『──兄ちゃん! 遅刻しちゃうよ!』
『──お兄ちゃん! ダメじゃない……風邪、ひいちゃうよ?』
誰かの声が聞こえる。優しい声だ。
誰なんだろう。ずっと昔に聞いたような気もするし、ついこの前耳にしたような気もする。聞いていると愛おしい気持ちになるけど、同じくらい、胸が締め付けられ切なくなる。
兄弟の記憶は無いけど、多分、呼ばれているのは自分だ。眠る自分に呼びかけているんだろう。
目を開くと、そこには────
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「…………ん」
深い海の底から浮上していくように、ゆっくりと意識が覚醒する。
姿勢をそのままに周囲へ視線を向けると、畳が敷き詰められた何処かの和室で、左右と背後には大きな襖があることが分かる。カンザトは畳の上に敷かれた一枚の布団に寝かされていた。部屋には明かりがなく薄暗いが、正面の障子から差し込む暖かな光が室内を優しく照らしている。
起き上がり体を確認するも、ペルソナによる治癒を施したおかげか怪我はしていない。特に異常は無さそうだった。
記憶を辿ると、自分は墓地で出会ったゾンビの少女と闘い、最後は気力切れで倒れたのだと思い出した。しかし、どうしてそこから見知らぬ場所で寝ていることに繋がるのか、全く検討がつかない。
ペルソナの技の連発は控えようと心に留めつつ、それにしても、自分は見知らぬ場所で目覚めることが多いなと、軽く自嘲する。
この場所が何処か確かめるため立ち上がろうとすると、右手にある襖が静かに開いた。
「あら、お目覚めのようですね。お身体の具合はいかが?」
姿を現したのは、水色の洋服に羽衣を纏った見目麗しい女性だった。ウェーブがかかった青色の髪は、頭頂部辺りで特徴的な∞の形に結われており、また、結い目には
女性は優しく微笑みながらカンザトを見つめている。
「あ、はい……大丈夫です」
「それは安心。あの娘の様子を見に来たら見知らぬ人間が倒れているんですもの。殺してしまったのかと思って驚いたわ」
さりげに恐ろしいことをいいつつも、口元には柔和な笑みを浮かべていた。
その受け答えから、カンザトは目の前の女性から普通の人間とは違う何かをほのかに感じとった。
「あの娘って、ゾンビの女の子のことですか?」
「あら、ゾンビなんて言わないで? 私の可愛い部下、『
女性は微笑んだままそう答えた。
あのキョンシーは宮古芳香という名らしい。
そこでカンザトは気づく。「私の部下」ということは、つまりこの女性が……
「部下って……もしかして、貴方が聖徳太子様の仲間の仙人ですか!?」
「え?
「ん? とよさと……?」
「
「えっと、実は、聖徳太子様に教えて欲しいことがあって……」
カンザトはここに至る経緯を簡単に説明した。
自分が記憶喪失であること。
記憶を取り戻すための手がかりを霊夢に聞いたところ、聖徳太子の名前があげられたこと。
聖徳太子の居場所を知っていそうな者として、ゾンビを使役する仙人の存在を知ったこと。
そして、墓地にて件のゾンビ、宮古芳香と遭遇し、話を聞いてもらうためにやむを得ず戦闘したこと。
「なるほど、そういうことでしたか」
「あの……目的のためとはいえ、宮古さんに手を出してしまい、すみませんでした」
「えっ……あぁ、芳香は頑丈なので大丈夫ですが……」
女性は面食らったような顔をして、目を見開いた。
カンザトは、何かおかしなことを言っただろうか、と不安になり、恐る恐る問いかける。
「どうかしましたか?」
「いえ、なんだか驚いてしまって。ここの住人で人外に力を振るって謝る人、あまりいないと思いますよ? むしろこちらが文句言われるんじゃないかと思ってたぐらいで」
妖怪が人を襲えば、対して人が妖怪を退治する。
幻想郷において、それが妖怪と人間のひとつの関係性だ。そのため、大多数の人間は危険な妖怪を攻撃することに疑問を持つことはないのだろう。むしろ、そうあるべきなのかもしれない。
