「……」
「先生、大丈夫かな……」
静かで、重々しい空気が流れる天岩戸。
私は身体中がビリビリと震えるその原因を、夜空の中に探して窓を眺めていました。
先生がここを発ってからどれほどの時間が過ぎただろう。
先生は私たちに、ここから出ずにじっとしていろと言いました。朝になれば帰ってくると。だけど私は知っています。
夜空の中、先生とそっくりな姿で現れたあの……“悪魔”は。きっと先生と同じか、それ以上の強さを持っているのだと。
クロエもヤマタも、それを信じようとはしません。私たちは先生が自分の体の何百倍も大きい大陸を手も触れずに軽々と動かしいる光景を見たことがあります。何もない場所に、一晩で大きな博物館が建ったこともあります。そして先生は私たちにあまり見せませんが、炎や雷、氷に風といった“魔法”を扱えることを知っています。
先生は私たちにあまり魔法のことを知ってほしくない様子でしたが。
だから、漫画の中に出てくる“最強”と呼ばれる人たちより、よっぽど最強らしい力を使う先生が誰かに負けるなんて想像もできない。
それでも……相手が“先生”本人であったらどうでしょう。
わかっています。きっと先生は偽物なんかに負けない。でも……あのデモンと名乗った者は、確実に先生とは別人だったけど、同時に先生と非常に似た雰囲気を持っていました。
私たちは先生が過去、どういう人だったのか知りません。
以前に、それとなく聞いてみたことがあったけどはぐらかされてしまいました。「君たちが大好きなオタクだった」なんて、冗談を言われる始末です。
先生みたいな人がただの人間なはずないでしょうに。
私は先生が、物語で言う「神」に近い存在なのだと思っています。物語の中の神はやたら主人公に強い力を与えたり、自分勝手な理由で世界を滅ぼそうとしたりと傍迷惑な存在であることも多いですが先生はそんなことしません。なのでいい神様です。
だけどそういう悪い神様も確実にいて、きっとそれがデモンなのだと思います。
残念ながら……良い神様と悪い神様が戦った時、高確率で良い神様は負けるか、深い傷を負うことが多いです。
だけど私は…….
「良い神様に、勝ってほしい」
だから私は……。
「えっ、ちょ、ちょっと……イセ!? なにしてるの!?」
「先生のところに行きます」
窓を開け、身を乗り出した。
「ダメだって! 先生が大人しくしててって言ってたじゃない!」
「それでもし先生に何かあったら、私は後悔すると思います。だったら、何もせずに後悔するより……行動を起こしてから後悔した方がいいと思いませんか」
「それは……」
外に出て行こうとする私の手首を掴んで引き止めようとしたヤマタが、目を伏せる。
きっとヤマタだって、本当は先生が心配で仕方ないはずだ。
「……行ったところで、行ったところで何ができるの……? 先生でも勝てないなら、私たちに何もできるはずないじゃない……」
「……ヤマタ。魔法を知っていますか」
「え?」
きょとんとするヤマタの目を、私は真っ向から見つめた。
「この世界では……先生が“魔字”と呼ぶ不思議な文字があり、それを書くことで様々な力を発揮するのだそうです。“文字魔法”は……書くことさえ出来れば、誰にでも扱える。例えば私にだって……」
「ちょ、ちょっと待って。イセ。あなた……」
ヤマタが私の肩を掴み、危機迫る表情で聞いてきます。
「それ……誰に聞いたの?」
「……」
「先生、じゃないわよね……」
先生は……魔法を私たちに教えたがりません。
それはヤマタもよく知っています。先生が魔法を使う時は決まって私たちが勉強中でその場にいない時や、夜の時ですから。
だから私が先生の魔法の種を知っているはずもない。
「私……デモンに会うより前に、悪魔と会ったことがあるんです」
だから私は打ち明けた。
先生には言わなかった、私が……先生にしていた“隠し事”を。
◆
「どうしたの?」
鮮烈な光がぶつかり合う向こう側。
「随分苦しそうじゃない」
