「あれ……?」
ふと気づくと、私は校舎裏に立っていました。
「なんでこんな所に……」
考え事をしている内に、こんなところまで来てしまったのでしょうか。いけませんね。ぼんやりしていては。
早く天岩戸に……。
「やぁ」
そして気づけば。
「……先生?」
私の後ろに先生が立っていました。
……いえ、違います。
「誰……?」
「酷いなぁ、イセちゃん。私を忘れるなんて」
“それ”は先生じゃありません。
姿形は確かにそっくりです。4本腕で私たちより少し背が高く、髪色は白銀で、ゆったりとした佇まいです。
だけど影のように真っ暗で裾が焼け切れたようなドレスを纏い、目や体の随所に緑色の輝きが灯っています。顔に浮かべる笑顔も、先生のそれより昏く、こちらを見下すような色があります。
「貴方は……先生じゃありません」
本能的に察しました。
彼女は先生と同じ姿をしていても、全く別の存在……先生を騙った何者か、なのだと。
「……お見事! いやぁ、まさか一発で見破られちゃうなんて。頭のいいイセちゃんには通じないかぁ」
「……先生はもっと優しいし、かっこいいです」
「おーおー、すんごい尊敬されてるじゃない。もう一人の私ってば。妬けちゃうなぁ」
人を食ったような喋り方をするところは、確かに先生に似ていますが、その中に悪意や嘲りの色が見える所が決定的に……。
「……“もう一人の私”?」
今、この人は……なんて言いました。
「そう。私は確かに君の知ってる先生ではないけど、同時に君が知らないだけで、先生ではあるんだよ」
「……どういう意味ですか」
「わかんない? 賢いイセちゃんでもわかんないかぁ。それとも理解したくないのかな。大好きな先生の、好きじゃない一面を知りたくないのかな」
「質問に答えてください」
私は怒りを滲ませて、先生の偽物に詰め寄ります。
「おー、こわ。私も恐ろしい子を育てたもんだね……言葉通りの意味さ。君の知ってる先生が“良い先生”なら、私は“悪い先生”なんだよ。うーん、君の先生は私たちのこと悪魔って呼んでるから、それに倣うなら“デモン”かな。そう呼んでよ」
「デモン……」
「完全なる善人なんて存在しないんだよ、イセちゃん。人には必ず良い面と、悪い面がある。なのに私は、自分の悪い面を受け入れられなかったんだねぇ」
先生の偽物……自身を“デモン”と呼んだ彼女は、けらけらと軽い笑いを浮かべます。そんな様子に私が嫌悪感を抱いてるのを知ってか知らずか、デモンは自分勝手に喋り続けます。
「最初の人形を作った時、私は“良し”と言った」
「……?」
「その時、この世界には“良い”という概念が生まれたんだ。だけど良いものがあるなら、悪いものも同時にあるのが世の常でしょ? だから“悪い”という概念が同時に生まれることになったんだ」
デモンはゆっくりと、その足に履いたヒールをカツ、カツと音高く鳴り響かせながら歩く。
……その姿が、自然と宙に浮いていく。
「私は無意識的に、この世界に生まれた悪を見えないところへ押しやった。日陰になって、誰も見ることができない“影”にね。一方で陽の当たる世界には良いものばかりを生み出した」
宙に浮いたデモンが、傾いた夕陽に照らされる。
だが太陽を背にした彼女が、地面に影を落とすことはなかった。
「そうやって良いものを日向ぼっこさせている間に、影の世界には同じだけ悪いものが溜まっていった」
デモンは手を広げ、太陽の光を身に浴びるようにうんと体を伸ばす。
「この世界は、良いものでいっぱいに満たされたね。だから私は満足して、世界をこのまま変えることなく存続させることを望んだみたいだけど……影の中も、悪でいっぱいに満たされた。そんな悪も同時に肯定されたから、私が生まれた」
太陽が沈む。
宵闇が天界に訪れ……“暗いと危ないからね”と優しい笑顔で先生が設置した、街中の灯りが点る。
そんな光にすら寄りかからないとばかりに、緑の光を発するデモンの目が闇の中に浮かんだ。
闇の中に浮かぶその容姿が……黒い靄に覆われる。
「そして、最初の女神を滅びに誘った悪への怒りで、“良い私”は悪の側面に傾きつつある」
そうして靄が晴れると……彼女の姿は様変わりしていた。
身長が伸び、四つの腕も足もすらりと長く。体は女性的な起伏に富んだ体型となり、身を包むドレスは胸元や背中が大きく開き、スカートにスリットが深く入った扇情的なデザインに。顔つきも大人らしくなり、まつ毛が長く、切れ長な瞳に。