今回に関しても、ゾンビ少女「宮古芳香」が人間であるカンザトを襲ったことにより起きた事故であり、それに対しカンザトが文句を言う権利はあれど責められるいわれはない、という事だ。
「いつでも逃げられたのに食ってかかったのは俺の方ですから……文句なんて」
それを聞いた女性は少し考え込んだかと思うと、おもむろに口を開いた。
「芳香が貴方のことを『コイツは強い、私に勝った』と言ったんですが、本当ですか?」
「えっ、うーん……」
素直に「はい、本当です」と答えるべきか、カンザトは悩んだ。
最終的には勝利を収めたことになるのかもしれないが、何度も死にかけながら、相手が挑発に乗った隙をついて一矢報いただけだ。終始あちらのペースで、終盤以外は本気を出していなかっただろう。
「それに、芳香と戦ったのに見たところほとんど負傷していない。貴方は一体……」
和やかな空気が一変する。
口元には変わらず気品さを感じさせる微笑みを浮かべているが、深海を思わせる底の見えない濃紺の瞳はこちらを見定めるかのように見つめている。
「何者、ですか?」
もしや怪しまれているのだろうか。敵意を向けられている訳では無さそうだが。
当然、ここで聞かれているのは種族名ではなく、常人ではたとえ逆立ちしても敵わないであろう宮古芳香を、ただの人間にしか見えないカンザトが如何にして打ち破ったか、ということだ。
「…………」
カンザトは一部始終を赤裸々に説明していいものか迷った。
ペルソナ能力について明かすことは支障無いが、未遂とはいえ仙人の部下の命を奪いかけた蛮行を馬鹿正直に話していいものか。戦った事自体はむしろ仙人側が後ろめたく思っていたようだが、殺しかけた事を伝えれば態度が急変するかもしれない。何が地雷になるかは分からない。そもそも殺人未遂自体、良心に従えば懺悔すべき「罪」なのかもしれないが……彼はそこまでお利口になれなかった。
芳香を粉々に吹き飛ばした事は隠しつつ説明することが頭をよぎったが、彼女はやっとの思いで出会えた、聖徳太子に繋がるやもしれない人物。信頼を損ねるような真似は避けたい。それに、隠したところで後ほど芳香から知らされる恐れもある。
正直なところ後ろめたい気持ちはあったが、カンザトは嘘偽りなく事の顛末を話すことにした。
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「ペルソナという力を駆使して、襲ってきた芳香に対抗し、最後はバラバラになった芳香を治した……と」
「だからその、重ね重ねになるんですが本当に宮古さんには申し訳ないことをしたというか……」
「律儀ですねぇ。先程も言いましたけど、あの娘は頑丈さが売りなので大丈夫です。私が見ても完璧に治ってましたよ。自ら治したのにそこまで気にかけるなんて、ここの住人とは思えないわ」
妖怪に人権のようなものがあるのか分からないが、幻想郷の人間は妖怪に対して容赦が無さすぎないか? と、青娥の話を聞いたカンザトは思った。妖怪を容赦なくシバキ倒す人間の筆頭が知人の紅白巫女なのだが、彼はまだそれを知らない。
「それにしても、精神を具現化する能力……ねぇ。長い間生きてるけど、そんな力を持つ人間、初めて見るかも」
一見うら若い女性にしか見えないが、仙人というからには長寿なのだろう。そもそも仙人とはどのような存在なのか気になったが、今それは重要でないため聞かなかった。
「そうなんですか? 自分でも未だによく分からない能力なんですけどね」
「それで多種多様な魔法を行使出来るというのも面白い。うふふ、少し興味が湧いてきたわ。ペルソナ能力も、貴方自身の事も」
こちらを見定めるような雰囲気は消えたが、女性はまるで獲物を見つけた捕食者のように、妖しげな笑みを浮かべ、目を細めて薄ら寒くなる目線をカンザトに向けた。相変わらず笑顔なのだが、何故か本能的な恐怖を感じた。
「そ、それで聖徳太子様のことなんですが」
「あぁそうでしたね。申し遅れましたわ。私の名は『
霊夢からは危険人物扱いされていたが、話した感じそれほど危険な印象は受けなかった。同じ括りにされていたゾンビ少女とは比較にならないほど理性的だ。
