしてやれるのだ。
◆
「なんか最近さー、先生機嫌いいよね」
突然、クロエ姉さんがそんなことを言い出しました。
「そうかな? 私にはむしろ、少し疲れてるように見えるんだけど……?」
「いーや、上機嫌だったねあれは。私が先生と一番付き合い長いからわかるんだ」
クロエ姉さんが自慢げに言う。
……お姉ちゃんはことあるごとに先生との関係の深さをアピールしないと気が済まないらしい。私たちが生まれたのは姉さんが生まれてからそんなに日も経ってない頃だって聞いたんだけど。
「ヤマタだってわかるでしょ?」
私はヤマタ。
イセお姉ちゃんの妹で、ツキノの姉。先生が言うには、そういう子を“三女”というらしい。
クロエ姉さんが“長女”、イセ姉さんが“次女”でツキノは“末っ子”とみんな特別感ある呼び方なのに、私は“三女”ってちょっと適当な呼び方なのが少し気に入らなかったりする。
先生は“一人だけ数字入ってるのかっこよくない?”なんてよくわからないこと言ってたけど。先生は優しいけどちょっと変な人だ。
「まぁ……。でも最近の先生、ずっと忙しそうだよ」
先生は確かに変な人だし、腕4本だし、たまに私たちの耳とか尻尾とかをすごい目で見てくる時とかはちょっと気持ち悪いって思うこともあるけど。
どんな時でもずっと笑ってて、楽しそうにしてる姿が私は好きだった。
だけど最近の先生は少し……上手く笑えていないみたい。
いつも何か考えていて、少し難しい顔をしている。それでも私たちの前ではいつもの先生でいようとしてくれてるみたいだけど、先生は顔に出やすいタイプだから。
クロエ姉さんだって、ツキノだって、言わないけど気づいてるんだ。もちろんイセ姉さんも……。
「……あれ? そういえばイセ姉さんは?」
そこで私は、夜なのにイセ姉さんの姿が見えないことに気がついた。クロエ姉さんも首を傾げる。
「外じゃない? もしかしたら新しい本借りに行ったのかも!」
「この前学校の図書読破したって言ってたじゃない……確かにイセ姉さんは同じ本を何回も読んでるけどさ」
「そっかぁ」と言って腕を組むクロエ姉さん。その背後では、ベッドの中でくるまって熟睡しているツキノがいた。
……イセ姉さんはとっても頭がいい。それこそ私なんかより、ずっと。もしものことなんて起こらないと思うけどやっぱり少し心配だった。
「私、ちょっと姉さんを探しに行ってくる。二人はここで待って……」
「あ」
「……イ、イセ姉さん?」
立ち上がり、外に出ようとした矢先に部屋の扉が開き……扉の向こうからイセ姉さんが姿を見せた。
「どこに行ってたの? 先生、きっと心配して……」
「みんな」
イセ姉さんは、部屋に入ってきてからずっと俯いていた顔を、ゆっくりと上げた。
「……イセ?」
イセ姉さんは……今までに見たことがないくらい、真剣で、険しくて……怯えた表情をしていた。
「今から話すこと、よく聞いて」
そうしてイセ姉さんは……。
……信じられないことを話し始めた。
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