そして……腰までだった長髪が足先まで覆うほどに伸び、その髪先から緑色の炎が立ち昇っている。
その顔に浮かべた笑顔はまるで、物語で聞く“魔王”という存在のように、威圧的で嗜虐的な笑みだった。
「さて、と」
「……え?」
「君の大好きな先生に伝えておいてよ」
耳元で囁くように声がした。
ぎょっとして振り向くと……胸に、トンと軽く指先で押されるような感触。
「今は、私の方が強い」
そうして、デモンは……闇の中に紛れるようにして、消えていった。
◆
「……」
私はその話を、黙って聞いていた。
「先生……」
目の前には、不安げな表情を隠せないイセと……クロエ。ヤマタ。ツキノ。
クロエとヤマタはともかく、ツキノでさえこんな時間に起きてるなんて何があったのかと、イセに呼ばれてやってきた天岩戸の入り口を潜った時の疑問はすでに、解決されると同時にどこかへ飛んでいってしまった。
イセに接触した、私と同じ姿をしている悪魔……デモン。
「まさかそんな奴がいるなんてね」
「せ、先生。イセの話、本当なんですか……?」
「……」
“本当なんですか”。
その問いには、きっと様々な意味が込められている。
私たちに見えない“影の世界”に、良くないものが溜まりつつあるという話。その結果もう一人の私が生まれて、意思を持って動き始めているという話。その私が、今の私より強いという話。
そして、当の私が悪の側面に傾きつつあるという話。
……正直言って、私でさえ知らない話が多すぎて混乱してる真っ最中だ。だから今の話が本当なのかと問いたいのは、実は私の方だったりする。
だけど私は先生だ。
みんなの心から不安を取り除いて、その隙間に安心を与えてあげなければいけない立場だ。
「大丈夫だよ」
だから私は、笑顔で言った。
「ごめんね、イセ。不安にさせちゃって。怪我とかしなかった?」
「は、はい……私は大丈夫ですが……」
「それなら良かった」
努めていつも通りに。みんなにとって“頼りになる先生”をこころがけて。
「みんな、聞いてくれる? これから私はちょっと出かけてくるよ。朝までには戻るから、それまでみんなはこの部屋の中でじっと待ってて欲しいんだ」
「えっ、出かけるって……どこに行くんですか」
ヤマタが顔に不安な色を浮かべながら聞いてくる。
「イセが会ったもう一人の私とやらと、ちょっと話をつけてくるよ。大丈夫。もう一人の私ってことはきっと話が合うんだ。仲良くご飯でも食べてくるよ」
「行かないでください」
立ちあがろうとした私の服の袖を、イセが掴む。
「あの人は、危ないです。先生に何かあったら……!」
「イセ」
私は背を屈めて、イセと視線を合わせる。
「私は強いんだ。大丈夫だよ」
「……」
目を合わせてそう言うと……イセは、唇をきゅっとひきむすんで、俯いた。
「クロエ。お姉ちゃんとしてみんなをお願いね」
「……わかったっ!」
ふんすっ、と気合を入れるクロエ。
この子はいつも、笑顔でみんなを照らしてくれる。
イセは賢さで、ヤマタは統率力で守ってくれる。
「先生〜」
「ツキノ?」
「おまもり〜」
そう言って、ベッドから降りたツキノが……私の手に、石から削り出したらしい三日月のペンダントを握らせてくれた。
「ありがとう」
「武運をいのる」
ツキノのマイペースさは、きっと緊張を解してくれる。
「行ってくるね」
そうして、私は立ち上がると。
「……気をつけてください」
背中に突き刺さる、色々な感情が混ざった視線を無視して部屋を出た。
……。
「……さて」
外に出た私は、ふぅと軽く息を吐いて。
私は……空を見上げた。
「いるんでしょ? 出てきなよ」
そして夜空に向かって、声をかける。
「……不審者みたいに言わないでほしいなぁ。姉妹みたいなものなのに」
声は後ろから聞こえた。
わざわざ振り向かずとも“空ノ目”が捉えている。夜のようなドレスを纏った、怪しい光を放つもう一人の私が背後に立っているのを。
「初めまして」
デモン。
影の中にいたという……もう一人の私。
「……場所を変えようか」
「おっけー」
そうして私と彼女は、その場から姿を消した。
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