誰が来るとも分からない墓地に、無差別に人を襲うゾンビを放置してた時点で危険人物では? と言われれば、それはそう、としか言えないのだが。
「あの方とは、仲間というよりも…………共犯者?」
「はい?」
「ふふ、こちらの話です。霊夢さんが言った通り、豊聡耳様は普段、異空間にある道観にお住まいです」
やはり、こちらから訪ねることは物理的に不可能なのだろう。どうにかしてコンタクトを取れないか尋ねようとすると……
「ですが……本日は丁度、講演のため里を訪れているようです。幸運ですね?」
「えっ! そうなんですか!?」
「里の人達の間でも話題になってますよ。誰かにお聞きにならなかった?」
「あぁ……知り合い、少ないんで……」
言いつつ悲しくなった。こんなところでもよそ者である弊害が出てくるとは。道行く人々がザワついているのは気になっていたが、その訳は誰にも聞かなかった。
「スケジュールを把握してる訳ではないけれど、そろそろ講演が終わる頃かしら。話を聞きたいなら、役所近くの講堂に行ってみるといいですよ」
霊夢に話を聞いた際、聖徳太子はたまに人里に現れると言っていたが、その日が今日だとは思いもよらなかった。里に住み、待った甲斐があったというものだが、そうなると命をかけてまで芳香とやり合う必要は無かったのかもしれないと思ってしまった。
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どうやらカンザトのいた場所は青娥の間借りしている屋敷だったようで、青娥は、芳香の近くでノビていたカンザトをここまで運んでくれたらしい。青娥が人里にとってどのような扱いなのかは不明だが、それなりに立派な屋敷だった。
外に出ると、夕日が里全体を黄昏色に染め、今が夕暮れ時だと分かった。
「それじゃあ、お会いしてきます」
「ええ、いい結果になるよう祈っています。それと、行く前に1つお願いが」
「何ですか?」
「気が向いたときでいいので、芳香と話してあげてくれませんか? あの娘、かなり……物覚えが悪いのだけれど、何故か貴方のことは忘れてないみたい」
それは強烈な闘いによる記憶の残滓が残っているだけで、次会う時にはまた襲ってくるのでは? と口走りそうになったが、余計な事は言わないでおいた。
「はい、俺で良ければ。まだ墓地にいるんですよね?」
「えぇ、普段は眠らせているけれど、今後は起こさせておきますね」
「出来れば人を襲わないように言っておいてください……」
後日墓地に足を運ぶことを念頭に置き、カンザトは青娥に別れを告げ講堂に向かうことにした。
数歩歩いたところで、ふと、足を止め振り返る。
「すみません、言い忘れてました。青娥さん、倒れてた俺を助けてくれてありがとうございました! 今度お礼させてください!」
カンザトは一礼して、再度歩き出す。
青娥は一瞬、呆気にとられたような顔をして、歩いていく青年の後ろ姿を見つめていた。
「ふふ、本当に律儀な方ですねぇ。力を持っているのに驕らず……なんだか不思議な人。霊夢さんと少し似ているかも」
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講堂前へ着くと、入口近くに人だかりができていた。里の住人は暗くなると早々に家の中へ引っ込むため、夕暮れ時にここまで多くの人が集まっているところを見るのは初めてだった。
何事かと思い近くにいた男性に聞くと、「とんでもなく偉いお方が講演を開いてたみたいだ。あれはその観客だな」とのことで、聖徳太子の人望の厚さが伺えた。
それにしても、どうして外に集まっているのだろうと人混みに近づいてみると……
「神子様! 私の家内のことなのですが──」
「聞いて下され! ここのところ金回りが悪く──」
「今後の妖怪との付き合い方は──」
「神子様……私は森で恐ろしいモノを見てしまって──」
やんややんやと群衆は誰かに語りかける。相手はおそらく、この人だかりの中心にいる人物だろう。
(ここに聖徳太子がいる……? 質問コーナーでも開いてるのか?)
