デモンは消えた。
天界はまた、以前のような安らぎを取り戻したのだ。
かと言って全てが全て丸く収まったわけじゃないけど。
「イセ、私は怒ってるよ」
「……」
「どうしてあんな危ないところに来たの」
まず、デモンとの戦いに飛び込んできたイセ。結果的には助かったけど、やっぱりあれは危険な行為だったと思う。
仮にも先生と呼ばれる立場の私としては諌めなければいけない案件だ。
「ち、違うの。先生。私が……私が止めきれなかったから……!」
「いいの、ヤマタ」
自分を庇おうとするヤマタを、イセは悲しげに制して言った。友達を庇い合う関係。それは素晴らしいけど、やっぱり何かあってからじゃ遅かった。
「先生、ここに来たのは私の独断です。罰を与えるなら……私だけにしてください」
「罰、ね」
私はそれを聞いて、3本の腕を組んで一本の腕を顎に添えて考えた(キモい)。
イセは今回、危ないから天岩戸に待ってるように言っておいたのに勝手に外に出て自分の身を危険に晒した。デモンがそんなイセを人質に使うような鬼畜じゃなかったから良かったけど、万が一のことがあれば私とイセ、二人に何かあったかもしれない。
ただ、イセがあそこに来なかったら私一人でデモンをなんとかできたのかと言うと……微妙だ。少なくとも今の私の体が壊されていた可能性はある。結局、デモンが何を目的にしてたのかはわからないけど。
「イセは私の言いつけを守らなかった。ヤマタはイセを止められなかった。二人ともに責任があるね」
「う……」
「……」
ばつの悪そうな顔をするヤマタと黙って私を見つめるイセ。
「でも……責任というなら結局、デモンを生み出したのは……」
「……先生?」
私は片目を瞑りながら、今回の事件が起きた全ての発端へと遡っていく。
……いや、わざわざ遡るまでもないな。この天界で起きるあらゆる事象の原因。言ってしまえば黒幕が誰かなんてのは分かりきったことなんだから。
「よし、わかった!!」
だから私は4本の手のひらを打ち合わせてパンと鳴らした。いきなり大きな音を立ててビクッとしているヤマタにはちょい申し訳ない。
「じゃあこうしよう。これからこういうことが起こらないように、ルールを作るんだ」
「るーる……?」
ヤマタが首を捻る。私はニコリと笑って言った。
「覚えておきな、ヤマタ。私が元いた世界ではね……いっちばん偉かったのは先生でも神でもなく、“ルール”だったんだから」
◆
「はーい、皆ちゅーもくー」
天界学校内の教室(クラス分けとかはない。全校生徒4人だし)で、私は文字通り教鞭を執りながら黒板に書いた十項目の文章をトントンと指した。
「ここに書かれてるのは“天の十戒”。今日はみんなにこれを覚えてもらうよ」
授業がある時は、“楽しさ”を重視していることもあって皆の目はキラキラしているのだが、子供といえど賢いもので、ちょっとお説教染みた雰囲気を察しているのか今日の生徒たちは僅かに顔がこわばっていた。
「別にそんな怖がらなくていいよ。ただ、今日から皆に生活をする上でここに書かれてることには気をつけてほしいってだけだから」
「“天岩戸”から許可なく出ちゃいけない、とかですか?」
真っ先に口火を切ったのは、委員長タイプのヤマタだ。蛇行する尻尾の先を不安げにゆらゆらと揺らしている。瞳孔は開いて、口の中の刃が不安げに少し覗いている。
「そんな厳しいことは言わないよ? 物は盗んじゃいけないとか、誰かに暴力は振るっちゃいけないとか、そういう今までみんなに言ってきたことを明確にするだけ。皆は今までとそんな変わらないよ」
「そ、そうなんですね。わかりました」
納得しているのかいないのか、ヤマタは渋々といった様子で椅子に腰を下ろした。
うん、怒っていないと言ってもやっぱり敏感に雰囲気を察するよね。大人が思っている以上に子供は賢く、察しがよく、頭を使っているのだ。
ただ、今回のことでよくわかったことがある。それは私がいつまでも彼女達の指導者ではいられないということ。