そこに悠然と立つ黒衣の女神は、唇に手を当ててこちらを見下ろしていた。
「伝言を頼んでおいたはずなんだけどね? 私の方が強いって。イセちゃんが伝え忘れちゃったのかしら? まぁ、どっちでもいいわ。どうせ遅いか早いかの違いでしかないもの」
「……気持ち悪い喋り方しやがって。女かよ」
「女よ? あなただって自分をそう定義したはずでしょう?」
……あぁ、そうか。
私がなんでこんなにも悪魔に怒りを抑えられないのか。苛立ってしまうのか。その理由がわかった。
「お前は、私なんだな」
私が悪を見えないところに押しやった。なるほどね、言い得て妙だ。
「えぇ。何度も言ったじゃない。私という存在はいわば、あなたの欲望よ。あなたが醜いと感じて押しやったあなた自身の感情。もっと言えば、私たちのオリジナルの感情ね」
“女”を隠そうともしないその態度が、私の……“俺”の願望の表れだとすれば。そりゃ見えにくい場所に持って行こうとするのもわかる。
「あなたみたいな中途半端な存在じゃなく、どこまでも欲と願望を実現させた私の姿こそ、本当の私の姿。そうは思わない?」
確かにな。
その言葉を裏付けるように、私の姿はボロボロだ。
白いシャツは裾が焼けこげ、白銀の髪も煤けて縮れている。
対してデモンの方は……全くの無傷。それどころか、戦う前より艶が増し、月光を受けて光り輝く白い肌と、背中から溢れる緑光が円環を為して渦巻いてる様は、まるで女神としての完成形に至ったかのような出立ちだ。
「いい加減、良い子ぶるのはやめたら? あの子たちの教育者として、相応しい振る舞いをしようとしたんでしょう? それは立派だけど、私たちらしくないじゃない。慣れないことはしない方がいいわ」
デモンが足を組み替え、月を背に艶然と微笑む。
「もっと自分勝手に生きていいのよ?」
……その時、地面が一条の光を放った。
「『止まれ』」
光は一瞬でデモンの元まで迫り、彼女を貫く……ことはなかった。
その寸前で、ピタリと止まる。どうやら光っていたそれは細い一本の“針”のようだった。
「……イセ」
光が放たれた地面を見ると、そこには白い毛並みを逆立たせた和装の少女、イセが立っていた。その手には銀の針が握られている。
「まさか、今のって魔法……?」
ただ投げただけでは、あの早さと威力は出ない。
それこそ文字魔法により威力が増強された一撃でなければ……。
「びっくりしたー……なによあなた、イセちゃんに魔法教えてたの? 今の絶対文字魔法じゃない。可愛い生徒にあんな危ない技教えてどうするの?」
「お、教えてないけど!?」
「えっ? じゃあ……まさか独学?」
「多分……」
「……」
不名誉なことだが、多分この時、私とデモンの考えていることは一致した。
((天才じゃん……))
と。
……ん? ちょっと待て。
「ってか、イセに魔法教えたのあんたじゃないの? ティンダーにやったみたいに。さっきそう言ってたじゃん。」
「? “勉強熱心だった”って言っただけよ。まぁ確かにヒントは与えたけど、習得したのはあの子の地力。イセちゃんも同じようなもんなんじゃない?」
「……」
私は腕を組み、天を仰ぐと……。
「つまり、私の育て方が神だったってこと?」
「……すごい勢いで自惚れるのやめてくれない?」
私の返答にうんざりしたように肩を落とすデモン。見た目はものすごい風格を感じる女神様なデモンにそんなコミカルな仕草をされると笑ってしまう。
……けど、なんだか元気が湧いてきたな。
「教え子の前で、かっこ悪い姿は見せられないね」
ボロボロになった私の服や髪が、少しずつ元に戻っていく。
自分の姿なんてのは結局、気の持ちようだ。
私に女神様は似合わない。絶対的な支配者にだって、なれる器じゃない。
だけど……。
「私はあの子達の先生だから」
私の背後に現れる、巨大な剣。
「先生なら、英雄にくらいなれなきゃ」
その剣は、まるで三日月のように弧を描いていた。
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