話を聞いてもらうには、この密集した人の中に突撃しなければならないのかと少々辟易しつつも、意を決し、人混みをかき分けて中心にいるであろう目的の人物へと近づいていく。
中心に近づくにつれて、足音すら聞こえなくなるほど騒がしくなる。こんな状況で個人の相談に乗れるわけが無いと思いつつも、周囲の人々に合わせて言葉を発した。
「聖徳太子様! 僕の記憶を見てください!」
群衆の様子は変わりなく、返答も何も無い。当然だと思い、順番があるのか分からないが、人がはけるのを待っていようかと考えていると、ふと、自分は仙人の助言でここまで来たのだと思い出した。
彼女の名前を出せば興味を引けるのではないかと考え、カンザトはもう一度声を張り上げる。
「僕は霍青娥さんに話を聞いてここに来ました! あと……博麗霊夢さんからも!」
喋っている途中で霊夢の存在も思い出したため、ついでに付け足した。
すると、その場を支配していた喧騒が薄れ、徐々に静寂に移り変わっていくのを感じた。先ほどの騒がしさが嘘のように静まり返り、遠くで聞こえる子供の遊ぶ声や、人々の行き交う足音だけが残った。やがて、人混みの中心からよく通る凛々しい女性の声が発せられた。
「皆様、間もなく黄昏時です。恐れ入りますが、本日の相談会は以上とします。各自、私の言葉を胸に刻み込み、お気をつけてお帰りください」
それを聞いた人々は、何かを喋りながらゾロゾロと蜘蛛の子を散らすように去っていった。そんな周囲の様子を見て、カンザトが時間切れかと嘆息していると……
「そこの君! 先ほど、青娥の話を聞いてここに来た、と言っていましたね」
「えっ? あっはい!」
不意に声をかけられてドキリとした。
話しかけてきたのは、耳あてを付けた、凛とした雰囲気の威厳を感じさせる立ち姿の女性。獣耳のように天を衝く薄茶色の髪が目を引く。
彼女こそが『
「本来は時間外ですが……個別カウンセリングといきましょうか」
──聖徳王、その人であった。
・
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(緊張してきた……)
カンザトは講堂内にある使われていない一室へと招かれた。神子の容姿が容姿なだけに、聖徳王と会っているという実感が未だに湧かなかったが、実際に歴史上の人物と相まみえて、彼は大いに緊張していた。
「お借りしている場所ですのでお茶も出せませんが……落ち着いて話をするなら充分でしょう」
「あ、いえお構いなく……」
道すがら会話をして、まず思ったのが……
(聖徳太子って男だよな……この人女性にしか見えないけど、幻想入りしたら性別が変わるのか? ……なわけないか)
神子はかつて男性として振舞っていたのが真実で、性転換した訳ではない。当然それを知らないカンザトは戸惑っていた。
「さて、改めまして……私は『豊聡耳神子』。君のよく知る聖徳王本人です。青娥に話を聞いて、とのことでしたが、経緯を聞いても?」
「聞こえてたんですか?」
「ふふん、私は少しばかり耳がいいのでね」
あの喧騒で人ひとりの声を聞きとったのなら、逸話にそぐわぬ傑物である。カンザトの中で目の前の女性が聖徳太子であるという説得力が増した。
それはさておき、カンザトは本日2度目の今に至る経緯を説明した。
記憶を取り戻すために神子を探していたところ、青娥に助けられたこと。そして青娥に神子の居場所を教えてもらったこと。
神子は、青娥に助けられたという部分でわずかに驚いた様子を見せた。
「なるほど、お話しは分かりました。しかし、青娥が人助けをするとは……明日は雪ですかね」
心底意外そうに話す神子。お互いのことをよく知っているようだが、2人の付き合いは長いのだろうか。そんな疑問が湧いた。