「私はしばらく、天界を留守にすると思います」
「えっ」
「えぇ!?」
「い、いなくなってしまう、ということですか……?」
私の宣言にみんなが泣きそうな顔になる(ツキノは眠そう)。
「あー、違う違う。お別れってわけじゃないよ。ただちょっとお出かけするだけだから」
「お出かけ、ですか……?」
「そ。“影の世界”とやらにね」
「影の世界……」
私が口にしたその言葉を、イセが口の中で繰り返して転がす。
“影の世界”。そう呼ばれる異界がこの天界の外側に広がっているのだとデモンは言っていた。私自身は知覚したこともない未知の世界だ。
私がこの天界を“良い”もので埋め尽くしたことによって、それとは反対の“悪い”ものが影の世界に集まっているのだとか。
「そんな世界、本当にあるんですか? デモンが嘘をついてるんじゃ……」
「うーん、どうかな。私はあいつのことそんなに嘘つきとは思えないんだよね」
「あれは嘘つきで卑怯で醜い存在だと思いますが」
「すっげぇヘイト」
イセったら、どんだけデモンのこと嫌ってんだ。いやまぁ、好きになりようもないのはわかるけどね。あいつ私になりすましてイセに接触したりしたみたいだし。私としてもその行動はあんま容認できないんだけど。
「そうだとしても、デモンみたいに私が生み出してない存在がこの世界に存在してるのは事実でしょ? 今回みたいなことがまた起きないとも限らないし、やっぱり私としては影の世界とやらを偵察したいんだよね」
「……」
そう言っても、やっぱりイセは納得いかないように眉を寄せていたけど。
「……そうですね」
最後には、渋々と……本当に渋々そうに、こくりと頷いた。
「デモンみたいな危険で不潔な存在が、またこの天界を脅かすかもしれないですから。それをなんとか出来るのは先生しかいないと思います」
「せんせー、イセがさみしいってー」
「言ってないです」
「でもそんな感じの顔してたよね〜」
「クロエ姉さん!」
うん、まぁ寂しいんだろうなって気づいてたけどね。必死に隠そうとしてたのに後ろから撃たれたイセには同情を禁じ得ない。
「……先生」
ツキノとクロエに怒り狂いながら襲いかかるイセを傍目に、ヤマタが不安そうな顔を向けてくる。
だけどそれも一瞬のことで。目を閉じて深呼吸したヤマタは再び目を開いて時、そこに覚悟の色を宿していた。
「みんなのこと、私が守りますから」
……ヤマタは、イセを止めきれなかったことをずっと後悔しているようだった。
「ありがとう、ヤマタ」
だから私は、そんなヤマタの頭を二つの右腕でわしゃわしゃと撫でた。
「みんなをよろしくね」
「……はい!」
私の掌の下から、ヤマタはむんっと腕を振り上げて答えてくれたのだった。
◆
「……気をつけてくださいね」
「うん、じゃあ行ってくる」
みんなのお見送りを受けて、私は“影の世界”に旅立つことになった。
学舎がどんどんと遠ざかっていき、手を振るみんなの姿も見えなくなる。
「さて」
両手いっぱいの果物やらお花やらを落とさないようにしながら、私は天を仰いだ。
「どうやって行けばいいんだ」
意気揚々と旅立ったはいいものの、そもそも私は影の世界に入る方法を知らないという事実を失念していた。
やべっ、勢いだけで飛び出したはいいけど一旦戻るか……? いや流石にダサいな。しかも戻ったところで影の世界に行く方法がわかるわけでもないし……。
「ん?」
とかナントカ言ってたら。
『……』
「……こんにちは?」
“影”が私を見ていた。
比喩ではなく、私の影が緑色の目を私に向けていたのだ。
そんな影に呑気に挨拶を返した、直後。
「へっ」
影が大口を開けて私を飲み込んだ。
「どあああぁぁ!!」
影の中へ、落ちていく。
辺りが暗い闇で覆われていく。
……やがて影の穴は閉じ、辺りは何事もなかったかのような静寂に包まれた。
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