「それで、俺……いえ、僕の記憶の事なんですが、聖徳太子様……いや、神子様は……」
「ふふ、どのように呼んでも構いませんよ。それに、そんなに畏まらなくてもいいわ」
「あ、はい……ありがとうございます」
「私に過去の記憶を見て欲しい、でしたね。それにしても、あの霊夢が私を頼るように言うとは、実に光栄だわ」
神子はクツクツと笑いながらしたり顔で喋る。
霊夢は神子のことをあまり信用ならないと言っていたが、何か因縁でもあるのだろうか。
「ところで……教えるのはやぶさかではありませんが、その前に1つ」
「はい……?」
神子は一呼吸置き、カンザトを正面から射抜くように真っ直ぐ見据えた。カンザトは、強い意志を宿した黄金色の双眸に見つめられ、気が引き締まると同時に、まるで今の心情を全て見透かされているような気分になった。
「記憶が、君にとって失くしたままの方が都合の良かった場合、どうする?」
「…………」
「君が今から蘇らせようとしているソレは、希望に満ち溢れた幸福な記憶とは限らない。これからすることは、脳髄の奥底に眠っていたトラウマを無理矢理掘り起こし、目覚めさせる愚行かもしれない」
「それは……」
「隠蔽していた闇を暴かれた人間がとる行動は、主に逆上するか……自責するかだ。程度によるがね」
カンザトは何も返答出来ずにいるが、神子は構わずまくし立てる。
「さて、君はどちらかな? 外来人」
「……俺が外から来たって分かるんですか?」
「その格好と雰囲気で分かるわ。おそらく青娥も察してる」
霖之助も服装で外来人だと分かったようだが、そこまで分かりやすいだろうかと思ってしまう。それとも、観察眼に優れた者にはその程度お見通しといったところか。
「喪失には必ず謂れがある。君は記憶を失くしたと言っていたが……仮に、その記憶が誰かの手によって奪われたものだとしたら? さらに言うと、君の真なる人格は悪性であり、必要とされて奪われたのだとしたら……」
「そんなっ!」
「些か意地が悪かったかな? でもね、心構えは大事だよ。これでも君のためを思って忠告しているわ」
忠告され、カンザトは改めて意識した。
未だ失くした記憶については一切分かっていない、ということを。
記憶を失う前の自分が、今と同じ自分である保証はどこにも無い。記憶を取り戻した途端、人格が豹変するかもしれない。それどころか、人に仇なす存在になる可能性すらある。
それは果たして、今ここに生きる「カンザト」と同一の存在なのだろうか。
(本当の、俺は……)
考えた事が無い訳ではなかった。
ペルソナという人の域を超えた、過ぎる力。それを持つ自分は、一体何者なのか。
人に危害を加え、退治された妖か。はたまた上位存在に創造された造物か。
能力を覚醒させ、霖之助に人間かどうか疑わしいと言われた時……あの時は気にする素振りを表に出さなかったが、本心では、その疑いを否定出来ない事実が恐ろしかった。
人間でも、霊夢のように超人的な力を持つ者はいるが、彼女とは明確に違う事がある。
それは、そこに至るまでの軌跡があるか。
鏡の前に立った時、鏡に映る自分は疑いようもなく1人の人間だった。しかし、記憶を遡ろうとすると、どうしようもなく実感するのだ。それまでの自己を形成する経験、過程が欠けている、虚ろな自分を。
「知らぬが仏、とも言います。本当に進むべきか、今一度よく考えて下さい」
神子はカンザトを優しく諭す。
彼女は常人では計り知れないほどの膨大な経験則を元に、善意で助言しているのだろう。
なれば、崇高なる導きに従い、本当の自分から目を背けて生きていくのか──
──否。
(違う……それじゃ、納得出来ない!)
聖人の説得でも、カンザトの意志は揺らがなかった。
博麗霊夢にこれから歩む道のりの危険性を突きつけられた時や、強敵、宮古芳香と接敵した時から、答えは何も変わっていない。
楽な道に逃げず、真実を追い求めるという、答え。
「今はまだ、分かりません。もしかしたら思い出さない方が自分のためなのかもしれない」
神子はやっとの思いで出会えた、記憶
「でも、分からないからこそ、俺のこれからは何も決まってない。だから、何もしないで逃げるのだけは嫌だ……!」
だが、いつの間にか彼の口から出る言葉は感情的になっていた。
「俺はまだ、何も決断出来てない!!!」
カンザトの心からの訴えが、室内に響いた。
──やがてその場に、静寂が訪れた。
変わらず神子は相談者を真っ直ぐ見つめているが、口元からは笑みが消えていた。
カンザトは、しまったと思った。燃えるような感情に身を任せ、思いの丈をぶちまけてしまった。
非礼を謝罪しなければと慌てていると、突然、神子は見た人全員が気を許してしまいそうな柔らかな笑みを浮かべた。
「……ごめんなさい、1つ抜けていましたね。闇を暴かれた者の中には、己の影を受け入れ乗り越える者もいる。それが出来るかは君次第ですが、今の君は逆境にも立ち向かう強い意志をお持ちのようだ」
「あっ……す、すみません。熱くなってしまって……失礼しました」
「いえいえ、君の
そう言う神子は、どうしてか、嬉しそうに見えた。
助言を乞う立場でありながら無礼を働いてしまったが、相談者が納得いかず怒りを露わにすることなど慣れているのだろうと、カンザトの神子に対する尊敬の念が強くなった。
「では、そうですね……今度は、この地に訪れてからの出来事を一から私に聞かせてくれませんか? 思ったこと、感じたこと。お好きなように話してください」
「……はい! 分かりました」
カンザトは藁にもすがるような思いで、香霖堂で目覚めてから現在まで、約3週間の出来事を語った。短いようで長い、実に充実した日々だったが、一つ一つ話していくと心の内が整理されていくようだった。
その間、神子は時々相槌をうちながら、カンザトの話す内容に静かに耳を傾けていた。何故かとても話しやすく、聞き上手とはこういった人を言うのかと、カンザトは思った。
・
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「──というわけで、俺はなんとか神子様にお会い出来たんです」
「ふむ、失くした記憶とペルソナという能力……間違いなく関係はあるでしょうが……時折聞こえる謎の声、そして占術師の老人の存在も気にかかる」
カンザトは体験した事全てを包み隠さず話した。
里で出会った意味深な事を語る長鼻の老人や、動く屍少女と対峙した時に聞こえた声の事なども、全て。
「思うにそのペルソナという力、『外』でも持っていたんじゃないですか?」
「え、なんでですか?」
「老人は言ったのでしょう? 『外でも会った』と。ペルソナ能力を知っていそうな口ぶりの老爺と、この世界で再開したんだ。直接力を行使する機会は無くとも、君が何かしらの形でペルソナ能力に関わっていた可能性は高いと、私は思う」
「なるほど……」
「その情景まで読み取れたらいいんですけどねぇ……」
神子は眉間に皺を寄せ、悔しげな表情をした。
「私は人の持つ欲を聞き、その者の過去、未来、現在を見通します。通常ならここまで事細かく話して貰う必要も無いのですが……君の場合は、そうだな……なんと形容したらいいか」
神子は黙りこみ、何かを考えている様子だったが、すぐに口を開いた。
「君の記憶を辿ろうとすると……雑音が混じる。記憶が無いせいなのか……はたまた、何か別の要因があるのか」
「雑音? 何も読み取れないんですか?」
「いえ、この地に降り立ってからの記憶は話してもらわずとも読めていたんですがね。目的の喪失した記憶までは読み取れなかった」
もしやペルソナの存在が邪魔しているのでは? とカンザトは思った。神子の力を疑う訳では無いが、ペルソナは未知の能力であり、何が起きてもおかしくない。
「ふぅ……あれだけ大口を叩いておきながら不甲斐ない限りです」
「い、いえ……そんな」
こちらから頼み込んだのだ。正直残念ではあったが、文句などあろうはずも無い。
「ですが、分かったことも幾つか」
「本当ですか!?」
冷静であろうとしても、一縷の望みが生まれた気がして声が大きくなってしまった。
神子はそのまま続ける。
「君は何か、大義を成すためにこの地を訪れたようです。目覚めた記憶の原初に、強い意志と欲望の昂りを感じたわ」
「やっぱり俺は外から幻想入りしたんですね。何か目的を持って」
「しかし、明確であった目的意識はそこで途切れている。不自然なほどに、ブツリと」
やはり何かしらの外的要因により記憶を奪われたということだろうか。それは妖怪か、神か……それとも、世界の意思か。
「直後から、君を庇護する魂の鼓動を感じる。君も薄々気づいているでしょうが……君には親しい間柄の人間、おそらく兄弟がいる」
「……はい」
「その者らは常に君を守っている。君は……孤独ではないようです」
「……!」
カンザトは、ずっと独りだと思っていた。気にかけてくれる人達はいるが、己が生きた証を知る者は誰も居ない。
しかし、声は聞こえずとも、確実にいたのだ。慈しみ、愛してくれた人が。
それだけで、心の奥底から勇気が湧いてくるようだった。
「兄弟が何処にいるかは分からない。だけど、希望を捨ててはいけません。きっと、この地には君の追い求める真実と、会いたい誰かがいる」
いるはずなのに、共にいない兄弟。
それは、既に空の頂に昇り手の届かない魂かもしれない。
されど、日出ずる処の天子は希望の光を示す。
「俺、霊夢にここは危険だと言われた時に思ったんです。どんな困難でも、何も知らない内に足を止めてはいけないって」
「……そうですね、その通りです。ふふ、私から何か言わなくとも、とうに答えは出ていたようですね」
「いえ、神子様に話して、自分の中で改めてまとまった感じです」
それを聞いた神子は納得したように大きく頷き、改めてカンザトと視線を合わせて告げる。
「私からのアドバイスはただ1つ。己を信じなさい。魂の声を聞き、現状に従わず、自分の信ずる道を迷わず一歩一歩踏みしめる。もしもその道程で躓いたなら、信じられる仲間を頼りなさい。人は存外、己が力だけでは立ち上がれないものです」
「……はい!」
「私ともあろう者が月並みな答えしか用意出来ず、なんとも歯がゆい思いではありますが……」
「いえ、神子様のおかげで、気力が湧いてきました。まだ前に進めそうです」
「ふふ、それは良かった」
最初の頃は不安の色が見え隠れしていたが、今は光明が差した青年の瞳を見つめながら、聖徳王は思考する。
(しかし、この男が何者であるかは分からずじまいね。ならば、彼が悪意に絡め取られた哀れな被害者か……それとも私すら欺く道化か……見極めさせてもらおう)
・
・
・
講堂から出ると、既に日は落ち辺りは暗くなっていた。
「遅くまで、すみませんでした」
「いえ、夜は人ならざる者達が活発化する時間帯です。お気をつけてお帰り下さい」
それを聞いたカンザトは苦笑いを浮かべつつも、一礼して帰路につこうとした。
「あ、そうだ」
すると、神子は何かを思いついたようで、足早に帰ろうとするカンザトを呼び止めた。
「君は青娥に頼まれ事をされたと言っていましたね。私からも1つ、いいですか?」
「はい……? なんですか?」
それは、偉大なる聖徳道士による、新たな絆を結ぶ導きだった。
あたまいいきゃらかくのむずかしい( ᐙ )
青ジャージの太子だったら楽そうなんですけどね。
いや、ある意味もっと難しいかもしれない。
ペルソナ〜トリニティ・ソウル〜は
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存在を知らない